見よう見まねのブログ

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CameraやPCなど、見よう見まねの悪戦苦闘

■はじめに

今回はTanack IIISaとIIISです。IIISaは少数なので多分試作機。IIISが市販機で1954年発売です。

然し、ベストセラーのIVSが翌1955年に発売され、短命に終わりました。

IIISa, IIIS以降、型名がトップカバーに刻印されています。IIC(IIIC)、IIF(IIIF)は型名表示無し。

 

■調査結果のまとめ(41台確認)

合計約1,000台製造。

 

■Tanack IIISa

型名はIIISaですが、仕様面ではIIF(IIIF)と同じです。

(1)シャッターは低速(T,1,2,4,8,20)、高速(B,30,40,60,100,200,500)。

(2)シンクロはFPのみ。

製造番号は2件のみ確認。B#67947, 68010。

 

■Tanack IIIS

(1)シャッター系列が変更され、低速(T,1,2,4,8,25)、高速(B,50,75,100,200,500)。

(2)シンクロはFPとX

(3)裏蓋開閉マークの一部に"MADE IN JAPAN"表示あり、輸出用と思われる。IIISから輸出開始?

製造番号は、B#67999〜68919。約1,000台製造。

 

1954年12月の広告によると、IIIS 50/2.8付き31,700円、50/3.5付き29,100円。

IIIF(50/2.8) 29,800円、IIIC(50/3.5) 27,200円から1,900円値上げ。

 

■標準レンズ

50/3.5は固定鏡筒。L#29,xxx〜30,xxx。

50/2.8も固定鏡筒。L#87,xxx〜88,xxx。

 

■取説、外箱

今回確認できず。

 

■最後に

Tanack IIISa, IIISはシリーズの中で中途半端な位置づけですね。

マイナーチェンジ版で、製造台数も約1,000台と少なく、IVS登場までのショートリリーフに過ぎません。

 

少しだけ変化を見せて交代の

 

■はじめに

今回は田中光学のLeica型カメラ、Tanackです。

自社製Tanarレンズを搭載し、協業他社より安価なLeica型カメラを製造、販売。

NiccaとMelconは日本光学Nikor、Leotaxは東京光学Simlar/Topcor、Honorは小西六Xesar/Xesanon、等々。

 

■田中光学

2025-12-14付けブログで、熊谷源二氏設立の光学精機を紹介しました。

 

この光学精機出身の技術者が開発したのが田中光学のTanackです。

田中光学は従来シネレンズを製造しており、Tanackにも自社製Tanarレンズを標準装備。

また、L39以外に、Nikon SやContaxマウントレンズも製造、販売しています。

 

■ボディ調査結果のまとめ(84台確認)

合計約2,500台が製造。IIとIIIはレンズが50mm F3.5か50mm F2.8の違いで、本体は同じ。

 

■仕様

C型は低速シッターが無い。F型は低速シャッター付き。シンクロは1接点、FPのみ。

高速(B,30,40,60,100,200,500)、低速(T,1,2,4,8,20)の系列。

裏蓋は左右に開閉し、フィルム装着が容易。接眼部は近接。

 

裏蓋開閉キーはアルファベットの"S(Shut)"と"O(Open)"。

Tanack IIC, IIIC(1953年発売)。低速が無い。ファインダー形状が、段付きから円弧に変化。

Tanack IIF, IIIF(1954年発売)。低速付き。ファインダー形状が前期と後期で異なる。

 

IIC(IIIC)、IIF(IIIF)とも型名表示は無く、Tanackのみ。違いは低速シャッターの有無。

ファイダー形状が、前期(B#27819〜29252、#54001〜54126)は段付き、後期(B#54,183〜54993)は円弧型。

 

■製造番号

製造番号は、#27819〜29252、#54042〜54993を確認。合計約2,500台。

C型の製造番号は、#27819〜29252、#54042〜54988。

F型の製造番号は、#27819〜28973、#54591〜54993。

C型とF型は発売が1年違うが、同じ時期に並行製造。

製造番号の頭(27,54)から、発売前の1952(S27)年から仕込み製造され、1954年まで生産継続。

1954年には後継機種のTanack IIISが発売されています。

 

■ロシア製偽物(Fake)

