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これ観た

基本アマプラ、ネトフリから観た映画やドラマの感想。9割邦画。作品より役者寄り。なるべくネタバレ避。演者名は認識できる人のみ、制作側名は気になる時のみ記載。★は5段階評価。たまに書籍音楽役者舞台についても。

『燕 Yan』(2020)

 

監督 今村圭佑

脚本 鷲頭紀子

 

水間ロン、山中崇、テイ龍進、平田満、一青窈、長野里美、田中要次、宇都宮太良(うつのみやたいら)、南出凌嘉(みなみでりょうか)、林恩均(リン エンジュン)、他。

 

以下、内容と解釈がごっちゃになった、文章的にもまとまりのない感想になります。すみません。

 

早川燕(水間ロン/幼少期:宇都宮太良)は癌を患い後始末をし始めてる父親(平田満)に呼び出され、久しぶりに実家を訪ねる。実家には明るく頼もしい継母(長野里美)がいる。実母(一青窈)と父親は燕が5歳の時に別れたのだ。実母が生まれ故郷の台湾へ、兄の龍心を連れて帰るという形で。確かに、なかなか日本語に慣れない、台湾の文化を生活に持ち込む台湾人の母親の存在は、まだ幼かった燕の自尊心を傷つけもした(燕は実母に「イェンイェン」と呼ばれていた。燕は台湾語でイェン)。けれど、まさかいなくなるなんて、しかも兄だけをつれて…と、燕は捨てられたことの事実の方が、成長するにつれて大きくなっていった。そして連絡を取り合うこともなく、亡くなった実母の葬式に出向くことさえもなく月日は過ぎた。

さて、父親の頼みは借金があるために相続を放棄するよう龍心のサインを得てきてくれというものだった。本来であれば父親が直に出向けば済むことだが、父親は父親なりにわだかまりを持った兄弟関係の修復、そして実母がどんなにか燕を愛していたかを肌で感じとってもらうためにも、台湾に行き、龍心と会うことを望んだのだった。

いざ台湾に着いてみると、騒がしく、燕は不快感をあらわにする。それは幼い頃からの実母への恋慕の裏返し、抵抗のひとつなのかもしれない。

龍心の友人だというトニー(テイ龍進)を介してようやく会えた兄龍心(山中崇/幼少期:南出凌嘉)には子供(林恩均)がいた。離婚していて、たまに会う存在。ちょうどその子供が緩和剤的存在にいるのだが、龍心は壁を作り、燕は線を越えられない。けれど、トニーの悩みを聞いた燕は龍心にようやく本心をぶつける。

 

言いたいことを言い合い、母親の愛の深さを知り得た燕、燕が自分と同じように苦悩していたことを知り得た龍心。今後のそれぞれの生き方が変わっていくかもしれないし、まだまだ自我と向き合う時間が必要なのかもしれない。そんな感じの終わり方だった。

 

龍心が離婚しているのは、おそらくハーフであるということと関係があるのではないか。この作品のテーマでもある人種の問題だ。


台湾人でも日本人でもない、日本にいたかったけど、自分が母親についていかないと母親が心配だという犠牲心が働いたと思える龍心の選択。龍心は龍心なりにうまく歩めていなかったのだ。それが兄弟喧嘩で現れる。痛々しい。

ハーフである苦悩が子供にあり、そんな子供を他国の社会で育て、自身も生活していかねばならない、文化の違いが母親に重くのしかかる。愛しているからだけでは乗り越えられないこともある。切ない。

大人になったらなったで龍心の我慢の人生が悔いとなって生活に現れる。どちらの国の者でもない自分をおさめきれない苦しさがよく描かれていた。親の愛情だけでは乗り越えられない多感な子供時代は特につらい。

龍心の子供に自分は台湾人と日本人、どっちに見えると聞くシーンが最後の方にある。どっちでもいいよと答える。子供はわがままで残酷で正直で、基本自分以外のことには無関心だ。それが大人のこだわりに響く。

他人ではない、近しい人間でもない、自分の中に二国の人種がいるのだ。どちらの国に暮らそうと、折り合いをつけるのは難しい(かもしれない)。

 

兄にくってかかる弟の立場、喧嘩から気持ちの吐露にうつる過程も丁寧でいい。その前に中国人であるトニーの居場所のない自身へのジレンマ、悩みが話され、きっかけとなるのもいい。

もちろん借金を子供に残さない策ではあっても、父親が設けた兄弟の和解(およそ23年ぶりに会う)…というか相互理解のチャンスというそんな親心も良い。

 

 

監督がこれまでカメラマン、撮影監督をやってきたということで、光の使い方、何を写すと効果的か、その画で語らせることに力を注いでいるようで、映像が雄弁。役者の、殊更水間ロンの表情が各シーン良くて、その表情をとらえる監督、素晴らしい。映像力がすごい。幼い頃母がまだいる時暮らした実家の様子、思い出につながるものがチラホラと面影を残している映像は秀逸だった。

 

子供と親とどちらの愛が長く続くか、無性の愛について言及するところもある。一般的には愛は親の方が強いかもしれないけど、一生親が親であることは変えられない。切っても切れない、そういう関係で繋がっているのだと改めて思った。

 

映画って2度見ると見えなかったものが見えてきて驚いたりする。

 

とても良かった。

 

★★★★★ 

 

 

 

 

