2086.論語全章を読む(257)泰伯第八-19 206. 大いなるかな堯の君たるや | 論語ブログ

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論語全章を読む(257

 

泰伯第八-19 206 大いなるかな堯の君たるや

 

子曰わく、大いなるかな堯(ぎょう)の君たるや、巍巍乎(ぎぎこ)として、唯(ただ)天を大いなりと為す。唯(ただ)堯之に則(のっと)る。蕩蕩乎(とうとうこ)として民能(よ)く名づくること無し。巍巍乎(ぎぎこ)として、其れ成功有り。煥乎(かんこ)として其れ文章有り。

泰伯第八   仮名論語1071行目です。

伊與田先生の解釈です。

先師が言われた。「なんと堯の君徳は大きいことであろう。真に荘厳で偉大なものは天のみである。そして唯堯のみが一人その偉大さを供しているのだ。その荘厳で偉大な様子は民はなんと表現してよいか言葉がない。人は唯その功業の荘厳さと、文物制度のかがやきに目をみはるのみである」 

 

堯(帝堯陶唐氏)は、儒家にもっとも尊ばれた伝説の帝王です。

「論語」には、4回出てきますが、孔子が堯について具体的に讃えた言葉が一か所だけ見られます。

「大いなるかな堯の君たるや」・・・ 偉大であるなあ。堯の君主としてのあり方は。「巍巍乎(ぎぎこ)として、唯天を大いなりと為す」・・・この世に高々としているものとしては、ただ天だけがありますが、「唯堯之に則る」・・・堯だけがそれをお手本とする事が出来ました。「蕩蕩乎(とうとうこ)として民能く名づくること無し」・・・おだやかで広々として、人民は言い表しようがありません。「巍巍乎として、其れ成功有り」・・・だから高々とそびえる立派な功を収め、「煥乎(かんこ)として其れ文章有り」・・・輝かしい文化をお持ちになったのだ。

立派な功とか、輝かしい文化とだけあって抽象的な表現に終わっていますが、天と匹敵するような偉大な帝として堯を褒めているわけです。

堯には丹徒(たんと)という子供がいましたが、「この子は頑固で役に立たない」と言って、徳のある者を探させて、これに位を譲ろうとしました。こうして探し出されたのが舜ですが、このように有徳者を探して、位を譲ることを「禅譲(ぜんじょう)」と言います。現在でも政治や経済界のトップの交代にしばしば使われる言葉です。

「論語」の最終篇、最初の章は、堯舜以来の偉大な帝王が自分の後継者に対して述べた言葉を、それは多分孔子が集めておいたものでしょうが、載せています。その始まりの部分はやはり、堯から舜のものです。

「堯(ぎょう)曰わく、咨(ああ)、爾(なんじ)舜(しゅん)」・・・堯が言った。ああ爾、わが愛する舜よ。「天の暦数(れきすう)、爾(なんじ)の躬(み)に在(あ)り」・・・天が定めた、天子の交替の序列がほかならぬお前の身にやって来たのだ。「充(まこと)に其の中(ちゅう)を執(と)れ」・・・誠実に中庸の道をとって政治を行え。「四海困窮せば、天禄永く終えん」・・・そうするならば、四方(よも)の海の涯(はて)までもきわめつくし、天から賜った幸福は永遠に続くであろう。・・・・

なお、この言葉は「書経」にも「史記」にも見られません。「論語」にだけ見られるものです。

 

つづく

                                             宮 武 清 寛

                                                              論語普及会  

                                                                          http://rongo-fukyukai.jp/