見よう見まねのブログ

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CameraやPCなど、見よう見まねの悪戦苦闘

■はじめに

前回はMamiya 35 Duper Deluxe 48mm F1.5でしたが、今回はYashica Lynx 14 45mm F1.4です。

この時期、レンズシャター機に大口径レンズを装着するのがブームだったようです。

 

■Yashica Lynx 14(1965)の概要

発売:1965年。翌1966年にElectro 35(45mm F1.7)が発売されます。

ベストセラーのElectro 35シリーズとLynxシリーズは併売されます。それぞれに需要があったようです。

価格:Lynx 14は25,800円。Electro 35は23,200円。いずれもケース込価格。大口径のLynx 14が少し高い。

レンズ:Yashinon-DX 45mm F1.4(5群7枚)

シャッター:Copal SVE(B,1-500)。当初、黒帯。その後クローム仕上げに。

CdS露出計は上部にあり、OVER - UNDERの表示。

 

■製造番号調査結果

359台のサンプル確認結果、約100,000台製造。

Yashicaの製造番号体系は、年+月+連番(Y + MM + #####)。月により生産台数が異なり、月産1,000〜5,000台で推移。

1966年の生産台数が少ないのは、Electro 35製造に注力した為?

1965年2月製造はマニュアル掲載分で、試作機と思われる。

量産期間は1965年4月〜1968年2月の約3年間。1968年には後継機種のLynx 14E(輸出専用機)が発売。

 

■製造番号の事例

1965年製造

1966年製造

1967年製造

1968年製造

 

■EPマーク

駐留米軍の売店(PX)で販売された"Exchange Post"の略称で、物品税免税の識別マーク。

 

■JCII検査合格票

検査年は、6xは1966年、7xは1967年

 

■外箱

 

■マニュアル

日本語版、英文版

 

■広告、パンフ

 

■最後に

Yashica LynxシリーズはElectro 35シリーズと併売ですが、販売量では大きく水を開けられています。

価格大差ないので、マニュアルとEE(AE)の使い勝手の差でしょうか?

Lynx 14は数少ない大口径レンズ登載のレンズシャッター機です。

でも、近接撮影可能な一眼レフには到底太刀打ちできず、やがて姿を消します。

 

大口径作ったけれど伸び悩み

 

■はじめに

今回は、前回ブログのMamiya 35 Super Deluxe用48mm F1.5レンズに特化した調査です。

Body#が3種類(48/1.5、48/1.7、48/2)のレンズで共通なので、それぞれの製造台数が不明です。

今回、F1.5の調査で台数を特定しました。

 

■仕様

Mamiya-Sekor 48mm F1.5(5群7枚)

 

■レンズ製造番号調査結果

266本のレンズ製造番号確認結果、約21,000本製造。

Mamiya 35 Super Deluxe総数が50,000台なので、約40%を占める。

6桁は#0001〜で、各1,000本。7桁は#2001〜で、1,000〜5,000本。

 

L#10013〜113199。

 

■最後に

Mamiya 35 Super Deluxeが発売された1964(S39)年は東京オリンピック開催の年です。

東京オリンピック景気で湧いた時代です。

ベストセラーのPentax SPが発売されました。

NikonもS3 Olympic Model(Black)を翌1965年に復刻生産。

でも、Mamiyaを始め、レンズシャッター機に大口径レンズを搭載する事例は長続きせんでした。

所詮、一時のブーム、徒花でした。

 

オリンピア夢を追いかけ大口径

■はじめに

今回はMamiya 35 Super Deluxeです。

名前からして豪華ですが、45mm F1.5の大口径レンズを搭載しています。

因みに、レンズシャッター機で大口径レンズを採用した事例と価格(ケース込)は、

1958年、Aires 35V、45/1.5、38,000円    
1959年、Kallo 140(1960年、Kowa 140に改名)、50/1.4、25,800円
1964年、Mamiya 35 Super Deluxe、48/1.5、28,800円
1965年、Yashica Lynx 14、45/1.4、25,800円
1966年、Yashica Half 14、32/1.4、16,800円
1968年、Yashica Lynx 14E、45/1.4、不明(Camera Show 1968〜1969年カタログに掲載無し)

 

