先週と今週は、日本から招待されていらした美術家の先生の通訳をさせていただき、大変、勉強になった日々でした。
普段は全く縁のない分野のアサインメントだったので、久しぶりに頭を回転させて、「あら、まだこの脳、使えるわ」と、ちょっと嬉しくなりました。(最近、本当に衰えが顕著で、マジで脳ドックに行こうかと思ったくらいなので。。。)
先生のご了承を得てから写真や活動のご紹介をしたいと思いますので、このトピックについてはまた後日。
さて、気が付けばすでに3月も残すところあと二日。
2018年が明けた直後からもけっこう慌ただしかったのですが、特に2月から3月にかけては、皆様ご存知のとおり
急遽、帰国→平昌生観戦→実家の用事のバタバタ→カナダに戻って職場の大イベント、通訳の大きなお仕事
そこに挟まって開催されたワールドも気になりつつ
グワーッとほぼ振り返る間もなく、今日に至りました。
ということで、本当に昨日・本日でようやく、ようやく、一息ついた、という感じです。
そこですんごい事を打ち明けますと、私、実は夫にわざわざ2月中に録画してもらっていたCBCの一連の平昌フィギュア関連番組を観てもいなかったのですよ。
いや、3月半ばに一度、観ようと思ったことはあったのです。
ところが
リモコンで録画リストのボタンを押すと、どうも調子がおかしい。なんだか嫌な予感がして、色々と試したのですが、いっこうに録画されたはずのものが出てこない。
(その時の私の狼狽・怒りと夫の慄きは省略して)手短に言いますと、ケーブルテレビのボックスがぶっ壊れていたのです。そして録画されていたものは全てパー(←死語)。
もうそこからすっかり意欲喪失して、さきほどまでろくにネットで探しもしていませんでした。(断片的には見たかも知れないけどそれさえも定かではない)
そこでCBCのYouTubeチャンネルにたどり着き、色々と親切に動画を置いててくれたので、リストを見ると、まず目に飛び込んできたのが、「Inside an athlete's head: Kaetlyn Osmond's Fight to Heal and Skate Again」(直訳すると=アスリートの頭の中:ケイトリン・オズモンドが怪我から復帰し、スケートに戻るまで)
これはまさに、私が昨年のワールドでケイトリン選手が銀メダルを獲得した時に思ったことと重なります(アスリートの心:ケイトリン・オズモンドの復活への道(再度・訂正あり)。
このCBCの動画がアップされたのが2018年2月4日。つまりまだ平昌の大会前ですね。
その後に彼女が獲得した平昌五輪での銅メダル(および団体金メダル)、そして先日のミラノ・ワールドでの金メダルを踏まえて鑑賞すると、よりいっそう感慨深いものがあります。
冒頭の言葉がこれ:
"My biggest fear is always, getting injured. My biggest fear is that I'm going to do something stupid, and there goes the career that I fought so hard to get"
一番の恐怖は常に、怪我をする、ということ。一番の恐怖は、何かバカなことをして、それまで必死で積み重ねてきた競技人生が台無しになってしまうこと。
2012年から2013年にかけてのシーズンは、まだ16歳のケイトリン選手が国際大会(GPスケートカナダ)や国内の大会(ナショナル・チャンピオン)で大躍進した一年でした。
しかし翌シーズンは開幕早々に足の疲労骨折とハムストリングの故障を経験します。どうにかそれらを乗り越えて、ソチにも出場。次のシーズンこそ万全の体調で、と思われたのに、2014年の晩夏、振り付けの練習中に右脚を二カ所、骨折してしまいます。
その時の模様を述懐するケイトリン選手の言葉がかなり強烈で、胸が詰まります。
痛みそのものを憶えている、というよりも、ただただ叫んでいた、と。自分のどこからこんな音が出せるのだろう、と思うくらい、泣き叫んで、「どうしてまたこんな目に遭うの、どうしてまた怪我なんかしちゃったの」としか言えなかったそうです。
病院のベッドでお母さんに、「もう二度と、リンクには立たない」と言い、ずっとそう思っていた。
他人には「早くギプスが取れて、氷上に戻りたい」と言ったりしていたけど、頭の中では「もう絶対にスケートはしない」と考えていた。
怪我をして一年後、ようやく心理カウンセラーに話をする決心をして、最初の数回は泣いて、自分がどれほどあの怪我に縛られているのかを認識する作業から始まったそうです。
上にリンクを貼った記事にも書いたことですが、ケイトリン選手が苦悩していたと回想している時期、ちょうど2015年に私は彼女にスケートカナダのレスブリッジ大会で会っています。
日本の記者のインタビューに素敵な笑顔で答えている彼女でしたが、その時も冗談交じりに「せっかく(ソチ)オリンピックのために入れた五輪のマークのタトゥーが、手術の痕でズレちゃって、滑稽でしょ?」と茶化していたのが今になって思えば切ない。
つくづく、我々はアスリートの頭の中で何が起こっているのか、については何も知らないのだ、と痛感させられます。
2013年のカナダ選手権で初めて彼女の滑りを生で観た時から、きっといつか、世界の舞台で認められる選手になるだろうと期待していました。怪我のせいで数年、遅れた感がありますが、一番良いタイミングで大輪の花を咲かせてくれました。
常に付きまとう恐怖にも勝るスケートへの情熱に助けられ、見事に克服したケイトリン選手に心からおめでとう、と言いたいと思います。
さて、ここまでが一応、プロローグで、この後も頑張って二つは書きたい!
一つは予告していたクリケットクラブについて、そしてもう一つはメディア・センターで出会った記者の方々について、です。
よろしくお付き合いください。