2件確認。FedかZorkiの改造品。いずれも外観から容易に判別可能。

#54834。シンクロが無く、ファインダーが長方形。シャッター系列も異なる。

裏蓋は左右に開かず、Leicaと同じ底蓋着脱式で、開閉キーのデザインが異なり、ロシア語。レンズ銘はLetana。

 

#56120。シンクロが無く、ファインダーが長方形。シャッター系列も異なる。

接眼部が離れている。レンズのみ純正Tanar 50/2.8。

 

高価なLeicaの偽物は多数存在しますが、何故、安価なTanackのFakeを制作したのか?甚だ疑問です。

 

■標準レンズ

50mm F3.5とF2.8はTanack IIC(IIIC)、IIF(IIIF)以降、IIIS、IVSにも搭載されています。

従って、本体台数とレンズ本数は一致しません。また、外観の変遷あり。以下は初期版。

 

■Tanar 50mm F3.5

3群4枚。沈胴式。L#28350〜29201。約1,000本。

 

■Tanar 50mm F2.8

3群4枚。固定胴鏡。L#45918〜46381。約500本。

L#52005〜57590。約6,000本。合計約6,500本。

 

■外箱

型名違い(IIC, IIIC, IIF, IIIF)を個別に表示するのが面倒なので、Tanack 35で共用したのでしょう。

 

■広告

1953年11月。型名はTanack 35。50/3.5付き23,800円。

1955年1〜2月。CとFの価格差は3,400円。F3.5とF2.8の価格差は2,600円。

IIC 50/3.5付き23,800円。IIIC 50/2.8付き26,400円。

IIF 50/3.5付き27,200円。IIIF 50/3.5付き29,800円。

 

■最後に

Tanack IIC(IIIC)、IIF(IIIF)は1953〜1954年にかけ約2,500台が販売されたようです。

初号機としてはまずまずの成果ですね。レンズが自社製で競合他社より安価なことも寄与したようです。

 

コピーでも裏蓋左右工夫して

■はじめに

前回はHonor S1でしたが、今回はHonor SLです。Honorはこの2機種だけで終わりました。

1954年にLeica M3がデビュー済みで、5年後の1959年のHonor SLは一部M3の機能を取り入れていますが、

実質Leica III型コピーのHonor S1の小改造に過ぎません。

1959年にはNikon Fもデビューし一眼レフ主流の時代に、旧式Leica型カメラでは太刀打ちできず、

製造台数も僅か700台程に留まりました。

 

■調査結果のまとめ

 

■仕様

等倍の一眼式連動距離計。パララックス自動補正では無く、近距離補正枠を表示。

巻き上げはレバー式に変更。SLのLは"Lever"の意味。

裏蓋はHonor S1同様取り外し式。

シャッターは倍数系列になったが、旧式の高速、低速2ダイヤル式。シンクロ(PF/X)は左肩にあり。

 

■発表と販売先

日本カメラ1959年12月号に紹介記事が掲載後、国内の広告が皆無。

従って、輸出専用機と思われる。今回、広告事例は確認できず。

 

■本体製造番号(31台確認)

B#90101〜90695。約700台製造。

 

■Honor 50mm F1.9レンズ(42本確認)

L#61029〜61665。約700本。本体の約700台と一致。

当初、小西六のHexar 50/3.5、Hexanon 50/1.9を採用していたが、自社ブランドのHonorに切り替えた。

前回ブログで紹介のHonor 50mm F2と同様、自社ブランド化。

 

■Honorflex

同じ"Honor"を冠する赤窓式二眼レフです。Leonar Anastigmat 80/3.5。シャターは無銘(B,1-200)。

レンズ製造番号から1955年製。メーカは表示なく、不明です。外箱は"Honor Reflex"で銘板と異なる表示。

瑞宝光学精機では無いと思われる。瑞宝ならレンズはHonor銘の筈。外箱のデザイン、書体も異なる。

当時、二眼レフのブームで、レンズとシャッターを購入し、組み立てる四畳半メーカが多数あり。

二眼レフの型名はA〜Zまでほぼあり(J, U, X が無いだけ)。

 

■最後に

Leica III型のコピー機Honor S1を改良し、Honor SLを1959年に発売するも、時代は既に一眼レフ。

旧式のレンジファインダー機では到底市場に受け入れられず、少数販売で終焉。

瑞宝光学精機は元々双眼鏡のメーカで、最新式のカメラを製造する技術力が無かったのでしょう。

 

