ゲイの重鎮だった東郷健さんの話 | 宮崎留美子のソロ活動

宮崎留美子のソロ活動

最近「ひとりで活動する(ソロ活)」ということがちょっとしたブームになっています。
以前だったら「ぼっち」なんていわれていたのですけれどね。ただ、私はずっと以
前から、ひとりで行うことが好きでした。その私のソロ活を紹介します。参考にして
ください。

 

  
※パーティ会場で、東郷健さんとのツーショット.

 みなさんは「東郷健」さんという方をご存じですか。若い人は知らないでしょうね。

 ゲイの重鎮だった方です(すでに故人)。といっても、現在のような同性愛者の運動のスタイルとはちがった活動でした。東郷健さんが活動した時代は、そういうあり方しかなかったのかもしれません。LGBTのパレードが始まったのはずっとあとの時代でしたから。東郷健さんは都知事選に立候補したのですが、もうその演説たるや、当時は、聞くに堪えないと思わせるような内容でした。でもそれは、同性愛者を笑いの対象としてしか扱わない差別されるのが普通だった時代の表現方法だったのかもしれません。でも、彼の目的は、「同性愛・セクシュアルマイノリティ・障害者への偏見や性差別の撤廃、性病・エイズ問題の解決などの一貫した主張」であったわけでした。

※(ウィキペディアWikipediaから引用)かつては参議院議員通常選挙、衆議院議員総選挙、東京都知事選挙へ選挙機会ごとに立候補し、いずれも落選。政見放送・選挙公報を通じ、タブー視されていた「ゲイ」「ホモ」「同性愛」「おかま」「射精」「チンチン」などの語を敢えて多用したため、昭和末期 - 平成初期のお茶の間に一種のカルチャーショックを呼び起こした。参院選に全国区から立候補した1971年、宣伝カーからの演説に振り向く者もなかった際に「オカマ、オカマの、東郷健。参議院議員立候補、オカマ、オカマの東郷健がまいりました」と叫んでみたところ、中年男性が手に持っていた荷物を落とし、東郷の乗る赤い宣伝カーを初めて見た。以降、"オカマの東郷健"を売り文句にする。

 当時は最大野党の日本社会党という党がありました。そこに、向坂逸郎という方がいて、この方は社会党内左派の理論的指導者だとされていた方でした。この方が東郷健さんとかかわってきます。向坂逸郎は、戦前、熊本にあった第五高等学校、その後、東京帝国大学を卒業し九州帝国大学教授となったのですが、戦前の社会主義者や自由主義者への弾圧によって、教授の座を追われることになります。でも戦後は、九州大学教授に復帰し、岩波書店版の『資本論』の訳者、岩波文庫の『共産党宣言』の訳者などで、日本社会党の左派の支柱となっていた方というわけです。1978年、この向坂逸郎と東郷健とが対談するという週刊ポスト誌の企画があって、向坂宅で行うことになりました。そのとき、向坂逸郎は、「(日本が)ソヴェト共産主義になったら、お前の病気(同性愛のこと)は治ってしまう」と言ったのです。東郷健は怒り、もちろん対談は中止です。向坂逸郎というと、「日本のマルクス」とも言われるようなマルクス主義・マルクス経済界では、非共産党系マルクス主義の重鎮だったのですが、こと、LGBTに対しては、この程度の誤った認識しかなかったことがうかがえます。ただ、1978年というと、LGBTに対しての社会の認識というのは、こんな状態でしかなかったという側面もありました。ソヴェト共産主義になったら治るというのは論外だとしても、同性愛を病気とみなして嫌悪するというのは、その当時の社会認識でもありました。変化するのは21世紀を待たなければならなかったのです。

  
※パーティ会場で、壇上でコメントを求められて話している私.一番右側が、現世田谷区長の保坂展人氏.私の左側にはキャンディミルキィさんの姿も見えますね.

 

  
※パーティ会場には、当時、評論家の高野孟氏も来場されていた.

