3059.命(12)闕党の童子、命を將う | 論語ブログ

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命(12)闕党の童子、命を將う

 

闕党(けっとう)の童子、命を將(おこな)う。

或(ある)ひと之を問うて曰わく、益する者か。

子曰わく、吾其の位に居るを見るなり。其の先生と竝(なら)び行くを見るなり。

   益を求むる者に非ざるなり。速やかに成らんと欲する者なり。

   憲問第十四 仮名論語2257行目です。

   伊與田先生の解釈です。

闕の村の少年が、先師の家で客の取次役をしていた。「あの少年は、自分の修養のためにせいを出しているのですか」と尋ねた。

先師が言われた。「私は、彼が大人のおるべき場所に平然としておるのを見ました。又先輩と肩を並べて歩くのを見ました。彼は自分の修養を心掛けているのではなく、早く大人になりたがっているものです」

 

この章では、「闕党の童子、命を將う」闕の村の少年が、孔子の家で客の取次役をしていた。と「将命」という役割があることが出てきます。「命」は、命令・指示という意味でしょう。

「闕党の童子、命を將う」・・・闕党とは、郷党などに用いるように、党の名前・地名です。童子とは冠をしない者・未成年者です、将命とは主人と賓客との言を相伝える事をいいます。

家が数五百軒の地域を「党」と呼びます。その土地の一人の未成年の童子が、玄関番として来客の言葉の取次をしていました。しかし、古注では必ずしもそうではありませんが。「或ひと之を問うて曰わく、益する者か」・・・客の取り次ぎをまめまめしそうに行う子供であるので、ある人が孔子に尋ねました。あれは、いっぱし向上進歩しましょうか。と。

「子曰わく、吾其の位に居るを見るなり。其の先生と竝び行くを見るなり」・・・孔子は言いました。いや、あれは、大人とおんなじ場所に座っている。子供らしく隅っこに控えてはいない。先生すなわち年長者と歩く時にも、一歩退って後に立たずに、肩を並べて歩いている。「益を求むる者に非ざるなり。速やかに成らんと欲する者なり」・・・向上を欲する者ではない。子供のくせに大人の真似をしたがり、速成を欲する小生意気な者であって、長者に対する礼を知らぬ小僧だよ。と。

この章は、童子の小生意気なような態度を誡めたのです。

孔子の家で客の取次ぎをしていた利発そうな少年を見て、ある人がその少年の将来性について質問したのですが、人間観察力に優れていた孔子は、その少年には向学心があるのではなく、早く大人の仲間入りをしたいだけの早熟な子供であることを見破っていたという話です。

少年が孔家の取次役をやっていたのをある人がこれを見て、「余程見所のある少年なのですか」と尋ねたのに孔子は、「いやそうじゃないんです。あの子は、大人が座る席に座ってみたり、先輩の後に従わず並んで歩いてみたりと、無作法な所が見受けられるものですから、行儀見習のつもりで取次をやらせているのですよ。見所があるからという訳ではないんです。早く大人の仲間入りがしたいという気持も分からん訳ではないが、速成では何事も身に付きませんからね」と答えたのです。

一読するかぎりでは、孔子はこの童子の行状をダイレクトに叱っているわけではないようです。無礼を知りつつもとりあえずは放置しているようにも見えます。孔子はこの童子の素質や器量を見極めようとしたのだと思います。もっともこの発言がこの童子の耳に人を介して間接的に届き、その行いを徐々に正すことくらいは期待したのかも知れませんね。

孔子一門に入門して、いきなりスパルタ式にビシビシと躾れば、若いほど案外はやく順応してしまうかもしれません。ただ、それによって礼儀作法のカタチは守ることは覚えるかもしれませんが、教育する側はその子の素質や器量を見出す大きな機会を失ってしまうことがあります。まずはある程度の自由のなかで様子をみる。その中で童子が礼儀作法をどの程度守るかでその子の了見を知るのであれば、これまた孔子の人の育て方の一端だろうと思います。論語のこの一文はそれを仄めかしているのでしょう。

こうした手法は現代においても参考になるかもしれませんね。

子供には、大人の真似をしたがったり、大人の言葉を使ってみたり、背伸びしたがる所があります。その時に大人が気を付けなければいけないのは、この子は出来がいい。などと手放しで喜ぶのではなく、子供に相応しい礼儀作法が出来ているかを見て、躾けることなのでしょうね。

「速やかに成らんと欲する者」・・・「速成」という成語の出典がこの章です。

何事も短期間で簡便に仕上げてしまう事は出来ません。物でさえそうですから、ましてや人間ならば尚更のことです。速成で人物の涵養などできる訳がありません。

これは思ったら、最低十年はじっくりやってみないと、何にもならないもんです。これがダメならあれがある。あれがダメならそれがある。とつまみ食いしている人間は、一向にモノになりません。

 

つづく

                                                                                             宮 武 清 寛

                                                                                               論語普及会 

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