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これ観た

基本アマプラ、ネトフリから観た映画やドラマの感想。9割邦画。作品より役者寄り。なるべくネタバレ避。演者名は認識できる人のみ、制作側名は気になる時のみ記載。★は5段階評価。たまに書籍音楽役者舞台についても。

『醒めてまぼろし』(製作2020)

ndjc(New Directions in Japanese Cinema)

文化庁委託事業・若手映画作家育成プロジェクトの作品

 

監督・脚本 木村緩菜(きむらかんな)

 

高校生の清水あき子(小野花梨)は家では充分な睡眠がとれず、学校や通学電車でうとうとする毎日。昔祖母と住んでいた家の跡地に行くと、そこなら眠れる。ある日、電車で一人将棋を打つ別の高校に通う吉田(青木柚)と出会う。将棋を教えてもらうところから交際が始まる。が、やがて吉田は将棋よりも夢中になる女性(尾崎桃子)ができる…。社会人になった今でも時折不倫相手(青柳尊哉)の向こう側に吉田を思い出す…。

 

年頃もあるのか両親(仁科貴、遠山景織子)とあまりうまくいってない清水の拠り所は祖母だったようで、祖母が亡くなったのは祖父始め両親のせいだと思っている。おそらく、身も心も持て余してる思春期の女の子を描ているんだろうけど、そう展開(一連の清水の行動)させる意味がわからない。大人になってもたいして変わらない自分がいることにイラつきもあるようだが、この流れではその心情も伝わってこない。映像で表現したいことがまとまってないんじゃないかな。

青木柚が『うみべの女の子』と似たキャラだが、変わらず雰囲気がいい。小野花梨といい、演技の良い役者を使ってるのにもったいない。

 

★(★)

 

 

制作プロダクション シネムーブ

 

 

 

 

『毎日爆裂クッキング』(製作2020)

ndjc(New Directions in Japanese Cinema)

文化庁委託事業・若手映画作家育成プロジェクトの作品

 

監督・脚本 植木咲楽

 

食の雑誌「織る日々」の編集者である相島文(安田聖愛)は上司の皆月(今里真)から執拗なパワハラを受けている。内気な性格の文は理不尽さを訴えることもできず、そのストレスから味覚障害を起こしていた。ウェブサイトで「畑食堂」という連載を持っているのが唯一、やりがいだった。ところがある日、文の憧れのエッセイスト吉村花代子(渡辺えり)が打ち合わせにやってきた際、文の連載を皆月が書いてることにされ、いよいよ堪忍袋の尾が切れ…。しかし連載の取材で以前訪れた農家の瑞樹(駒木根隆介)とその妻珠成=たまな(肘井ミカ)が来社し救われる。

 

面白かった。

ストレス度を脳内再生される吉村花代子のクッキングで表現し、ストレスが重なるにつれ、クッキングもどんどん乱暴になる。わかりやすくて良かったし、パワハラ自体も本当に腹が立つ内容で、文が爆発した時はスッキリした。導き方がうまかったということ。親身になってくれてるようで自己満でしかない先輩(小日向星一)のキャラもイラつかせ良かった。終わり方も社会性を保ってて良かった。

とても良かっただけに、農家の夫婦の文への台詞がもう少し気の利いたものであって欲しかったのと、文の声を荒げるシーン、もう少し役者さんに頑張って欲しかった。

 

★★★★(★)

 

 

制作プロダクション アルタミラピクチャーズ

 

 

 

 

 

『ラグタイム』(2023)日生劇場

日本では今回が初演。

 

脚本 テレンス・マクナリー

歌詞 リン・アレンズ

音楽 スティーヴン・フラハティ

 

翻訳 小田島恒志

訳詞 竜真知子

演出 藤田俊太郎

 

ターテ:石丸幹二

コールハウス・ウォーカー・Jr.:井上芳雄

マザー:安蘭けい

ファーザー:川口竜也

サラ:遥海

ヤンガーブラザー:東啓介

エマ・ゴールドマン:土井けいと

イヴリン・ネズビット:綺咲愛里

ハリー・フーディーニ:舘形比呂一

ヘンリー・フォード/グランドファーザー:畠中洋

ブッカー・T・ワシントン:EXILE NESMITH

 

リトルボーイ:大槻英翔(おおつきえいと)、村山董絃(むらやまとうげん)

リトルガール:生田志守葉(いくたゆずは)、嘉村咲良

リトルコールハウス:平山正剛、船橋碧士

(以上ダブルキャスト)