燕は台湾で生まれ、季節がくると海を渡って日本へ行く、とあった。台湾に限らず、東南アジアの燕が渡って来るようだ。まさに、生まれも育ちも、終の住処も、本人が心地よく過ごせればそれがどこであろうといいのだ。そのくらいおおらかになる人間力が試されるような映画だった。

 

私はまだまだ小さい。

 

 

 

『人』(2022)

 

監督 山口龍太朗

脚本 敦賀零(つるがれい)

 

吉村界人、田中美里、津田寛治、冨手麻妙(とみてあみ)、木ノ本嶺浩(きのもとみねひろ)、五歩一豊(ごぶいちゆたか)、他。

 

 

 

 

ある日の朝。海辺に倒れる健一(吉村界人)を、もう一人の健一が見つめている。どうやら酒を飲み酔って自転車で単独事故を起こしたようだ。ふと足元を見ると、自分の足が消えている。カフェとサーフショップを営む自宅に帰り、鏡の中をのぞきこむが姿が映らない。しかし母親彩子(田中美里)には見えていて会話もできる。

実は彩子は小さい頃から幽霊が見える体質だった。彩子は即座に健一の命が途絶えたことを理解し、健一もまた死んだことを確信する。なにしろ、近くにはとうに亡くなった父親拓郎(津田寛治)がいて、自分はもちろん、彩子とも会話ができている。そうして間もなく健一の遺体が発見されたとの連絡が入る。

それまで彩子を支えていたのか、父拓郎は健一と入れ替わるように姿を消す。そして葬儀では高校時代健一に想いを寄せていた髙橋(冨手麻妙)の悲しみに触れ、また、たわいもない会話など、健一がこの世を本当に去るまでの数日の母子の心の交流が描かれる。ファンタジー。

 

人の死を残された者の気持ち、残した者の気持ち、両側から描いているのだが、共感以外の発見はなかった。

テーマ的に40分程度のショートムービーではこれが限界なのかなとも思うし、とはいえつなぎ方が下手だなと思う点もあって散漫な印象。もっと一点に集中して深掘りしてほしかったなと思った。例えば、髙橋の感情はもっと深く描ける。彩子の霊感も掘れるし、そこから生まれる喪失感に焦点をあてたらハッとする何かを感じられたかもしれない。

 

★★(★)

 

 

制作 エクション

配給 SAIGATE

 

 

『ブルー・マインド』(2018)

スイス映画。原題は『Blue My Mind』

 

監督・脚本 リサ・ブリュールマン

 

親の転勤に合わせて新しい土地へ引っ越してきた15歳のミア(ルナ・ヴェドラー)。ちょうど思春期で、体も変化し始め初潮も迎え、自分の感情をコントロール出来ない。果ては自分は養子なんじゃないかと疑うほど、両親、特に母親ガブリエラ(レグラ・グラウヴィラー)に反抗的。転校先の学校でも、優しく親切そうなクラスメイトより、不良っぽい集団に目がいき、仲間に入る。ある日、何を思ったのか、母親が大切に育てている金魚を食べる奇行に走る。それからすぐに足の指に変化が現れる。医者には合指症だと言われるが、その後脚はアザだらけになり、さらに皮膚が剥がれ落ちてくる。親に言えないそんな異変に悩みながらも、それを打ち消すかのように、仲間と飲酒、喫煙、万引き、セックスと非行に走るミア。

そんなある日の仲間間のパーティーで親友のジアンナ(ゾーイ・パスティル・ホルトアイゼン)が溺れる事態に見舞われ、迷うことなくミアが助けに行く。水中で長い息継ぎが出来るミアの体にはエラも現れていた。そして両親の外泊中に、とうとうミアの下半身が魚のヒレに変わる。異変を知ってる唯一心配してくれるジアンナがかけつけ、もう水のないところでは生きられないミアを広い大海原へと解き放つ…。

 

人魚になっちゃった。

 

これはなんだろうと、人魚について調べてみたけど、納得どころかしっくりくる話がなく、まあ、ホラーなのかファンタジーなのか、迷うところ。ただ、大人になっていく年頃で、体の変化と心の変化に、周りの取り巻く環境と自分の感情がついていけないのがよく現れていた。ので、そういう話なんだと思う。

もしかしたら…「後悔」かもしれない。

 

私には反抗期らしい反抗期がなく、ミアのような思春期はなかったので、想像でしか掴めないが、ミアのような思春期を過ごして大人になった人が、その時代を懐かしむにはけっこうハードル高い人生だなと思った。どんな人生が正解なのかはわからないけど、また、後悔のある人生なんか誰にでもあって誰もない、かもしれないのでなお。

私はこれまで一切自分の行動に後悔は持ってこなかった。それはその時、そう選んだのは自分であり、その流れで今があるのが自分の責任であると思うことと、では違う世界があったのかという保証もないし、やはり何より、自分で選んで歩んだ道の今に満足しているからだ。

若い人たち、ミアのような思春期にある子供たちには、自分の人生であることを考えて日々を歩んで欲しい。人魚にならないように。

 

★★★★

 

 

 

 

配給 クロックワークス

 

 

 

『いつか、ヒーロー』(2025)テレビ朝日系列 日曜22時15分〜全8話

 

監督 アベラヒデノブ星野和成松浦健志松本喜代美

脚本 林宏司

音楽 岩本裕司

主題歌 石崎ひゅーい「HERO」

 

