論語全章を読む(397)
顔淵第十二-23. 309.忠やかに告げて善くⅱ
子貢、友を問う。子曰わく、忠(まめ)やかに告げて善く之を道(みちび)き、
不可なれば則ち止む。自ら辱(はずかし)めらるること無かれ。
顔淵第十二 仮名論語178頁7行目です。
伊與田覺先生の解釈です。
子貢が友との交わり方を尋ねた。先師が答えられた。「友にあやまちがあれば、真心をこめて諌め導くことが大事である。然し聞き入れられないときには、やめるがよい。無理をして自らを辱めるようなはめになってはならない」
「忠(まめ)やかに告げて善く之を道(みちび)き、不可なれば則ち止む。自ら辱(はずかし)めらるること無かれ」・・・友人が過ちを犯したら改めるように忠告するがよい。だが、相手がどうしても改めなければ、それ以上は口を出さないようにすることだ。しつこく言い過ぎて、自分から気まずくなるようなことは、しない方がいい。
孔子に対して日本人が一般的に持つイメージからすると、この言葉は孔子らしくなく、本来なら「改めなければ、改めるまで忠告し続けよ。それが本当の友情である」というのが孔子らしいということになるのでしょう。
しかし、孔子はそれ以上は言うなと言っているのです。これは本人が自覚するまで待つためだと解釈した先人もいます。しかし、それでは、「自ら辱められること無かれ」の意味がなくなります。
孔子は、友人であっても一定の距離をおかねばならぬ、としたのです。それ以上の出すぎたことをしないのが「君子の交わり」である。友人は師弟の関係と違うのです。
この章の「自ら辱(はずかし)めらるること無かれ」・・・無理して自らを辱めるようなはめになってはならない。
仮名論語202頁「行いを危(たか)くし、言は孫(したが)う」・・・行いをきびしくするが、言葉はひかえめにする。
仮名論語201頁「邦、道無くして穀(こく)するは恥なり」・・・国に道が行われないで乱れておる時に、仕えていたずらに俸禄を受けるのは恥である。と孔子は様々な言い方をしています。
そして、こんな章もあります。
子曰わく、其の位に在らざれば、其の政を謀(はか)らず。
憲問第十四 仮名論語215頁7行目です。
伊與田覺先生の解釈です。
先師が言われた。「その地位にいなければ、みだりにその職務について口出しをしないものだ」
「其の位に在らざれば、其の政を謀(はか)らず」・・・その立場にいない者は、あれこれよけいな口出しをしないほうがいいのです。
消極的なようですが組織の中で生きるための重要な心得といえるでしょう。提案するのはいいのですが、自分の立場が固まっていないと、その提案も生かされません。
この言葉は提案や口出しを否定するのではありません。立場に応じて先ず自分の職責を果たすべきことを強調しているのです。
「論語」が他の哲学書や政治論と違うのは、人間一人ひとりの「生き方・身の処し方」について深く洞察し、その実践を説いていることです。
昨今、知識や能力といったものと人格との遊離がとくに問題になっています。有能な政治家が倫理観に不感症だったり、手腕のある経営者が私利に汲々としたり、優秀な学者が平然と不当な金銭を得たり、果ては教育者が「仁」の心を持たなかったり・・・・。
もちろん、政治家、学者、教育者も人間であることに変わりありません。知識・能力と人格とは別のものだという考えも成り立ちますが、この傾向は、異常だと言わなければなりません。
やはり、知識や能力の向上を目指すと共に、それにふさわしい人格を身につけることが望ましいのではないでしょうか。
出処進退についても誠実・無欲・清廉でありたいものです。
つづく
宮 武 清 寛
論語普及会
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