覚え書きあれこれ

記憶力が低下する今日この頃、覚え書きみたいなものを綴っておかないと...


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いきなりなタイトルですが、おそらく家庭の主婦の方々には共感していただけるのではないかと思います。

 

実は私、明日から日本にちょこっと帰ろうとしているところなんですが、早く寝よう、早く寝ようと思いつつも、ああまだあれもこれも、と雑用に追われています。

 

仕事に関しては先週の金曜日にかなり大きなイベントの開催が終わってホッと一息ついたところ。上司とも一昨日に最後のミーティングを済ませ、お互いこれからニューヨークと神戸に旅立つ身なのでしばらくはメールのやり取りだけになります。それでも最後までしょーもない事務的な問い合わせやら、学生からのリクエストが来て、処理しきるまで時間がかかりました。

 

家の方はというと、息子たちもそれぞれの生活基盤があるので、旦那とワン公だけを残して行くのですが、なんとなく哀れで、レニーにはおやつのスイートポテト・スライスを大量にオーブンで焼いてやったり、旦那にはおかずを何種類か作ったり冷凍したり。(正直なところ、毎度こうやって料理を作っていくわけではないのですが、冷蔵庫の買い置きの野菜を見て、これは置いて行ったらえらいことになる、という危機感があったのです.。)

 

洗濯物やアイロンかけもいつもよりマメに仕上げて、台所もすっきり片づけ、苦手な掃除機をかけて、お風呂場なども私の留守中に誰が来ても恥ずかしくないように整える。書斎にいたっては、普段、目もくれないような書類の山を分類して、きちんとボックスに仕分ける。

 

庭のプランターも丁寧に水やりをして、栄養剤を注入しておく。

 

はっきり言って、これだけの馬力でいつも家を綺麗にしていたらどんなに良いかしら、とため息が出るほど。

 

。。。と感心している場合ではない。

 

いつも思うことなんですが、どーして主婦が家を留守にする時はこうやって残る者に気を使って、その人たちの仕事を極力増やさないように、として行くのでしょうか。

 

だって、ですよ。うちの旦那が今年の一月に友達と南米はコロンビアにサイクリング旅行に出て行った時なんか、なんだかんだ言ってパッキングの不備を指摘したり、洗濯を手伝って持ち物を点検したり、果ては「大丈夫よ、雪かきもあなたのいない間はなんとか頑張るから」などと心置きなく旅立てるよう送り出したんです。(これでも昔に比べたらスパルタになって、手伝っていない方。)

 

子供たちに至ってはもっと過保護になって、あれこれと世話を焼いてしまい、挙句の果ては搭乗券をプリントアウトして持たせたり、下手したらお弁当まで持たせかねません。二人とももう、ええ大人やのに。

 

。。。

 

で、誰が私を手伝ってくれるの?(答:「いーえ、誰も」

 

 

ああ、空しい。

 

おまけに私、まだ最終的な荷造りが出来ていないんです。

 

何故かって?

 

絶対に笑われると思いますが、問題はレニーなのです。

 

この間、次男の卒業式に出席するため、夫婦そろって留守をしましたでしょ?前の晩にスーツケースを詰めていたらにわかにレニーの息遣いが荒くなって、やたらと外に出たがります。

 

どうしたのかと思って裏庭に出してやると、いきなり花壇の脇に生えている雑草をムシャムシャと食べだしました。何度、呼んでも家の中に戻ってこようとしません。放っておいてやれ、とドアを閉めて荷造りを続けていたのですが、レニーはいつまでたっても草を食べている。

 

その内、当然のことながら気分が悪くなったようで、食べた草を庭のそこかしこで戻し始めました。(すみません、こんな話で)

 

要するにオトンもオカンも旅行に行ってしまう、自分だけ残されてしまう、という不安から生じた行動ですよね。

 

もうそれに懲りて今日は荷造りをせず(用意はしていますが)、明日の朝、早くに起きて済ませる予定にしています。

 

犬にまでこの気の使いごて。

 