桐谷健太、長濱ねる、泉澤祐希、曽田陵介、星乃夢奈、駒木根葵汰、寺島進、真下有紀、板谷由夏、小関裕太、宮世琉弥、でんでん、藤山ユウキ、北村有起哉、他。

 

2025年、ドリームサンフーズ社員渋谷勇気(駒木根葵汰/幼少期:岩本樹起/10歳時:岡崎琉旺)が、同ドリームグループに属する謎の男氷室海斗(宮世琉弥)に精神的に追い詰められ自死する。

遡り2005年、5年勤めた児童養護施設「希望の道」を新たな目的のため去る赤山誠司(桐谷健太)が何者かに襲われ、20年間の昏睡状態に陥る。人知れずずっと入院していた国立療養センターで奇跡的に目覚めた赤山は、リハビリに励み、「希望の道」へと向かう。しかしそこにはすでに施設はなかった。施設の子供たち五人とともにタイムカプセルを埋めた場所へ行くと、まさに掘り起こす約束の20年後であるその日、そこへ現れたのは五人のうちの一人、樋口ゆかり(長濱ねる/幼少期:太田恵晴)だけだった。事情を知る由もないゆかりは、20年もの間連絡が取れずにいた赤山を責めつつ、自分を含め他の四人にも色々あったことの怒りをぶつける。施設は園長の森本司(寺島進)が心筋梗塞で帰らぬ人となった後、ドリームグループに買われ、妻の葉子(真下有紀)も実家に戻っていたが最近亡くなっていた。赤山はすべて受け止め、ゆかりと共に五人分のタイムカプセルを掘り起こす。そして残りの四人の消息を一緒に追う。

そのゆかりは両親からの虐待で「希望の道」に入所、夢は留学して通訳になることだった。しかし今は介護施設職員。今をときめく起業家の恋人高野浩介(谷恭輔)がいるが、施設解散後は再び親元へ戻り、その時には性的虐待も受けるようになっていて、そのことが負い目になり自ら婚約を解消してしまった。

同じく両親からの虐待で「希望の道」にやってきた野々村光(泉澤祐希)は、海外で活躍するサッカー選手になるのが夢だった。施設解散後里親のもとで暮らすが、人とのコミュニケーションを取るのが苦手で思うような結果も得られず、ならばと投資の動画配信をするもうまくいかず、ヤングホームレスの身になっていた。

母を亡くし祖母フミ(吉田幸矢)と暮らしていたが、フミが施設に入ることになり、「希望の道」へやって来た交野瑠生(曽田陵介/幼少期:岩崎蒼維/10歳時:立花利仁)は、世界を股にかけるビジネスマンになるのが夢だった。けれど現実はブラックな不動産系の会社で、人を貶めるようなあくどい仕事をしていた。

ネグレクトでみんなと同じ5歳で「希望の道」に入った君原いぶき(星乃夢奈/幼少期:梶山かんな/10歳時:遠藤くるる)は、お金持ちのお嫁さんになるのが夢だった。しかし夫のDVが原因でシングルマザーとなり、昼夜働き懸命に子育てしていたものの、暴力の連鎖が原因で娘沙織(遠藤くるる)を児相に引き取られることになった。

そして、やはり父親からの虐待で「希望の道」へ入所し、一番仲間思いで五人のリーダー的存在であり、夢はヒーローになること、という頑張りやさん、施設解散後も父親と同居しながら努力をし大学まで出て証券会社へ入った渋谷勇気は…。

赤山は実は施設職員の前職はハゲタカファンドの敏腕マネージャーで、旧知の仲である総会屋の大原要蔵(でんでん)宅を拠点とし、次々とゆかりたちを迎え入れ、困窮している生活を助けるべく行動する。

赤山の亡き妻(永池南津子)の妹である東都テレビの記者西郡十和子(板谷由夏)、その部下の小松崎実(小関裕太)も絡み、そのうちに赤山が襲われた理由、施設がなくなった理由、その裏に大企業ドリームグループの会長若王寺公威(北村有起哉)がいること、その公威の原動力である気の毒な過去、隠蔽された犯罪などが明らかになっていく。同時に、渋谷勇気と氷室の真実も判明していき、赤山は五人のために、正義のために、闘う。

ヒーローは赤山なのか、子供たち…五人の教え子たちなのか…。

 

赤山もまた父親(松田幸起)が事業に失敗し自殺するという不幸な少年期を送っており、自身も成功と失敗をしている。主要登場人物は全員、恵まれなかった幼少期を過ごし、その中でどう人生を切り開いていったか、また陥落していったかが描かれている。岐路に立たされた時、人はこれまでの環境から会得した力で一切を決めるのだなぁというのがすんなり納得できるドラマだった。

また、子供たちに人気だったヒーローアニメの主人公ブラックジャガー(実写:KANON)がキーポイントにあり、誰もがヒーローの存在に期待をし、憧れ、なり替わりたいとも望み、その思いの強弱でまた人生が切り開かれるのかもしれないと希望も得られる作りだった。

 

が。導入も展開も中盤も明らかになる事実も、同じような境遇で育ったのに五人の性格の違いがきちんと効いてて、そもそものテーマもいいのに、そこ知りたいそこフィーチャーすべきではと思うところを省き、たたみかけるような終盤というかラスト、のわりに二転する冗長さ、それはどうなのもったいない。と思った。