露と消え時代遅れのエスエルは

 

■はじめに

前回はHonor S1の源流でしたが、今回はHonor S1の調査結果です。

1956〜1958年の3年間で約2,100台と生産台数が少ない割に、結構マイナーチェンジがありますね。

 

■126台の製造番号を確認結果のまとめ

製造年は不明ですが、製造番号の頭"5"が1956年、"6"が1957年、"7"が1958年かも知れません。

当初、製造元が目白光学工業(Honor Opt.)から、1958年に瑞宝光学精機に変更され、

B#70,001〜”Zuiho Optical”になっています。(下記参照)

因みに、1959年発売のHonor SLは製造番号の頭が"9"です。

 

■共通仕様

L39マウント、裏蓋取り外し式(CaontaxやNikon Sと同じ)、高速、低速2ダイヤル式、ノブ巻き上げ、シンクロ2接点。

 

■Ver.1

製造番号#5717〜5928。#6007〜6074。

ロゴが二重線。会社名"Honor Opt"はダミーで、実際は目白光学工業。販売元が瑞宝光学精機。

シャッターは、低速(T,1,2,8,20)、高速(B,30,40,50,100,200,500)。

 

■Ver.2

製造番号#6134〜6522。ロゴが太字に変更。

シャッターは、低速(T,1,2,8,25)、高速(B,50,75,100,200,500)。

幕速が少し早くなり、シャッター系列が変更。

 

■Ver.3

製造番号#70035〜71296。ロゴが細字に。1958年に社名が"Zuiho Opt. Co. Ltd.(瑞宝光学精機)"に変更。

目白光学を瑞宝光学が吸収合併した模様。

シャッターは、低速(T,1,2,4,8,25)、高速(B,50,75,100,200,500)で、Ver.2と同じ。

 

■Ver.4(Ve.3の1/1000版)

最高速度が1/1000が一部あり。幕速が遅く(Xシンクロが1/25)、精度に疑問。


■交換レンズ

当初は小西六製、Hexsar 50/3.5とHexsanon 50/1.9。

 

その後、自社ブランドのHonor 50/2に変更。24本のレンズ番号を確認結果、

製造番号#5820〜6343。約600本。製造番号の頭が"58"からなので、1958年製造開始と推定。

瑞宝光学精機は双眼鏡のメーカでレンズ製造が可能ゆえ、自社製に切り替えた模様。

 


Honor 35mm F3.5はKomuraのOEM。背像番号の頭に"K"がつく。

Honor 135mm F3.5もあり。こちらも頭が"K"なので、KomuraのOEM。

 

■広告、記事

1956年。製造元は目白光学工業、販売元は瑞宝光学精機。Hexar 50/3.5付き29,500円。

1957年。1956〜1957年の価格は29,500円(Hexar 50/3.5付き)で不変。

1957年、Hexanon 50/1.9付き43,000円で新発売。

1958年。Hexanon 50/1.9付きで37,000円に値下げ。

Honor 50/2付きの広告は未確認。海外専用?

 

1959年の広告は確認できず。

 

因みに、競合他社の価格は、

Chiyotax IIIF Hexnar 50/3.5付き 29,800円、Hexanon 50/1.9付き 41,100円。

Tanack IVS Tanar 50/3.5付き 23,800円、Tanar 50/2.8付き 31,700円、Tanar 50/2付き 38,000円。

Honor S1はChiyTaxと同等、Tanackは更に安価、レンズ自社製が価格削減に寄与。

 

 

Honor S1の日本語パンフ。S1英文取説。(日本語版は今回未確認)

販売元の瑞宝光学精機の住所。

 

■外箱


輸出品には取説、JCIIの検査合格証が同梱。

 

■最後に

Honor S1は1956〜1958年にかけ、国内、海外に約2,100台と少数販売に留まりました。

同じLeicaコピー機のNiccaやLeotaxの大量生産と比べ、桁が違い過ぎます。

1954年にLeica M3が登場しており、時代遅れのLeica III型コピー機では売れないのが当然です。

 

売れません時代遅れのコピーでは

 

