くれなゐ | もとろーむの徒然歳時記

もとろーむの徒然歳時記

山が好き、花が好き、クラッシック音楽や絵画、演劇に歴史好き…気ままに書かせて頂いています。

 

 

この花の学名を

 

Carthamus tinctorius L.(カルサムス ティンクトリアス)、

 

分類はキク科アザミ亜科ベニバナ属と言います。

 

属名はアラビア語のQuartom(染める)または、

 

ヘブライ語のKartami(染める)からきたもので、

 

花からとれる顔料からつけられたものです。

 

種名のtinctoriusも(染料用の)という意味で、

 

古くから染料として用いられたものと分かります。

 

 

 

 

 

ベニバナが日本に入ったのは大変古く、

 

推古天皇の時代と言われていますから、

 

1400年以上前の

 

飛鳥時代の事になります。

 

 

日本でのベニバナの産地はおもに山形県です。

 

種子の胚芽に植物油脂が豊富なので、

 

ベニバナ油(Safflower Oil)を採るためや、

 

切り花として古くから栽培されています。

 

また、染料やルージュにも使われ、花に含まれる色素には、

 

黄色素のサフロールイエロー(safflor yellow)と

 

紅色素のカルタミン(carthamin)の2種類があり、

 

黄色がかった薄い赤色、朱華(はねず)や、

 

鮮明な赤色の紅(くれない)、

 

あざやかな赤みの橙色、黄丹(おうに)等の色が作られています。

 

さらに、生薬や、若い芽と葉は野菜として使われるそうです。

 

山形県の県花は、もちろんベニバナです。

 

 

 

 

万葉集の、巻十一 二六二四に

 

紅の 深染めの衣 色深く 染みにしかば 忘れかねつる

             

と言う歌があります。

 

紅(くれない)の染料が衣にしみ込んで

 

濃い色に染まるように、あなたのことが

 

私の心にもしみ込んでしまったせいか、忘れられないのです。

 

こんな恋の歌が万葉集に詠まれています。

 

 

 

 

 

「紅」は中国の呉の国から伝わった

 

「呉の藍」(くれのあい)の意味で、

 

今ではベニバナと呼ばれています。

 

ベニバナは葉に刺があり、花の形がアザミ亜科を裏付けるよう

 

そっくりです。

 

花は初夏に咲き、

 

鮮やかな黄色ですが、時間が経つにつれて朱色に変わります。

 

 

先に書いた通り、

 

この花が淡い黄色に、あるいは鮮やかな紅色の染料になり、

 

口紅などの化粧料にもなります。

 

漢方でも使われており、婦人病薬に利用されているようです。

 

紅花は早朝に収穫することが知られています。

 

これは

 

ベニバナ摘みでは、刺が皮膚を刺すので、

 

早朝、

 

朝露で、刺が柔らかくなっている間に摘むそうです。

 

また茎の末の方から咲き始めるものを摘み取る事から

 

「末摘花(すえつむばな)」

 

とも言われています。

 

 

 

 

 

 「末摘花」は源氏物語にも登場します。

 

夕顔を亡くした光源氏は、

 

常陸親王の娘を、

 

正妻である葵上の兄の頭中将(とうのちゅうじょう)と競います。

 

その争いに勝った、光源氏は

 

夜な夜な床に通い、逢瀬を繰り返します。

 

その後、はじめて朝になり姫の顔を見た時、

 

大変な醜女に驚き、彼女の「鼻が赤い」ことを、

 

紅いベニバナに掛けて、

 

末摘花とあだ名をつける話です。

 

その後、光源氏は若紫との間で

 

末摘花の醜い顔を思い出しては、赤鼻の絵を描いたり、

 

自分の鼻を赤く塗ったりして

 

末摘花をいじっています。

 

また、葵上(あおいのうえ)の段では、

 

亡くなった光源氏の正妻、葵上を弔う喪服に、

 

光源氏は、濃い灰色、鈍色(にびいろ)に

 

ベニバナで染めた単衣を重ねていました。

 

こうした喪服姿がきわめて艶である。とあります。

 

続ければ、

 

 見し人の 雨となりにし 雲井さへ いとど時雨に かき暮らすころ

 

「(妻が)雲となり雨となってしまった空までが、

 

ますます時雨で暗く泣き暮らしている今日この頃だ」だと、

 

さすがの光源氏も

 

意気消沈するいう場面が書かれています。 

 

 

 

 

 

芭蕉は奥の細道の、旅の途中に

 

山形県の尾花沢の地で、

 

「眉掃(まゆはき)を 俤(おもかげ)にして 紅の花」

 

と詠んでいます。

 

女性の化粧の紅になるというベニバナ、

 

この花の形は、女性が化粧に使う眉掃きに似ているではないか。

 

と詠んでいます。

 

 

 

 

 

このベニバナはエジプトが原産で、

 

シルクロードを経て中国から日本へ渡ってきたとされています。

 

古代エジプトのミイラにまとっている布が

 

ベニバナ染めだそうです。

 

日本でも

 

藤ノ木古墳から出土した絹製品が約一千点、

 

石棺内の水に浮いていたそうです。

 

ここでも二人の被葬者が誰なのかは話題の的ですが、

 

二人を覆っていた布は

 

ベニバナ染めだったと言われています。

 

 

 

 

 

万葉植物約160種のほとんどが、衣・食・住・医といった

 

実生活に即した植物です。

 

万葉人の繊細な感覚は、

 

それをふまえているのであってこそのもので、

 

後代の、いわゆる観賞的な感覚より、

 

ずっと深く生活に浸透しており、

 

日本人の生活と文化を豊かに支えてきた花たちです。

 

飛鳥、奈良、

 

そして国風文化栄える平安時代にも、

 

ベニバナは

 

万葉人にはかかせない花だったようです。