覚醒のひかり

覚醒のひかり

ぼく、シャンタンが長年経験してきたことや、
   osho、バガヴァン、津留晃一さんなどの言葉を
      分かち合っていきたいと思いまあああああす!

あなたの世界は「あなたの思った通り」の世界として立ち現れてきます。


津留晃一さん


地球には地球人というひとりの人間意識が存在します。

人類の集合意識とも呼ばれています。

「自分こそがそのひとりである」と考えると、とてもわかりやすい宇宙観が開かれてきます。

あなたの世界は「あなたの思った通り」の世界として立ち現れてきます。


世界はあなたの「思っている通り」に現れます。

あなたの思っていることがあなたの世界です。

知っている通り、信じている通り、想像している通り、ということです。


そこで自分が何を思っているのかに気付いている事が大切です。

しかし我々は、「思い通りにしよう」と考えます。


「思っている通り」に現れるというのに、「する」事に意識を向け続けています。

「思い通りにしよう」と考えている時は、今は思い通りではないと思っています。

ですからその思い通りになるわけです。

具合が悪いから治療しようと考えます。

ですから具合が悪いという思いが、具合の悪い明日をまた創ります。

すなわちあなたが遂げたいと欲している思いは遂げられません。


日本の昭和期以前は、まだ思いの力よりも行動の力の方が

現実を生みだすエネルギーが強かったのですが、

平成に入ってからその力のバランスが逆転しました。

すなわち行動の力よりも思いの力の方が強くなってきたわけです。

これからは年を追うごとに想念の力が行動の力を凌駕していきます。

このレポートの読者のような時代の先駆者の方々にとって、創造の年が始まります。

思いがストレートにそのまま現実を創ってしまうという時代の始まりです。

 ☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆
この投稿はシャンタンさんに変わり、

LOVE龍🐉❤️🐉遣い整体ヒーラー
ジョニーがお届けしました〜💖✨
ありがとう✩︎ありがとう✩︎ありがとう😌🙏💗ございます✨✨✨✨✨🙏



バガバァン 

生命は動きです。 

秩序と無秩序、光と影、成長と衰退のあいだを揺れ動きます。 

秩序から無秩序への動きが、 

あなたをワンネスから分割へと動かすのは、自然の成り行きなのです。 


意識的な存在として、あなたはこの祝福(ディクシャ)のパワーを、 

この流れを分割からワンネスへと戻すために用いることができるのです 


人体の中ではどこでも、さまざまな細胞を結ぶ情報が途絶えると、

ワンネスから離れます。 

人体の様々なシステムのあいだでのワンネスが回復すれば、健康を取り戻します。 


家族の中では、いたるところで痛みと不信があり、それはワンネスから離れる動きです。 

ハートの癒しと愛の開花は、ワンネスへ戻る道です。 


あなた自身の中では、正しいか誤っているか、 

正しいかもっと正しいかという葛藤の瞬間に、内面の無秩序があります。 

それはあなたの一部分です。 


それらの願望や声を無視することを、あなたは選んでいるのです。 

これは不可避であり、人生のドラマの一部なのです。 

いずれにもせよ、あなたの中のこれらのスピリチュアルな部分は癒され、 

受容される必要があるのです。 

人生を受け入れ、抵抗することなく自分自身を経験することを通して、 

ワンネスへの回帰が可能です。 


普遍的な力が、人体の中での、さまざまな人格の間での、 

家族の中での、国際礼譲においての、そして多様な形の生命に 

無秩序をもたらすところに、生命をより高いレベルの秩序とワンネスに導く機会があるのです。 


ですから、無秩序と分割の形で現れるそれぞれの呼びかけは、 

あなたをより高いレベルの秩序とワンネスにさし招いているのだということを忘れないでください。 

この揺れ動く運動は、決して終わることのない創造のダンスなのです。 

ですから、今日では、人生のどの活動の局面においても秩序が無秩序へ 

向かって動いているパターンに気づいていることを意図して、

祝福(ディクシャ)を受けて下さい。 


これらのパターンに、全体的に、そして抵抗することなく気づいているのが、

ワンネスなのです。 


☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆

この投稿はシャンタンさんに変わり、

LOVE龍🐉❤️🐉遣い整体ヒーラーの
ジョニーがお届けしました〜💖✨


ありがとう✩︎ありがとう✩︎ありがとう😌🙏💗ございます✨✨✨✨✨🙏

津留晃一
進化の方向性とは「豊かになろう」とする方向ではありません。
元々豊かなのですから。
ですからあなたがすることは、
「今、ここ」で豊かさを感じることです。
 「でもそれにはお金がないと」と思う人も多いと思います。
「現に豊かでないのに自分が豊かだなんて思えない」
というわけです。
ごもっともなことです。
そのように「豊かでない」と思っているわけですから、
豊かでない現実を創ります。
でも豊かさを感じるのは簡単なことです。
今、ここで思い出して下さい。
小学生の時、
お父さんからもらったお年玉に大喜びしたときの瞬間を。
そんなことで我々は瞬間に心が豊かになってきます。
そしてその「今」の豊かな感情が
次の豊かな現実を生みだします。
そしてその豊かさの体験が
また次なる豊かな現実を引き寄せます。
こうして次々と雪崩のように豊かさの好循環が始まります。
 自分が創造主である事を思い出して下さい。
あなたは「今、ここ」で、
豊かさを感じるという行為をもって、未来を創造します。
あなたが宇宙に与えた豊かさの感情がそのまま現実となって、
こだまのようにあなたの元へ帰ってきます。
あなたの感じるままが「起こって」きます。
こうしてあなたは未来を創造します。
ですがそれがあまりに簡単すぎるために、
皆さんは真実だと思えないわけです。
そしてそれを実行しようとは思いません。
どうぞ考える前にやってみて下さい。
そうしたら必ず起こってきます。
予想もしなかった現実が。
「えっ、何でこんな事が」ときっと驚かれることでしょう。
 どうぞやってみて下さい、簡単なことです。
「今、ここ」であのときの思いがけなかった

