【今日の1冊】『中谷宇吉郎随筆集』 | ことのは徒然

ことのは徒然

日々の徒然に思いついたことを書き留めてます。

 今日ご紹介するのは

『中谷宇吉郎随筆集』

 

中谷宇吉郎は、大正から昭和前半に活躍した物理学者で、雪の結晶を研究し、人工雪の生成に成功した人。と同時に、随筆家としても知られています。

 

おっ?

大正から昭和に活躍した科学者で随筆家って、どっかで聞いた気が???

そうです。こちらでご紹介した寺田寅彦。彼は中谷宇吉郎の師匠です。東京帝国大学から、理化学研究所での研究生活で寺田寅彦に師事し、大きな影響を受けたと言われています。実際、今日ご紹介している随筆集の第Ⅲ章には、寺田寅彦先生との思い出を著した随筆が集められています。

 

科学者なので、科学や自然についての随筆が多いのは寺田寅彦と同じなんですが、雰囲気は全然違います。寺田寅彦の文章は科学者っぽい明快な感じなんですが、中谷宇吉郎の文章は、ゆったりした上品な語り口で、とても文学的に感じます。

 

随筆、随想、エッセイ……言い方がいろいろあるように、このジャンルは、実はとても分類が難しくて、例えば英語でEssayというと論文のことなんです。私は、ずっと随筆は文学的な文章のことだと思っていたので、大学生になって英語の論文のタイトルが「Essey of……」となってるのを見て、強烈なカルチャーショックみたいなのを受けました。実際、その流れで評論が「エッセイ」と呼ばれていることもあるんです。

 

つまり、日本でエッセイとか随筆とか呼ばれるものは、その幅がめちゃめちゃ広いんです。なので、国語の問題を作る場合、私は「評論的随筆」と「文学的随筆」に分けて考えます。明快なロジックをもって書かれているけど、かっちりした論説文とまではいかないのが「評論的随筆」、叙情的で雰囲気があるのが「文学的随筆」。

 

で、私の中では寺田寅彦はどっちかというと「評論的随筆」寄り、中谷宇吉郎は「文学的随筆」寄りというイメージ。異論はあるかもしれません。あくまで個人的なイメージということでご了承下さい。

 

なので、中谷宇吉郎の随筆は、表現を楽しむという面も多々あります。特に、日常のことを書いたものはその傾向が強くなりますね。印象深いのは、「おにぎりの味」とか「サラダの謎」などの食べ物のエッセイ。

 

「おにぎりの味」で出てくるのは、おこげの塩おにぎり。筆者が小さいころ朝ごはんを作っている台所に行くと作ってもらえたそうです。お釜の蓋を開けて炊きたてのご飯のおこげのところを握っもらう様子を読んでいると、ほんのり塩味と香ばしいおこげの香りが漂ってくるようで、思わず食べたくなってしまう。

取り立ててきらびやかな描写とか、盛り上げるような表現などはないのに、お釜の前に立って、おこげのおにぎりができるのをワクワクしながら待っている少年に、自分がなっているような気持ちになります。

 

「サラダの謎」は、筆者がイギリスに留学したときに下宿先で作ってもらったサラダの記憶から始まります。そこで作ってもらったサラダの味の秘密が、30年を経て明らかになるんですが、さてそれは何でしょう?

こちらも、なんかサラダの味が伝わってくるような気がするんです。この描写力の秘密、なんとか見つけ出したいですね。

 

ところで私、もともと中谷宇吉郎なんて知らなかったのに、なんでこの随筆集を買ったんだっけかなぁ、と思い出していたんですが、購入年を見たら2012年。中谷宇吉郎が亡くなったのが1962年なので、おそらく著作権切れを狙っていたんだと思います。結局、仕事には使えていませんが、出会えてよかったと思える著者の1人です。