Summer of 85 | これ観た

これ観た

基本アマプラ、ネトフリから観た映画やドラマの感想。9割邦画。作品より役者寄り。なるべくネタバレ避。演者名は認識できる人のみ、制作側名は気になる時のみ記載。★は5段階評価。たまに書籍音楽役者舞台についても。

『Summer of 85』(2020/日本公開2021)

原題は『Été 85』で、フランス・ベルギーの映画。

原作はエイダン・チェンバースの著書「おれの墓で踊れ」。

 

監督・脚本 フランソワ・オゾン

 

警察署で取り調べをされ、けれど事の詳細を言葉にできない。裁判で刑が軽くなるよう手を打つ社会福祉士に助言を受けてるところから物語は始まる。主人公は大きな罪を犯したらしい…。

 

1985年の夏、6週間前。

海辺の街に越してきた16歳のアレクシ、通称アレックス(フェリックス・ルフェーヴル)は、友達から借りたヨットでセーリング中転覆し、通りかかった18歳のダヴィド(バンジャマン・ヴォワザン)に助けられる。やたら人懐っこいダヴィドは、母ゴーマン夫人(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)とヨット関係の店をやっていて詳しかった。

びしょ濡れだし、ダヴィドはアレックスを強引に家へ連れ帰り、ゴーマン夫人に紹介し、着替えも軽食も用意する。そして友達になろうと言う。ゴーマン夫人もアレックスが気に入り、店でのバイトもOKする。助けられたことはありがたいが会ったばかりの馴れ馴れしさに尻込むアレックスだったが、有無を言わさない強さと次々に魅力的な提案をしてくるダヴィドにどんどん惹かれていく。やがて二人は結ばれ、ダヴィドが「どちらかが先に死んだら残された方は墓の上で踊る」という約束を取り付ける頃には、そんな死んでしまうような悲しいこと考えたくないと思うほどにアレックスはダヴィドに夢中になっていた。

ところがある日、ダヴィドはアレックスが知り合ったケイト(フィリッピーヌ・ヴェルジュ)という学生と一夜を共にする。過日にも街中で酔っ払っていた青年を介抱したことがあった。その日、帰宅が遅かった。疑惑を問いただすとダヴィドはもう飽きたから別れようと言い出す。ショックを受けて感情的になったアレックスは店の商品を薙ぎ倒し出て行く。そしてその日のニュースでアレックスはダヴィドが事故死したことを知る…。

 

最初、「死」について語っていたので、殺人かしらと思ったら違った。何もかも、事の詳細がアレックスの文章と共に(映画が進むにつれ)明らかになっていく手法。

ダヴィドの死があまりにショックで墓の上で踊ったこと、遺体安置所に入ってダヴィドにしがみついたこと、そんなことを冷静に説明できず半ば罪状などどうでもよくなっていたアレックスに、高校のルフェーヴル先生(メルヴィル・プポー)は文章にすることをすすめる。アレックスには文学の才があったから。物語はこの回想と現実と交錯して進む。

 

愛する人を死体でも一目会いたいと切なる思いをケイトに打ち明けるアレックス。その力になろうとするケイト。そして約束通り墓で踊るアレックス…ただ、アレックスの人生は続いており、新たな出逢いも見える。そのひとつ乗り越えた感が救いだし、これが「死」と「生」の違いなのだなと思った。

 

ダヴィドはかなり奔放で、喧嘩もしてくるし、ゴーマン夫人が心配するほどだったが、アレックスと出会って落ち着いたという。単に夢中になる対象が出来たということだけのようだ。父親は先に他界しており、ダヴィドが頼りのゴーマン夫人には、事故死の原因となったアレックスが許せない。まるで息子同等に可愛がっていたのに。なんともつらい。

 

起こった事故は悲しく、16歳の少年にはきつい出来事だったにしても、実際の罪は墓の損壊程度で良かったと思った。また、冒頭、16歳だからこその導入文と思えるのも良かった。16歳はまだ幼い。

 

なぜ墓の上で踊ってと言うのか、その意味がわからなかった。宗教的意味合いがあるのか、単なるこだわりなのか。ユダヤ教の墓は1年くらい墓石を立てないらしい。だから墓の上で踊ることは可能だ。

育まれた情緒など、文化がわからないけど、恋慕は理解出来るので、まあまあ良かった。

 

★★★★