。。。。

と、またここまで書いておいて、言うのもなんですが

よーく考えてみたら、このボヤキの内容の大部分は自分で自分にかけているプレッシャーに起因しているんですよね。

だって、うちの旦那は私に家を綺麗にして行けだの、料理を作っておけだの、全く要求しないタイプなのです。一人暮らしが長かったので放っておいても全然、大丈夫。レニーだって私がやたらと甘やかすからこんなアカンタレになってしまったわけで、私さえ毅然としていたらたぶん、ここまで狼狽しないはず。

でもでも、やっぱり留守にして行くのって大変。

明日は飛行機の中で爆睡しよう。

 

 

**************

 

ところで皆様にちょっとしたアンケートのお願いがあります。

 

 

日ごろ、懇意にさせていただいている GOLD WING という、羽生結弦選手を応援する方々のコミュニティが今年の8月に結成5周年を迎えられます。

 

記念すべきこのアニバーサリーに際して、

 

『羽生選手ベストコスチューム総選挙』のお知らせ

 

という、とても面白そうなアンケートを開催していらっしゃいます。たくさんのファンの方々のインプットがほしいということで、この場にて、広報のお手伝いをさせていただくことになりました。

 

よろしければぜひ、ご協力ください。

 

 

ではでは

 

レニーも寝たようだし

 

私も寝るとするかな。

 

 

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二週間のブランクから復帰いたします。

 

ようやく初夏の雰囲気が漂って来たカナダですが、トロントはこの時期になるとどうやら世界中のトップ・スケーターの集合場所となるようです。

 

その理由は?そう、振り付けですね。

 

中でもローリー・ニコル、デイヴィッド・ウィルソン、シェイリーン・ボーンのもとに練習に訪れる選手たちが一杯いて、その様子はさまざまなインスタグラムで選手自身からシェアされているので皆さんもご存知のことでしょう。

 

 

我らが羽生選手の今季のSPはショパンのバラードの再演(もちろんバージョン・アップされたもの)だと聞き、余計にフリーは何になるのだろうか、という話題で盛り上がっていることも、籠っていた二週間の間に把握していました。それについてはまた別記事にて。。。

 

 

さて本記事のタイトルですが、実は先週末、主人と二人で次男の卒業式に出席するために、ノヴァスコシア州に行って来ました。

 

2013年の9月に

 

節目の旅

いったん休むとねえ

 

と題して息子の大学入学式に伴って(その時は単身で)ハリファックス市を訪れた時のことを記してから早や4年近くが経ったということです。

 

すっかりこの町に馴染んだ息子は、この先も同じ大学の修士課程に進むことを決め、ほぼ地元民の様な自信を身に付けていました。

 

卒業式の前日は現在、大人気のフランス人パティシエのお店からケーキを買ってきてくれたり

 

 

 

 

評判のイタリアンに案内してくれたり

 

 

 

 

 

 

でも、私はしつこく、この町に来たら必ず食べることにしているブルーベリーのデザートを、海辺のカフェで堪能しました。何度食べても美味しい。

 

 

 

 

 

卒業式の当日、開始時間の12時半に主人と私は講堂に陣取り、息子の晴れ姿を見守りました。

 

非常にあっさりとした良い式で、スピーチは最小限におさえられ、学生たちがアルファベット順に登壇します。学部ごとに時間が分けられているので、息子はサイエンス系の学生に囲まれて卒業証書を受け取りました。

 

 

 

 

 

 

いやほんと、けっこうあっという間に式が終わって、感慨にふける間もなかったというのが正直なところ。

 

息子はそそくさと、講堂のすぐ近くにある自分のアパートで着替えて来て、親子そろってビヤガーデンで一杯。

 

 

 

 

 

そして夜はせっかく本場に来たのだから、と私は勇んでロブスターを食べられるレストランを選び、丸々一匹:

 

 

 

 

 

専用の器具で食べるのです。

 

 

 

 

 

 

 

そしてエプロンも嬉しそうにかけて準備万端、って思ったらウェイターさんに「それ、ベストじゃないんで、ちゃんと紐は首に回して結んでね」と注意されました。

 

主人は生ガキも1ダース注文(半ダースをリピートして)。さすがに海辺の町だけあって新鮮そのもの。私も本当は好きなのですが、ここ数年、けっこう「当たったり」してるので一つだけ、分けてもらいました。