 

駒木根葵汰の役がそんなぁ…という感じだった。とてもいい表情でしんでたのに…。それと同等に宮世琉弥も良かったけど。というか、小関裕太さえも良かった、素晴らしいキャスト陣にオリジナル作品。なのにラスト2回のバランスの悪さは本当残念だった。

しかし桐谷健太はこういった熱い役、濃いキャラ、ピッタリで、絶対ハズレない安心感があるな。

 

そうそう、驚いたのは、20年前の公威で、北村有起哉の顔にシワが消えてたこと。映像加工だろうけど、これが出来るならメイクいらないなと思った。

 

瑠生の台詞に 赤山に向かって放つ「は、まじもんの浦島太郎じゃねえかどこの竜宮城行ってんだよ」というのがあって、この発するタイミングがめちゃ良かった。

 

★★★★

 

 

 

 

 




 


小関裕太だけど、私は勝手に期待して見てる役者の一人で、今回、珍しく悪役にまわるのだけど、良かったけれど、もうひとつ決まらない。もっと出来ていい役者だと思うのだがなぜか役を活かせない。この中途半端な感じは何なんだろう。主演でも脇でも光らない。だけど期待値はある。はず。遅咲きなのか、忍成修吾の路線だけはどうか行かないで欲しい。



『LAZARUS ラザルス(2028)KAAT神奈川芸術劇場大ホール

デヴィッド・ボウイの遺作となったミュージカルで、2015年オフブロードウェイで初演され、今回が日本初演となる。

デヴィッド・ボウイ主演の映画『地球に落ちて来た男』(1976年)の主人公トーマス・ニュートンのその後の物語。とのこと。




音楽・脚本 デヴィッド・ボウイ

脚本 エンダ・ウォルシュ

 

演出 白井晃

翻訳 小宮山智津子

 

ニュートン:松岡充

少女:豊原江理佳

エリー:鈴木瑛美子

マエミ/日本の女:小南満佑

ベン:崎山つばさ

マイケル:遠山裕介

ザック:渡部豪太

バレンタイン:上原理生

ティーンズ:栁沢明璃咲(やなぎさわありさ)、渡来美友(わたらいみゆう)、小形さくら

ダンサー:Nami MonroeANRIKANNA 

スウィング:塩顕治加瀬友音(かせともね)


水源を得るために地球にやってきた異星人ニュートン(松岡充)は、縁があり企業し(ワールド・エンタープライズ社)大成功をおさめ、最愛の人(メアリー・ルー)も得たものの、宇宙船完成から異星人であることがバレて研究対象にされ監視監禁される身となる。故郷の星には妻も子供もいる、その家族に会うことも出来ず、生ているのか死んでいるのか、いや、いっそ死んでしまった方が…と思いながらもその自由さえない。やがてその非人道的扱いから解放されたが、唯一、酒だけがその日一日をやり過ごす手段という、アルコール依存の妄想と幻覚の日常がニュートンの地球での暮らしとなっていた。

そんなニュートンの世話を引き受けたエリー(鈴木瑛美子)は、夫ザック(渡部豪太)がいる身だがニュートンに惹かれていく。しかしニュートンには忘れられないメアリー・ルーがいるし、名もない少女(豊原江理佳)の幻覚(亡霊)に心酔していく。

そして長らく友人のマイケル(遠山裕介)、恋に落ち幸せいっぱいのベン(崎山つばさ)マエミ(小南満佑)、そして悪魔のような殺人鬼バレンタイン(上原理生)の存在が、エリーはもちろん、ニュートンの身辺を騒がしくしていく…。

果たして、自分は生きているのだろうか、エリーに見えず自分にだけ見えてるものは何なのか。




 

人は人の影響を受け生きているのがよくわかる作品だった。エリーはもう少しのところで助かった(と思う)。気のふれた、または何か枷をつけている人の狂気は健康な人の心身を蝕む。それがわずかな綻びから入り込むから強力。

 

前述の通り地球で暮らすしかなくなったニュートンの最期を描いていて、成功の後の壮絶な仕打ちからの絶望、その絶望の中で、生と死を観客に問うているかのような作品だった(より死についての方が強い)。

 

ニュートンの心のオアシスになるような少女役の豊原江理佳、ニュートンに惹かれている女性エリー役の鈴木瑛美子の歌唱と発音が完璧で素晴らしかった。そして悪魔のようなバレンタイン役の上原理生はさすがだった。

 

ミュージカルというくくりだが、演劇的要素の方が強く、話の流れと楽曲の相互性が理解できなかった。そう考えると、ライブと演劇の融合のような新しい形にも思えた。それはニュートン役の松岡充がミュージカル俳優ではなく歌い手であるせいかもしれない。やはりミュージカル俳優と歌手(ミュージシャン、アーティスト)とは表現の仕方が違う。

 

内容というか、話をどう受け取るかは観客に任されているような気がする。キャストは台本にある台詞から状況を自分なりに組み立て表現し、演出家がそれをまとめる…みたいな感じに思えた。その上で言うと、実際に生きている人間もいるが(例えばエリー、ザック、マイケル)、どちらとも取れない人間(ベン、マエミ、バレンタイン)、存在しない人間(少女)がニュートンの脳内で暴れ回ってる感じだった。観念的な話に思った。

 

