有名人とファンの関係について(その2) | 覚え書きあれこれ

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記憶力が低下する今日この頃、覚え書きみたいなものを綴っておかないと...



ひとつ前の記事では有名人と一般ファンの間の隔たり、みたいなことに関して書いてみました。


結論としては家族のようにお互いの人生に責任を持てるような関係ではないのだから、相手の人生に著しいマイナスの変化が生じるようなことがあってはいけない、 ということでした。


昨今はソーシャルメディアやインターネットの普及に伴って、有名人とファンとの境界線が非常に曖昧になっています。本来ならあるはずの距離を、ない かのように思わせてしまう。ミュージシャンの中にはそれを巧みに使って自分の音楽活動のツールとして生かしている人が増えています。

私のごひいきのSIXX:A.M.などが良い例で、メンバーがそれぞれ自分のインスタグラムやツイッターを通して常にファンとの交流を保持しています。





ツアーやアルバム制作の合間も私生活の一部を公開したり、ファンからのコメントにも時には返信したり、 そしていったんアルバムが発表されることになると、カウントダウンやあらゆるプロモーションをそれぞれのアピールの仕方で盛り上げます。


好きなアー ティストがより身近に感じられ、あたかも自分に直接、コンタクトを取ってくれているかのように思えるので非常に効果的な手法だと言えます。

しかしこうしてファンとの距離を「縮める」のはスターの方からすることであって、




ファンの方から積極的に接近するのはある一定の線を越えると危険で、それなりの制裁が加えられます。






「一定の線」がどこにあるのかを見極めるのは難しいこともありますが、たいていの人には直感的に分かることですし、越えてしまったとしても注意されればそそくさと引き下がるものなんですけどね。


さて、ここでちょっとギアチェンジをしますが、話をアスリートに限定して進めたいと思います。

我々一般人はお茶の間で様々なスポーツを観戦しますが、芸能人と比べてよりリアルに、目の前でドラマが展開される分、アスリートたちに深く感情移入することが多々、あります。


お気に入りのプロ野球のチーム、相撲の力士、テニスのスター選手、そして世界選手権やオリンピックで活躍する水泳選手や体操選手たちもこの中に入ります。勝ち負けに一喜一憂して、ファンとして当然の権利のようにそれらアスリートたちの成績について誇らしく思ったり、あるいは罵っ たり。


それをお茶の間でやっている分には直接の影響はないのですが、試合の行方を左右するようなことをたまにファンはやらかしてしまいます。


北米で有名なのは2003年のプロ野球の試合で起きた「Steve Bartman 事件」




シカゴ・カブスのファン(バートマン)が相手チーム(フロリダ・マーリンズ)の打ったファウルボールに手を伸ばしてシカゴの野手の邪魔をし、その後、フロリダが大逆転するきっかけを作ってしまった。


シーズン中の普通の試合であればさほど問題にはならなかったのでしょうが、これがワールドシリーズへの出場権を決める重要な対戦だったため、シカゴファンから永遠に憎まれる対象となってしまったのでした。

考えてみれば、ファウルボールが欲しいばっかりに自分の応援するチームに打撃を与えたばかりか、自分もその後、脅迫や揶揄にさらされることになり、きっと悔やんでも悔やみきれなかったことでしょう。


ファウルボールどころか、最近ではツール・ド・フランスなどの自転車競技中にレーサーたちを背にセルフィーを撮るという極めて愚かな、しかも危険な行為が横行していてレース主催者を悩ませています。





くだらない自己満足のために選手たちの邪魔をしたり、危害を加えたりする。これはファンとしては決してやってはいけないこと。




レーサーたちと並走したり、道路に入り込んで写真を撮ったり、その結果、何が得られるのか?




その代償は何なのか?




気の遠くなるほど長い時間をかけて、アスリートたちが積み重ねてきたことを、ほんの一瞬で台無しにしてしまう。


その時に撮った写真、キャッチしたボール、それをファンが一生、大事に家宝とするならまだしも、たいていは数年後に引き出しの中に入れられて忘れられるのがオチです。


でも妨害によってレースや試合で失敗した選手にとってそれはもしかすると一生に一度の勝利のチャンスだったかも知れない。

勝てなかった悔いと無念に一生、苦しめられるかも知れない。



昨年、エルビス・ストイコについて書かれたベヴァリー・スミスさんの記事を取り上げました。スミスさんによるとストイコさんは長野オリンピック以降、深刻な鬱状態に陥って、10年間、そこから脱することができなかったそうです。





オリンピックで優勝を期待されていたのに、負傷のため実力が発揮できずに銀メダルに終わったのがきっかけとなったようですが、私はこの記事を読んで、アスリートたちの競技にかける思いの深さを再認識させられました。


我々一般人は試合を観戦していて、ごく無責任に興奮したり、落胆したり、その時は異様なまでの感情移入することはあるけれど





一生、その結果の重みを背負うわけではない。


だとすれば、人生をかけて競技に挑む選手たちとの距離を、自己満足のために縮めようとしてはいけない。



ましてやアスリートの側から「距離を保ちたい」という意思表示がされている場合は。。。