■概要

レンズが3種類あり。

Mamiya-Sekor 48/1.5。Mamiya-Sekor 48/1.7。Mamiya-Kominar 48/2(日東光学OEM)は海外専用で、製造番号無し。

国内向け。上部と左肩は"MAMIYA"。右肩に"Super Deluxe"。

海外向け。上部と左肩は"mamiya/sekor"。右肩に"Super Deluxe"。

国内向けを海外用に転用は"mamiya-sekor"のラベルを貼り付け。左肩は"MAMIYA"。右肩に"Super Deluxe"。

CdS露出計。ファインダー。シャッターはCOPAL-SVE(B,1〜500)

 

■製造番号調査結果

271台のサンプル調査結果、約50,000台製造。

B#1270471〜1319741。

 

■外箱

 

■JCII検査合格証

 

■マニュアル

日本語版、英文版

 

■広告

48/1.5付き28,800円(ケース込)

48/1.7付き24,800円(ケース込)

 

米国広告。F1.5付きはmamiya/sekor Z-31、F1.7付きはZ-32、F2付きはZ-32Bの呼称。


■最後に

1961年発売の初代Canonetは45/1.9付きでEE(AE)、20,500円(ケース込)で100万台近くの大ヒットです。

それに比べ、1964年発売のMamiya 35 Super Deluxeは48/1.5付きで28,800円ですが、EE(AE)ではありません。

その為、販売台数は5万台と、Canonetに遠く及びません。

後発で、価格性能比の劣る機種では勝負になりませんね。

因みに、1964年発売のCanonet QL17(45/1.7付き)は25,600円(ケース込)でした。

 

超豪華異彩を放つ大目玉

 

■はじめに

今回は、フィルムマガジン交換式のMamiya Magzine 35(1957年)です。

当時はカラーフィルムが非常に高価だったので、必要な時だけカラーで撮影する需要を期待し発売。

35mm版でマガジン交換式は本当に少ないですね。

Lens Shutter(LS)式では、独Adox 300。1955年Photokina展示、1956年発売、米国では1957年発売。

Focal Plane(FP)式Range Finder(RF)では、Kodak Ektra(1941年)。

FP式SLRでは、Zeiss Ikon Contarexシリーズ。

LS式SLRでは、Zeiss Ikon Contaflexシリーズの後期(1958年、Rapid以降)。

Contarex用と寸法が異なり、マガジン互換性は無い。

 

■Mamiya Magzine 35の概要

1957年発売。価格30,000円(本体24,000、マガジン 4,500、ケース 1,500)。

同じく、1957年発売のMamiya 35 IIIは、19,800円(50/2.8付き)、24,800円(48/2付き)。

Magazine 35は同じSekor 50/2.8付きの35 IIIの1.5倍です。これでは売れませんね。

Mamiya 35シリーズは"MAMIYA"だけで型名表示が無く、外観やシャッター、レンズ等で判別する必要あり。

マガジン開閉用ダイヤルは、赤と黒の2種類。多分、カラーと白黒を識別の為。

レンズは、Mamiya-Sekor 50mm F2.8(3群5枚)。

但し、Mamiya-Sekor 48mm F1.9(4群6枚)付きの事例を1件確認。(下記)

シャッターは、Seikosha-MXL(B,1-500)。LV(Light Value)付き。

ファインダー横に距離計調整用穴(蓋付き)が、前期(B#75万代)は無し、後期(B#78万代)は有り。

Mamiya 35 III(F2.8, F2)にも調整用穴があり。穴がだんだん大きくなっています。

巻き上げ有無を示す表示(Indicator)が、本体裏面 & マガジンにあり。

 

■製造番号調査結果

サンプル数が51台と少ないので精度は低いが、約12,000台程度の生産と推定。

期待に反し、それ程売れなかったようです。

 

前期75x,xxxは、1957-05製造開始?後期78x,xxxは、1957-08製造開始?

でも、1957-04発売なので、1957-05製造開始の仮説は成立しない。

 

もうひとつの仮説は、

75x,xxxは1957年製造。57を逆にした。8,000台で、月産1,000台。

78x,xxxは1958年製造。4,000台で、月産1,000台。

こちらの方が実態に近いのでは?