この日はアフタートークショーもあって、同劇場の芸術監督を務める長塚圭史を司会者に、主演の松岡充、演出の白井晃が、裏話も混ぜてけっこう独自解釈を披露してくれた。そこから読み取れたのは、映画や、ボウイの晩年を知らないと理解に苦しむかもしれないということ。さらに、代表曲と言われる楽曲(「Heroes」「Changes」とか)はあるもののヒット曲を入れずに構成された台本(書き下ろし含む全17曲挿入)であったことから、ボウイを追い、ボウイの楽曲をよく聴いてないとまた難しいかもということだった。

 

ちなみに、楽曲は全て英語で歌われ、字幕が流れるスタイル。当初は日本語訳でいくつもりだったが、縛りが入ったそう。それについては松岡充がSOFIAの楽曲をもし使われるのであれば…と考えると意図が理解できると言っていて、なるほどと思った。私も最初なぜ訳詞で歌わないのか不思議だった。でも先にも書いた通り、話と楽曲との繋がりがよくわからなかったことを思うと、「なるほどそれも有りか」なのだった。

 

 

(観劇日 20250610)

 

 

神奈川:KAAT神奈川芸術劇場大ホール 0531~0614

大阪:フェスティバルホール 0628~0629

 

 

 

 

 


レポート記事


 

『流浪の月』(2022)

原作は凪良ゆうの小説。

 

監督・脚本 李相日(『国宝』『悪人』『怒り』『フラガール』他)

撮影監督 ホン・ギョンピ(『哭声/コクソン』『パラサイト/半地下の家族』『ベイビー・ブローカー』他)

音楽 原摩利彦(『国宝』他)

 

広瀬すず、松坂桃李、横浜流星、多部未華子、柄本明、内田也哉子、三浦貴大、趣里、増田光桜、小林由梨、森レイ子、永井ちひろ、伊藤洋三郎、赤間麻里子、山崎直樹、上原実矩、呉城久美(くれしろくみ)、他。

 

公園で一人本を読んでる時、急に降り出した雨を介して、小学生の家内更紗(広瀬すず/幼少期:白鳥玉季)と19歳の佐伯文(松坂桃李/少年時:中田昊成)は言葉を交わし、そのまま一緒に暮らし始める。

父は病死、母に捨てられた更紗は母方の叔母(赤間麻里子)の家に引き取られたが、従兄弟にあたる中2のタカヒロに性暴力を受けていた。だからと言ってそんなこと叔母はもちろん誰にも言えず我慢している日々から逃げだしたい思いでいっぱいだった。文もまた母親にぞんざいにされ、誰にも言えない悩みを抱えて生きていた。二人は二人でいる居心地の良さに心が満たされていく。(それは恋でも愛でも友情でもなく、同志であるような不思議な感情のように見えた)

しかしそんな生活は長くは続かず、文はロリコンの誘拐犯として警察に捕まり犯罪者として、更紗はロリコン男に洗脳され傷つけられた被害者としてその後を過ごすことになる。

それから十数年、更紗には中瀬亮(横浜流星)という同棲している恋人ができ、亮は結婚を視野に入れていたが、更紗は流れに身を任せながらもとまどいがあった。そんなある日、ファミレスで働く同僚の安西佳菜子(趣里)と偶然入ったカフェで文と再会をする。

カフェのマスターとなっていた文は知らぬふりをするし、谷あゆみ(多部未華子)という恋人もいる。けれど更紗は想いが抑えられない。また、亮にもDV癖が発覚、ついに更紗は亮の元を去り、文の隣りの部屋を借り暮らすようになる。また昔のような優しい時間を取り戻したかに思ったが、文の過去、更紗の過去が世間に晒され、恋の逃避行に出てしまった佳菜子の娘梨花(増田光桜)を一時預かりしてることも問題視され事件化してしまう。

再びどん底に落とされた二人だが、寄り添う更紗に文は本当の自分を見せる…。

 

これは(原作未読)ロリコンの話ではなく、短小の話。そのことによって愛する母親(内田也哉子)に出来損ないと判を押されてしまった文。これはどうにもできない。一生誰とも愛しあえず心を共にすることなく生きていくしかないと、いつまでたっても変わらない自分の体を見て絶望したんだろう。ちょうど多感な年頃に。きつい。はじめはアセクシャルの男かと思った。

更紗も性暴力は受けてるものの、亮を受け入れてるところを見ると、克服できたのかと思った。でも違った。心と体を引き離し諦めていたのだ。

亮はモラハラ気質。なんだかみんな気の毒な性質を抱えてしまってて、胸が痛くなる作品だった。だからといって問題提議をして説教するわけではなく、静かに事実を見せるのみの作品。それだけにとても良かった。

 

良かったシーンがある。更紗が店に向かうとちょうどあゆみと出てきたところに出くわす。子供の頃出会った時と同じく雨が降っていたけど、でも今回、文の傘に入ってるのは更紗じゃなくあゆみ。そして文は、知り合いかと聞くあゆみに、更紗を「お店のお客さん」と一言いうだけ。更紗が仲睦まじく帰る二人の後を延々つけ、マンションに入っていくまで見届ける。そこで一部屋に灯りがポッとつくと、「よかったね、文」と独り言ちる。これはぐっときた。せつない。最高のシーンだった。

 