 

新川將人、塚本直、井上一馬、井上真由子、尾関晃輔、小西のりゆき、斎藤准一郎(さいとうしゅんいちろう)、Sarry、中嶋紗希、原田真絢、般若愛実、藤咲みどり、古川隼大(ふるかわはやた)、水島渓、水野貴以(みずのたかい)、宮島朋宏、山野靖

(以上アンサンブル)

 

 

 

 

1900年初頭、ニューヨークを中心とした白人、黒人、ユダヤ移民らの物語。

 

娘(リトルガール)の未来を考え、ラトビアからアメリカに渡って来たユダヤ人のターテ(石丸幹二)は、切り絵売りをしていた。しかしなかなか金にならないし、やはり移民の立場は苦しい。しかし、諦めかけたある時、娘のために作った動く絵本(いわゆるパラパラ漫画)が人の目に止まる。やがて映画を作るようにまでなる。

ピアニストの黒人コールハウス・ウォーカー(井上芳雄)は才能はあるが恋人のサラ(遥海)に愛想を尽かされ去られてしまう。

裕福な白人家庭のマザー(安蘭けい)は偏見を一切持たない正義感あふれる女性で、息子のエドガー(リトルボーイ)もマザーにならっている。一方父親のファーザー(川口竜也)はごく一般的な社会通念の持ち主で、仕事が忙しく家を空けがち。しかしエドガーを思いマザーを愛する気持ちはある。マザーの弟ヤンガーブラザー(東啓介)は生きがいや夢を探し続けている青年で、人気女優イヴリン・ネズビット(綺咲愛里)に夢中だが想いは届かない。

ある日、マザーが庭で黒人の赤ん坊(リトルガール)を見つける。サラがコールハウスとの間に出来た子を産み捨てたのだった。保護したマザーはサラを見つけ、赤ん坊と共に屋敷に招き入れる。ファーザーが反対したがお構いなしだ。やがてサラと子供の存在を知ったコールハウスが訪ねてくるがサラは会おうとはしない。ピアニストと知ったマザーはエドガーのためにもピアノを教えてくれと、サラが心開くまで通うことを許す。そうこうしてコールハウスは「ラグタイム」を奏で、多くの人を魅了していく。

コールハウスがラグタイムで名を馳せ、あのフォード社の車も手に入れ、これからサラと赤ん坊とで幸せを築いていこうという時、黒人差別者との間にトラブルが起きる。ちょうど世間では移民への風当たりも強く、排除の動きも加熱していた。ついにサラの命まで奪われてしまい、コールハウスは白人社会相手に立ち上がる。ヤンガーブラザーも知らぬ仲ではないから、自分のやるべき事を見つけたとばかりコールハウスらと一緒に戦う…。

その他、イヴリンはもちろん、フォードモーターズのヘンリー・フォード(畠中洋)、ユダヤ人奇術師ハリー・フーディーニ(舘形比呂一)、ユダヤ人アナーキストエマ・ゴールドマン(土井けいと)、アフリカ系アメリカ人の教育者であり作家のブッカー・T・ワシントン(EXILE NESMITH)らが、時代を表す人物として登場し、ターテ、コールハウス、マザーに関係していく。

 

人種の坩堝と言われるアメリカの始まりのようなお話。ちょうど今日本も移民問題、人種差別問題が取り沙汰されてるのでタイムリーで、人権云々は承知だが複雑な思いが湧いた。しかし、こういう時を経て今があるのだと思うと、当時人権と戦った人たちの苦労はいかばかりかと心も痛む。そういうやるせない過程が描かれている。その様が演者の体温のある歌声に乗って訴えかけてくるわけで、あらためてミュージカルの素晴らしさを感じる。いくつかのシーンでジーンとするほど感動した。

 

東京もそうだけど、昔なら立身出世、今でも東京に出て何者かになろうという人は多い。アメリカでもこの年代からアメリカン・ドリームがあったのかと、やはり他所から来た人たちによって文化が発展していったのだなぁと感慨。ターテは大成しているし、命は落とせどコールハウスもだし。

 

衣装のデザインによる人種の区別化がとてもわかりやすく素敵だった。白人は白を基調とした上品なドレスとスーツ、黒人は原色のカラフルな色の服、ユダヤ人はブラックやグレーのモノトーンのゆったりした服。シーンによって人種が入り乱れてもわかる。きれいな演出だと思った。

