それは間違いない。
頭が悪い・・・・・のは、そうした勉強の全体像をつかめていないので、どうすればいいのかが皆目検討がつかなかったというのが正解だろう。
それが災いして今の仕事でも要領がつかめず苦労している。
思えば遥か上空から下を見下ろすが如きの視線こそがあらゆる事柄をスムーズに進める鍵なのだ。
そしてそれは勉強もだが、家族関係から、仕事や、社会との関係も同じである。
俯瞰(ふかん)の視線。
勉強嫌いの僕は、それすらが億劫で目を背けがちだったように思う。
どうでもよくなるのだ。
我が子、チーニーズはその最たる行動を現代っ子の甘えの象徴のように泣き叫んだりする。
中学3年生。
受験生。
冬休み。
こういった微妙な時期。
どうすればいいのか、そうされたら・・・・・・・こちらも困る。
かといって激しくなじっても相手の戦意を喪失するだけだから根気よく話を聞いて少しづつ解決していくしかない。
Z33よ、よく聞いておけよ。(偉そうだな俺・・・・許せ)
言葉の暴力と、実際の暴力の2連コンボは、全く逆の未来しかない。
その2者を行使するのは子供の為ではなく、自分の欲求でしかないのだ。
分かっている。
分かっているのだけれど・・・・・・・・
・・・・と、こういったやり方は子供を甘やかせているのだろうか?
一昔前なら問答無用でぶっ飛ばし、鉄拳制裁が常であった世の中であろうが・・・・・・・・
難しいところである。
ただ言える事は、
昔も今も子供は勉強が嫌いという事実だ。
(ん?語弊があるか?ま・・・・いいか)