現代において
「間」は悪いものであり、
とてつもなく
怖いものと
なっているようです
きたやまおさむ
間がもたない
自分のやっていることに意味があるのか。
自分に存在価値があるのか。
大切なものを探しているけど、まったく見つからない。
何をやっても、砂をかむようで、苦く味気がない。
徒労感を覚え、心にぽっかりと穴があき、そこを風が吹き抜ける。
むなしい ーーー。
現代を生きる誰もがそんな感覚を抱いた経験があるでしょう。
もちろん私にもあります。
むしろ、私はそうした感覚に敏感だったように思います。
むなしいと感じることが、昔から多くありました。
その感覚に襲われて、若いころかなり苦しんだこともあります。
いったい、何のためにこんなことをやっているのか、自分のやってきたことは、全部、無意味だったのではないか、と。
そして、何度となくため息をつく。
最近になって私は、それが生きていくうえで、普通の感覚なんだろうとも感じてきました。
そんな感覚に襲われないに越したことがないとは思いつつも、でも、これも喜怒哀楽の一つであり、なくすことはできないのだろうと。
ところが、この「むなしさ」という感覚について、他人に話してみると、否定的な反応をされることが多いのです。
そんな感覚に襲われることは、無駄なことであり、恐ろしいことであり、要するに、あってはいけないことのように思われています。
でも、私にとって、むなしいと感じるということは、立ち止まって、自分を見つめ直すことでもあります。
確かに、現代社会をみまわしてみると、こうした場や機会を回避しようとするのが普通のようです。
たとえば、電車に乗れば、ボーっと窓の外を眺めている人はずいぶんと少なくなりました。
皆、スマホに釘付けです。
スマホというのは、本当に便利なものです。
文字も音楽も映像も果てしなく与えてくれる。
欲しいものを探して、手に入れることも一見、簡単にできるようにみえる。
ふと立ち止まって、自分を見つめたり、いろいろ考えたりしなくてもいいわけです。
暇な時間を埋めてくれて、気を紛らわしてくれる。
すなわち「間(ま)」というものを埋めてくれる。
むなしい「間」が生じないように回避してくれるのです。
スマホに限らず、私たちの周囲には、情報であり、商品であり、娯楽スポットであり、「間」を生じさせないような仕組みがはりめぐらされています。
かつては、「間」をつぶすのに、たとえば、タバコを吸ったり、お酒を飲んだりして、ふとため息をついたりもしていました。
こうした「間」のアナログ的な使い方と、スマホで「間」をデジタル的に埋めるのは違うでしょう。
いまや、「間」があいたことを感じることがとても少ないのです。
同時に、街からも「間」は確実に消えていっています。
かつてはどこにでもあり、子供たちが遊んでいた空き地などはほとんどなくなっています。
利用されていない無駄な土地として活用することが主張され、マンションが建てられたり、商業施設が建設されたりと、利用目的が与えられて明示される。
都会などでは、何の飾り気もない白い壁、意味のなさそうな空き地などもなくなり、広告や看板などに埋め尽くされている。
何の目的もない、ただあるだけという「間」は、存在してはいけないかのように、どんどんと埋められているのです。
こうした環境の中で、私たちはむしろ「間」というものに対して、極めて弱くなっているのではないでしょうか。
「間」が存在しないように周到に回避されているために、ある日、突然それでも埋めることのできない「間」が現れたとき、私たちの心は戸惑ってしまうことでしょう。
どう対処してよいのかわからず、耐えられなくなってしまうでしょう。
現代において「間」は悪いものであり、とてつもなく怖いものとなっているようです。
きたやまおさむ『「むなしさ」の味わい方』より一部引用以上
インスピレーションは「間(ま)」からやってきます。
間を悪いものとしたり、間を恐れ、間に次々と何かを埋め込むような生活からは本当の自分に辿り着けません。
間(ま)が減ってきた現代社会だからこそ、間(ま)を大切にする。
ふと出来た間(ま)に、即座にスマホをのぞくのを辞めて、間(ま)に漂ってみませんか?
すぐにリラックス出来たらいいけれど、はじめからそう上手くはいかないかも知れません。
そんな時は、思いっきりため息をついたっていいじゃないですか。
落ち着かない気持ちをぜ〜んぶ呼吸で吐き出したり、もぞもぞと身体を動かしてみるのもオススメです。
落ち着かないエネルギーを出し切ると、自然とリラックス出来るかも知れません。
シャンタンさんは、生前「スマホも満員電車も瞑想だよ」とおっしゃっていました。
私は、スマホも満員電車も瞑想的に過ごせる時もあれば、そうでない時もあるように思います。
スマホを使いながらも、間を大切に瞑想的に過ごす。
スマホから離れて間(ま)に漂う。
これまで、かなりスマホに依存してきましたし、今もスマホを便利に使っている私が何を偉そうに、、、という感じではありますが、、、
シャンタンさんのおっしゃったことから、生活の全てを瞑想的に過ごせたらいいなぁと、自分の内面を見つめながら暮らしています。
思うように出来ないときがあっても、あきらめずにぼちぼちマイペースに続けています。
シャンタンさんも「自分を変えたいと思って瞑想に取り組んで来た」っておっしゃってましたから
ながらでやってることを減らすだけでも、ちょっとした間が生まれますヨ
なんとなくいつもついているテレビやラジオ、音楽を消してみるとか、、、。
あなたのアイデアとちょっとした工夫でいかようにも
本日もお読みくださりありがとうございました。
貫井(み)投稿