ストーリーは深いのだけど、物語を細かく追っていったらとても描ききれない。それをざっくりした語りに預け、舞台美術も簡素で要所要所を押さえている感じ。その省略はミュージカルだからこそ可能であり、感動も笑いも起こせる。そしてそこにそれぞれの複雑な人生が確実に見えるのは演出の上手さかな。

 

石丸幹二の重量感のある歌声、時には儚く、でも強いあの歌唱は素晴らしいと思った。ドンドンと胸を打ってくる感じ。

今回、遥海に耳目を持って行かれた。すごく良かった。一声でキャラクターがわかる、歌えばまさにサラそのものだった。

井上芳雄のコールハウスも当然良かった。軽やかなのに意志を保つ歌声。表現力がすごい。

安蘭けいは言うまでもなく、安定感がある。

東啓介はその高身長のわりによくいる青年像がはまってて面白さを感じた。存在感もある。

EXILE NESMITHは知らなかったのだけど、良い演者だなと思った。もちろん歌も上手いし。失礼ながらLDHにこんな逸材がいたのかと感心してしまった。ミュージカルどんどんやればいいのに。

 

  

「ラグタイム」は1890年代から第一次世界大戦くらいまで流行した黒人音楽をベースにした音楽ジャンル。とのこと。

 

 

(観劇日20230912)

 

 

東京:日生劇場 0909~0930

大阪:梅田芸術劇場メインホール 1005~1008

愛知:愛知県芸術劇場大ホール 1014~1015

 

 

 

 

『スクール・オブ・ロック』(2003/日本公開2004)

2015年にはブロードウェイでミュージカル化され、2016年にはアメリカでドラマ化される。今年2023年夏、日本でもミュージカルが初上演。(現在上演中)

 

監督 リチャード・リンクレイター

脚本 マイク・ホワイト

 

ロックをこよなく愛するあまり、その熱量に観客はもとよりバンドメンバーもついていけなくなり、ましてやセンスも疑わしいギターのデューイ・フィン(ジャック・ブラック)はとうとうバンドをクビになってしまう。ただでさえ稼ぎがないのにこれで一円たりとも入ってくるあてがなくなった。ルームシェアしている元バンドメンバーのネッド・シュニーブリー(マイク・ホワイト)とその彼女パティ(サラ・シルバーマン)には家賃の督促を受け、払えないならば出ていけという話になってる始末。

ある日、バイトだが補助講師をしているシュニーブリーに名門私立ホレス・グリーン小学校の臨時教員の話がくる。その電話をとったのがデューイで、数週間のバイトだし金を稼がねばならないしと、シュニーブリーには内緒でなりすますことにした。

ホレス・グリーン小学校は規律が厳しく、担任となったクラスも勉学に励みはすれど凝り固まった子供たちばかり。そんなものやり過ごせばいいだけだったが、音楽の才能に恵まれている子らを発見。デューイは子供らにロックを教え、一攫千金を狙ってバンドバトル出場を目標に掲げる。

子供たちはデューイに触発されて少しずつ変化していく。バンド名も子供たちの提案でに「スクール・オブ・ロック」に決定。自主性が出てきて団結力も増し、秘密裏に行う練習も佳境。バンドバトルに出場するために真っ当な外出の理由が必要になる。デューイは校長のロザリー(ジョーン・キューザック)にごまかしごまかし課外授業の許可を取り付ける。

しかしその前日、シュニーブリーとパティに、なりすましが発覚、その夜にあった保護者会ではデューイが偽物教師であることがバレてしまう。翌日のバンドバトルはどうなってしまうのか…!?

 

いや、生徒たちが機転をきかせて逆にデューイを迎えに行ってバトルには出る。優勝は逃したものの、その演奏に感銘した観客や、どうにか子供らの居所をつきとめた保護者らが我が子の勇姿に心洗われ「スクール・オブ・ロック」コールをして大盛り上がりで終わる。さらに功を奏したデューイとシュニーブリーはロック教室を開く…という大団円。

予定調和だが、面白かった。

 

実際出演している子供たちは技術があり、劇中演奏もしているとのこと。

 

バンドライブでは興奮してダイブするデューイを誰も受け止めない。その前に観客が少ないのだが。でもバンドバトルのアンコールでは大勢の観客に受け止めてもらえる。そこが妙に良かった。

ロックの歴史を(系譜)板書するシーン、もっと詳しく見せて欲しかったな。作品的にはどうでもいい箇所だけど。

 

★★★★

 

 