 

前期Body#は75万代(B#750224〜757617)。

後期は78万代(B#780016〜783798)で、76〜77万代が無い。

B#783798は48/1.9付き。広告やパンフにも48/1.9は記載無く、全て50/2.8。

48/1.9付きは、1958年発売の、35S、Crown、Metraに採用されています。

これは、試作機?改造品?焦点距離が50mmと48mmと異なるので、距離計を調整?

 

Sekor 50/2.8レンズは下記Mamiya製カメラと共通で、Lens#は16〜17万代。

Mamiya 35 II(1956)、Mamiya 35 III(1957)。

 

■外箱、ケース

セット。

本体用外箱。

マガジン(Film Body)用外箱と保護カバー。

同梱のケース、検査合格書、JCII検査合格票

 

■マニュアル

 

■広告、パンフなど

1957-04、写真工業の表紙はMamiya Magazine 35

パンフ。「カラー、白黒がいつでも使いわけられる」とのキャッチフレーズ。

レンズは50/2.8で、48/1.9の記載無し。本体 24,000円+マガジン 4,500円+ケース 1,500円=30,000円。

Mamiya-Sekor 50/2.8、Seikosha-MXL(B,1-500)。

1958年の米国広告「途中でフィルム交換可能」。価格は$89.50、$117(マガジン2個付き)、$32.50(マガジン)。

レンズはF2.8、シャッター(1〜1/500)、MFXシンクロ。

 

■最後に

Mamiyaは他社と違って、独創的、個性的なカメラが多いですね。

・Back Focusing機構のMamiya Six, Mamiya 35 I

・レンズ交換可能な二眼レフMamiya Cシリーズ

・電子(ミラクル)マウント採用の一眼レフMamiya Zシリーズ

・24 x 24mm版のMamiya Sketch

・16mm版のMamiya Pistol

でも、販売面ではMamiya SixやCシリーズ二眼レフを除き、余り成功したとは言えません。

 

売れるかと作ってみたが当て外れ

■はじめに

今回はMamiya最初の35mmカメラ、Mamiya 35 I型(1948)です。

6 x 6版(120フィルム)のMamiya SixのBack Focusing Systemを35mm版に適用した機種です。

駐留米軍の要望で開発し、PX(Post Exchange)売店で販売されたそうです。

価格はケース込みで24,000円。(旧、Mamiya HPによる)

 

■仕様

連動距離計のレンズは固定で、フィルム面を前後させて焦点調整(Back Focusing方式)。

背面左上のダイヤルで焦点調整。上部に距離(3 feet〜∞)と視写界深度(F3.5〜F16)が表示。

構造上、巻き上げノブが左側に配置。巻き戻しノブも底部にあり。

背面には"MADE IN OCCUPIED JAPN"の刻印あり。

シャッターは、初期は自社製Stamina(B,1-200)、その後Copal(B,1-200)を採用。

レンズは、東京光学C.Simlar 50/3.5 or 小西六Hexar 50/3.5。

当時、マミヤ(世田谷光機)はレンズを製造していなかった為、他社製を採用。

顧客の要望で、ZuikoやKodakなどのレンズを装着事例あり。Mamiya Sixと同じサービス。

ケースにはSMのロゴ。本体上部のロゴと同じ。1940年以降、マミヤ製品にSMロゴが継続使用されてす。

SMは当時の技師長、間宮精一(Seiichi Mamiya)氏のイニシャル?

時期的に、Setagaya Manufacuturing Plantの略ではありません。

 

1940年、マミヤ光機製作所設立

1946年、世田谷工場建設

1950年、世田谷工場を法人化し、世田谷光機(株)設立。マミヤ光機製作所も法人化し、マミヤ光機(株)。

 

■製造番号調査結果

25台のSample確認結果、約1,500台製造。

StaminaとC.Simlarは初期のみで、大半がCopalとHexarの組み合わせ。

自社製Stamina Shutterより、大量生産の高品質で低価格のCopalに移行したようです。

 

■Body #の事例

B#61481には"SAMPLE"の刻印。

 

■Lens #の事例

Stamina + C.Simlar。L#110001は試作品でしょうか?

