2085.論語全章を読む(256)泰伯第八-18 205. 舜・禹の天下を有てるや | 論語ブログ

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論語全章を読む(256

 

泰伯第八-18 205 舜・禹の天下を有てるや

 

子曰わく、巍巍乎(ぎぎこ)たり。舜・禹の天下を有(たも)てるや、而して與(あずか)らず。

泰伯第八仮名論語1066行目

伊與田覺先生の解釈です。

先師が言われた。「舜や禹が天下を治められたのは、高大で堂々たるものだったなあ。しかも両者とも直接政治に携わらなかった」

 

「巍巍(ぎぎ)乎(こ)たり」・・・高々とそびえ立っているなあ、「舜・禹の天下を有(たも)てるや」・・・舜や禹が天下を治めたことは、「而して與(あずか)らず」・・・それでいて少しも天下を治めているように見えないのです。

ここでは舜と禹の二人を併せて称賛しているのですが、「而して」以下の一句は舜や禹がすべてを賢臣に任せたからだと言うことを、言外に言い、君臣間の信頼関係が大切な要素であったことを述べているのです。

同じような言葉として。仮名論語229頁2行目の章があります。

 

子曰わく、無為(むい)にして治むる者は其れ舜なるか。

夫れ何をか為すや。己を恭(うやうや)しくして正しく南面するのみ。

 

「無為にして治むる者は其れ舜なるか」・・・何もしないで、自然のままに政治をしたのは、それ舜であろうか。「夫れ何をか為すや」・・・では舜は何をされていたのか。「己を恭しくして正しく南面するのみ」・・・自分の身を慎まれて南を向いて座っておられただけだ。という章です。

「何もしないで」というところ、原文では「無為」とありますが、これは後には老荘的な政治思想として尊ばれる言葉ですが、この全体の文章は、徳化思想の現れとも言えるでしょう。

 

舜、臣五人有り、而して天下治まる。

 泰伯第八仮名論語1076行目

伊與田覺先生の解釈です。

舜の優れた臣に、禹(う)、稷(しょく)、契(せつ)、皋陶(こうよう)、伯益(はくえき)の五人がおって天下は良く治まった。

 

舜には、五人の立派な臣があって天下は治まった。ということです。「論語」には書かれていませんが、普通は禹(う)、稷(しょく)、契(せつ)、皋陶(こうよう)、伯益(はくえき)を指します。

舜には、商均(しょうきん)という子供がおりましたが、親には似ない不肖の子供であったので、黄河の治水に功のあった禹に位を譲りました。禅譲が二回続いたのです。

堯曰篇の首章には、「舜も亦以て禹に命ず。」・・・「舜もまた、禹に命じた」とだけしか記していません。何を命じたか書いていないのですが、堯から舜への言葉と同じことを言ったに違いないのでしょうね。

仮名論語224頁7行目には、

己を脩めて以て百姓を安んずるは、堯・舜も其れ猶諸を病めり。 

頭注には、

天下万民を安んずることは、堯舜のような聖天子でも、頭をなやまされたことだ」と答えられた。

仮名論語79頁3行目には、

子曰わく、何ぞ仁を事とせん。必ずや聖か。堯舜も其れ猶諸を病めり。 

頭注には、先師が答えられた。「仁者どころではないよ。必ずそれは聖人であろう。然しそれは、堯舜でも常に心を痛められた」と伊與田先生は解説しています。

子路から君子について問われた時、及び子貢から仁について尋ねられた時、孔子はそれに対する答えの中で、「堯・舜も其れ猶諸を病めり」・・・堯舜もこれを悩んでいた。と、行うのに大変難しいことの例に堯舜の名前を使っています。

舜の話になってしまいましたね。

禹については泰伯第八の最後の章で説明しましょう。

 

つづく

                                                                                宮 武 清 寛

                                                                   論語普及会  

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