主題歌「スクール・オブ・ロック」はAC/DCの影響を受けたものとなっているらしく、作中AC/DCのカヴァー曲も演奏されてる。他にブラック・サバス、ディープ・パープル、ドアーズ、アレサ・フランクリンの楽曲を使用したり、アンガス・ヤング、ピート・タウンジェントの演奏Vも流れる。物としてはブロンディ、ピンク・フロイド、イエス、ラッシュ、ジミ・ヘンドリックスなどのCDが使われてる。という、ロックの王道がベースにある。

とのことだが、名前は全部知ってても、楽曲となると聴いたことあるかも程度にしかわからなかった。^^;

 

 

 

『ディア・エヴァン・ハンセン』(2021)

アメリカ・フランスの映画。原題は『Dear Evan H ansen』

もともとはミュージカルなので、これもミュージカル映画になっている。

 

監督 スティーブン・チョボスキー

脚本 スティーブン・レヴィンソン

原作 スティーブン・レヴィンソン、ベンジ・パセック、ジャスティン・ホール

 

母子家庭のエヴァン・ハンセン(ベン・プラット)は社交不安障害という精神障害を持っており、学校で思うように人と接することができないし、友達もいない。幼馴染みのような存在はいても文字通り顔馴染み程度で友達というには憚られる。そして木から落ちて腕を骨折中だ。母親のハイジ(ジュリアン・ムーア)は気にかけてくれているが生活に追われ仕事で忙しく、充分なフォローもしてあげられない。エヴァンも心配かけられないとわかっている。

治療の一環でクリニックの先生に自分への手紙を書くことを課されていたため、その日も書いていたが、プリントアウトしたものを乱暴者のコナー(コルトン・ライアン)に取られてしまう。コナーはエヴァンが密かに想いを寄せていたゾーイ(ケイトリン・デヴァー)の兄だった。実はコナーもその激しい性格からまわりに敬遠され、友達がいなかった。ゾーイでさえ嫌っていたのだ。

数日してそのコナーの自殺が伝えられた。コナーの両親シンシア(エイミー・アダムス)ラリー(ダニー・ピノ)はエヴァンの手紙を見つけて、コナーが"親友の"エヴァンに宛てたものだと勘違いしてしまう。コナーにも友達と呼べる、いや親友がいたのだと喜ぶ両親を前に、エヴァンはつい嘘をついて"親友コニー"との思い出を編み出してしまう。

それからは幼馴染みのジャレット(ニック・ドダニ)の協力を得てメールのやりとりを捏造し外堀を埋めていく。ゾーイも初めは信じられない様子だったが、だんだんとコナーは本当は寂しがりやの優しい人だったのだという像が出来ていき、エヴァンとコナーの仲を信じるようになる。また、コナーの孤高感に惹かれていたアラナ(アマンドラ・ステンバーグ)が、誰でも悩みを相談、共有し、共に生きることを目的としたコナープロジェクトを立ち上げる。明るくクラスの中心人物でおよそ接点のない人間と思っていたアラナもまたコナーやエヴァン同様向精神薬を服用する理想と現実の乖離に苦しんでいた一人だった。

さらに、コナープロジェクトはコナーの好きだった今は閉鎖してしまったりんご園を買い取り、同じ病を持つ人や孤独や生きづらさ、悩みを抱えて苦しんでいる者が自由に集まり互助できる、専門家もいる空間にするべく、クラウドファンディングを始めるという大事に発展する。ところが目標額までのあともう少しが集まらない。

ちょうどエヴァンはゾーイと両想いになれ浮かれぎみの時で、プロジェクト活動を疎かにしがちだった。コナーのエヴァンへの手紙が実は嘘だったことを知ったアラナはSNSでばらしてしまう。非難はコナーの家族はもちろんプロジェクトにまでおよび、影響を与える。エヴァンは事をおさめるために行動を起こす…。

 

ミュージカルの良さは思いが歌詞になるから心情がわかりやすいことだ。耳に入ってきやすいし、深刻な内容でも音楽に乗せることによって少しの明るさが伴う。同調しやすい。

親の無償の愛は時には身勝手であり、子供が求める愛と形が違っていたり、また、子供の残酷さ無知さ、大小関係なくコミュニティに参加することの難しさ、それでも人は人を求める、…等々、感じ入ることの多い作品だった。

 

昔からある躁鬱だったり、発達系の疾患だったりするのだが、今は現代病とも言えるほど広く認知されている。薬を服用している人も多いんじゃないかな。少なくともSNS上にはけっこう目立つ(分母はさておき(^^;)。多様性が騒がれて久しいけど、ここにも受け入れたい多様性がある。

