今朝、急いでこの記事を仕上げなくては、と焦っている私です。
というのもあと数時間で次男がトロント市内からオークビルに戻って来て、昨夜から来ている長男夫妻と揃って夫のバースデーを祝うことになっているからです。
実は、羽生結弦さんが3月に「ノッテステラータ」と題したアイスショーを開催する、と聞いた時からこの記事を書くつもりにしていました。
昨年、フィギュアスケートLIFEの記事のためにデイヴィッド・ウィルソンにインタビューした際、このプログラムの振り付けにまつわる思い出話をたくさんしてくれたので、ぜひそのお裾分けをしたいと思ったのです。
なのに私の悪い癖で、延ばし延ばしになってしまっていました。
でもカナダ選手権を手伝いに行ってそこで奇しくもデイヴィッドに会ったので、よけいに「これは頑張って書かないと」と思った次第です。
よろしくお付き合いください。
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私が初めて「ノッテステラータ」(私の中では何となく「スワン」と呼んでいましたが)を見たのは2016年のGPスケートカナダのエキシビションにて、でした。
エキシビションの朝、練習の時から珍しく羽生選手(当時は現役でしたからこう書きますね)が本番用の衣装を着ていたので、驚いたんですよね。白く、キラキラ、フワフワしたとても凝った衣装だな、という印象でした。
練習が終わり、しきりにその衣装の袖を気にする羽生選手の姿を見ましたが、どうやらストーンがちょっと重い、と思ったらしいことをどこかで聞いたような気がします。
なお、私はエキシビションの練習をずっと見る余裕がなかったのか、羽生選手が音楽をかけてプログラムを最初から最後まで通しで滑ったのかに関しては記憶がないのです。(自分の過去記事に何か書いているかもしれませんが、それさえ見つからない、という。。。)
あの頃はまだエキシビションの練習が公開されていたので、その模様を見ることができたラッキーなファンもいたでしょう。もしもどなたか、その場にいらっしゃったなら、ぜひ当時の様子をコメントで教えてください!
とにかく、実際、プログラムの全貌を目の当たりにしたのはエキシビション中だったことは確かです。ボランティアの特典として、ジャッジ席から見せてもらえたのでインパクトは強烈でした。
まあ、何と美しかったことか。
懐かしのカーマイケルさんのお写真です
2016 GP Skate Canada, photo by David Carmichael, uploaded with permission
そして最もびっくりしたのはプログラムの終盤で羽生選手が宙に浮いたまま、ずっと降りてこないのではないかと思われるようなシングル・アクセルを跳んだこと。そしてすぐまたトリプル・アクセルを跳んだこと。
あの演出には度肝を抜かれました。
え?今の何?
みたいな。
。。。。とその時に感じたことを、そのまま6年後のインタビュー時にデイヴィッド・ウィルソンに伝えることになるとは。
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2022年8月にデイヴィッドに取材している中で、話題が「ノッテステラータ」の振り付けのことになりました。
インタビューの流れとしては、羽生さんが2012年にクリケット・クラブに移籍してきて、最初の2シーズンはデイヴィッドがフリーのプログラムを振り付けた、その頃の回想から始まったのですが、その後、2年間のブランクがあって、久しぶりに羽生さんからエキシビション・ナンバーを創ってほしい、と頼まれた辺りでした。
再び一緒にプログラムを創ることになって、羽生さんとデイヴィッドとの関係は新しい局面を迎えた感じだったのか?と聞くと、「その通り」と同意してくれました。
競技プログラムではなく、ショー・ナンバーを一緒に創り上げる作業をすることになり、デイヴィッドは「ノッテステラータ」ではとにかくジャンプを全く跳ばない、ということを提案したそうです。羽生さんの、音楽にどっぷりと浸った美しいスケーティングを前面に押し出すための演出であり、彼もそれを承知してくれた、と。
ただ、最後の最後でサプライズも用意していた。
until the very end, where he did this big, huge single axel, and skate around and then a triple axel.
まずは大きな、巨大なシングル・アクセルを跳ぶ。そして一周して、次はトリプル・アクセルを跳ぶ。
まさに私が感じたように、「ワオ、何もないところからいきなり出てきた!(Wow! Out of nowhere)」みたいな効果を狙って。
「ユヅのディレイド・アクセルにほれ込んで」いたデイヴィッド、観客がまだその美しさに浸っている間に、すかさずトリプル・アクセルで追い打ちをかける、という発想が見事です。
あのプログラムでは「ユヅは最初の一音から」芸術性に身を委ね、「僕と一緒に(音楽の)全てのニュアンスに入り込んでくれた」とその後もデイヴィッドは感慨深そうに語っていました。
デイヴィッド・ウィルソンとって、振り付けとは「魔法の蜘蛛の巣を紡ぎ出すような」プロセスで、私なりに彼の言葉を総合すると、一つのプログラムは人生にも例えられる、連続性の中に驚きの要素をちりばめ、だからこそ油断せず、途切れることなく、どの瞬間にも意識を注がなければならない、ようなものだそうです。(こういった点はシェイリーンの振り付け哲学にも共通していますね)
これらがあってこそ、ジャンプが生きてくる。一つのパッケージの中に組み込まれたもの、となるから。
そして「ノッテステラータ」では羽生さんが、そんなデイヴィッドの振り付けに、デイヴィッドの目指す境地に、付いてきてくれた。
"He went there, he went there with me"
デイヴィッドが2012年、2013年に手掛けた2つのフリープログラム(「ノートルダム・ド・パリ」と「新・ロミオ&ジュリエット」)では、まだ若い羽生さんの芸術性を完全に引き出すことが出来なかった。必死でそれをやろうとしたけれど、自分にはその方法が見つからなかった、と説明するデイヴィッドのもどかしそうな表情が印象的でした。
だからこそ、シェイリーン・ボーン(SPは引き続きジェフリー・バトルの担当、でしたが)とその後の2シーズンを過ごして、成長していく羽生さんの様子を、少し身を引いたところから見るべきだと思った、と言っていました。
なお、英語でここの部分は
"I had to stand back and watch him discover it"
というのがデイヴィッドの言葉です。