 

 

 

 

そして仕上げはドでかいココナッツ・パイ。私はこのココナッツというものに目がないのです。

 

 

 

 

 

それからホテルに戻ってダメ押しにバーで一杯。

 

 

なんだか食べたり飲んだりばっかりしてる家族みたいに思われるかも知れませんが、実際、そうなんです。

 

 

 

 

 

 

二泊三日の旅はすぐに終わってしまい、もうトロントに帰る日になりました。息子と朝ご飯を一緒に食べるために近くの中近東系のカフェに。すごく安価でボリューム満点のメニューでした。こーいうのって良いわあ。

 

 

 

 

 

 

この後は出発時間まで、息子の新居のためにトースターを買いに行ったり、ゴミ箱の大きなものを揃えたり、と親らしいこともしたりして。

 

そしてちょっと、後ろ髪を引かれる思いで帰って来ました。でももう、次男も立派な大人ですからね。

 

心配はしていません。

 

息子が大学を卒業したらもう来ることもないだろうと思っていたハリファックス市ですが、あと二年したら、また機会がありそうです。

 

 

もう一度、あのブルーベリーのデザートと会えるんだわ。

 

 

 

 

 

 

 

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夕方、庭仕事をしていてふと気になったことがあります。

 

 

Difference makers に関する記事を書いたのは良いのだけど、もしかしてちょっとニュアンスを伝えきれていないかな、と思った箇所がありました。

 

 

それは二つ目の記事の最後、こちらの子供たちが将来の夢として、なりたい人物について語るくだり:

 

 

"I want to become someone who makes a difference"

 

 

この場合の ... difference を何らかの変化(を起こせる人)、という風に説明したのですが、どうもしっくりこない事に気が付きました。

 

 

変化は「change」ですよね。

 

でも「make a difference」は変化を起こすというよりも(まあ、それも含むのだけれど)、

 

その人がいるのといないのとでは、世の中に「違い・差」が出て来る、そんな人物になりたい

 

というニュアンスなのです。

 

 

つまりその人が取った行為も含めて、その人の存在自体が、この世にあるのとないのとでは、物事の流れに差が出て来る、違いを来たす

 

 

そういうことです。

 

 

その人によって、もたらす「差」の規模は様々でしょうが、重要な存在であればあるほど、歴史の流れを変えるようなことにもつながります。

 

 

ううむ、凝れば凝るほどややこしいか。言葉って難しいですね。でもだからこそ面白い。

 

 

さあ、庭仕事に戻ろうかしら。

 

 

(ようやく暖かくなってきて、スズランが満開を迎えようとしています。)

 

 

 

 

 

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Part 1 では私の人生に大きな影響を及ぼしたビートルズとの出会いを取り上げました。彼らのレコードを初めて聞いたのが11才の時でしたから、本当に早い時期に重要な difference maker に出会ったものだと思います。

 

Part 2 のテーマは人生後半(よりも実は遅いのですが)に私が遭遇した difference maker について書きます。

 

なお、前記事にも書いた通り、当然ながら「身内」(家族や恩師など)の中に、私の人生の行方を左右するような重要な人物は少なからずいました。このシリーズの記事で取り上げているのはそういった直接の人間関係がないケースに限定しています。

 

 

**************

 

たびたびこのブログに登場して、皆様にも親しんでいただいている私の母ですが、そんな彼女が深刻な病を患っているらしい、と兄に知らされたのは2011年5月のことでした。それから間もなくして主人の父親が亡くなり、我々の家族に何となく暗雲がのしかかって来たように感じられた時期でした。


私が急いで帰国すると、数日後に母の検査結果が出て恐れていた診断が下りました。「サイレント・キラー」として知られるその病は5年生存率が極めて低くく、本人はもう諦めの境地。ですが、あの頃の私には何故か「絶対に助ける・助かる」という確信がありました。その病気の治療に関しては定評のある病院にすぐ受け入れてもらえたのもラッキーでしたが、とにかく妙に頭が冴えまくって、明確なプランに沿って色々な段取りを次々と決めていくことができ、「そうか、これまで長年、私が蓄積してきたリサーチ・スキルは学問のためじゃなく、こういった場面で活かせるためだったのか」と思ったくらいです。

