347. 孔子以降の儒教(8) 諸子百家 ①儒家 | 論語ブログ

論語ブログ

ブログの説明を入力します。

孔子以降の儒教(8)


諸子百家 ①儒家


 春秋戦国時代は、血なまぐさい戦乱の中にあって多彩な思想が花開いた時代でもありました。

この時代に出た思想家をひとくくりにして「諸子百家」といいます。

百もの学派が存在したわけではありませんが、実際に多くの思想家と学派が誕生したことを表しています。

 具体的にあげると、儒家・道家・法家・名家・墨家・縦横家・陰陽家・雑貨・農家・兵家の計十学派が前漢時代に編纂された「七略(しちりゃく)」に記載されています。

 儒家は、仁と礼を重んじる社会秩序を目指した孔子と、その流れをくむ思想家たちを指していますが、戦国期に孟子・荀子らによって思想的発展がなされました。

孔子の死後、儒家はいくつかの派に分かれましたが、その中で性善説に立って儒家思想を説いたのが孟子です。

人は皆生まれながらに善であり、不善をなすのは外的要因により善が失われるためだとする孟子の性善概念は、その後の儒教主流派に受け継がれました。


今、人(ひと)乍(にわか)に孺子(じゅし)のまさに井(せい)に入らんとするを見れば、皆(みな)怵惕(じゅつてき)惻隠(そくいん)の心あり。    

孟子 公孫丑篇

今にも井戸に落ちようとしている赤子を目にしたら、誰でもハット驚き、かわいそうだ、助けてやろうと思うに違いない。


強盗・殺人など悪の限りを尽くした極悪人がいます。彼はどこかの庭先でボーッとしていました。その庭にようやくハイハイができるようになったばかりの赤ん坊がいました。その赤ちゃんがハイアハイしながら井戸に近づいていきます。赤ん坊だから井戸が何だか知りませんから、そのまま進んで井戸に落っこちそうになります。そうすると、どんな極悪人でもその瞬間に「アッ!」と思わず手を伸ばして赤ん坊を救おうとします。だから、人は本来「仁」の心がある、生まれながらに善である、と説いているのです。

 これに対して性悪説を説いたのが荀子です。

人間は欲望的な本性をもつが、それは学問や礼を身につけることで善になるとしました。


 人の性は悪、その善なるは偽(ぎ)なり。

 凡(およ)そ人の善を為(な)さんと欲するは、性の悪なるが為(ため)なり。      荀子 性悪篇

人間の本性は悪。善の部分は後天的な努力によって身についたものである。

人が善をなそうとするのは、もともとの本性が悪だからである。


 人は生まれながらにして悪で、仁や孝を身につけて生まれてきたわけではありません。だから、君主や王たる者の役目は人民に教育をして「仁」「礼」を身につけさせる事だと説きました。

 同じ儒家だから「孝」「仁」「礼」を秩序の柱にして社会を立て直そうというところは同じですが、その具体的な方法が百八十度違うのです。

その思想は、やがて法律など社会制度を重視する法治思想へとつながっていきます。

 

つづく

                         宮 武 清 寛