広瀬すずもみごとだし、松坂桃李も素晴らしかったけど、予想外だったのが横浜流星。すごい。こんなに出来る子だとは思わなかった。演技全てが良かった。ひとつもおかしい点がない。中瀬亮がそこにいるだけだった。

でもそれでいったら多部未華子も、趣里も素晴らしかった。多部未華子の悔しさと悲しさが混ざってのあそこまで歪めた顔とか、趣里なんてほんと育児放棄しそうな母親像そのものだった。李監督は役者を動かすのも映像美を創り出すのもうまい。

 

内田也哉子が樹木希林だった。表情の演技がうりふたつ。でも台詞がイマイチだったのが残念。樹木希林は樹木希林で唯一無二。主演級の俳優にももちろん言えることだけど、脇で主演を光らせるバイプレイヤーこそ「唯一無二」という言葉が合う気がする。

 

★★★★(★)

 

 

 

 

 

『水深ゼロメートルから』(2024)

原作は徳島市立高等学校の演劇部中田夢花村端賢志による戯曲。『アルプススタンドのはしの方』と同じく高校演劇の映画化。

 

監督 山下敦弘(『マイ・バック・ページ』『味園ユニバース』『オーバー・フェンス』『ハード・コア』『告白』『カラオケ行こ!』他)

脚本 中田夢花

音楽 澤部渡(スカート)

主題歌 スカート「波のない夏 feat.adieu」

 

濵尾咲綺(はまおさき)、仲吉玲亜、清田みくり、花岡すみれ、三浦理奈、さとうほなみ、土山茜、他。

 

夏休みに入る頃、体育の補習として、子供の頃から阿波踊りをやっているミク(仲吉玲亜)と、メイク命のココロ(濵尾咲綺)は体育教師の山本(さとうほなみ)からプールの清掃を命じられる。水の入ってないプールの底には、グラウンドで部活に励む野球部から飛んでくる砂がたまっていた。そこへ水泳部を辞めようかと悩む部長のチヅル(清田みくり)がなぜか来て、三人のなんてことない会話が始まる。そのうち、元水泳部部長で1学年上の、チヅルのことを気にかけていたユイ(花岡すみれ)が加わる。四人は野球部が部活をやっている限り砂は除去しきれない現実に、雑談から徐々にそれぞれを取り巻く拭えない問題を重ねていく。

子供の頃阿波踊りの男踊りを踊っていたのに、それがいけないことのかのようになってしまった今、女踊りさえも友達の前で練習するのが恥ずかしいと思うミク。

男女の性差にとらわれ、女である自分を蔑む一方で、女であることを最大限に生かし戦おうとするココロ。

水泳でも野球でも能力を発揮する男子・楠にライバル心を燃やし、でも能力の前の男女の体力の差にジレンマを抱えるチヅル。

そんな悩みを抱え言い合う三人を、半ば懐かしむように優しい言葉で見つめるユイ。教師として社会のルールを知らしめようと接する山本。野球部のマネージャーの座を勝ち取り、充実した日々を送っているリンカ(三浦理奈)が絡む。

 

焦点は男女差(と思春期←これは観てる側が感じること)。

 

もとが戯曲なので、舞台向きなんだろうけど、そうとも感じず映像作品として成り立ってたのは、女子高生の高2のリアリティがあったせいかもしれない。多分、女性なら、この年頃に一度は体感したことがあるはず。

しかし、ジェンダーフリーを唱え出したらどうしようと思ったけど(年頃的にはあり)、そこまでは強くなかった。視聴者に投げかける程度。

 

年齢を重ねればわかるし、理解していくことなのだけど、ジェンダーフリーなんてない。この性差で社会が成り立っている、生活が営まれている、人間として生きられている。(と私は思ってる。)

 

良かった。

やっぱり何にも毒されてない若い感性はいい。

 

★★★★

 

 

 

 

制作 レオーネ

配給 SPOTTED PRODUCTIONS

 

 

『お母さんが一緒』(2024)

原作はペヤンヌマキ主宰の演劇ユニット「ブス会」が上演した舞台演劇をもとにしたもの。とのこと。

 

監督 橋口亮輔

脚本 ペヤンヌマキ橋口亮輔

音楽 平井真美子(『白夜行』『過保護のカホコ』『ハケン占い師アタル』『35歳の少女』『家庭教師のトラコ』他)

 

江口のりこ、内田慈、古川琴音、青山フォール勝ち、他。

 

母親の誕生日に温泉旅行を企画した三姉妹。温泉宿でそれぞれのこれまでの思いが爆発、そればかりか母親自身が誕生日を祝う席を台無しにしてしまい…。

 

一重瞼にコンプレックスをかかえ、母親からも容姿を否定され、ブスのくくりで生きて来た長女弥生(江口のりこ)。だからこそ、他の事で母親に褒められよう、世間に社会に認められようと、勉学に励み社会に出てからも仕事を頑張ってるし、生活もきっちりしている。ただ、男に良い縁がなくアラフォーとなってしまった。自分基準ではあるが気配りも出来る弥生の母へのプレゼントは高級なストール。

杓子定規な弥生、その弥生に決して勉強で勝てないことがコンプレックス、でも容姿に恵まれた次女の愛美(内田慈)。子供の頃から歌が上手く、歌手になるのが夢だったことも。いつしかその美貌ゆえ男に頼りがちな女になり、その色香を最大限活かす。そんな恋愛を繰り返すも結婚まではいかない。気づけば35歳。今回の旅行準備を弥生から任され、つい、母へのプレゼントを忘れてしまってたが、そこは得意な歌をプレゼントしようということに。