 

それから母の看護のため、私は度々カナダと日本の間を往復することになりました。長時間のフライトに加え、不安と緊張感を伴う用件のために帰るのですから、最初のアドレナリン噴出状態が収まるにつれて徐々に疲労やストレスが溜まって来ます。おまけに手術を経て家で療養するようになっても母は気分が落ち込んでいて、そんな我々が一番、安心して楽しめることと言えば料理やスポーツの番組を一緒にテレビで観ることでした。

 

日本のスケート選手がどうやら国際試合で良い成績を収めているらしい、若手のホープがどうのこうの、というニュースを度々、耳にするようになったのは秋も深まった頃。画面に映し出されたその選手の姿を見て「なんだかこれまでの日本の男子スケーターにいなかったタイプだな」という印象を受け、興味が湧いたのを憶えています。「羽生結弦」という名前もその頃から認識するようになりました。

 

ここで正直に言いますと、当時はまだ羽生選手について詳しく知らなかったので後から調べて分かったことになりますが、グランプリ・シリーズの中国杯(2011年11月4-6日)やロステレコム杯(同年11月25-27日)に出場していたのを日本で見ていたようです。

 

しかし12月初旬にカナダに戻った頃には私もしっかりと羽生選手の存在を意識していて、ケベックで開催されたグランプリ・ファイナルの活躍をリアルタイムでフォローしました。

 

その時の羽生選手のFSのCBC解説についてはこちらでどうぞ:

The Future! :思い出のCBC解説「2011年GPF」

 

 

 

 

それ以降の私の羽生選手応援歴については、皆さまご存知かと思いますので割愛するとして、とにかく母と私にとって、けっこうドン底の精神状態の中で出会ったユヅ君は、爽やかな風のように感じられた、ということなのです。

 

 

***************

 

それだけ(と言うのも何ですが)であれば、私は羽生選手のことを自分の人生においての difference maker として取り上げることはなかったでしょう。

 

だって、ミーハーな私には過去にも熱烈応援したスポーツ選手がたくさんいたんだもん。

 

たとえば古くはテニスのビョルン・ボルグギエルモ・ヴィラス

 

 

 

 

もすこし最近ならホッケーのカーティス・ジョゼフ

 

 

 

 

などはかなり真剣にフォローして、試合も観に行ったし、サインをもらったり、情報を集めまくった対象でした。

 

でも彼らを熱く応援していたからと言って自分の日常生活の方向性までが変わったわけではない。せいぜい似顔絵を描いたり、スポーツウェアを真似たりしたくらいでした。

 

ところが羽生選手との出会いは、私の人生のこの期に及んで、大きな変化をもたらしてくれたのです。

 

2013年3月にカナダのロンドン市で開催された世界選手権でさえも最初は観戦に行くのを(面倒くさくて)ためらっていた私なのに、その秋には重い腰を上げてGPスケートカナダの大会ボランティアに応募する気になったのはやはり、羽生選手が出場すると知っていたから。それでも普段あまりボランティア活動に熱心ではなかった私、申し込んでから「うわー、何てややこしいことしたんだろう。試合を観に行くだけで良かったのに」と思ったことを懺悔します。

 

ところが実際に大会を手伝ってみたらその面白さにハマり、それをきっかけに毎年、(羽生選手が出ない時でも)手伝うことになって現在に至っています。

 

スケートカナダのボランティア活動は私に二つの楽しみを与えてくれました。いや、蘇らせてくれた、と言った方が正確かも知れません。

 

一つは通訳という仕事:

 

私は、将来の職業として「同時通訳」を志していた時期があったのですが、父に「お前みたいなシャベリな奴は、他人の言うことを通訳するだけで満足できるはずがない」と言われて大学入試以降、学問の道に進むことを目指しました。それはそれで後悔していないのですが、やはり自分の語学力や異文化間コミュニケーションの知識を活かせる仕事をさせてもらうと、大きな満足感が得られるのだな、とつくづく思います。