 

結局コナーは具体的に何をどう感じ悩み苦しんでいたかは明らかにならず、自殺したという事実、現実だけが全てというとらえ方にとどめている。しかし、エヴァンの骨折の原因が木から落ちたんじゃないということがわかるのだが、それがまさにコナーの気持ちだったのかもしれない。という締めのきれいさ。良かった。

映像ではなく、ミュージカル生舞台で観てみたい。

 

★★★★(★)

 

 

 

 

『パーフェクト・トラップ』(2012)

2009年の『ワナオトコ』の続編。とのこと。原題は『The Collection』。『ソウ』シリーズの監督と脚本家のタッグ。とのこと。

 

監督 マーカス・ダンスタン

脚本 パトリック・メルトン

 

ソリッド・シチュエーション・スリラー

 

巧妙かつ大胆な無差別殺人が世間をにぎわしていた。

恋人ブライアン(ウィリアム・ペルツ)と約束がなくなったから友人ミッシー(ヨハンナ・ブラディ)の誘いにのってクラブに遊びに出かけたエレナ(エマ・フィッツパトリック)。そこは暗号が指定された秘密裏の空間。中に入ってみるとみんなけっこうな盛り上がり。エレナもミッシーも一緒に行ったミッシーの弟ジョシュ(マイケル・ナルデリ)も、それぞれ好きに楽しんでいた。

しかし、そこでエレナはブライアンの浮気現場に遭遇する。ショックを受け盛り上がるホールから上がり、たまたま入った部屋でトランクを見つける。開けてみると鎖で繋がれた血だらけの男アーキン(ジョシュ・スチュワート)が転がり出る。エレナは怖くなり助けてくれとの言葉に応えられず部屋を後にするが、通路に出てみるとトランクを開けたことが引き金となった殺人トラップが動き出していた。そのクラブはいたるところに罠が仕掛けられていたのだった。あっという間に人々は惨殺されクラブは死体の海と化す。

アーキンはなんとか逃げおおせたが、エレナはトラップの仕掛け人コレクター(ランドール・アーチャー)によって捕らえられ別場所へ運ばれてしまう。そこにはコレクターの手によるいくつかの人体を組み合わせた奇妙で醜悪、不気味なコレクションが連なっていた。廃墟ホテルを利用したコレクターのアジトだった。

コレクターのトラップ(前作)からの唯一の生存者、医療処置を受けてるアーキンのところに、クラブでの事件を知ったエレナの父親(クリストファー・マクドナルド)が、信頼のおけるボディガードルチェロ(リー・ターゲセン)を通して協力を願い出てくる。

ルチェロを筆頭にアーキン、ウォーリー(アンドレ・ロヨ)ドルー(ティム・グリフィン)パス(シャノン・ケイン)リン(ブランドン・モラレ)の殺しにも長けた特別チームを作り、エレナ救出と犯人確保をかけ現地へ向かわせる。到着し侵入に成功したチームは、各所に仕掛けられた罠の中、アーキンの助言のもと捜索を始める。エレナは同じく捕らえられていたコレクターに愛されてる女アビー(エリン・ウェイ)と共になんとか脱出を図っていた…。

 

スプラッター。

怖い。

みんな死ぬし。

コレクターは一応倒したのだけど、最後遺体はなく、被っていたマスクだけが残っていたので、生きてるんだろうな…と思ったら、そのあとアーキンが突き止め、そこから今度はアーキンの復讐が始まる…みたいな感じで終わった。

 

ヒヤヒヤでグロくてまあ面白かった。

 

★★★★

 

 

(英語版)

 

 

『Swallow スワロウ(日本公開2021)

監督・脚本 カーロ・ミラベラ=デイビス

 

ブルーカラー育ちのハンター(ヘイリー・ベネット)は大企業の御曹司リッチー・コンラッド(オースティン・ストウェル)と結婚し、お腹には新しい命を宿している。ニューヨーク郊外の豪邸に住み、リッチーからは確かな愛を受け、はたから見れば何ひとつ不自由のない生活を送っているが、その実、リッチーはハンターの話をまともに聞かないし、義父母(デヴィッド・ラッシュ、エリザベス・マーヴェル)は体裁が第一に、ハンターの存在など眼中にないようだった。知らず知らずハンターにはストレスが溜まっていっていた。何より自分の存在価値に意味を持てなくなっていた。