愛美と同じく容姿に恵まれかわいく一番順当に生きて来た三女の清美(古川琴音)。東京へ出た姉たちとは逆に、地元で口うるさい母親と暮らしている。よくよく眺めてみれば姉たち、弥生は母親にそっくりな性格、愛美はその正反対、と母親の影響をモロ受けしている。清美が一番冷静にこの家族を見ている。30歳を目の前にしたそんな清美が母へのプレゼントに用意したのは、結婚の報告だった。

 

些細なこと、言葉尻だったり、まあ宿が気に入らないとかだったりから言い合いが始まるのだけど、だいたい弥生の愚痴。それが母親に起因するものばかりだから、応酬する愛美。母親の難点は重々承知ながら和を保とうとする清美。三姉妹、みんな母親にイチモツあるというわけだ。そこへ結婚相手のタカヒロ(青山フォール勝ち)が加わることで更に燃え、逆に鎮まり…を繰り返す。会話が人格にまで及びヒリヒリする分面白い。

人生を決めるのは環境であり自分自身というのは周知。結局、何を言っても10分後には別の話で盛り上がれる、血のつながりを感じられる、姉妹、家族の魅力が詰まってる作品だった。

それにしてもタカヒロの立場が情けないふうに見えて、女の中に投げ込まれた男の役割はしっかり果たしていたという、良いキャラだった。清美を愛し、大事に思ってるということだろう。

基本女の中に入ったら、男は耳を塞ぐのが得策笑。

 

タイトルの『お母さんが一緒』というのは、自分の中に母親がどうしたっていること、その母親のようにはなりたくない自分がいること、母親が同じでも三人三様、そして今現実、母親のために一緒にいること、が入ってるんじゃないかな。

 

★★★★

 

 

 

配給 クロックワークス

 

 

 

『スカジャン・カンフー』(2025)

 

監督・脚本 山田篤宏(『AWAKE』他)

 

喜矢武豊(きゃんゆたか)、伊澤彩織、内田慈、三元雅芸(みもとまさのり)、武田鉄矢、他。

 

カンフー映画を観てはその主人公の強さに憧れる石丸(喜矢武豊)。映画館のもぎりの女の子(伊澤彩織)に声もかけられないばかりか、街でチンピラ風の男らにしつこくされてるのを見かけても素通りしてしまう意気地なし。しかも「弱い人嫌い」と言われるしまつ。

仕事は古着屋のバイト。ある日、その古着屋をこのとこよく覗き見る壮年の一人の男(武田鉄矢)に、スカジャンを売りつけられる。店長(内田慈)には怪しいからかまうなときつく言われていたが、強くなれると仄めかされ、つい買ってしまう。店の金で。

さっそくスカジャンを着てみると身体能力が上がっており、もぎりの女の子に迫っていたチンピラたちに追われても対等に戦える強さが備わっていた。しかし多勢に無勢、やり込められてるところにもぎりの女の子が現れる。そういえば街角で見かけた時、一人でチンピラを倒していた…と、その女の子はとても強かった。けれど、さらに同じスカジャンを着たカンフーの達人…映画に出ていた男(三元雅芸)が現れ、石丸はこの男と勝負することに。映画と同じ場所で…。

 

映画の決め台詞「逃げた方がよかったんじゃねぇか」も使え、得意そうな石丸。もぎりの女の子に拳の傷を手当てされ満足げ…まぁ、ファンタジー+ラブコメかな。

15〜20分程度のショートムービー。

映画と現実がどうリンクしてるのかわからないけど、わからなくてもファンタジーと思えばどうでもいい。そもそもスカジャンを売りつけに来た男が謎だし。

 

映画をぼーっと観る喜矢武がジャンキーみたいで怖いww

 

女の子のアクションがやけに素晴らしいなと思ってたら、伊澤彩織で納得。かわいくてアクション出来る稀有な女優さん。もっと売れていい。

 

キャラとアクションで面白かった。

 

★★★(★)

 

 

 

 

『BEETLEJUICEビートルジュース』(2025)日生劇場

原作はティム・バートンの映画作品。2019年ブロードウェイ初演。2023年日本初演(同カンパニー)。

 

脚本:スコット・ブラウン&アンソニー・キング

作詞・作曲:エディ・パーフェク

 

演出:福田雄一

翻訳・訳詞:福田響志

振付:上島雪夫

 

ビートルジュース:ジェシー

アダム:勝地涼

バーバラ:愛加あゆ

リディア【ダブルキャスト】:清水美依紗(しみずみいしゃ)、山﨑玲奈

チャールズ:吉野圭吾

デリア:瀬奈じゅん

 

アンサンブル:可知寛子、小山侑紀、髙橋卓士、伯鞘麗名(はさやれな)、横山達夫、岡本卓也、坂元宏旬(さかもとひろみつ)、竹内真里、中嶋尚哉、堀江慎也

スウィング:上村理乃、米澤賢人




 

アダム(勝地涼)バーバラ(愛加あゆ)はとても仲の良い夫婦。古式豊かな洋館で、子供を望みながら実益を兼ねた趣味に明け暮れる日々。ところがあまりに古い家なので床が抜けて事故死してしまう。おまけに、その家には先住者がいて…それが悪魔のような幽霊ビートルジュース(ジェシー)

