2225.論語全章を読む(396)顔淵第十二-23. 309.忠やかに告げて善くⅰ | 論語ブログ

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論語全章を読む(396)

 

顔淵第十二-23. 309.忠やかに告げて善くⅰ

 

子貢、友を問う。子曰わく、忠(まめ)やかに告げて善く之を道(みちび)き、

不可なれば則ち止む。自ら辱(はずかし)めらるること無かれ。

顔淵第十二   仮名論語1787行目です。

 伊與田覺先生の解釈です。

子貢が友との交わり方を尋ねた。先師が答えられた。「友にあやまちがあれば、真心をこめて諌め導くことが大事である。

然し聞き入れられないときには、やめるがよい。無理をして自らを辱めるようなはめになってはならない」

 

「子貢、友を問う」・・・子貢が友人との人間関係について質問をしました。

「子曰わく、忠(まめ)やかに告げて善く之を道(みちび)き、不可なれば則ち止む」・・・孔子は友人が善なら問題はなのだが、もし悪に傾くならば、真心を尽くして告げ、善いほうへと勧めよう。にも関わらず、従わない時は、もう何もするな。「自ら辱(はずかし)めらるること無かれ」・・・それ以上のことをして、かえって誤解され、恥をかいてはならない。と言いました。

孔子に対して日本人が一般的に持つイメージからすると、この言葉は孔子らしくありません。本来ならば「改めなければ、改めるまで忠告し続けなさい。それが本当の友情だよ」と言うのが孔子らしいということになりませんか。

しかし、ここでは孔子は「それ以上言うな」と言っているのです。これは本人が自覚するまで待つ為だと解釈した先人もいます。しかしそれでは、後の句が無意味になります。

孔子は、友人であっても一定距離をおかねばならない。としたのです。それ以上の出過ぎたことをしないのが「君子の交わり」です。友人は師弟の関係とは違うということのようです。

友情には限界があるのです。「自ら辱めらるること無かれ」こちらの善意を無理に注入しようとして、いやな目にあう必要はないのです。

参考になる章が里仁第四にあります。

 

子游曰わく、君に事うるに數(しばしば)すれば、斯(ここ)に辱(はずか)しめらる。 

     朋友に數(しばしば)すれば、斯(ここ)に疎(うとん)んぜらる。

里仁第四   仮名論語466行目です。

伊與田覺先生の解釈です。

子游が言った。「君に事えて、あまりにもしばしば諌(いさ)めると、

却(かえ)ってはずかしめられるようになる。

友達に対してしつこく忠告をすると嫌われ、うとんぜられる」

 

 主君への諫言はいいのですが、あまりうるさすぎると主君を侮辱しているように思われます。友人への忠告はいいのですが、あまりうるさくすると煙たがれます。

 孔子の晩年に弟子となった子游の言葉です。子游は孔子門下「十哲」のひとりとされ、特に文に優れていた人といわれています。若くして、魯国南部の武城という要地の代官に登用され、孔子の教えを実際政治に生かそうとしました。

 おそらく、青年の純粋さから孔子の教えを普及しようとし、主君であろうが、友人であろうが、やたらにお説教に及んだのでしょう。そのため反発をかったに違いありません。

 この言葉は、その苦い体験の反省から出たものではないでしょうか。

 「あまりしつこく主張すると相手は侮辱されたと感じ、嫌われる」確かに、これは人にものを言う場合の心がけです。

 前者は理想論であり、後者は現実論です。組織の中にいる者は、この両論の間を悩みながら生きていくのです。悩んで、悩んで組織人として成長していくのです。

 

 つづく

                                                                宮 武 清 寛

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