不思議惑星キン・ザ・ザ | これ観た

これ観た

基本アマプラ、ネトフリから観た映画やドラマの感想。9割邦画。作品より役者寄り。なるべくネタバレ避。演者名は認識できる人のみ、制作側名は気になる時のみ記載。★は5段階評価。たまに書籍音楽役者舞台についても。

『不思議惑星キン・ザ・ザ』(1986/日本公開1991)

ソビエト連邦(グルジア)のディストピアSFコメディ映画。原題は『Кин-дза-дза!』=『kin-dza-dza!』

 

監督 ゲオルギー・ダネリヤ

脚本 ゲオルギー・ダネリヤラヴァズ・ガブリアゼ

 

妻に買い物を頼まれた技師のウラジミール(スタニスラ・リュブシン)は街に出たその先で、バイオリンを持つ学生ゲデバン(レバン・ガブリアゼ)に、モスクワのこの寒空に靴も履いてない自分は異星人だと言ってるホームレスの男がいると声をかけられる。男と話してみると星の番号がわからず空間移動装置が起動しない、自分の星へ帰りたいと逆に相談される。ウラジミールは信じず軽い気持ちでその装置を押す。次の瞬間、ウラジミールとゲデバンは見知らぬ土地…カラクム砂漠、のような場所にいた。

異星に来たとは信じてないウラジミールはとりあえずモスクワを目指し歩き出す。そこへ芸で身を立てる二人組の男ウエフ(エブゲーニー・レオノフ)ビー(ユーリー・ヤコブレフ)がぺぺラッツ(宇宙船)に乗って現れる。最初は言葉が通じなかったが、見てくれの割に思考を読める高知能異星人のようで、少しすると意思疎通が可能になる。

彼らによると、ここはチャトル人とパッツ人が生息するキン・ザ・ザ星雲にある惑星プリュクだと言う。元々はチャトル人の惑星で、階級があり、トップはPJ様(偽政者)、次に頭にライトを乗せてるエツィロップ(権力者と警察官)で、その下でチャトル人>パッツ人というふうに差別化(特定の挨拶が規定されている)されている。人種識別器によると地球人であるウラジミールとゲデバンはパッツ人だった。

普段の会話はテレパシーを使うので、言語は少ない。全ては「クー」と、罵倒語「キュー」で足りる。他に「チャトル」が通貨、「ツァーク」は下層民(ここではパッツ人)を表す鼻につける鈴、「エツィフ」が囚人を入れる箱、「ルツ」が燃料、「グラビツァーバ」がぺぺラッツを高速移動させる加速器、その加速器に必需品となるのがもう一つの通貨マッチで「カツェ」と言う。このカツェがクセモノで、カツェの所持者は黄色ステテコでチャトル人と同じ地位につけ、カツェの大口所持者は赤ステテコで一般チャトル人、エツィロップより上級身分となる。

喫煙者のウラジミールがマッチを持っていることを知った二人組はなるべく多くマッチを取ろうと画策する。グラビツァーバがあれば地球に帰れるとふんだウラジミールらは二人組と取引きを始める。しかし裏切られ…騙され…また裏切られ…それでも二人組との出会いを大切にしながら、地球への生還を目指す…。

 

物語の中で、プリュクの攻撃を受けて無人化したパッツ人の故郷ハヌード星も出る。ここではパッツ人とチャトル人との意識差が見える。そして地球へ帰ることを前向きに頑張っていたウラジミールが、この星と地球との間に、何人をもサボテンに変えてしまうアルファ星があること、そこだけは通れないとウエフらに言われ絶望するシーンも描かれる。いざアルファ星に行ってみれば、植物に変化させることに宗教的概念を感じる。

 

コメディの傾向から時代性も感じられるがしかしそれにしても、ロシアがソビエト連邦だった頃にこの作品、クリエイションは自由なのか!? というくらい面白かった。

階級制度が国政を諷喩しているとも取れるが、SFにはお馴染みの設定だ。

 

ラストの一コマも気が利いてる。

ただ、1章と2章立てになってて、未来に戻ったふうの1章の終わりが、過去へ戻ったラストと合わないのだが…? 別の時間軸かな。パラレルワールドかな?

 

どこの国の人であろうと人情はあるのだと希望が持てる作品だった(そこに宗教が関わると無理かも)。

 

★★★★(★)