■はじめに

1950年代の東京都世田谷区には多くの光学機器メーカがありました。

東京光学(トプコン)、理研光学工業(リコー)、コパル、ウィスタ、富士光学機械製作所、

岡田光学精機(1951〜第一光学、1955破産、1956〜ゼノビア光学として再建、1958再破産)、

ユニオン光学、大成光機、太陽堂光機、瓜生精機、ドリスカメラ、

三鈴光学工業、パノン商工、ゼンザブロニカ工業

 

丁度、Leitz社などが群立する独ウェツラー(Wetzlar)や、日本の諏訪と同様。

 

■熊谷源二氏のカメラ開発と関係会社

戦前、精機光学(キヤノン)でHansa Canon開発に従事

退社後、光学精機を設立し、Nippon(後の、Nicca)を開発

戦後、Phoenix (Miranda Tの原型)用にシャッターを提供

 

【注】光学精機の元従業員が独立し、下記Leica型カメラを製造、販売しています。

Tanack(田中光学)、Chiyoca/Chiyotax(ライゼカメラ or ライゼ光学)、Melcon(目黒光学工業)

 

■Jeicy

Jeicy(#52049)を試作。製造番号から、1952年製造。シンクロは無く、裏蓋は横開き。

 

■Union 35(ユニオン光学)

ユニオン光学でUnion 35を試作。製造番号から、1955年製造。

ユニオン光学は顕微鏡やレンズの製造メーカ。

第一光学よりボディの供給を受け、セミ版スプリングカメラのUnion Semi(C-II)などを製造販売。

従って、Union 35のボディは第一光学から供給されたと推察。

 

■Zenobia 35とICHICON-35(第一光学)

第一光学で、Zenobia 35とIchicon-35を試作。いずれも製造番号から1955年製造。Union 35と連番。

Union 35にそっくり。

シンクロ接点が1つ。

 

当時、第一光学はZenobiaブランドのセミ版スプリングカメラや、

Zenobiaflex I & II(二眼レフ)を製造、販売。

第一光学はカメラ本体、シャッター、レンズを一貫製造する中堅カメラメーカで、最盛期には400人余りの従業員がいたそうです。

 


1956年再建後のゼノビア光学から、同名のレンズシャッター式Zenobia 35(F2 & F2.8)が発売。

 

因みに、"Zenobia"は3世紀に存在したパルミラ帝国(現在のシリア)の女王の名前。

美貌と叡智、武勇に優れていた。クレオパトラの後継者を自称していたと伝えられる。

エジプト語以外に、ラテン語、ギリシア語、シリア語、アラビア語を話すマルチリンガルな才女。

272年ローマ帝国に反逆し、戦いの末パルミラ帝国は273年陥落、女王は囚われの身となりローマに送られた。

272年のZenobia女王肖像のコイン。ゼノビア光学が倒産したのも、何か因縁めいていますね。

絶世の美女の最後はHappy Endでは無いですね。

クレオパトラ(エジプト)、楊貴妃(唐)、ヘレネ(ギリシャ神話のトロイア戦争の発端)。

 

■Honor Sa

1955年に第一光学が破産後、資料が持ち出され、熊谷氏の了解無く製造されたのが、Honor Sa試作機。

低速が無いが、シンクロが1つで、上記Ichicon-35とそっくりです。製造番号から1956年製。

 

■Honor S1

1956年から製品として量産されたのが、Honor S1。低速がつき、シンクロも2つに。

製造番号は#5701〜。1956年9月のHonor S1広告。

販売が1956年なので1957年製では無く、Saの#5630から番号を引き継いだ結果でしょう。

製造は目白光学工業、販売は瑞宝光学精機。1957年から製造販売共、瑞宝光学精機。目白と瑞宝は兄弟会社だった。

目白がHonor、目黒がMelconと、白黒で異なるLeica型カメラを製造していたのは奇遇ですね。

 

■最後に

熊谷源二氏開発のLeica III型試作機は板橋区のカメラ会社を転々としました。

その後、熊谷氏の承諾無く、目白光学工業(瑞宝光学精機)で製品化されるという数奇な運命を辿りました。

 

盗人が名誉を冠すカメラかな

 

■はじめに

前回はYashica YF(Fair-Way)でしたが、今回はYashica YEです。

Nicca 33のYashicaブランドで再発売ですが、違い等含め調べてみました。

 

