アスリートの心:オリンピックの魔物は執念深い | 覚え書きあれこれ

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記憶力が低下する今日この頃、覚え書きみたいなものを綴っておかないと...





ベヴァリー・スミスさんの最新記事(カナダのスケート連盟HPにて掲載)は往年の名選手、エルヴィス・ストイコがテーマです。

ブライアン・オーサー、カート・ブラウニングといったカナダの名男子スケーターの後を継ぎ、1990年代後半はストイコがフィギュア界最強のスケーターだった時代。

体型的にも雰囲気的にもそれまでのフィギュアスケート選手のイメージとは少し違った「武道系スケーター」とでも言いましょうか。「ターミネイター」との異名のとおり、メンタルの強さと安定した四回転ジャンプが彼の最大の武器でした。


全文の翻訳はあえてしませんが、ところどころ、解説を入れて行きたいと思います。



まずは記事のタイトル:

Stojko Returns to Canada Healed and Ready to Help

すっきりと上手く訳すのが難しいですが、要するに(心の)傷が癒えて、(後輩スケーターを育成したり祖国のスケート界に)貢献する準備が出来て、カナダに戻って来た、ということです。


スミスさんの記事によると、ストイコは一年ほど前にそれまで12年間住んでいたメキシコを離れ、カナダに戻って来たようです。妻はメキシコ人の元スケート選手グラディス・オロスコ。二人でストイコの実家のあるトロント北部のリッチモンド・ヒルに居を構え、積極的にカナダのスケートイベントに顔を出すようにしてるとのこと。(そう言えば、昨年のソチ辺りからメディアでもストイコの発言を目にするようになったり、年末にはシェイリーン・ボーンと一緒にアイスショーを制作したり、今年の春先のシンクロ世界選手権でも彼の姿を見ました。)

引退後、彼がメキシコに渡ったというのは聞いていましたが、どうしてこんなにも長い間、カナダから姿を消していたのかは謎だったので、スミスさんの記事を読んでようやく合点がいきました。



拳法黒帯の武道派スケーター



1994年リリハンメル五輪ではウルマノフに次ぐ銀メダル、直後の千葉世界選手権で初めての金メダルを獲得すると、翌年の1995年バーミンガム・ワールドで連覇、二年後の1997年ローザンヌ大会で三度目の世界王者に君臨します。

そんな流れからストイコは1998年の長野五輪では優勝候補の筆頭に挙げられていましたが、直前のカナダ選手権で股関節を痛め、その負傷を抱えたままでの出場となりました。

男子ショートプログラムの朝、練習中に負傷を悪化させたストイコは持ち前の精神力で痛みを乗り越え、なんとか銀メダルを掴みます。



長野五輪フリー演技終了後、苦痛に顔をしかめるストイコ





しかしその時の超人的な努力が後になって彼を苛むことになるのです。



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He had overextended his incredible will. “I guess my faith snapped or  my willpower snapped,” he said. “From that point on, I was broken. I  was heartbroken and I was broken.” He didn’t know it at the time, because he had been so programed to train and go to the rink, work for  next year’s programs, go through all those important steps.
ストイコは強靭な意志力を良いことに無理をし過ぎたのだ。「信念が、というか意志力がプチッと切れたんだろうね」と彼は言う。「あの時点から俺は折れてしまってたんだ。気持ちが折れた、というのもあるし、自分自身も折れてしまってた。」だが当時は自分でそれに気づいていなかった。ずっと、練習をするためにリンクに通う、次のシーズンの演目を準備する、といったステップを踏むことだけが体内にプログラムされていたから。

Stojko continued to skate, to give it another shot. He came back  stronger than ever, with two quads. But he still wasn’t even close to being mentally the same as he was in early 1998. He figures he skated at  about 65 per cent of his capabilities.
ストイコは選手生活を続けた。もう一度、挑戦するために。(負傷から)カムバックを果たした彼は(技術面では)四回転を二つ備えるなど以前よりも強くなっていた。だがメンタルの面では1998年初頭とは比べものにならなかった。本来の力の65%ほどで滑っていたのではないか、と彼は分析する。


He made it to 2002, then quit, and fell into a deep depression that he didn’t even realize he had. It really had started after the 1998 Games.“I went through my bout of major dark times,” Stojko said. “It’s one of the reasons I left Canada. I needed some space and anonymity. I went  through some hard times with family issues, after my parents split. Mexico was my place of solitude.”
2002年(のソルトレイク五輪)までこぎつけ、そして引退した。そこからは深刻なうつ状態に陥ったが、自分ではその自覚さえなかった。実質的には1998年のオリンピックのすぐ後から始まっていたのだ。「かなり長い間、すごく暗い時期も経験したね。」とストイコは言う。「カナダから離れた理由の一つはそこにあった。誰にも知られていないところで物事から距離を置いて暮らす必要があったから。両親が別れる、とかいった家族関係でも厳しい状況がいくつかあったし。メキシコは俺にとって一人になれる場所だった。」

(中略)

For Stojko, it wasn’t so much the fact that he didn’t win gold in  Nagano. “It was about not being able to reach that peak that I knew I  could do,” he said. “I had a lot of weight on my shoulders. Everybody  thought I could win it. I showed up and knew I was skating on one leg.”
ストイコにとって一番の問題は長野で金メダルを獲れなかったということではなかった。「自分で到達可能だってわかっているピークに達することができなかった、そこだね。」と彼は言う。「両肩にすごいプレッシャーがかかっていた。みんな、俺が優勝できるものだと思ってたから(でも)俺はあの場に立って、自分が一本足で滑っているんだって知ってたわけでしょ」


But Stojko has figured it all out. In Mexico, the fog eventually lifted. And then he met Orozco.  And now racing cars has allowed him to  tap back into his Terminator self. “I feel from that, I’ve let go from that [stuff] in 1998,” he said. “I’d say it took me at least 10 years to  clear all that air of what happened in Nagano. My leg healed, but my soul didn’t. My soul took a lot longer.
だがストイコはようやく色々と気持ちの整理がついたようだ。メキシコに住んでいる内、やがて彼を包んでいた霧は晴れたのだ。そしてオロスコに出会った。カーレースに参戦するようになったおかげで元通りのターミネイターにも戻ることができた。「これでやっと1998年のもろもろの事から解放されたって感じたね。長野で起こったことから、スッキリするまで少なくとも10年はかかったって言っても良いと思う。脚は治ったけど、魂は癒えなかった。魂が癒えるまでにはもっともっと長い時間がかかった。」


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何度もこのブログの中で繰り返して言っていることですが、アスリートが偉業を成し遂げる時、あるいは成し遂げようとする時、我々が想像もできないような葛藤やストレスが彼・彼女たちの体や心にのしかかっているのでしょう。


4年に一度しかやって来ないオリンピックという大会は、誰が何と言っても世界選手権とは全く違った重みを持ちます。だからこそ3度も4度も世界王者になった選手でさえ、オリンピックで優勝できなかったことで大きなトラウマを負うことになる。


「オリンピックの魔物」は大会開催時にアスリートが遭遇するだけなのではない。








戦いに敗れた選手にとって、何年も何年もしつこく付きまとって来る、非常に始末の悪い奴なのです。



力でねじ伏せようとしても、無視しようとしても、決して放してはくれない。








とことん向き合って、

泣き叫んで負けを認めて、

あるいはまた挑戦して今度は打ち勝って、



そして克服するしかないようです。