Stamina + Hexar。

Copal + Hexar。

Copal + Kodak Ektar 50/3.5。

 

■広告、発売時期

1950年07月の広告に、Mamiya 35 I型も掲載。進駐軍PX売店以外に、一般販売もされたようです。

 

発売時期は2説あり。1948年を正とします。

(1)1949年:旧MamiyaHPでは1949年05月。カメラ年鑑1956-1957(日本写真機工業会編)では1949年10月。

(2)1948年:広告にみる国産カメラの歴史(P366)によると、広告掲載は下記。

 1948-08,10,12 光画月刊
 1949-04,05 光画月刊
 1949-05 フォトアート
 1950-04 フォトアート
 1950-10 光画月刊

販売期間は1948〜1950年の2年間で、約1,500台とは少ないですね。

Mamiya 35 II型が1955年発売なので、5年のブランクがあります。

 

■Mamiya 35 II型試作機(Prototype、1952年)

Back Focusing方式を35mmm版に適用するには、フィルム面の水平精度確保に苦労したようです。

少しでも傾くと、片ボケが発生します。

Mamiya 35 II型試作機では通常のレンズ側でFocusingする方式に変更されました。

ContaxやNikon S型同様、前面右上にFocus Ringがあります。

黒 or クロームのシャッターダイヤルが前面左にあり。試作機は複数あったようです。

 

広告にみる国産カメラの歴史(P366)によると、
Behind Shutterなのでレンズ交換可能。連動距離計(RF)、45/3.5、Shutter(B,1-200)。1954年(?)にMamiya IIとして製品化。

紹介記事は、1952年12月号アサヒカメラ、1953年02月号写真工業。

 

■Mamiya 35 II型、45/3.5付き(1955年)、50/2.8付き(1956年)

(左)Sekor 45/3.5付き。(右)Sekor 50/2.8付き。

試作機とは異なり、Back Focusは採用されず、通常のスタイルに変更されました。

F3.5版はBehind The Lens Shutterで、試作機の名残りですが、レンズ交換はできません。

F2.8版は通常のBetween The Lens Shutter。

レンズも自社製Sekor(Setagaya Kokiから命名)になりました。

Back Focusはその後、Contax AX一眼レフ(1966年)に採用されましたが、35mm版には普及しませんでした。

 

■最後に

Mamiya 35 I型は戦後カメラ史の中でも特殊な仕様で、異彩を放っています。

でも、製造精度やコスト面で特異製品は長続きしませんでした。

尖った製品より、平凡で無難な仕様が大量生産には適しているようです。

 

米軍の求めに応じ作ったが

■はじめに

これまで1950年代後半にブームとなった、35mmワイドレンズ付きカメラを調査してきました。

今回、その総括版です。

 

■総括表

35mmワイドレンズカメラ総数は、182,000台。

6社の中でOlympusが圧倒的に多く、128,000台で、70%シェア。

ワイドレンズなので、目測のVF(View Finder)モデルが多いですね。RF(Range Finder)は少数。

殆どが、35mm F2.8 or F3.5付きで、Olympusのみ35mm F2.0の大口径版を発売。

セレン式露出計内蔵も3機種だけ。

価格も2万円前後が多い中、Olympus Wede S(S2)は32,000円、Welmy Wideが6,800円と格差あり。

 

■最後に

1950年代後半にブームとなった35mmワイドレンズ付きカメラですが、長続きはしませんでした。

1961年1月のCanonet発売以降、大口径標準レンズ付きEE(AE)カメラが主流となります。

 

名前だけワイドをつけて広がらず

■はじめに

35mmワイドシリーズ、今回は大成光機製Welmy Wide(1958)です。

各社ワイドカメラの中で最安値の機種です。そのため、機能が最小限に絞られています。

 

■仕様

連動距離計の無い、VF(View Finder)モデル。アルバダ(Albada)式ファインダー。

レンズはTaikor 35mm F3.5(Tessar型3群4枚)。MeterとFeet目盛りの2種類あり。

シャッターはNew Welmy(B,25,50,100,200)。【注】広告ではNew Welmy、マニュアルではWelmyと相違あり。(下記)