■履歴

1959-03、カメラ各誌に新製品紹介記事と広告が掲載。型名がYashica YEから、1960年にはYashica 35E型に変化。

【注】wikiなどでは「当初Yashica 35Eが、YEに変更された」が通説ですが、下記広告では逆です。

1958-12〜1959-06の7ケ月が製造期間(製造番号より判断)

1960-09頃まで、広告が掲載。在庫販売と思われる。

 

■Nicca 33とYashica YE(35 E)の比較

外観は同じですが、社名と型名が異なります。

Yashica YFの場合はNiccaとYashicaのダブルネームでした。

シャッター速度機構部。右はシャッター幕の張力(速度)を増減する、反転防止歯車。

Nicca 33はXシンクロ1/60。

裏蓋を外すと、XシンクロがYashica YEは1/30に変更されてます。

シャッターダイヤルはNicca 33と同じ高低速2ダイヤル(B,2〜500)ですが、"30-X"の表示。

幕速を落としたのは、コスト削減の一環でしょうか?

ファインダーはNicca 33と同じ二眼式。倍率は0.5(ファインダー)、1.5(距離計)。有効基線長57mmはLeica III型と同じ。

高級機(Nicca III-L、Yashica YF)は一眼式。最後までLeica III型の基本構造を踏襲のLeica コピー機。

 

■製造番号調査結果

586台の製造番号調査結果のまとめは以下。

本体は1958-12〜1959-06までの7ケ月間に11,000台製造。月産1,000〜2,500台。

製造番号体系は、月+年(西暦年末尾)+連番 (M+Y+xxxx)

 

481本のレンズ製造番号調査結果のまとめは以下。

レンズの製造番号体系は、年(西暦末尾)+連番(Y+xxxx)。

1958年3,000本+1959年10,000本=13,000本製造。本体台数より2,000本多い。

 

■本体製造番号

1958-12製造、1,000台(#128004〜128999)。

1959-01製造、1,000台(#190005〜190953)。

1959-02製造、1,500台(#291264〜292466)。

1959-03製造、1,500台(#392507〜393966)。

1959-04製造、1,500台(#494011〜495480)。

1959-05製造、2,000台(#595518〜597498)。

1959-06製造、2,500台(#697512〜700114)。

 

本来クロームですが、黒塗り(後塗り)の事例も多数あり。

 

■レンズ製造番号

1958年製、3,000本(#812006〜814967)。

1959年製、10,000本(#910004〜919583)。

 

■外箱と内箱、取説

外箱                           内箱

同梱の検査合格証     

日本語取説。英文板は今回確認できず。

 

■広告

1959-03。23,800円。

1959-05はNicca III-LとYashica YEが同時掲載。23,800円。

1959年のヤシカ製品のパンフYEが掲載。

F2.8付きでYE 23,800円。Yashica 35YLはF1.8付き19,800円。

Yashica 35 F1.9付き18,000円、F2.8付き12,550円。

1959年のヤシカ製品広告にもYEが掲載。

F2.8付きでYE 23,800円。Yashica 35はF1.8付き18,000円、F2.8付き12,550円。これではYashica 35の方が売れます。

 

1960-03の広告では、Pentamatic、Fair-Way(YF)、35E型(YE)が同時掲載。

1960年の広告ではYashica 35 Seriesの35、35L、35E(YE)、35Kの4機種が同時掲載。

1960-03、1960-09は”Yashica 35E型"の名称。価格は23,800円で不変。

 

在庫一掃セールで大幅な下げのNicca III-LやYashica YFと異なり、YE(35E)は値下げはしなかった模様。

製造台数は、III-L 3,000台。YF 6,000台。YE 11,000台と、YEが圧倒的に多い。

 

■最後に

Nicca 33(1958)をマイナーチェンジしたYashica YE(1959)ですが、一眼レフ時代の趨勢に抗えず販売は低迷。

製造番号から、1958-12〜1959-06製造のYEが、1960-09頃まで継続販売されていたのがその証拠です。

旧式Leica III型コピー機では、到底一眼レフに太刀打ちできませんでした。

 

ワイイイは時代遅れで売れ残り

 

■はじめに

前回はNicca III-Lでしたが、今回は後継機種のYashica YF(Fair-Way)です。

マイナーチェンジ版ですが、その違いや製造時期、台数等について調べてみました。

 

■経緯

1959-03 米国フィラデルフィア展示会(Philadelphia Photo Show)で披露

1959-07〜09 量産(製造番号より判断)