ある日の食事でグラスに浮く氷をカリポリと食べたらとてもおいしかった。後日、氷に似たビー玉に目がいく。食べたい衝動に駆られ飲み込むと不思議と心が落ち着いた。ビー玉は排便で出て来る。次に画鋲に目が止まる…ハンターの異食症の始まりだった。

食べる…というか飲み込むものはだんだんと複雑な形、大きさも出て来る。排出されたものはきれいに洗い、コレクションのように並べ飾る。しかし、妊婦検診で排出されてない異物が発見され、異食症と診断され、リッチー始め義父母の知る事となる。カウンセリングに通わされ、四六時中見張りとして看護師ルエイ(ライト、ナクリ)をつけさせられる。

それでも異食はおさまらず、命の危険にも関わる物をも口にし、ついに出産までの間、精神科に入院させられることになる。それは避けたいハンターは出発の当日、ルエイの協力を得て家から逃走する。この頃には他人に病状も知られることとなり、そればかりか話してこなかったハンターの生い立ちまでもカウンセラーのルーシー(ローレン・ヴェレス)によってリッチーの耳に入っていた(守秘義務、おい!)。リッチーとの間にも決定的な亀裂が入る。

向かったのは、自分の本当の父ウィリアム・アーウィン(デニス・オヘア)のところだった。実はハンターは母親がレイプされてできた子供だった。実父であるアーウィンは刑罰を受けたことまではわかっていた。探し当てた実父は家族を作り幸せそうに暮らしていた。ハンターはアーウィンと話す機会をうかがう。生きていくために、自分が存在することの価値をどうしても得たかった…。

 

ラストは堕胎薬を飲み、新たな人生を歩み始めるであろうところで終わる。女の強さを感じる。男は確固たる居場所を構築し、一か所にとどまり、女は川なり海なり、水に乗って流れ漂う感じ。一般的には逆のイメージだが。強さの質が違うんだなと思った。

 

レイプでできた子だから、実母にもその後できた妹と比べて邪険にされているであろう匂わせもある。愛情に差があったかもしれない。ハンターは子供の頃から一歩も二歩も下がった抑圧の中で生きてきたのかもしれない。それでようやく自分の居場所を見つけたのに、その幸せは望み想像していたのと違うものだったわけだ。

何か食べ物ではないものを体内に入れて、その原型を保ちながら排出されることに、現状が何でもないことだと思いたかったのかもしれない。何を飲んでも命には影響しない、じゃあどこまでなら影響しないのか拍車がかかっていったのは、自分が生きてその場に居ることの実感を得たかったのかもしれない。

 

実母は宗教上の理由で中絶をする選択肢はなかったという。ハンターにその敬虔な信者の姿はない。それだけで実母との間があまりいいものでないことが察せられる。そして、ハンターは曲がりなりにも愛し合った相手の子供をおろす。この対比がすごいなと思った。産むも産まないもその選択ができる、やはり女は強い。

 

面白かった。

 

★★★★(★)

 

 

 

『無聲 the silent Forest』(2020)

台湾映画

実話をもとにしたフィクション映画。

監督 コー・チェンニエン

脚本 コー・チェンニエン、リン・ピンジュン

 

普通学校からろう学校転校初日、聴覚障害者のチャン(リウ・ツーチュアン)は電車でトラブルになり、警察に事情を聞かれるはめになるが意思疎通がうまくいかない。教師のワン(リウ・グァンティン)がかけつけなんとか放免された。警察さえも冷たい目を向け理不尽な扱いを受けるが、ろう学校では生徒たちは自由で楽しそうだった。学校と寮を往復するスクールバスの中でさえも大騒ぎ。言葉が使えないから身振り手振りでその賑わいは健常者には喧嘩のようにも見える。

その日の夜は学校の創立記念パーティーが開かれ、音楽など聞こえないのに踊る生徒たちにチャンもワクワクする。そこでゆらりゆらりと体を揺らし踊る一人の女の子ベイベイ(チェン・イェンフェイ)に惹かれる。同級生だった。すぐに二人は仲良くなった。

ある日のスクールバスの中で、さっきまでいたベイベイの姿が見えなくなった。バス後方席にジャージが吊るされカーテンになっている。その向こう側でベイベイはレイプされていた。引率の先生に言ってもそしらぬふり。バス内の他の生徒に言っても我関せず。そもそもベイベイが教師たちに言ってもどうにもならない、それよりこの学校の外で生きることの方が怖い、だからこれでいいんだといじめ(というかレイプですよね)を受け入れているのだった。

