● 少し筆が進まなくて…わたしは「何がしたいのか」、「いままで何をしてきたのか」を、棚卸ししようと思いました。
ひたすら生きていれば~La Esperanza-希望-~ 油絵 F10号
この絵は、好きな人に会えないまま迷妄の中にいて。
美術研究所の先生にも、「お前のは絵じゃない」と言われて絶望に陥ったころ。。。
「ひたすら生きていれば、おまえに会えるだろう。。。♪」という歌詞を耳にして、希望を見出し筆とり、すぐさま描き上げた作品でした。
尊敬する女性が、深い意図も知らぬ間に、この絵をみて涙してくださりました。
さて。
わたしの絵の中には何種類かあるのですが。
高校生の時までは「自分が見たくて、現実にはないもの」を描いていました。
いわゆる、SFとか、ファンタジーの絵でした。
M42~オリオン星雲~ ポスターカラー F6号
大学に入ると、人間関係に悩んで、人に明かせない心のうちを、それでも誰かにわかってもらいったくて。
暗喩で絵を描くようになりました。
Lilies for… 油絵 80号変形(ベニヤ板1枚、およそたたみ1枚サイズ)
療養生活にはいると、絵を描くための水彩スケッチをするようになり、それがのちにCGを習いたくて通ったパソコンスクールの先生に受け入れられ、「あなたには一番、このタイプの絵が向いている」と言っていただき、主軸をそれに移すようになります。
樹塊 水彩 およそB5判
しかしながら、学生時代に描いた「緑陰」と名付けた絵も捨てがたく、10年以上の歳月をかけて1枚の絵を題名とサイズを変えて描き続けました。
緑憩 油絵 M30号
その後、重症筋無力症という難病にかかって。
生死をさまようのですが。
無事社会復帰できてパソコンスクールに通い、パソコンを使ってCGを描くように。
晩秋~黒いドレス~ コンピュータグラフィックス
この頃、企画個展をしてくれる画廊を探して、ポートフォリオを持って大阪の画廊をいろいろ巡っておりました。
たまたま。グループ展に誘ってくださる「ギャラリーくるせ」という画廊があり、そこで参加したグループ展でご縁をいただき、神戸元町大丸百貨店の「カーポートギャラリー」という場所(今はもうないかも?)で、初個展が企画展覧会として叶いました。
その展覧会で、学生時代からの知り合いの画家の方が感想ノートに「デッサンが狂ってる」とあり、衝撃を受け。
早速、絵を習う場所を探して、まずは「人間が描きたい」、と、裸婦クロッキーを習えるところに通いました。
そこで、色を使ってよい回が、月に1度ほどあって、わたしは自分独自の自由な色彩を使う「水彩クロッキー」を始めることになります。
JAZZ MAN 2 水彩 八つ切りサイズ
でも、講師の先生には、この色彩は認められませんでした。。。
ピカソ展のチケットを渡され、「色彩心理学って知ってるか?赤は前に出る色、青は低い色。これ見て勉強してこい」と言われました。
しかし、わたしにはその展覧会をみてもなにもわかりませんでした。
「自由な色彩を使うこと」がなぜ悪いのか、理解できなかったのです。。。
その頃、大阪の画廊(シティギャラリー)で、誘われてよくグループ展に出品していました。
そこに出した絵が、ネットで主催者に声を掛けられてその公募に出品し、グランプリをいただくことになります。
ひとり 水彩画 およそ八つ切りサイズ
また、少し前後して、同じ大学の絵画部出身に嶋本昭三氏という、世界4大アーティストと言われる方がいて、その方にお会いして個展の場所を提供していただいたり、ベネチアビエンナーレの周辺で行われるAU展(ベネチアビエンナーレに嶋本昭三氏が招待されていたため、弟子も誘っていただけたわけです)に初の海外に出品が叶いました。。。
ところで、このクロッキーの先生に、あまりに批判されるため、ここで習うのを諦めて、公立の、美術研究所でデッサンを習うことにしました。
しかし、運命のいたずらか、その先生はそこにも所長としていらっしゃりました(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)。。。
初めてのデッサン定期テストで、「お前はクセが付きすぎてるから、ここをやめろ」とか、いろいろ泣かされましたが^^;
めげずに毎日のように朝から夕方終わりギリギリ時間まで熱心に描いてましたら、いつのまにか「お前の色使いは面白いなあ」と、有名新進画家に色使いが似てる、とまで言ってもらえるようになりました。。。
しかしその頃。
会えない好きな人ができて、夜通し詩を朝まで書き続ける日々が続き、その先生に「お前は絵と詩と、どちらがしたいんや」と言われて、思わず「詩です」と、答えてしまったわたし^^;;;
