月に1度のエッセイ講座。
私はワークショップの制作側として関わりつつ、参加者としてエッセイも書いています。
ワークショップで伝えていることを
自分で100%実践できているのか?という点については。
解説者がよいプレーヤーであるとは限らないように、
なかなか胸を張って「YES」と言いにくい現状ではありますが、
失敗を恐れず、
プレイヤーとしてもこだわっていきたいと思っています。
今月の課題は
マシュー・サイド
『失敗の科学』
いつもは、書評寄りに書くことが多いのですが、
冒頭、医療ミスの話が出てきたために、
もう、このテーマ以外、思い浮かびませんでした。
エッセイはここから
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義母が亡くなったのは、今からもう20年以上も前のこと。
54歳だった。
かなり太っていて腎臓が悪く、心臓も悪かった。
カテーテル手術を受け、経過は良好。
体重改善が長期課題として提示され
「散歩など積極的に身体を動かしてください」と言われた。
退院後、義母は毎日散歩を始めたが、
散歩中に苦しくなる、胸が痛いと医者に相談した。
医者は、体重のせいです、がんばってと義母を励ました。
義母は苦しさに耐えて散歩を続けた。
経過観察の検査の日。
付き添いに行っていた夫から
職場に突然の電話。
容態が急変したからすぐに病院に来て、と。
私が着いたときには、
もう手遅れの状態だった。
ベッドに横たわる義母の心臓が不自然に波打つ。
機械で動かしている状態。
機械を外すか否かの判断は、家族に委ねられたが、
外す以外の選択肢は、事実上なかった。
単なる検査のはずだったのに、なぜ?
家族が別室に呼ばれ、
2人の医師から説明を受けた。
「カテーテルの手術は、心臓の前側2本の血管に対して行われました。でも、実は、心臓の裏にも血管があったんですよ。その血管も詰まっていました。」
血管が1本詰まったまま運動を続けたせいで、病状が急激に悪化したとのことだった。
心臓の裏側に血管があることが新発見だった、というような医者の口ぶりを、私は今でも鮮明に覚えている。
医者でしょう?
心臓の裏に血管があるのは知っているでしょう?
見落としていたのは、「血管がある」ことではなく、「その血管が詰まっていた」ことでしょう?
そんな言葉をぐっと飲み込んで、
激昂する義父を、ただただなだめた。
そして、このレベルのミスは結構あるんだろうな、と肌で感じた。
なぜ、義母が「胸が痛い」と言ったときに、向き合ってくれなかったんだろう。
忙しかったから?
義母がちょっとめんどくさいタイプだったから?
あの担当医は、今ごろどうしているのだろうか。
術後の胸の痛みを訴える患者の声を、
ちゃんと聞いてくれているのだろうか。
私自身、とっさに失敗をごまかそうとしてしまうことは、正直ある。
でも、その度に、
「実は、心臓の裏にも血管があったんですよ」
という言葉を思い出す。
あんなカッコ悪いことは、
私は絶対したくない。
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