まだ正義感のあるチェンはワン先生に相談し、校長先生(ヤン・グイメイ)の耳にまで入るものの事がスムーズに進まない。校長には校長の立場があった。そうこうしてる間にもベイベイだけでなく男子生徒バオディも標的となり、チャンはベイベイを救うためにとんでもない取引に応じることとなる。

いじめの頂点に立っているのは優秀なユングアン(キム・ヒョンビン)だった。これまで幾人もの生徒をターゲットにしてきたが、基本自分は手を出さない。そんなユングアンにもそうなる原因があった。まだ小学生だった頃、当時の美術教師に性的虐待を受けていたのだ。ユングアンもまた自身のそんな過去と心情の変化に苦しんでいたのだった…。

 

ラストは負の連鎖を匂わせて終わるのがまた恐怖を誘う。

ユングアンの事情が切ないし、ベイベイが処世術として不妊手術を受けるのがまたしんどい。

 

障碍者、健常者のくくりなしに、まっすぐ、純粋に、毒牙にかかることなく成長するのはほぼ不可能なんじゃないかな。親はそれを望むけど、望むということは少なからず親自身が辛い嫌な目にあった経験をしているということだ。大人が子供に及ぼす悪事もあるだろうし、子供同士で遊びの延長から起こる事もあるだろう。あまりにもひどい目には遭いたくないし遭わせたくないけど、隔離と言わずも軟禁状態、常に見張り警備するなどしないと、こればかりはどうにもできないことかもしれない。

残すは精神的に強い人間に育てることか。

 

きつかったし、さもありなんでつらかったし、二重三重に苦難を乗せてくるあたり、やるせなさでいっぱいになるほどズシンとくる内容だった。実話がもとになってるということでなおさらだ。

大人の事情や社会の仕組みなど、どこから手をつければ弱者と呼ばれる人たちの人権が守られるのか、考えることの多い映画だった。

 

★★★★★

 

 

 

 

『ウーマン・トーキング 私たちの選択(2022/日本公開2023)

原題は『Women Talking』。原作はミリアム・トウズの著書で、2005〜2009年にかけてボリビアで実際にあった事件がもとになっているとのこと。

 

監督・脚本 サラ・ポーリー

 

ルーニー・マーラ、クレア・フォイ、ジェシー・バックリー、ジュディス・アイヴィー、ベン・ウィショー、フランシス・マクドーマンド、シーラー・マッカーシー、ミシェル・マクラウド、ケイト・ハレット、リブ・マクニール、オーガスト・ウィンター、キーラ・グロイオン、シャイラ・ブラウン、他。

 

キリスト教を基にした宗教団体が、人里離れた土地にコミュニティを構築していた。時は2010年だが、暮らしぶりは自然と共にあり自給自足、およそ現代的ではなく、服装も100〜200年遡った感じだ。そこでもう何年も繰り返されていたことがあった。男たちは女に薬を盛って寝ている間にレイプするのだ。女たちは朝、股の間から流れ出る血液やあざ、違和感でそれと自覚する。しかし男たちは悪魔の仕業だろうとずっとしらをきってきた。女たちは非識字で、納得し従うことしかできずにきた。

しかしある日、暴行犯を目撃したことから事件化し、男たちは拘留となった者の保釈金を払いに街へ出かけることになる。その男たちが留守の間、女たちは今後について話し合いをすることにした。赦すか赦さないか。ただ、彼女らの前には「神」と「天国」があり、信仰が足枷となる。

「これまでと同じように赦す」「ここ居住区にとどまり男たちと戦い解決策を模索する」「この居住区を出ていく」この三つの選択を前に、それぞれの気持ち、考えが明確化されていく。さらにその話し合いには居住区を追放された者の息子オーガスト(ベン・ウィショー)が出戻り、議事録係を任されていた。大学を出て教師となった彼は自制が働く女たちの意識解放にも一役買うこととなる。そうして女たちが出した答えは…。

 

話し合いがメインなので会話劇であり、舞台演劇のようだった。また、古めかしい色に加工された映像なので2010年だと言われてもピンと来ない。だいたい社会から隔離されたかのような暮らしで学がないということだからなおさら。非識字ということは、自分の気持ちや考えを言葉にして伝達出来ないということだ。

 

