命(11)道の将に行はれんとするや命なり
公伯寮(こうはくりょう)、子路を季孫に愬(うった)う。
子服景伯(しふくけいはく)、以て告げて曰わく、夫子固(まこと)に公伯寮に惑(まど)へる志(こころざし)有り。
吾が力猶(な)ほ能(よ)く諸(これ)市朝(しちょう)に肆(さら)さん。
孔子曰く、道の将に行はれんとするや命なり。道の将に廢(すた)れんとするや命なり。公伯繚、其れ命を如何せん。
憲問第十四 仮名論語220頁4行目です。
伊與田覺先生の解釈です。
公伯寮(魯人といわれるが不明)が、子路を季孫(魯の権臣)に讒言した。
子服景伯(魯の大夫)が先師にそのことを話して言った。「あの方(季孫)はまことに公伯寮の言う言葉に惑わされています。私の力でも子路の潔白を証明し、公伯寮を死刑にして町の広場にさらすことができます。
先師が言われた。「道が行われようとするのも天命ですし、道がすたれようとするのも天命です。公伯寮ごときが一体天命をどうすることもできないでしょう」
この章では、「道の将に行はれんとするや命なり。道の将に廢(すた)れんとするや命なり。公伯繚、其れ命を如何せん」と孔子は、道が魯の国で行われるようになるのも運命だし、道が行われなくなるようになるのも運命だ。一人の人間ごとき者に、どうすることもできない言っています。
ここでは、公伯繚(こうはくりょう)がでてきます。姓は公伯、名は繚、寮とも書きます。字は子周です。「論語」には一度しか出てきません。そして内容からして、孔子の門人とは考えられません。何故、仲尼弟子列伝にでてくるのでしょうか、不思議ですね。
「公伯寮(こうはくりょう)、子路を季孫に愬(うった)う。子服景伯(しふくけいはく)、以て告げて曰わく」・・・公伯寮は子路の事を、子路の仕えている季孫氏に告げ口をしました。ところがそのことを今度は子服景伯が孔子に言いつけに来ました。何ともややこしい話です。
「夫子固(まこと)に公伯寮に惑(まど)へる志(こころざし)有り。吾が力猶(な)ほ能(よ)く諸(これ)市朝(しちょう)に肆(さら)さん」・・・季孫氏殿は公伯寮の言ったことで気持ちをぐらつかせております。ほっておいては子路の身に危険があるかもしれません。しかし私の力で、公伯寮を死刑にして、広場でさらし者にするくらいのことはできます。
子服景伯は三桓の一つ孟孫氏の孟荘子の弟が立てた家柄です。子服景伯はそれほどの実力者でもあったのですが、それにしても死刑にしてさらしものにするとは、ちょっとおだやかではありません。それに、孔子はどう答えたんでしょうか。
孔子は言います。「道の将に行はれんとするや命なり。道の将に廢(すた)れんとするや命なり。公伯繚、其れ命を如何せん」・・・子路が季氏に用いられ、道が魯の国で行われるようになるのも運命だし、子路が追い出されて、道が行われなくなるようになるのも運命だ。公伯寮のごときものに、どうすることもできまいよ」と。
公伯寮が子路を愬(うった)えたについては、当時の魯の国の中での複雑な政治情勢があったのでしょうが、孔子は公伯寮のごとき者に、もっと大きな歴史の流れをどうすることができるかと、考えたのです。
公伯寮の事は、このように子路を讒言した人としてしかでてきませんから、そんな人物は孔子の弟子の中から外してしまえという事になり、明代に孔子の弟子に数えられなくなったとも言われているようです。
つづく
宮 武 清 寛
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