スケート関係のボランティアを機にトロント国際映画祭の通訳グループに登録するようになり、ついこの間はドキュメンタリー映画祭にも関わる機会を得ました。トロントの文学作家祭(International Festival of Authors)から声が掛かったりもします。思いがけず、何十年も経て若い頃の夢がかなった気分です。

 

二つ目としては、「スポーツ」というもの自体に関われる喜び。

 

私は筋金入りのスポーツ(観戦)オタクです。

 

朝、ネットでニュースを検索する時はまず昨晩のNHLやNBAの試合結果からチェックする。新聞はもちろん、スポーツ欄から読む(かつては通学電車の中でスポーツ新聞を広げる奇異な女子高生でした)。車に乗っている時はスポーツ専門のラジオ・チャンネルしか聴かない(← 主人に言わせるとこれはオッサンの習癖)。

 

そんな私ですから、スケートカナダの舞台裏を目の当たりにしたおかげで大きなスポーツイベントの開催、ということ自体に興味を持つようになりました。なので必ずしも通訳のスキルが求められない国内大会でも手伝いに行きますし、今後はスケート以外のスポーツ大会にも範囲を広げて応募してみようかという気になっています。

 

今のところは(一応)本業と両立できる程度に、つまり趣味として通訳も大会ボランティアもこなしていますが、将来リタイアしたらもっともっとやるぞー、というワクワク感で一杯です。

この年になって私がこれからの人生を楽しみにして迎えることができるのは、きっかけを与えてくれた羽生選手のおかげだと思っています。

彼の演技を見て心を動かされたのが始まりでしたが、出不精で面倒くさがりの私に実際の行動を取らせた。それが次々と新しいドアを開けることにつながり(もちろんその中にはこのブログの執筆や、スケートを通して出会った多くの方々との交流も含まれています!)、数年前は思ってもいなかった可能性を私に示してくれています。

初めてのボランティア応募から4年が経ち、これからも続くことは間違いない。これはもう、私の人生に長期的な変化をもたらしたと言っても良いだろう、と確信しました。

というわけで、羽生選手を私にとっての difference maker として認定させていただきます。


皆さんにとっての difference makers は誰ですか?



*************

最後にもう一つだけ。

 

 

こちらの子供たちが学校で「将来の夢は?どんな人になりたい?」と聞かれてしばしば答えとして出すのが

"I want to become someone who makes a difference"

つまり、

 

何らかの形で世の中に、多少なりとも、(もちろん良い意味での)変化をもたらせるような人間になりたい

ということです。

 

(↑ここの部分については次の記事でちょっと追記しましたのでそちらもご参照ください)

 

人間、一番空しい思いをするのは自分が何の力も発揮できない、何をやっても何も変わらない、といった「無力感」を覚える時ではないかと思います。

反対に言えば存在意義が感じられるのは自分がやったことで何か事態が動いた時、何らかの変化が見られた時ではないでしょうか。

 

 


そう考えると、羽生選手の「物事を動かす力」はもはや凄まじいレベルに達していると言えましょう。


数々の世界記録を更新し、技術と芸術性を兼ね備えた選手としてフィギュアスケート競技の向上を現在促していることはもちろんですが、羽生選手に憧れ、インスピレーションを受けた子供たちが日本だけではなく、世界中でスケートに勤しんで未来のオリンピック選手を目指すようになっている。

膨大な数のファンを大会やテレビ・ネット観戦に引き付ける彼は、その人々に勇気や感動を与え、様々な交流の場を作らせ、有意義な社会活動へと駆り立てる。それがメディア、イベント開催者、スポンサー企業の注目を集め、経済の活性化にもつながる。

羽生選手を中心として大きな渦が巻き、どんどん拡大して行っている、という気がします。


ソチの試合後の会見で「無力感がある」と吐露した青年は、今や確実に時代のdifference maker となり、平昌に乗り込もうとしています。


その勇姿をこれからも追うのが楽しみです。





 

 

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先日、主人とリビングで話をしながら色々な音楽を聴いていました。

 

クラシックから始まり、バッハはやっぱりすごいな、とか、いや、モーツアルトも天才だよね、とか、ベートーヴェン、そしてワグナーなども聴かないと、と忙しなく曲を次々と変更して、時間が経っていきました。

