こんにちは。幸せを運ぶ語りびと 中村美幸です。ご訪問下さり、ありがとうございます。
このブログでは、小児がんを患った長男(渓太郎)との闘病、別れを通して知った「幸せ」や「愛」、「命」「生きること」について綴らせていただいています。
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現在こちらのブログにて、著書『その心をいじめないで』の内容を無料公開させていただいております。(ページ順は不同となります)
そのような決断をさせていただいた経緯は、コチラ⇓よりご覧ください。
【コロナウイルスが蔓延していても、いなかったとしても天使の声は変わらないから…】
小さな幸せ……数えられますか? ――闘病生活③
(闘病生活②はこちらより)
入院当日、最初の訪問者がゆっくりとドアを開けて入って来た。若い女性医師を伴った腫瘍科部長の石井栄三郎先生だ。
「中村さん、主治医の先生を紹介します。渓太郎くんの治療を主にやってもらいます」
「これから渓太郎くんの主治医をさせていただきます。よろしくお願いします」
まだ二十代後半と思われる小林悟子先生が、緊張気味に深々と頭を下げた。
これからお世話になるのは渓太郎の方なのに……気持ちの上で、これ以上ないほどの挨拶を返した。
翌日、早速CTとMRI(磁気共鳴画像診断装置)の検査。睡眠薬によって渓太郎は無抵抗で、検査を無事終えた。
次の日、検査結果を聞くため夫と一緒に面談室に向かった。
総合病院での検査から、まだ一週間とは経っていないことから私は、今後の治療手順について簡単な打ち合わせでもするような、軽い気持ちでいた。
(もう結果はわかっている。『腎芽細胞腫』という『死なないがん』でしょ。手術で右側の腎臓を取って、後は抗がん剤治療でしたよね)
互いにテーブルを挟んで座り、向かいには昨日挨拶に来てくれた石井、小林の両医師。だが、堅苦しい雰囲気に嫌な予感がした。
おもむろに口を開いた石井先生は、当たってほしくなかった予感を冷静に的中させた。
「昨日の検査の結果ですが、リンパへの転移が認められました」
(転移⁉……そんな!)
これまで、いくら受け入れがたい診断でも、なんとか胸の内に収容してきた。だけど、今回だけは素早く鎧をまとった体が、その言葉の侵入を許さない。高ければ高い所から落下するボールは、より強く跳ね返すように、「ワーッ」と悲しみを伴った激情に駆られた。
「先生!総合病院では、転移はないと言っていました。転移がないから治るだろうって……」
医師の診断を覆そうとしたが、最後まで続かない。
「この病院に来る間に転移した可能性が高いです。これほど短期間で転してしまうということは、とても進行が速いということです」
(……そんな。たった五日間だけなのに……信じられない!)
これまでぎりぎりのところで気持ちを保っていられたのは「死なないがん」という〝蜘蛛の糸〟を、必死に掴んでいたからだ。
「先生、転移していても治るんですよね!」
だから……これは質問ではない。限界の淵に立たされた母親の叫びなのだ。だから……(『はい』と言ってください)。
「はっきりしたことは言えませんが『腎芽細胞腫』であれば治りやすい病気です。ただ、転移があることを考えると、そこまで安心はしていられないと思います。まずは腎臓の摘出手術を行って、はっきりとした病名がわかるのを待ちましょう」
石井先生は、私のような母親をどれだけ見てきたのだろうか。「はい」に近いニュアンスを残すことで、一縷の望みをつなぐ糸を断ち切るようなことはしなかった。「生きられる」保証を奪われたことで、私の「敵意」は初めて「がん細胞」に向いた。気持ちは、そのミクロの相手への憎悪でいっぱいになった。
渓太郎の体内から「がん細胞」を引きずり出して、赤い塊になったそいつらをぐちゃぐちゃに踏みつぶしてやる――。
秒速で何度も繰り返した妄想だが、苛立つ心を刺激するばかりで、最後には私が疲れ果てるだけだった。
〈「闘病生活」③の続きは、次回へ〉
次回は【闘病生活③】の続きをお届けしたいと思います。
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