詩を書いていた場所でもいじめにあい、生活も心もボロボロになり。。
それでも、出版社の方と知り合って、本の表紙絵をさせていただくことになって、初出版を叶えはしていました。
それも、1度は断念しかけたのですが、なんとか持ち直してやり切りました。。。
その後、研究所を自力で続けるためにバイトをはじめ、いつしか、目的が逆転して研究所に通えなくなり。
そんな中でも、東京での個展やグループ展。小冊子での画集や詩画集をつくっていただいてはいました。
いまではこの3冊の小冊子は絶版です。。(当時のペンネームは「水延yuriko(みずのゆりこ)」と言います)
もう1つのバイトと掛け持ちしてて、体調と持病がどんどん悪化してしまい、働くのを断念。
研究所も休んでばかりで、「通うのが、無駄」と思われ、結局3年半で退所することになりました。。。。
その直前の研究所展に出した絵が、「お前のは、絵じゃない」と言われてしまったのも、あります。。。
こころも、体も、もうぼろぼろでした。。。
そんな時、冒頭の曲による絵ができあがりました。。。
2ちゃんねるに貼られたブログもやめ、ここアメブロをはじめて。
パワーブロガーのビックウエーブに載ったのも、2009年のことでした。
はじめての「額に飾れるアートフリーペーパー(現題・額に飾れるアートポストカード集)」を作ったのも、この頃。
出したい、と公言すると、アート企画、ヒーリング団体、出版社、と3社のスポンサーまでつき、13名という大所帯で1000部発行、全国に配布協力者を得て配布、が叶いました。。
しかしここでも恋につまづき、心身を壊して入院。
大きなブランクを作りました。。。
退院してからは、ぼちぼちと、その前にご縁をいただいた東京のギャラリー(ドラードギャラリー)にグループ展に参加させていただいて。
なんとか、国際文化芸術連盟のメンバーに迎えていただき。
その後、日仏国際美術作家協会(サロン・ブラン)の公募にチャレンジして、会員推挙までしていただいて。
何冊か本の表紙絵を依頼され。
自分自身の詩画集を、出版叶えて。
順調に見えたけど、また失恋して詩をたくさん書いて。
ぼちぼちと、絵を書き。
時には、インスピレーションを受けて制作もし。
大阪での久しぶりの個展をし。
お世話になってる東京のドラードギャラリーの企画で、アンソロジー画集にも2回、参加。
NYのアートフェアにも、参加。
一念発起して、日本人アーティストの国際進出を叶える団体、JCATに参加。
NYでのグループ展に参加。
でも、成果が出なくて。
「もう、海外はいいや。。」と、思ってしまうように。。
そんなのち、詩を音声化してくれるというサイト「ライトーン」に参加。
運よく早々に「透き通った悲しみと笑み」が音声化され、長くランキング入りし、たくさんのかたに音声化いただき。
文学フリマにも参加を試みました。
しかし、また恋をして、なにも手につかなくなってしまい。。。
それでも、Amazonオーディブルでの、詩画集の音声化を叶えてもらい。
2020年、10月に、100日天使画チャレンジと、100日半抽象画チャレンジを始めて。
半抽象画は、東京で行われた胎動2020に参加して帰宅後描くのが間に合わず、いつのまにか断念。
しかし、100日天使画チャレンジは、2021年2月2日に無事満了しました(*´▽`*)♪
そういったことをしていますと、ドラードギャラリーの展覧会で、京都の文化博物館で行われた「第2回ドラード文化祭」に出品した作品をみた、と、海外出品と出版の企画にお声かけいただいて。
今は、その出品と出版のための絵を描いています。。。
ここまでが、大体のわたしの絵画人生の棚卸しでした。。。
なんだか、いろいろあったなあ。。。。という、感じですねw
さて、また元気に絵が描けますように^^*
ここまで読んでくださりありがとうございます!
画家で詩人
ゆり呼こと渡邉裕美拝
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画家で詩人
ゆり呼こと渡邉裕美拝
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*★泥の中で咲くスイレンのように【CG*傷ついた天使*ゆり呼の絵
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ゆり呼の絵画作品を一覧にして動画にまとめました♪ どうぞご覧ください(*´▽`*)
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