研ナオコ と言えば、昔も今もやはりバラエティー番組には欠かせない人であろう。
 1953年生まれだから、中島みゆきの1才年下ということになる。

 しかしデビューはみゆきよりも4年早い1971年である。

 デビューしてからは、ドラマや映画に出演し活躍していた。

 特に1973年にはミノルタカメラ」のCMに出演し、共演した愛川欽也がカメラで研ナオコを写そうとするが 「美人しか撮らない」 と言いながらカメラを研ナオコから逸らすというCMが好評を博す。

 研ナオコは当時としては珍しいほどの明るいキャラクターが認められて "1973年テレビ大賞新人賞" に選ばれている。

 歌手デビューではあるが、バラエティのイメージが強く、初期の頃は、歌手としてはヒットに恵まれていなかった。
 しかし、1975年 「この歌がヒットしなかったら歌手を辞めよう」 という覚悟で 愚図 【詞・阿木燿子 曲・宇崎竜童】 に挑んだ。今までの研ナオコのイメージを払拭するほど、友情のために自分の恋を捨てる哀しい女心を歌い上げ、デビュー曲から9作目にして漸くヒットに恵まれた。(オリコン最高位 9位
 
 初のヒットに恵まれた丁度その頃、仕事のために飛行機に乗り込んだ研は機内放送のラジオに耳を傾けていた。

 流れてきたいくつかの曲の中から、ふと研の中で心動かされる曲があった。
 「あぁ…。いい曲だな。私もこういう歌を歌いたいなぁ。この曲は誰の曲だろう」


 早速、調べてみたら、デビュー間もない 「中島みゆき」 というシンガーソングライターの アザミ嬢のララバイ だったそうである。
 これがきっかけとなり、研は中島みゆきに作詞作曲の依頼をしたらしい。

 みゆきが こんばんわ をリリースした3ヶ月後の1976年6月25日、アルバム泣き笑いをリリース。

 このアルバムのside:Aの6曲をみゆきが提供している。



(研ナオコ「泣き笑い」提供曲)

① 強がりはよせよ

② 明日 靴がかわいたら

③ 雨が空を捨てる日は

④ LA-LA-LA

⑤ わすれ鳥のうた

⑥ あばよ


 アルバム泣き笑い発売と同日に LA-LA-LA をシングルとしてリリース。


 この曲は軽快なリズムの曲で、男に見切りをつけた女という歌詞の中の主人公と、研ナオコの明るいイメージも相俟って オリコン最高位 12位 とヒットしたが、みゆきは研について次のように語っている。

 「あれだけ人を笑わせることができる人なのだから、きっと人を感動させて泣かすこともできるはず

 このことは、みゆきの 人に対する洞察力の鋭さ を物語っている。

 その言葉を意味するような曲を、みゆきは研に提供している。

 それは、アルバム泣き笑からシングルカットされ1976年10月10日にリリースの あばよ である。 

 あばよ は、前作の LA-LA-LA とは曲調も歌詞の内容も全く違う。

 あばよ では、自分を避けるようになってしまった恋人に対して、自分から明るく粋に別れを告げる。

 しかし、人前で見せるその明るさとは裏腹に、本当は別れたくない哀しみで深く傷ついた自分の恋心に、誰にも気付かれないように、「泣かないで 泣かないで あたしの恋心 あの人は あの人は おまえに似合わない」 と言い聞かせ、自分自身から諦めさせようとする切なさを、研は見事に歌い上げている。

 みゆきの 「あれだけ人を笑わせることができる人なのだから、きっと人を感動させて泣かすこともできるはず」 という言葉通り、あばよ は大ヒットし、オリコンチャート第1位に輝いた。

 この年、研はNHK紅白歌合戦に初出場。

 日本歌謡大賞で放送音楽賞を受賞。FNS歌謡祭で優秀歌唱賞を受賞している。 



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1976年4月10日からTBSラジオ ヤマハ・フォークイン~私の声が聞こえますか でレギュラーDJを1年間務めている。
 