実はビートルジュースはもう長いこと一人ぼっちで、母親に愛されない過去を背負っており、人が恋しい。共に生きる人を追い求めていた。でも、幽霊同士ではどうにもならない。生きてる人間に「ビートルジュース」と3回唱えてもらうことによって、生きてる人の目に見える存在となり、結婚をすることによって再度人間としての生を受けられる。

アダムとバーバラは亡くなったことによって、ビートルジュースの姿が見えるようになった。つまり、成仏するための手続き(本来は死後の世界ネザーランドへ行くハンドブックを与えられ従うのだが、ビートルジュースのたくらみによって阻止される)をする前の、同じ幽霊になったのだった。

幽霊界と人間界とでは時間の流れが違う。たった数時間のことでも、人間界では数年もの月日が流れている。そう、ほどなくしてアダムたちの住まいに新しい居住者が引越してきた。最愛の母親を事故で亡くしたリディア(山﨑玲奈)とその父チャールズ(吉野圭吾)、そして新しく母親になるデリア(瀬名じゅん)の一家。年頃のリディアはまだ母親の死の悲しみから抜け出せてなく、デリアはもちろん、さっさと新しい生活を立てるチャールズのことも受け入れられずにいた。

お気に入りの家具が廃棄され家が様変わりしていくことに悲しみを抱くアダムとバーバラ…の存在など知る由もなく、調度品が次々と変わっていく。そこで、ビートルジュースとアダムたちはこの一家を驚かせて追い出そうと結託する。けれど、彼らには幽霊が見えない…と思ったら、なんとリディアにだけは見えていた!これはチャンスと呪文を唱えてもらおうとするビートルジュース、母親の思い出のつまる元の家に戻りたい、いやもしかしたら最愛の母親に会えるかもしれないと密かに期待するリディア。

リディアとビートルジュースの目的が一致し、協力し合う関係に。どうにか「ビートルジュース」を唱えてもらって、それぞれの目的と事情が交錯する大活劇が始まる…。

 




のっけからネタをかまして笑いを取る。

ああ、これが福田雄一演出だ、と思ったのは、そのネタ(おそらくアドリブ)群のしつこさ。長さ。どうして半分、もしくは1/3程度で切れないのか、そこが印象に残る最も効果的な間なのに…と毎度思わせられることを今回も思った。


福田雄一演出舞台ではミュージカル『プロデューサーズ』がお初。これは版権があるのかあまり福田色はなく、普通に面白いミュージカルだった。なぜ、この程度、いや、色を付けるならちょっとだけ過剰に、に抑えられないのか。

と、文句を言ってるようだけど、『ビートルジュース』面白かった。ジェシーの素晴らしさを観られたし、他のミュージカル畑の方々、それはアンサンブルに至るまで、安心感があって、本当に良かった。なんだかんだキャストの個性が浮き出る、そうさせる信頼関係が築かれてる福田組だから面白いのだろう。

 

仕掛けも『ハリー・ポッター』で見て驚いたような種がふんだんにあり、ワクワクした。アダムとバーバラの小ネタは日替わりだったようで、被りがないらしい。すごい。しかもそのネタは映画やミュージカル、舞台作品などのオマージュ(?)。そのへん造詣がないと半分も面白がれずに終わるかもしれない。粋だ。

 

母親の愛が欲しかったビートルジュースの悲しさ、孤独感も描かれて、リディアの思いとリンクさせてる。決してわがままでも利己的でもなく恐怖を抱くようなキャラクターでもないのは、そこかしこに散りばめられたギャグや小ネタ、ほとんどアドリブなんじゃないかと思うお笑い要素のおかげかもしれない。その効果は、ジェシーが普段滑りまくってるギャグがきっちり笑いに変えられていることに現れ、同時に、そのジェシーのすべり芸は舞台向きなんだなぁと思った。SixTONESでジェシーがダントツの歌唱力と思ってる私は、ジェシーにはぜひとも舞台、特にミュージカルを極めて欲しい。

 

 

観劇したのが東京千穐楽だったせいか、終演時間を20分ほどオーバーしたようで(アンコール含む)、得した気分になったけど、通常がどうであったのか、どこに差があったのか、福田雄一の一言がなかったらわからなかった。ということで、やはりネタ部分はアドリブですね笑。

 

この日、ダブルキャストのリディア役、山﨑玲奈がとても良かった。『ピーター・パン』で観ていたけれど、さらに腕が上がったよう。今後もとても期待できる。

 

 

(観劇日 20250528)

 

 

東京:日生劇場 0509~0528

大阪:新歌舞伎座 0604~0629

 

 

 

 

※以下、ふたつリンク切れでした。(アップ後気づきました。ふたつのポストの内容ですが、キャスト揃っての打ち上げの様子でした。頃合いを見て削除します。)

 

福田雄一公式Xより

 

確かにジェシー言ってた。打ち上げは帝国ホテルの屋上だってww

 

同じく福田雄一公式Xより追加ポストを共有

 

 そうだった、アンコールではアンサンブルの皆さんの自己紹介もあった。みんなで作り上げてる感が伝わってくる。おそらくこれが福田組の魅力。

 

アンサンブル可知寛子さんのポスト(オーケストラ)

 

可知さんは『プロデューサーズ』以来二度目。とても面白い。