 

 

***********

 

ちなみに主人はけっこうなオーディオマニアで、地下の自分の書斎にもステレオを置き(そっちの方が高価)、一階のリビングのステレオと両方にそれぞれ専用のコンピューター(NUC= Next Unit of Computing) とプレイヤー(DAC= Digital to Analog Converter) を備え付けています。

 

 

 

 

スピーカーはMERIDIAN社のハイブリッドタイプ、そしてアンプも良い物を使っています。

 

 

 

 

最近はもっぱら好みのサイトから(MP3ではなく)音質の良いHigh Resolution Download でアルバムなどを購入していますが、自分の昔から持っている全てのCD、時には古いレコードまでをも電子化してインデックスをつけて、JRiverというデータベースに入れ込むマメさ。(iTunesは好まないので使わない)

 

そのデータベースを携帯やアイパッドなどでコントロールして、聴いています。

 

************

 

クラシックの後はロックやジャズ、ブルース、にジャンルを移して、後世に大きな影響を与えたミュージシャンとなると誰の名を挙げるか、など、お酒を飲みながらだったのでよけいに議論に熱が入ってきました。(チャック・ベリー、レイ・チャールズ、ビートルズ、レッド・ツェッペリン、などは私が挙げた名前でした。)

 

やがて話はスポーツにも及んで、各競技における歴史的な名選手は誰であったか、について意見交換している内に、音楽でもスポーツでも歴史に名を残した人々はあまたいるものの、その分野で革新的な役割を果たした、となると、話はちょっと違って来るよね、と私たち。

 

技術的に、あるいは記録的に、「史上最高の」と形容される人もその中には含まれるけれど、必ずしも重複はしない。

 

それまでの常識を覆した、とか、人々の考え方を大幅に変えたとか、英語で言えば

"game changer"

あるいは

"difference maker"

でも良いかな?

そういう人(たち)は確かにいるものだ、という結論に達しました。

 

私が簡単に思いつく例としては、プロ・アイスホッケー界において1980年代から90年代にかけて活躍した Wayne Gretzky がいますついこの間もカートさんが画面上の羽生選手のTESカウンターを見てこの人物に言及していましたが

 

 

 

 

グレツキーは未だに破られていない数々の記録(1シーズンにおけるゴール数、アシスト数、ポイント数等々)の保持者ですが、何よりも有名なのはかつて誰もが思いつかなかったゴール・ネット裏からプレイを指揮する、というコンセプトを用いたこと。

 

ネット裏が「グレツキーの書斎」とばれるようになった所以です。

 

 

 

 ↑この写真ですと、彼の有名な背番号の「99」も良く見えますね。

 

 

今ではチビッ子でも、たいていのセンターがこのプレイ・スタイルを心得ていますが、グレツキーが思いつき、絶大な効果を披露するまでは誰もそんな発想をすることはありませんでした。

 

彼の場合は"The Great One"というニックネームの表す通り、史上最高の選手のステータスに収まっていますが、革新的であったという意味でも間違いなく、difference maker であったと言えましょう。

 

こういった例は野球やバスケットボール、その他の競技でも思いつきますよね?皆さま、ご自分でちょっと考えて、楽しんでみてください。

 

繰り返すようですが、必ずしもその競技において史上最高の選手であった、という必要はないのです。そういった議論だと誰かひとり、ということで意見が分かれまくるでしょうが、difference maker の場合は同じ分野に何人かそう呼ばれる人がいてもおかしくない。私はスケートだと、例えばエルヴィス・ストイコさんなんかがその部類に入るんじゃないかと思っています。


この頭の体操、けっこう面白いですよ。

 

 

*****************

 


さて、スポーツ選手やミュージシャンはそれぞれの分野において革新的な進化を生むというのとはちょっと別の意味で、ファンの人生においても大きな方向転換を引き起こす場合があります。

 

主人との議論をしている途中、ビートルズの曲を聴いている内にふと、このロック・グループは私個人にとっての大きな difference maker だったな、という思いに至りました。

 