1959-12 発売と言われますが、その根拠は今回確認できず。

1960-02〜 国内カメラ雑誌に新製品記事や広告掲載

 

1959年はNikon Fなど各社一眼レフが発売され、Yashicaも1960年にPentamaticを発売。

既に、レンジファインダー機の時代では無くなっています。

1960年のヤシカの広告にも、PantamaticとYFが同時掲載されています。(下記参照)

Yashica YFが短命に終わったのも、こうした市場環境の変化を反映したものです。

 

■仕様(Nicca III-Lとの相違)

トップカバーのデザインが変更。裏蓋は、Nicca III-L、Leica M3同様、上下開閉式でフィルム装着が容易。

Nicca III-LにあったASA感度表示板が、YFでは省略。

Nicca(前面)とYashica(上面)のダブルネーム。

ファインダーはIII-Lの等倍、ブライトフレームは50mm枠のみから、

YFは0.7倍になり、有効基線長が約46mmから約32mmに減少。

ブライトフレームは50 & 100mm用のパララックス自動補正。全視野35mmで、35mm広角レンズ使用に好都合。

一方、Leica M3の有効基線長は62.3mmで、YFは約半分。望遠レンズの測距精度が不足。

Nicca III-L(1958)とYashica YF(1959)を並べてみると、同じボディを流用しているのが明白です。

シャッターは相変わらず、高速(60-1000)と低速(1-30)の2ダイヤル式。最後までLeica M3の一軸不回転式を搭載できず。

XシンクロはNicca III-Lと同じ1/30。普及機、Nicca 33(1958)の1/60から後退。

 

■本体製造番号

約300台の製造番号調査結果、以下。約6,000台製造。

 

製造番号体系は、昭和年末尾+月+連番(Showa-Y+MM+xxxx)で、月産台数と総計台数が分かる。

1959-07〜09の僅か3ケ月間の製造。

取説掲載の#450003(S34 = 1959-05製造)は試作機と思われる。

1959(S34)-07製造は、#470037〜470961。1,000台製造。

1959(S34)-08製造は、#481004〜483000。2,000台製造。

1959(S34)-09製造は、#493007〜496256。2,500台製造。

 

■レンズ製造番号

約160本のレンズ製造番号調査結果、以下。約7,000本製造。本体より1,000本も多い。

本体と同じく、製造番号は西暦年+月+連番(YY+MM+xxxx)

 

製造期間は1959-05〜11。但し、8月と9月が無い。

 

取説には試作品と思われる、Yashinon 50/1.8 #910005が掲載。1959-01製造。

1959-05製造は、#5950017〜5952385。2,500本製造。

1959-06製造は、#5960228〜5960629。500本製造。

1959-07製造は、#5971235〜5973061。2,000本製造。

1959-10製造は、#59104714〜59106718。2,000本製造。

1959-11製造は、#59116788〜59116796。100本製造。


前期は、Yashinon 50/1.8。#5950017〜5972301。約4,000本。#59724xx前後で切り替え、

後期は、Super-Yashinon 50/1.8。#5972565〜59116796。約3,000本。

 

Yashikor 50/2も200本余りの少数あり。

#111005〜111216を確認。1961年1月 or 11月製造?

 

■外箱

型名表示は"YASHICA 35 YF NICCA"とダブルネーム。

 

■取説

日本語版(Yashica 35F)

英語版(Yashica 35YF)。印刷コードの"IF-K-5006"の意味不明なるも、"5”はS35(1960)年を意味?

 

■広告

1960年。YFは34,800円(ケース込)

左はYF(Fair-Way)とYE(35 E)、右はPentantamaticが同時掲載。

その後、YFは29,500円(ケース込)に値下げ。普及機YEの23,800円と僅か5,700円の差。

一方、Pantamatic(1960)は36,800円(ケース込)。

当初、FYはPentamaticとほぼ同価格だったが、販売低迷で在庫一掃の値下げ?

