論文:大都市制度改革  その1 | 宮沢たかひと Powered by Ameba

書籍と書類整理をしていたら、私が大阪維新塾に通塾していた2012年当時に塾に提出した論文、「大都市制度改革  ―都道府県制度の呪縛から逃れよ!―」に目が留まり、一時間ほど読みふけり、僭越ながら自分が書いた論文に感心してしまいました。自画自賛で恐縮ですが、現在の政治家および将来の政治家候補の目に留まることを願って、複数回に分けて掲載します。

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大都市制度改革  ―都道府県制度の呪縛から逃れよ!― その1


【要約】


 大阪都構想をきっかけにして日本の地方自治と国政の問題点が浮き彫りになった。まずは、明治時代初期に設置された都道府県境界の呪縛から逃れ、都道府県を廃止し、斬新な大都市構想に立脚した自治行政を新たに考えるべきである。国家戦略としての大都市を設定し、各市町村と市民ン自由意思により提携する大都市を決める。大都市間、市町村間での建設的競争を促し、市町村間のM&Aもありうる。その結果、境界に依らない、柔軟かつ発展的な道州制が自然にできあがっていくであろう。その結果、国家全体の発展につながる。国政は税体制の決定、防衛、エネルギー政策、法務、外交、金融政策などに専念し、他はすべて大都市を中心とした道と州に任せればよい。国政および大都市行政を任される政治リーダーは一定の資質を持った党の中から選ばれるべきであり、それには選挙制度の改革も必要である。大都市で成果を上げた首長が国政のリーダーになる機会をつくるべきである。

【はじめに】

 

 私は脳神経外科医という特殊な仕事を約30年間やってまいりました。現在56歳。34歳時、西ドイツ留学中の1989年11月10日、ベルリンの壁崩壊を経験し、さらに同年の12月25日にベルリンを訪れ、崩れたベルリンの壁をこの目で確認しました。さらに、ブランデンブルグ門開門と同時に西側になだれ込んできた感極まった東ドイツ人の群衆にもみくちゃにされながら、政治の凄さと怖さを体感し、私の心の奥底に政治への想いの灯がともりました。以降、脳神経外科診療に没頭する傍ら、40歳代で法律学を独学し、現役の脳神経外科医を辞した後、2010年4月からMBA経営大学院にて学んでいます。

 

 昨年3.11の大震災の後、私の中の政治に対する想いの炎が少し大きくなりました。今年1月の某日、テレビ朝日のニュースステーションに出演された橋下 徹氏のインタビューを拝聴し、その炎は一気に大きくなり、志となりました。「日本国を何とかしたい!」と。

 

 正直、「大阪維新」についてはその言葉をメデイアを通じて聞くのみで中身についてはほとんど知りませんでしたので、上山信一氏著「大阪維新 ―橋下改革が日本を変える―」と橋下 徹氏、堺屋太一氏共著「体制維新‐大阪都」を精読しました。その上で、「大都市制度のあり方」について考えるところを述べます。

【廃藩置県の歴史的意味と都道府県境界】
 

 そもそも、廃藩置県は明治時代初期に,戦国時代から江戸時代にかけて数百年かけて出来上がった藩制度を廃止し、版籍奉還の後に県を置くことによって大名支配を排し、中央政府による支配を確立するために行ったものである。その後何回かの併合と分離を繰り返しながら、現在の都道府県境界が確立した。しかしながら、都道府県境界は経済的ならびに地政学的に深く考察した上でひかれた境界ではない。現在は、この境界線そのものが現代的地方自治の妨げになっていると言える。

 

 大阪都構想も元々はこの都道府県境界と市町村境界が原因となっているとも解釈できる。橋下氏の構想は、大阪市内の境界をまず引き直し、次いで大阪府と大阪市を大阪都にして広域行政と基礎行政を分離し、有機的に機能させるという構想である。この構想自体は斬新で全く異論はない。しかし、その先には「未来の日本国をどうするか」という国家戦略としての大都市構想の上に、どのような哲学で全国の大都市を構築して行くのか、という構想がないと早晩行き詰るであろう。そこで、大阪都構想の先の構想について私見を述べる。

 

 結論を述べると、都道府県境界は明治時代の遺物に過ぎず、経済的および機能的意味がなく、地方自治の発展を抑制し、混乱せしめているだけであるとみなし、まず都道府県制度を廃止し、大都市とその他の市町村のみでなる「自治体間の競争を前提とした地方自治制度」が望ましいと考える。健全なる自治体間競争の結果、機能的商業圏、機能的農業圏、機能的産業圏それぞれを特徴とした道あるいは州が自然に生まれてくると考える。道州制には賛成であるが、まず「境界」で囲まれた道あるいは州を決める、という従来の考え方には賛成できない。