348. 孔子以降の儒教(9) 諸子百家 ②法家 | 論語ブログ

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孔子以降の儒教(9)


諸子百家 ②法家


荀子の性悪説、人間は欲望的な本性をもつが、それは学問や礼を身につけることで善になるとしました。

その思想は、やがて法律など社会制度を重視する法治思想へとつながっていきます。

 法律で社会を治めていこうとする法家の思想を確立した韓非子は、儒家の荀子に学んでいます。悪しきものは徳化によって矯正されるとした荀子に対し、韓非子は法によって抑えるべきと考えました。

 儒家が「礼」を秩序の柱にするのに対して、法家は「法」を柱にします。法を細かく定めて人民に守らせる、守らなかったら厳しく罰する。これが法家の基本的な手法です。

 法という一定の基準によって治める思想は、国家運営に有効であり、のちに中国統一を果たす秦に中央集権を発展させ、大国化をもたらしました。


 道法(どうほう)は万全にして、智能(ちのう)は失(しつ)多し。

 韓非子 飾邪(しゅくじゃ)篇

 人の守るべき道や法を定めておけば、どのような事態が起こっても対応できる。個人の能力に頼っていては失敗が多い。


 法家とは、儒家の述べる徳治のような信賞の基準が為政者の恣意であるような統治ではなく、厳格な法という定まった基準によって国家を治めるべしという立場です。

 秦の孝公に仕えた商鞅(しょうおう)や韓の王族の韓非(かんぴ)がよく知られています。商鞅は戦国の七雄に数えられた秦に仕え、郡県制に見られるような法家思想に立脚した中央集権的な統治制度を整え、秦の大国化に貢献しました。

 韓非は性悪説に基づいた信賞必罰の徹底と法と術(臣下のコントロール術)とを用いた国家運営(法術思想)を説きました。また、韓非は矛盾や守株といった説法を用いて儒家を批判したことでも知られています。

 中国の統一を果たした始皇帝も、宰相として季斯(りし)を登用して法家思想による統治を実施しました。

 実は李斯も韓非も若い頃は儒家の荀子の弟子でした。韓非は最後は秦の国に行って仕官しようとするのですが、若い頃の勉強仲間の李斯がすでに秦に仕えていて、韓非の才能を恐れて、獄に投じますが韓非は自ら命を絶ってしまいます。しかし、その統治理論は秦の始皇帝に採用されるのです。

 主な法家の人物には、管仲・子産・呉起・商鞅・申不害・慎到・韓非・季斯などがいます。

 

つづく

                      宮 武 清 寛