1960年米国Searsの広告。Nikon SPとYashica YFが同時掲載ですが、YF($159.95)はSP($375)に比べ半値以下。

 

他の広告では、YFは$149.95。

 

■最後に

Yashica YFはNiccaから続く、35mmレンジファインダー機の最終機種となりました。

既に一眼レフが主流の時代になり、旧型機種では生き残りが難しかったようです。

 

名前変え再起図るも叩き売り

 

■はじめに

今回はNiccaの最終機種で高級機のIII-Lです。1958年に普及機のNicca 33と同時発売です。

残念ながら、Leica IIIコピー機をベースとした改良型で、Leica M3(1954)に遠く及びません。

そんなNicca III-Lについて調べてみました。

 

■Nicca IIILの概要

裏蓋にASA感度表示板。

裏蓋上下開閉式はLeica M3と同じ。型名表示は底部にNicca III-Lのラベルを貼付。

 

Leica M3(1954)から4年後の1958年発売にも関わらず、Niccaは最後まで、高低速2ダイヤル式でした。

遂に、一軸不回転式を搭載できず。

しかも、同年発売のNicca 33ではXシンクロ1/60なのに、

Nicca III-Lでは1/30です。高級機と普及機で逆転現象。

ファインダーは等倍一眼式で、50mmブライトフレームのみ。パララックス自動補正式。

但し、有効基線長が短いので、望遠レンズの距離計精度が悪い。

金型を新製せず、既存金型を流用し、一眼式距離計を追加した設計上の限界。

 

■Tower IIIL(米国SerasへのOEM)

多分サンプル品と思われる、#182383の1例のみTower銘があり。Nicca IIILのTower OEM販売は確認できません。

 

■製造番号調査結果

約140台の製造番号を確認結果は以下。18xxxxの"8"は1958年製造を意味。

181k代。#181012〜。#181976は黒で後塗りの事例。

182k代

183k代

184k代。〜184209。従って、約3,000台製造(#181012〜184209)。

意外と少ないですね。余り売れなかった模様。

Nicca 33が28,000円(Nicca 50/2.8付き)。Nicca III-Lが53,500円(Nikkor 50/2付き)の価格差が要因?

 

■外箱と取説

いずれも、紅白のデザイン。

英文取説(Instructions for Using NIcca III-L)。日本語板取説は未確認。

 

■広告

1958年

1959年。既に、Yashica YF/YEとして改名発売されているのに、Nicca III-Lが広告掲載。但し、価格表示無し。

恐らく、余り売れなかったので、在庫処分の広告と推察。

一方、Yashica YF(Fair-Way)の価格は当初34,800円(1959)が、

29,500円(1960)に値下げ。Nicca III-Lの53,500円(1958)から約半値です。

ヤシカの原価低減努力(設計、部品、組立、調整)と販売不振によるものでしょうか?

ニッカはニコンの指導もあり、高品質を維持しましたが、「ヤシカになって安かろう悪かろう」のイメージがあり。

 

■パンフ

1958年のパンフには価格表示無し。

 

■最後に

Nicca III-Lはニッカの最終機種、高級機ですが、最後までLeica III型の改良型に留まっています。

Leica M3相当品を開発する技術力が無かったのでしょう。

しかも、時代は一眼レフ台頭期に入り、旧式のレンジファインダー機では太刀打ちできません。

 

サンエルはニッカ最後の残り火か

■はじめに

Niccaの最終機種は1958年発売のNicca III-L(高級機)とNicca 33(普及機)です。

1958年5月にヤシカの子会社となり、社名を「ニッカカメラ」から「大邦光学」に改称。

翌1959年にはYashica III-Lのマイナーチェンジ版のYashica YF(当初、Yashica 35 Fair-Way)と、

Nicca 33をYashica YE(当初、Yashica 35 E)に改名し発売します。

今回は普及型のNicca 33について調べてみました。

 

■Nicca 33の概要

前機種のNicca 3-F Leverからの変更点は、

(1)シャッター系列が倍数系列に。

(2)幕速が早くなり、シンクロ(X)が1/25から1/60に。

(3)裏蓋は開かない。(3-F Lever前期と同じ。後期は裏蓋が上下に開く)

(4)標準レンズがNikkorからNicca 50mm F2.8に変更。

(5)シャッターダイヤル、枚数計、巻き戻しノブの頭が黒色に。

 

アサヒカメラ1958年5月号の記事によると、

(1)"ニッカ33”の33の意は昭和33年製を表わした。

(2)ニッカカメラがニッコール・レンズとのコンビを脱したのは本機が初めて。

(3)ニッカ・レンズはニッカカメラで設計したものを田中光学に依頼製造したもの。

 

■製造番号調査結果

160台余りの製造番号調査結果、#151232〜160722で、約10,000台製造。

8万代25本、9万代35本、10万代29本、合計88本の調査結果、

レンズ番号は#8031〜10831で、約3,000本製造。本体の台数10,000台と不一致です。

何故か、#1001〜7xxxが無いのは、製造番号の頭"8"スタートが1958年製造を意味?