 1976年4月25日 ファーストアルバム 私の声が聞こえますか をリリース。

 LPレコードの歌詞カードの冒頭に 「速達」 というタイトルで彼女からのメッセージが書かれている。
 その一部には 

「私は自分の声を聞きたくてならないのです。自分が生きているのかどうかを確かめなければ、恐くてしかたがないのです。だから、絵かきがそれを絵で表すように、物書きがそれを文で表わすように、私は今、私の声を、詞に、曲に、歌にして、果てしのないあなたへ向けて、投げ上げます」
とある。
 歌に対する彼女の真っ直ぐな気持ちがとてもよく表れている。
 歌詞の方も、まだ表現力が初々しく、これからの彼女の方向性を示しているようである。
 
 ただ、この時のレコーディングのことを回想して彼女は次のように語っている。
 「“他にも曲ない” と言われて出したデモテープの曲がね、私の知らないうちにアレンジされて、レコーディングスタジオに行ったら、既に、あとはカラオケに合わせて歌うだけのところまで進んでた」 
 
そこで 「レコーディングってこんなもの?」 とかなり拍子抜けしたらしく、自分の声と曲のキーも合わなくてかなり苦労したらしい。 


 自分の曲には、自分自身の気持ちが入っているのだから、自分の意見が言えずにイメージと違う編曲になっていたのは残念に思ったことだろう。
 「でも、これをよい意味で解釈すれば、ここで意外なアレンジをしてもらって、自分の音楽の世界が広がったかもしれないです」 とも話している。

 確かにこのアルバムは、当時の他のポピュラーソングに比べたら、フォーク調の編曲でサウンド的に弱い感じがする。会社側としては、フォーク歌手の路線で売り出したかったのかもしれない。

 しかし、曲のひとつひとつが、アコースティック調であったり、カントリーロック調であったり、ブルース調であったり…とバラエティに富んでいる。
 「こういう曲調で解釈する方法もあったのか」 と思えば、確かに彼女の 「音楽の世界」 を刺激的に広げてくれた作品となったであろう。
 シングルで発売された 「アザミ嬢のララバイ」 「時代」 もアルバムバージョンに編曲されていて、特に 時代 は、アコースティックギター中心の仕上がりとなっている。しっとりとしたアコースティックギターにのせて、みゆきの透き通る歌い方で美しい仕上がりとなっている。

 このアルバムは 「オリコン最高位 10位」 となっているが、それはまだまだ後の話で、実は発売当初は 「オリコン最高位 22位」 を記録した後、一度100位圏外に消えている。

① あぶな坂
② あたしのやさしい人
③ 信じられない頃に
④ ボギーボビーの赤いバラ
⑤ 海よ
⑥ アザミ嬢のララバイ
⑦ 踊り明かそう
⑧ ひとり遊び
⑨ 悲しいことはいつもある
⑩ 歌をあなたに
⑪ 渚便り
⑫ 時代






 時代 でグランプリを獲ったあと、彼女は 世界歌謡祭グランプリ歌手 として色々なところで歌っている。

テレビ番組やコンテストのゲスト、更にデパートの屋上のイベントなどでも歌っていたらしい。

 「この頃って、言ってみればクラリオン・ガールみたいなもので、ポプコン関係のイベントとか、歌謡祭関係とか、そういう所でよく “時代” を歌いましたね。
 でも、賞を貰うまではライブハウスで色々な曲を歌っていたのに、賞を獲ったら、みんな “時代” だけを歌って欲しいわけでしょ。 “他の曲も歌わせろよ~っ!” ってのは少しはありました (笑) 」 
 と彼女はその当時を語っている。

 そんな思いの中、1976年3月25日 こんばんわ をリリース。
 この曲は、前作 時代 とは180度方向転換したような曲で、寂しげなバイオリンの旋律をバックに 「忘れていたのよ あんたのことなんて いつまでも 忘れてるつもりだったのに…」 という台詞で始まる。

 どちらかというとカップリング曲の 強い風はいつも の方がカントリーフォーク調の曲で 時代 的な曲となっている。


 時代 の後のシングルとしては 強い風はいつも の方をA面としたほうが売れたと思うのだが、しかし、敢えてA面を こんばんわ にすることで、彼女は 世界歌謡祭グランプリ歌手 という肩書きから脱却したかったのだと思う。
 レコードジャケットはデビュー曲の時と同様に、中地智のイラストを使用している。


 オリコン最高位 113位





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