『マッドマックス フュリオサ』(2024)
オーストラリア映画。
原題は『Furiosa: A Mad Max Saga』
監督 ジョージ・ミラー
脚本 ジョージ・ミラー、ニコ・ラサウリス
キャラクター創造 ジョージ・ミラー、バイロン・ケネディ
世界崩壊からほとんどが砂漠化し荒廃した世界の中で、動植物が実る「母なる緑の地」に生まれたフュリオサ(アニャ・テイラー=ジョイ/幼少期:アリーラ・ブラウン)は、ある日遊びに出た先でバイカー集団「バイカー・ボード」に連れ去られる。知らせを受けたフュリオサの母メリー(チャーリー・フレイザー)らがかけつけるも「バイカー・ボード」を統率するディメンタス(クリス・ヘムズワース)によって命を取られる。ディメンタスはこの世界で最も貴重なオイルと水を牛耳るイモータン・ジョー(ラッキー・ヒューム)の砦「シタデル」奪取を狙う。その過程でフュリオサはイモータンに捕らわれるも、ディメンタスへの復讐と母との必ず故郷へ帰るという約束を果たすべく力をつけていく…。
という、フュリオサの半生が五つの章に分けられ描かれる。そしてイモータンの統治下で大隊長フュリオサとなった前作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』へ続く…。
フュリオサが故郷に帰れなくなった理由、なぜ片腕がないのかも描かれるわけで、つまり、イモータン(ヒュー・キース・バーン)の元から逃走する元警官で囚われの身かつ輸血袋だった放浪者マックス(トム・ハーディ)と、反旗を翻すフュリオサ(シャーリーズ・セロン)ら女たちが「緑の地」(フュリオサの故郷)及び安住の地を目指す『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の前日譚、というかスピンオフ。
今回初めて4DXで観賞して、だからこそ楽しめた。
話は単純な復讐劇だし、アクション映画だし、それに伴う素晴らしいVFXやカメラワーク以外、見どころはどこかと言えば倫理観の崩壊したキャラクターを大いに含む世界観なわけで、感情を入れるとしたらフュリオサの強い意志にのみだろうから、それだけで2時間半は長い。全編ではないけど三面スクリーンは簡単に臨場感を得られるし、座席の振動上下左右への傾斜はもちろん、スモーク、飛沫(特に血飛沫はいい)、疾風などアトラクション要素がなければ寝たかもしれない…(^^;)
前作の方がドラマ性があった。ウォー・ボーイズも切なかったし、愛もあった。アクションもインパクトがあった。あれ、ほぼ実写とか、ほんと!?という驚きも。いや、そもそもアクションだけで言えば、『マッドマックス サンダー・ドーム』までは技術的に実写だろうから、その方がすごい。
ところで『マッドマックス』1作目は1979年で、それからずっと演者は変われどマックス(3作はメル・ギブソン)が警官だった、妻子を殺されたという設定は変わってない。けど、世界崩壊から45年というと、マックスは60歳をゆうに超えてる。それであの体力と生命力とは…。
ついでに、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015年)時点で少なくともフュリオサが攫われてから20年経ってる。世界大戦があったという設定が『マッドマックス2』(1981年)なのでまあ時間軸は合ってる。けど、核戦争があったたという設定が『マッドマックス サンダー・ドーム』(1985年)で、世界崩壊から45年というのは、2024年現在の勘定か? いや、そもそも1作目から近未来だったし、そんな細かいこと、というかリアル時間軸に照らし合わせるのは野暮ってもんか。マックスは永遠に生き続けるのだろう。
次作があるとしたら、生きる意味を求めて荒野をさまようマックスはどの地でどんな部族を前に戦うのか…またフュリオサに会えるだろうか…大作だなおい。
★★★★
フュリオサの子供時代を演ったアリーラ・ブラウンがとても可愛い。アニャ・テイラー=ジョイになってからもイメージ(特に目)は崩れることなく、魅力的だった。これがシャーリーズ・セロンになるわけか。
アニャ・テイラー=ジョイは『クイーンズ・ギャンビット』の子かとその成長に驚いた。いや、4年ほどしか経ってないならキャラクター作りがすごいのか。