チェーンを使い、上部にもシャッタースピードを表示。SP = SPEEDの略でしょう。

枚数計は手動でセット。巻き上げノブに"TAISEI KOKI Co., LTD."銘。巻も戻しもクランク式では無くノブ式。

1954年Leica M3以降、レバー巻き上げが主流となりましたが、何とノブ式です。

以上、安価に製造する為、各所にコスト削減手法が反映されています。

海外OEMで、Star Lite銘もあり。

 

■製造番号調査結果

74台のレンズ番号確認結果、約8,000台製造(L#1014〜7952)。

前期はMeter、後期はFeet(米国向け)が多い。

 

■製造番号の事例

マニュアル掲載のL#10002は試作機。

L#1014〜7952。

Star LiteはL#4105, 4173の2例確認。

 

■外箱、ケース、愛用者登録カード

 

■マニュアル

タイコール 35/3.5。ウェルミー(B,25,50,100,200)。シャッタースピード上部窓連動式。

 

■広告(1958年)

タイコール 35/3.5(3群4枚)。ニューウェルミー(B,25,50,100,200)。シャッタースピード上部窓連動式。

6,800円(ケース込)と最安値。

 

■Welmy Wideのその後

Welmy Wideは1958年の1年未満の製造、販売で台数も約8,000台と少なかったようです。

翌、1959年にはWelmy Wideをベースとした127フィルム(Vest版)使用の、Welmy 44が発売されます。

4x4cm 12枚撮り。当時米国で人気のスーパースライド版です。連動距離計内蔵。

ノブ式巻き上げの赤窓確認ですが、セルフコッキングで二重露出防止。

レンズはTerionon 50mm F3.5(3枚構成のTriplet)。L#10078〜10881を確認。

大成光機のレンズは、Taikor(3群4枚、Tessar型)、Terionon(3群3枚、Triplet型)と言う使い分けです。

シャッターはWelmy(B, 5〜300)。レンズ鏡筒にシャター(SP)と縛り値(F)の両方を表示。

距離目盛りは全てFeetで、∞,30,20,10,15(赤字),10,7,3.5。

赤窓を見てノブ式巻き上げ。巻き戻しは不要。価格は7,900円と安価。

20台調査結果、L#10078〜10881なので、僅か約1,000台製造。

余り売れなかったようで、国内広告と販売は1年未満(1959年)。

米国広告は今回確認できず。距離目盛りが全てFeetなので、米国向けを想定した筈ですが。。。

米国向けの予定が外れ、製造分を国内販売に回したのでしょうか?

 

■最後に

大成光機は廉価版のカメラを製造、販売していましたが、価格だけでは存続は難しかったようです。

米国ではKalimar銘、欧州ではAirequipt銘のOEM販売を展開していました。

1960年には小西六写真工業(後の、コニカ)が全株取得し、子会社化しています。

 

コスト下げ拡販図るもブーム去り

■はじめに

今回は35mmワイドレンズ搭載カメラのWalz Wide(1958)です。

ワイドカメラブームに遅れて発売された、廉価版のカメラです。

 

■ワルツ社の略歴

戦前、日本商会

1951年、ワルツ商会として再開

1956年、(株)ワルツに改名

1961年4月、倒産。矢継ぎ早やの製品投入や設備投資で資金繰りが悪化し、初代Canonetショックで終焉。

設備投資と増産を主導したのは、コパルから派遣された笠井社長の部下。

コパルはCononetのシャッターの供給元で、事前に発売を知っていたにも拘らず、増産を主導。

ワルツ倒産後、工場はコパルが取得した。

 

ワルツの太田俊夫社長とコパルの笠井正人社長はかつて友人だったが、倒産に至る上記確執があり。

そのいきさつは、太田氏の自伝的小説「社長最後の日」に記されている。

 

■発売

広告にみる国産カメラの歴史(p418)によると、カメラ雑誌の記事、広告が1958年4月号。

従って、1958年3月発売となります。

 

■仕様

Walz 35-Sのボディを流用し、レンズを35mmワイドにした。この手法は他社と同じ。

距離計が無いVF(View Finder)モデル。近距離補正枠つきブライトフレーム。

レンズはWalzer 35mm F2.8(3群4枚のTessar型)。右はWalz 35-S用Walzer 45mm F2.8(3群4枚のTessar型)。

同じ35mm F2.8でも、Kallo Wide & Wide F、Mamiya Wide & Wide E、Minolta Auto Wideは4群6枚のガウス型。