親や友達、学校の先生や上司など、私の人生に大きな影響を与えてくれた人々はたくさんいますが、

 

ビートルズは(当たり前ですが)全くの他人、私が単に彼らのファンであった、というだけの関係であったにも関わらず、私の人生においてとてつもなく大きな存在となりました。

 

 

 

 

 

これまでも何度かブログでこのトピックに触れた気もしますが、私が英語ができるようになったのは、(ひいてはある意味、今の私がいるのは)ビートルズのおかげだと言っても過言ではありません。


私が初めてビートルズのレコードを手にしたのは、まだフランスに住んでいてリセ(中高一貫校)に入りたての、11才になろうとしていた時でした。

 

母が日本に祖父母を見舞いに行った帰りに、お土産として買ってきてくれたのがこのアルバム↓

 



 

 

 

私はそれまでもイギリスやアメリカのミュージシャンのレコードは聴いていましたが、なぜかこのレコードに出会った途端、「一目惚れ」ならぬ「一聴き惚れ」とでも言いましょうか。とりつかれたように毎日、繰り返し聴かずにはいられなくなりました。

 

まず好きになったのが「HELP!」、それから「A HARD DAY'S NIGHT」、歌詞を丸暗記して、ジョンやポールの歌声に合わせて何度も歌いました。

 

しばらくすると、ビートルズが歌っている曲の歌詞の一つ一つをどうしても完全に理解したい、と思うようになりました。

 

学校で英語の授業を受け始めて一年も経っていなかったので、まだまだ歌詞を見ても全部は訳せない(日本製のレコードには当時、親切にも歌詞カードが付いていたのです)。

 

そこで母に「英語の家庭教師を付けてほしい」と頼んだのでした。

 

日本で言えば小学生の年齢で、自分から進んで学校の授業以外にも勉強したいと願い出たのですから、「ファン」であることはものすごい原動力なのだと思わざるを得ません

 

上手い具合に、すぐにイギリス人の若い女性の先生が見つかり、週に二回、教えてもらえることになりました。

 

トムキンソン先生は自分の仕事の後、水曜日に1時間半、そして休日の土曜日は3時間、私の家まで来てくれました。実に真面目に、丁寧な授業計画を立ててくれ、ディクテーション、読解、文法やボキャブラリーなどをみっちりと叩き込んでくれました。

 

授業が終わると一緒にお茶を飲みながら、私はいつも先生にビートルズの話をしてほしいとねだったり、歌詞の聞き取りを手伝ってもらったりしていた記憶があります。時には辟易とすることもあったでしょうが、同じイギリス人として多少なりとも誇りに思ったのか、先生は私の熱狂的なビートルズ談議によく付き合ってくれました。

 

今、振り返っても、私はあの時期にものすごい勢いで英語を勉強し、吸収したのだと思います。

 

そのおかげで翌年、日本に帰った時には、アメリカ育ちの従姉にも感心されました。ビートルズの曲に合わせて歌っているのを聞いてるだけだと、まるで完璧に(イギリス)英語が話せる子かと思ってしまうよ、と。

 

結局トムキンソン先生とは合計で3年弱ほど勉強し、ほぼ不自由なく英語を話したり書けるようになるまではかなりの時間を要しましたが

 

とにかく

 

ビートルズが好き→英語をマスターしたい→猛勉強する→英語が自分の強みになる

 

という公式が出来上がって、それが学業の面でも仕事の面でも、そして家庭生活においても、今日に至るまで私の人生を形どってきました。

 

ビートルズの他にも感動を与えてくれたり、物事を考えさせてくれたりしたミュージシャンは多くいましたが、あえて彼らだけがdifference makers であったと思うのは

 

私の心だけではなく、私自身を動かせてくれたから

 

その結果、

 

彼らと出会う前と後では私の人生が大きく変わり、しかもその変化が一時的なものではなく、長期的に持続するような類のものであると判明しているから

 

です。

 

 

*************

 

 

あー、長い記事になってしまった。

 

 

でもまだ続くのだ。

 

 

Part 2では、私の人生後半における difference maker について書きたいと思います。

 

 

(ヒント)

 

 

 

 

 

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