義理の両親の家を訪れるといつも家にはクラシック音楽が流れ、トロントのシンフォニーやオペラの定期コンサートには欠かさず、足を運ぶと言う熱心さ。主人の弟や甥がクラシック音楽を生業としたのもその影響だったに違いありません。
27年前、私が初めて主人の実家に連れて行かれた時、リビングのステレオから流れていたのがワーグナーのオペラで、
「これ、タンホイザーですね。うちの父も大好きです」
と私が言い当てたことで一気にお義父さんに認められたというエピソードもあるくらい。
(それまでは多分、
「なんだかなあー、思いっきりアジア人の、しかも社会学とかいう訳の分からん勉強している娘、連れて来られても」
と、思われていたような気がします)
そんなわけで、私たちの結婚式でも義理の両親は張り切って教会で演奏される音楽を選んでくれました。
義弟が弦楽器のアンサンブルを連れて来てくれ、そして義理の両親の友人夫妻が素晴らしい歌声で式に色を添えてくださったのです。
Sさん、というこのご夫妻はトロントでも格式高いメンデルスゾーン合唱団の団員で、ご主人はテノール、奥様はアルトのソリストを務めていらっしゃいました。そして地元の教会の聖歌隊でも活躍されていました。
今でも彼らのデュエットを思い出しては、しみじみと良い式だった、と私の母も義母も言ってくれます。
Sさんたちはドイツが母国で、ご主人の仕事の関係でカナダに移住されました。S氏と義父が同じ会社に勤めていたことから、家族同士の付き合いとなり、子どもたちも仲良く接していたと聞きます。
中でも主人の弟とS家の次男マイケル君は、トロントにある St. Michael's Choir School (セントマイケルズ大聖堂の付属学校)の同級生で、毎日一緒に通学していた大親友です。
そしてそこから間もなく、マイケル君は声楽の道へと進み、見る見るうちに大成功をおさめ、世界的に有名なオペラ歌手になったのでした…
さて、どうして今日はこのような記事を書いているかと言うと、主人と私がS夫人のお葬式に参列してきて帰って来たところだからです
彼女が亡くなったと聞いたのはほんの今朝であって、私たちは慌ててスケジュールの調整をして、教会にかけつけました。
驚いたのは彼女が急に亡くなったからばかりではありません。
実はほんの一カ月前に旦那さんのS氏が亡くなっていたのです。(S氏が亡くなった時、私は日本にいたのでお葬式には出席することができませんでした)
お二人とも80才を超えていて、最近はそれぞれに体調を崩されていたので、その点では驚くべきではないのでしょう。
しかし、それにしても「後を追うように」とはこのことでしょうか。
いつも仲良く、一緒に子供や孫の成長を見守り、一緒に歌い、大きな朗らかな声で笑い、大勢の友人や家族に囲まれていた、華やかな印象のご夫妻でした。
息子のリサイタルや公演を観るために忙しく北米とヨーロッパを往復し、それはそれは誇らしそうでした。
離れているのが耐えられない、というように、ご主人が亡くなった後、奥様も眠るように息を引き取った。ドラマや小説ではよくあっても、現実に起こるのは珍しいことだと思いました。
今日、教会に着くと雨が降っていました。
「母は自分の結婚式の日、大雨が降ってひどい目に遭った、とよく笑っていました。だから今日のこの雨はその日の幸福な思い出を呼び起こしてくれているのだと思いましょう」
そう言って、マイケル君は集まった人たちを出迎えました。
夫妻が愛した教会の聖歌隊と、息子たちが通っていた時代のセントマイケルズ聖歌隊のOBが合体し、素晴らしい讃美歌が流れました。
そして式が終末に近づき、母親を送り出すための歌をマイケルが歌いました。
シューベルト作曲の"Glaube, Hoffnung, Liebe"
皆が聞き入り、最後のピアニッシモが美しく伸びたところで、
彼は壇上から降りて、棺を覆った白い布にそっと口づけをしました。そのしぐさに胸が詰まったのは私だけではなかったでしょう。
歌をこよなく愛したS夫人、その彼女を愛した息子の最上のはなむけでした。
S夫妻が歌ってくれた結婚式では元気に笑い合っていた義父も私の父も、もうこの世にいません。今日のマイケルたちの歌声でまたまたレトロな気分になった私。
参列者が外に出ると、青空が広がっていました。
(注:毎度、なんかもったいぶったクイズみたいになって恐縮です。私たちはS家の次男君を英語風に「マイケル」と呼んでいますが、芸名はドイツ語読みの「ミヒャエル」です。ご興味があれば下の動画をどうぞ)