従って、描写性能は劣る筈です。これも廉価販売の手法。

Walzのカメラは日東光学製Kominarを採用しており、Walzerも日東光学製OEMです。

シャッターはCopal-X(B,1-300)で、最高速度が1/300の廉価版。他社はSeikosha-MXやMXL(B,1-500)を採用。

Walzのカメラは全てCopal製シャッターを採用。

 

■製造番号調査結果

138台調査結果、約18,000台製造(B#4776〜21928)。15,16,18万代は欠番。

レンズ139本調査結果、約11,000本製造(L#581004〜591530)

本体台数とレンズ本数の乖離あり。レンズベースの11,000台が実数。

理由は、同年(1958)発売のWalz 35-SVのB#(B#3,493〜14,632)と重複する為と推察。

14,000台の半数ずつ7,000台がWideと35-SVと仮定すると、Wideは18,000-7,000=11,000台で、レンズ本数に一致。

 

■製造番号の事例

 15xxx, 16xxxは欠番

 18,xxxは欠番

B#4776〜21928。

 

L#581004〜591530。

 

■広告、パンフ

Walz Wideは、ケース込で10,800円と格安。

1958年発売機種は、Olympus Wide 2(15,000円)、Minolta Auto Wide(23,000円)、Welmy Wide(6,800円)。

 

■外箱、ケース

 

■マニュアル

英文版、1958年9月印刷。

日本語版は色違い。

 

■最後に

Walz社は1955〜1961年の僅か6年で倒産。

最後の機種はWalz Electric F1.8(1960)ですが、高性能且つ低価格のCanonet(1961)の発売が最後の止めでした。

Wakz Electric 45/1.8付き、本体22,000円+ケース1,500円。連動露出計内蔵。

Canonet 45/1.9付き、本体18,800円+ケース1,700円。EE(AE)。

Walz Wideもワイドブームに便乗し発売されましたが、ブームも一時的で後継機は出ませんでした。

 

ワルツ社もワイドブームに踊らされ

 

■はじめに

今回は35mmワイドレンズ搭載のMamiya WideとWide Eです。

Olympus Wide(1955)が好評で、各社から35mmワイドレンズ付きカメラが続々発売されました。

 

■発売時期

広告にみる国産カメラの歴史(P402)によると、カメラ各紙の掲載と広告が1957年12月号なので、1957年11月発売。

WideとWide Eは同時発売で、写真が並んで掲載されています。(下記参照)

 

■仕様

Mamiya Wideは連動距離計付き。上部に"MAMIYA-35"の刻印。Wideとなっていません。

Mamiya 35IIIと共通ボディで、レンズが異なる。

レンズはMamiya Sekor 35mm F2.8(4群6枚)。

シャッターはLV値付き、Seikosha-MXL(B,1-500、非倍数系列)

 

Mamiya Wide Eはセレン露出計内蔵。その為距離計が省略された、VF(View Finder)モデル。

上部に"Mamiya-35"の刻印はWideと同じ。Wide Eの表示は無い。

レンズは何故か、東京光学製Topcor-M 35mm F2.8(4群6枚のガウス型)。"M"はMamiya向けの意味。

構造図がSekorとTopcorで異なります。

シャッターはWideと同じSeikosha-MXL。

 

■製造番号調査結果

Mamiya Wide 73台確認結果、約4,000台製造。レンズは65本確認するも、番号不連続で本数算出不可。

Mamiya Wide E 48台確認結果、約3,000台製造。レンズは56本確認し、約3,000本で本体と一致。

Wideシリーズ合計7,000台とは意外に少ないですね。Olympus Wideの50,000台と大差。

 

■Mamiya Wideの製造番号事例

B#200014〜204059。

Topcorに換装された事例も2件あり。

 

Sekor L#は不連続で、17,18,20,22万代の4種類。

 

■Mamiya Wide Eの製造番号事例

B#250007〜252794。

Topcor-M L#350012〜352588。

 

■外箱、ケース

 

■マニュアル

 

■広告、パンフ

Wideは21,800円。露出計内蔵Wide Eは22,500円。価格差が700円。

 

