大寒桜 | もとろーむの徒然歳時記

もとろーむの徒然歳時記

山が好き、花が好き、クラッシック音楽や絵画、演劇に歴史好き…気ままに書かせて頂いています。

 

バラ科には木も草もあり、

 

バラやサクラに限らず、花が美しいものが多いです。

 

果実は多様で、サクランボはもちろん

 

リンゴやナシ、モモ、イチゴ、スモモ、ウメ、アンズ、プルーン、ビワ

 

などの多くの果物はバラ科の果実です。

 

 

自宅近くにある珍しいオオカンザクラです。

 

埼玉県の旧安行村(あんぎょうむら)を発祥とするサクラの品種で、

 

別名をアンギョウカンザクラともいい、

 

カンヒザクラとオオシマザクラもしくはヤマザクラとの

 

交雑種考えられています。

 

名前は、花がカンザクラに似ていて

 

そのカンザクラより大きく見栄えがするので、

 

オオカンザクラと呼んだのでしょうか。

 

しかしこの二つは全くの別種です。

 

埼玉県川口市安行にあったオオカンザクラの原木から

 

各地に広まった、

 

カンヒザクラ系の園芸品種で、かなり珍しい桜です。

 

 

落葉高木雌雄同株で

 

傘状の樹形となり、枝先は水平に伸びて波打ちます。

 

樹皮は黒みを帯びた紫褐色です。

 

葉は互生する単葉で、長さ6~12cmほど、

 

幅3~6cmの楕円形から楕円状倒卵形で、葉の先は尾状にとがり、

 

基部は円形となります。

 

葉のヘリはギザギザの単鋸歯(きょし)と重鋸歯がまざります。

 

葉の表面はやや光沢があり、裏面はやや白色を帯びます。

 

葉柄は長さ2cmほどで上端に蜜腺が2個あり、

 

紅紫色を帯びています。

 

 

 

花は、葉と茎を繋ぐ葉腋(ようえき)に散形花序に2~4個つき、

 

一重の薄紅色の5弁花で、3cmほどです。

 

花弁は広卵形から円形で先端に切れ込みがあります。

 

完全に開かないのが特徴で、


花の後には夏にかけて、小さな赤いサクランボができます。

 

 

オオカンザクラの開花時期は3中旬から下旬で、

 

カンザクラよりも1ヶ月ほど遅く、

 

ソメイヨシノよりも1~2週間ほど早く開花を迎えます。

 

オオカンザクラはバラ科サクラ属落葉広葉樹で学名

 

Cerasus (ケラスス・ラテン語で桜)× kanzakura 'oh-kanzakura'と言い、

 

英名ではOh kanzakura (Japanese flowering cherry)

 

と示種名には寒桜の和名が入ります。

 

桜は日本では固有種を含む10種の野生種を基本として、

 

変種を合わせると100種以上の自生種があるそうです

 

日本では古くからサクラの栽培が盛んで、

 

これらから育成された園芸品種は200種以上もあるそうです


(分類によっては600種以上ともいわれます。)

 

 

サクラの幹は、硬く湿気に強いため、

 

家具の材料や楽器などに使用され、

 

樹皮にツヤがあり美しいため、茶筒などの細工物や版木にも用いられます。

 

また、焼くと香りが良いため、

 

燻製のスモークチップとしても使われています。

 

私も桜のチップはよく使います。


 

サクラの花や葉は、「クマリン」という芳香成分を含み、

 

塩漬けにすることで独特の良い香りを放ちます。

 

桜葉漬け(桜の葉の塩漬け)は、

 

主にオオシマザクラの葉を用い、和菓子の材料として桜餅や、

 

乾燥させてお茶とブレンドさせて飲用されます。

 

桜漬けは、主に八重桜の花を用い、

 

お菓子のトッピングや、お祝いの席で桜湯などに使用されます。

 

 

 

歴史上、

 

いつ頃桜が日本に現れたか調べてみると、

 

日本最古の書物の古事記には

 

木花開耶姫(このはなのさくやひめ)が登場します。

 

木花(このはな)とは桜の花を意味します。


日本書記には

 

花ぐはし桜の愛でこと愛では 早くは愛でずわが愛づる子等

 

更には

 

春さらば 挿頭(かざし)にせむと 我が念(も)ひし 桜の花は 散りにけるかも

 

など美女を桜にたとえたことや、

 

桜花を髪の飾りに挿したことが判ります。

 

奈良時代では、花と言えば梅だったので、花見と言えばこの梅が対象でしたが

 

平安時代になると

 

万葉集には桜の歌が、43首詠まれており、

 

梅の118首には及ばないものの、桜の存在が徐々に浸透しています。

 

清和天皇の御代(みよ)になると、

 

紫宸殿(ししんでん)の左近の梅が桜に植え替えられ、

 

今日に至っていますし、

 

源氏物語の花宴(はなのえん)の書き出しにも、

 

紫宸殿の桜の宴があったと始まり

 

桜の美しさが称えられている記述があります。


嵯峨天皇の御代では、初めて桜花の宴が催され、

 

庶民の間でもお花見の風習が生まれます。

 

桜狩と称した風流の遊びの一つで

 

対象とされたのはヤマザクラ、ヒガンザクラ、ヤエザクラなどで

 

色々な新種も現れてたようです。

 

 

古への 奈良の都の 八重桜 けふ九重に 匂ひぬるかな

 

奈良の都にはヤエザクラが咲き誇っていたのでしょう。

 

鎌倉時代になると

 

徒然草の中に、松、桜を「家にありたき木」と称して

 

「花は一重なる、よし」と兼好法師は自分の好みを書き、

 

「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは」と言っています。

 

西行法師の

 

ねがわくは 花のもとにて 春死なん その如月の 望月のころ」、

 

平忠度(たいらのただのり)は

 

さざ波や 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな」、

 

源義家は

 

吹く風を 勿来(なこそ)の関と 思へども 道もせにちる 山桜かな

 

とそれぞれ有名な歌を詠んでいます。

 

戦国時代、豊臣秀吉が行った、醍醐の花見も有名ですし、

 

江戸時代になると

 

本居宣長は

 

敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花


と詠んでいます。

 

 

今日のように、分類学が進んでいなかった時代では、

 

桜は一括りに山桜とよばれていたように思います

 

その後

 

ソメイヨシノが明治初年に

 

東京駒込の染井にあった植木屋から売り出され全国に広がっていきます。

 

この桜の変遷には、興味深いものがあります。

 

 

話を戻してオオカンザクラ、

 

ほぼ満開の桜の土手は

 

左右幅18mの2列、1.2㎞に及び薄紅色の

 

花のトンネルが続きます。

 

青い空に薄紅色の花は見事で、圧倒されます。

 

ソメイヨシノとは違う美しさをもった

 

オオカンザクラ、一度見たら強く印象に残ります。

 

やはり桜は日本人の琴線にふれるものがあります。

 

去年に続き、今年も見ることが出来ました。

 

お弁当持参のお花見、

 

美しすぎるオオカンザクラに魅了された一日でした。