性暴力、モラハラ、DV、性差、愛、ジェンダー問題も描かれている。女たちの生き方をそのまま今話題によく上がる事案に重ねられるので、理解しやすいし、じゃあ自分はどう考えるのか、探求も出来る。もしかしたら「お話」を自分事としてとらえ、凝り固まった意識を変えることにも役立つかもしれない。

 

とりあえず、男女共に中学校までの勉強はしっかりさせとくのが得策。

 

★★★★

 

 

 

 

 

『ボーイズアンドオール』(2022/日本公開2023)

アメリカとイタリアの合作映画。原題は『Bones and All』

 

原作 カミール・デアンジェリス

監督 ルカ・グァダニーノ

脚本 デヴィッド・カイガニック

 

父(アンドレ・ホランド)と二人暮らしのマレン(テイラー・ラッセル)は転校したて。クラスメイトに夜遊ぼうと家に招待される。出かけるのを禁じられていたが、こっそり抜け出し彼女らと楽しいひとときを過ごすが、ふとした拍子に無意識に友達の指にかじりついてしまう。大騒ぎされ、逃げ帰ると、マレンの血だらけの口元を見て察した父親が急いで旅支度を指示し夜逃げのようにバージニア州をあとにする。

マレンは人喰いだった。最初に人を食べたのは3歳の頃、ベビーシッターだった。それから形をひそめていた「人喰い」の性質だったのだが…。

メリーランド州に着いたが、もうマレンを助けることは出来ない普通の生活が望めないと、出生証明書とマレンの身上を語ったカセットテープを残し父親が蒸発する。マレンは証明書にある記憶にもない母親(クロエ・セヴィニー)を訪ねるべくミネソタ州まで行くことにした。

その旅の中で、同じ人喰いと出会う。老齢の孤独なサリー(マーク・ライランス)に「匂い」でわかることを教えてもらい、共に老婆を食べる。しかし食べた人間の髪を収集していることなど気味悪さからサリーから去り、インディアナ州へ入る。そこではリー(ティモシー・シャラメ)と出会う。家出をし転々としているリーと、なんとなく気が合い行動を共にし始める。ところがある日共に食べた男が、妻も子供もいる家庭持ちだったと知ったマレンはショックを受ける。人喰いの宿命をまだ受け入れきれないマレンはリーと仲違いしてしまう。

その後も同族と行き合うこともありつ、リーの大切な妹ケイラ(アンナ・コブ)の存在や、リーの過去、抱える問題など明らかになりながら、ファーガスフォールズ精神病院に自ら入ったという母親のもとへたどり着く。母親には両腕の先がなかった。抑えられない衝動に悩み自ら解決法を模索していた母親…同族だった。

絶望に苛まれるマレンだったが、優しくリーが寄り添う。二人はなんとか普通の生活をしようとミシガン州で居を構える。そんな二人の前にずっとつけてきたサリーが現れ…。

 

孤独に生きてきたサリーにとっては初めて他人と人を食べたことが重要であり、それがマレンに固執する理由だった。でも覚醒したばかりのマレンにそんなことは通じない。大切な家族には手を出さないよう思い悩み苦しむリーの方が共感できる。そんなリーが大切にしてきた妹が食われてしまうのはきつい(サリーによって食われる)。どれだけか悲しいだろうか。

サリーも考えれば気の毒な人だ。ずっと一人で食べ、いちいち始末し生き延びてきたのだから。

マレンの母親がマレンにかぶりつこうとするシーンがある。これは理性がどうの本能がどうのより、もしかしたら母親としての最後の良心の現れかもしれない。もし、遺伝であるなら途絶えさせなければならないわけだから。

この人喰いには骨まで食べるという行為に意味を持たせていて(タイトルは骨まで食うという意味)、人によるようだが恍惚状態を得られたり、征服欲だったり愛だったり、ひとつのステータスになっているようだ。

ネタバレだけど、ラスト、マレンはリーを食べることになる。おそらく骨まで食べたんだと思う。食べてひとつになる、それが二人の愛の証のような感じで終わる。

人喰いが何であるのか、どういう経緯で出現したのかは明かされない。地球上の生命体の一つと考えれば、人間の中にはそうした人種がいてもおかしくない、ということなんだろう。

 

音楽にしても小物にしても古いなと思ったら、時代設定が1980年代のようだ。まあ、現在2020年代だと展開に色々無理があるんだろうな。

 

サスペンスとホラーとラブストーリーが一緒になったアメリカ東北部を行くおよそ3ヶ月ほどのロードムービー。映像もきれいだった。特に二人のぎこちないキスシーン。

面白かった。
 
★★★★