■最後に

何故かSekorとTopcor併用のMamiya Wideシリーズです。

レンズも4群6枚と豪華で、連動距離計または露出計内蔵と利便性に優れていますが、販売は低調でした。

Olympus Wideの成功に肖ろうとした目論見は外れました。

 

二本立てどちらにするか迷い道

■はじめに

Olympus Wide(1955)の成功を受け、各社から35mmワイドレンズ付きカメラが発売されました。

KowaからもKallo WideとKallo Wide Fの2機種が発売。

目測式が多い中、いずれも連動距離計付きのワイドカメラです。

 

■Kallo 35W試作機(Prototype)

距離計の無いView Finder(VF)モデルです。前面に"Kallo 35W"のロゴ。下記4台確認。

B#20001、L#143026。

B#20007、L#143004。

B#不明、L#143011。B#不明、L#201001。

製造番号から約10台試作されたようです。

 

■Kallo Wide(1955-12発売。カメラ雑誌の記事、広告が1956-01号なので。広告にみる国産カメラの歴史P382)

Kallo 35のレンズをProminar F.C. 35mm F2.8(4群6枚、ガウス型)に換装したモデル。最短撮影距離50cm。

シャッターはSeikosha-MX(B,1-500、非倍数系列)

 

■Kallw Wide F(1958-01発売。カメラ雑誌の掲載が1958-02号なので)

Kallo Wideにセレン式露出計を内蔵。そのため、巻き上げレバーが底部に移動。

レンズはWideと同じProminar F.C. 35/2.8。

シャッターはLV(Light Value)付き、Seikosha-MXL(B,1-500、非倍数系列)に変更。

 

■コンツールファインダー(Contour Finder)、等倍

右目でファインダー、左目で被写体を見ると、白いフレームが浮かび上がる。

50cm〜∞のパラッラクス補正。5,200円と高価。

 

■Kallo 35F(仮称)

Kallo 35E(48/2.8)にセレン露出計を内蔵したモデルです。区別の為、Kallo 35Fと仮称します。

シャッターもSeikosha-MX(35E)からSeikosha-MXL(35F)に変更され、Kallo Wide Fと同じです。

Kallo Wide F(35/2.8)とレンズ(48/2.8)が異なるだけで、外観は同じです。

広告や雑誌の紹介記事が確認できず、製造番号も僅かなので、少数生産品?

B#65409、65734。Kallo Wide Fと同じ番号体系(B#60070〜62044)なので1958年製造?

48/2.8 L#2522268、2520172

 

■製造番号調査結果のまとめ。

Kallo Wide 224台調査結果、約9,000台製造。【注】36万代は欠番。

Kallo Wide F 47台調査結果、約2,000台製造。合計11,000台。

Kallo Wideの製造番号が30,xxx開始なのは、S30=1955年製造を意味。

Kallo Wide Fはワイドブーム終焉で余り売れなかった。

 

レンズ合計324本の調査結果、約11,000本製造。本体台数と一致。

レンズの製造番号が14+30xx開始なのは、同じくS30=1955年製造を意味。

 

■製造番号の事例(Kallo Wide) 

B#36xxxは欠番。

 

 

■製造番号の事例(Kallo Wide F) 

 

■外箱

Kallo Wide用

Kallo Wide F用も同じ外箱。

 

■マニュアル

Kallo Wide用

Kallo Wide F用

 

■広告、パンフ

Kallo Wide。19,800円(ケース込)、25,000円(コンツールファインダー、ケース込)

Kallo Wide F。22,000円(ケース込)

アクセサリー用

 

■最後に

Kallo WideはKallo 35のボディを流用し、レンズを35/2.8に換装しOlympus Wideの後を追い発売されました。

レンズもOlympus Wide(35/3.5)を凌駕する35/2.8(ガウス型4群6枚)で、連動距離計付きでした。

価格もOlymous Wide 16,900円に対し、Kallo Wide 19,800円は価格性能比で割安です。

でも販売量は、Olympus Wideの50,000台に対し、Kallo Wide 9,000台と大差がつきました。

ネームバリューの差でしょうか?

後継機種のKallo Wide Fは僅か2,000台と低迷し、Wideシリーズは打ち切りとなりました。

 

束の間のブームは去りぬワイドかな