1976年10月25日
 セカンド・アルバム みんな去ってしまった をリリース。
 
 このアルバムは 「流浪」 「」 がテーマになっている。また、このアルバムのライナーノーツによると、収録曲の殆どがデビュー以前に作られた曲である。曲順と作られた日付を挙げてみると、次のようになっている。

 ① 雨が空を捨てる日は ('76.5月)
 ② 彼女の生き方 ('74.8月)
 ③ トラックに乗せて ('75.7月)
 ④ 流浪の詩 ('74.6月)
 ⑤ 真直な線 ('72.2月)
 ⑥ 五才の頃 ('76.6月)
 ⑦ 冬を待つ季節 ('75.8月)
 ⑧ 夜風の中から ('75.9月)
 ⑨ 03時 ('75.4月)
 ⑩ うそつきが好きよ ('76.3月)
 ⑪ 妬いてる訳じゃないけれど ('73.10月)
 ⑫ 忘れられるものならば ('76.3月)
 
 そして、下記のようなことを彼女はしたためている。
 
 「このあとのステージで、必ずこのLPの中か歌うことの約束はできません。その時の儘の私に最も近い歌をうたうしか。
 けれど、どうも私はあまり進歩しないということなのか、何年も前に書いた歌とそっくり同じ轍を踏んで、再び身に沁みて歌い返すことなど頻繁なので、新しい歌が最新の心境だとも、約束しかねるのです。
こんど逢うときは、私はどんな歌を歌うことやら…。」

 彼女は、自分の心境に一番近い歌一曲一曲に感情を移入して歌い上げるタイプである。しかし彼女のそのような気持ちに反して、プロデュースする側からすると 「売れる曲」 を書いて欲しい、というような要求があった筈である。
 当時の彼女は、そのようなところで、意見がぶつかることもあったようである。

 かつて、中島みゆきのスタッフであった人が次のようなことを語ったことがあるそうである。
 「彼女には、間違いは許せない。タテマエを拒否する人間なんじゃないかな。その彼女が、いい加減なこの芸能界の体質の中で、本当によく生き抜いて来たと思いますよ。昔ね、彼女は、何のためか、ギターケースの中に山刀みたいなものを入れていたけど、今も入れているのかな? 二年間付き合ったけれど、彼女の本当の気持ちは、僕には分からなかったな」

 また、彼女はライナーノーツの最後にはこのようなことを書いている。

 「またこんどLPの制作の機会がもしあったら、ぼちぼち録ってもらいます。」

 「もし」 という言葉を使うくらい、彼女はこの時期、今後の自分や歌への思いに対して悩んでいたのかもしれない。
 人は心迷う時に、ふと旅に出て答えを見つけ出そうとすることがある。
 彼女のその時の心境が、このアルバムに詰め込まれているようである。

 オリコン最高位 23位



 1976年7月25日 夜風の中から リリース。
 
 この曲のジャケットには池田尊彦氏撮影の写真が使用されている。


 月夜を思わせるブルー一色のなかに佇む中島みゆき。その表情には、まだ少女のようなあどけなさが残っている。

 この頃の中島みゆきの歌は 「」 「」 「さすらい」 というのがキーワードになっている。

 夜風の中から は、主人公が 「おいら(男)」 であり、夜の裏街の雰囲気が漂っている。

 1970年代の日本の都市と地方の格差と四畳半フォーク的な恋愛ストーリーを感じる。

 地方から都会に出てきた男が、ある日、夜の世界の華やかな女と出逢う。

 二人は恋に落ち、女は夜の世界から足を洗い男と一緒になるつもりでいたが、結局、夜の世界の複雑な人間関係から逃げ出すことができずに、引き戻されてしまう。
 純粋な彼を巻き込まないためにも、彼女はワザと彼に辛辣な言葉を浴びせて一方的な別れを告げ部屋を出て行ってしまう。
 その理由を知る由もない彼は、彼女の辛辣な言葉に傷つき恨み、彼女のことを忘れようとするが、やはり忘れることができず、一人静かになる夜になると、彼女のことだけを思ってしまう…。

 この曲を聴くと、そのような人間模様が目に浮かぶのである。

 カップリング曲の 忘れられるものならば はカントリー調の曲で、バックに流れる口笛の音色が哀愁を漂わせ、つい一人旅にいざなわれてしまいそうになる曲である。


 夜風の中から の主人公が傷ついた心を癒すために旅に出た歌が 忘れられるものならば なのではないかと思うくらい、 このシングルは一つの物語ができている。

 オリコン最高位 151位




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中島みゆき と 研ナオコ

この二人が出会うことがなければ、お互い今の二人はいなかったかもしれない。と、思ってしまう。


研ナオコ中島みゆきの歌を歌っていなかったら、歌手としての研ナオコはいなかったかもしれない。

中島みゆき研ナオコに曲を提供していなかったら、直ぐにはその才能を認められなかったかもしれない。


偶然中島みゆきの歌を機内で聴き

「この人の作った歌を歌いたい」

と思った研ナオコ

研ナオコのことを

「人をあれだけ笑わすことが出来る人だから、きっと感動させて泣かすことも出来るはず」

と見抜いた中島みゆき

とても不思議な因果関係を感じてしまう。


今まで沢山の歌手に歌を提供してきた中島みゆきであるが、歌唱力・声質・表現など見ていると、やはり中島みゆきの歌を歌う歌手で研ナオコの右に出る者はいないのではないか、と思う。


最近は喉の調子が悪いのか、歌手としての活動はあまりしていないようだが、また是非、中島みゆきからの提供曲を歌って欲しいと思う。



プロフィール

本名:野口なを子

1953年7月7日 静岡県伊豆市出身。

タレント・歌手であり2児を持つ主婦でもある。

身長162センチ、体重51.5キロ。血液型A型。

デビュー曲は『大都会のやさぐれ女』。


芸名の苗字の「研」は、芸能プロダクション「研音」の「研」から採ったもので、名づけ親は研音創業者の野崎俊夫。


73年、愛川欽也とミノルタカメラのCM「美人しか撮らない」で共演した。

ドラマ「時間ですよ」「ありがとう」

バラエティー「カックラキン大放送!!」などで活躍。

本業の歌では「愚図」「あばよ」「かもめはかもめ」「夏をあきらめて」などがヒット。

87年にテレビ制作会社勤務の野口典夫さんと再婚。

01年、「24時間テレビ」のチャリティーマラソンで85キロを完走。