50mm F2.8レンズ無しの本体のみで多数販売したのでしょうか?

 

■外箱

 

■取説

表紙は英文、中身は日本語(Nicca 3-F Leverと同じ)。

印刷コード(33.7.IM)から、1958(S33)年7月印刷のInstruction Manual(IM)。

 

■広告、パンフ

1958年広告、F2.8付きで28,000円。Nicca 3-F Lever(1957) Nikkor F2付きで49,500円に比べ、約半値。

パンフにも定価28,000円明記。

 

■最後に

Nicca 33は一眼レフ台頭時期に、安価なレンジファンダー機としての最後のあがきですね。

Leica M3(1954)に対し、Nicca 33はLeica IIIコピー機の小改造で、時代遅れの感あり。

(1)唯一、レバー式巻き上げがM3と同じ。

(2)シャッターは倍数系列ですが、一軸不回転式では無く、旧式の高低速2ダイヤル。

(3)ファインダーも一眼式ブライトフレームでは無く、距離計とファンダーの二眼式。

 

1959年からはヤシカ子会社として、Yashica 35E、その後YEに改名し、28,000円から23,800円に値下げ発売しています。

 

旧式で輝き求め燦々と

■はじめに

Nicca 3-F knob式(1956)の後継機としてNicca 3-f Lever式(1957)が登場しました。

これで漸くNiccaもレバー巻き上げになりました。Leica M3(1954)に遅れること3年です。

そんなNicca 3-F Lever式について調べてみました。

 

■仕様

Nicca 3-F Knob式との相違は、前期は巻き上げがレバー式に変更された程度の小改造です。

 

但し、高速が前期(#15万代)は1/500。後期(16万代)は1/1000です。

Nicca 3-F Knob式はフィルム表示板だったが、3-F Lever式は巻き上げレバーに枚数計。

裏蓋のシンクロ表示銘板も、1/500(前期)と1/1000(後期)の相違あり。

更に、後期は裏蓋が上下開閉式に変更。裏蓋にはGN表。

視度機能も前期は無し、後期は有り。

 

従って、後期Nicca 3-F Lever式は銘板の違いだけで、Nicca 5-L(Tower 45)と同じ仕様です。

製造番号も、Nicca 5-Lが15万代と16万代。Tower 45が15万代。

Nicca 3-F後期が16万代なので、発売時期(順序)と一致しています。

 

■製造番号調査結果

前期は、#151000〜

〜#157619。合計約7,000台製造。

 

後期は、#161796〜

〜#162116。合計約1,000台製造。

 

■Tower 48(無銘)、Nicca 3-F Leverの米国Sears向けOEM

シッター、シンクロはNicca 3-F Lever(前期)と同じ。

視度調整機能も省略。

 

製造番号は#50034〜51943で、約2,000台製造。

Nicca 3-F Lever、Tower 48の合計約10,000台製造。月産800台程です。

 

■外箱

Nicca 3-F Knob式とデザインが相違。日本語版には、ひのまるや"私のニッカ"が同梱?

3-F 57(1957年)のタグ。1958(S33)年4月改正、ひのまるやの価格表。

 

■取説

表紙は英語ですが、中身は日本語。

1958(S33)年4月改定、ひのまるや価格表。

Tower 48の取説。質素ですね。

 

■広告、パンフ

1957年9月。価格は49,500円で3-F Knob版(1956)と同じ。

 

■最後に

Niccaは毎年モデルチャンジをしていますが、3-F Knobと3-F Lever(前期)では余り変わり映えしませね。

翌1958年には高級機のNicca IIILと普及機のNicca 33の二本立ての発売となります。

時代は二眼レフが台頭しつつあり、Leica IIIベースの旧態依然とした仕様では販売もジリ貧でしょう。

技術革新に遅れたことがニッカの衰退と、ヤシカによる子会社化へと進みます。

 

廉価版出したが後で逆戻り