 後日、ずーーっとあとのことです。2002年にあった、東郷健が書いた本の出版記念パーティがありました。当時、社民党(社会党の後継の党)の議員だった保坂展人(現在は世田谷区長)は、「これは誤りだ(向坂逸郎の例の発言をさす)。申し訳ない」と事実上、社民党を代表するかたちで謝罪しています。実は、このパーティに、私も呼ばれていてその場にいたこともあって、保坂展人のこの発言を新鮮な驚きを持って聞いていました。2002年は「新鮮な驚き」といえたのですが、20年後の今となっては、同性愛者を含めてLGBT(LGBTQ)の人権を認めていくというのは、新鮮なんかではなく「当たり前」の状況になってきています。1978年頃は、病気であって嫌悪の対象だったのが、2002年頃は、嫌悪していたことが誤りだという発言に新鮮さを覚える状況、そして今は、普通に人権を認めていくのは当然だという認識、ものすごく大きな変化だと思っています。

  
※東郷健さんが経営している新宿2丁目にあるバーにて.

 社会認識がこれほど大きく変化しているのにもかかわらず、そういう変化にあらがうように、LGBTへの差別的な言動をはなった杉田水脈(国会議員)が、完膚なきまでに非難されたのは、変化を理解し得なかった自己の愚かさなのだろうと思います。

 ウィキペディアWikipediaによると、「向坂が代表であった社会主義協会も、論文『セクシュアルマイノリティと人権』(宮崎留美子)を機関誌『社会主義』2002年9月号に掲載し、向坂の差別発言を自己批判した」と書かれていて、私の名前も掲載されています。ここに書かれているように、なんと、向坂逸郎が代表だった(このときはすでに故人です)社会主義協会の機関誌『社会主義』から私に執筆依頼があって、LGBTのひとりである私の文章が、向坂逸郎が代表をつとめていた雑誌に載ったわけです。21世紀初頭というのは、それまでのLGBTに対しての社会認識をまちがっていたとして変更していく大きなうねりのなかにあったということなのでしょうね。杉田水脈は、このときには、まだ一般の人として働いていました。議員になるのはずっとあとのことです。このときに、LGBTの運動に接触して彼らの声を聞いていたら、ああいう差別的な発言をすることはなかったのだと思います。変化していった時代の認識を受け入れていなかった保守的というか右翼的な人たちに担ぎ出されおだてられて、今の杉田水脈ができていったのでしょうね。次の選挙では議員に再選されることはないでしょう。現在だって、衆議院議員選挙の比例代表単独で当選したわけですから、自民党がよほど間抜けではないかぎり比例単独にはもってこないでしょう・・・となると、再選は難しいでしょうね。彼女も、時代の変化を読み切れなかった犠牲者だといえるのかもしれません。

 東郷健は、これで、完全に名誉回復が行われたということになるのでしょうね。

 さてここで、日本の左派運動のもうひとつの柱である日本共産党はのことについて言及しますね。日本共産党は、1990年代頃までは、ジェンダーやLGBTについては冷ややかというか、無視するような感じで、党としてとくに言及することもなかったように思います。左派陣営でこの問題をある程度に扱っていたのは社民党の方でした。しかし今は、共産党も、ジェンダー平等やLGBTの権利を大きく扱うようになっています。この20年で大きく変化しています。党の規模が社民党よりもずっと大きいですから、今や、社民党に比べると、ジェンダー平等やLGBTの権利のことについては、共産党からの声の方が耳にすることが多くなっています。また、保守陣営の自民党でも、ジェンダー平等やLGBTの権利のことは、そのことを推進することが公式の見解だと思います。国会の質疑で、杉田水脈の言説を、岸田総理がはっきりと否定していたことは記憶に新しいです。

 このように、この40年・50年で大きく変化してきたLGBTへの差別を問い直すことの初期の頃の方が、私とツーショットされておられる、この東郷健さんなのです。私との写真とともに、東郷健さんのことを知ってもらえればと思っています。

 

-----------------------------------------------------------------------

私は、2つの女装関連のランキングに参加しています

下の2つのバナーをそれぞれポチッと押してくだされば幸いです

        にほんブログ村 セクマイ・嗜好ブログ 女装(ノンアダルト)へ

  人気ブログランキング       にほんブログ村