ボーナスのことを思い出して下さい。
そして嬉しさのあまり、つい微笑んでしまったときの事を。
少なくともお金を手に入れる方法論を
考えている暇があるのなら、
方法を考えるという無駄なことを止めて、
たっぷりと豊かであった瞬間、瞬間に浸っていて下さい。
今、という瞬間が未来を創り続けるのだ
という事を思い出して下さい。
 その時、頭ではとても考えつかないような
神秘的体験が始まります。
素晴らしい出来事が起こってきます。
神のもう一つの側面である神秘性を発見します。
論理的頭脳をもってしては絶対に
味わうことの出来なかった神秘性があなたのものとなります。
ですからあなたは世界を論理で割り切ろうとはしなくなります。
論理的思考パターンが一歩後ろへ退きます。
 そしてあなたも感じることでしょう。
「この出来事は起こってきた」と。
「これは私がしたことではない」と感じ始めることでしょう。
そんな時、
どこからともなく深いところから悦びがこみ上げてきます。
内なる神と悦びを分かち合っている事を感じます。
☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆
この投稿はシャンタンさんに変わり、

LOVE龍🐉❤️🐉遣い稲谷 洋二ジョニーがお届けしました〜💖✨

ありがとう✩︎ありがとう✩︎ありがとう😌🙏💗ございます✨✨✨✨✨🙏

osho


質問 

なぜ私には、自分の女性的な質の価値を認めるのが、 

こんなにも難しいのでしょう? 

私の内側には、依然として、それらを弱いものと判断し、 

生き延びられない、という気持ちを持ってしまう何かがあります。 


osho 

それは、女性的な質に対して、長い期間にわたってなされて来た非難だ。 

その非難が、女性の血と骨に、深く染み込んでいる。 

それは、自分は女性より優れていることを証明しようとする、 

男性の陰謀だ・・・実際には、そうではないのだが。 


男性は深いところで、女性が自分にはない何かを持っている、 

という事実に気づいている。 


まず第1に、彼にとって女性は魅力的だ。 

彼女は美しく見える。 

彼が女性と恋に落ちると、彼女は彼にとっては、ほとんど中毒になる・・・ 

そこで、問題が生じる。 

どんな男性も感じていることだが、女性に依存しているという感覚が、 

女性を奴隷のように・・・精神的な奴隷として扱おうとする方法を取って、 

彼に反抗させる。 


彼はまた、彼女が美しいがゆえに怖がっている・・・ 

彼女は、彼にとってのみ美しいばかりでなく、 

彼女と接する誰にとっても美しいからだ。 

このエゴイスト、男性至上主義のマインドに、大きな嫉妬が持ち上がる。 


男性は、マキャベリが政治家に提案している、 

「結婚も政治だ」ということを、女性に対してなして来た。 


マキャベリは、「最大の防御は攻撃だ」と提案している。 

だが彼が、それを全ての政治的領域の基本的事実として認めるに至った、 

ずっと以前から、男性はその考えを何世紀も用いて来ている。 


ある種の支配があるところではどこでも、攻撃は確かに、最大の防御だ。 

防御では、あなたはすでに立場を失っている。 

あなたは、自分が負ける側についていることを、 

すでに受け容れてしまっている。 

あなたはただ、自分を守っているだけだ。 


インドには、多くの侵略者達がやって来た・・・ 

少数のグループからなる侵略者達ではあったが、 

彼らはこの広大な国を征服した。 

それは亜大陸だというのに・・・それは、それ自身でひとつの世界だ。 

今世紀の終わりには、4人に1人がインド人になることだろう。 

それは人類の4分の1に当たる。 


この国には、5000年前に書かれた「マヌ法典」のような宗教経典がある。 

彼らは、もしあなた方が、自分達の家の中では平和でありたい、 

と思うのであれば、たまには女性をひどく殴りつけるくらいは、 

絶対に必要なことだ、と提案している。 

彼女は、ほとんど拘束されたままでいるべきだ、と。 


そのように彼女は生きて来た・・・様々な文化、様々な国々の中で。 

だが彼女達の拘束状態は、ほとんど同じだった。 

それは男性が、自分の方が優れていることを証明したいがゆえにだ・・・。 


いいかね、あなたが何かを証明したい時はいつであれ、 

それは、あなたがそれそのものではないことを、意味している。 


本当の優位は、どんな証拠も、どんな目撃者も、どんな議論も必要としない。 

本当の優位は、わずかな知性しか持っていない者によってさえ、 

即座に認識される。本当の優位は、それ自身の磁力を持っている。 


男性が、女性を非難して来た為に・・・ 

そして彼らは、彼女を支配下に置く為に、 

彼女を非難しなければならなかった・・・ 

彼らは彼女を、ほとんど人間以下の範疇に貶(おとし)めた。 


どんな恐怖が男性を屈服させて、こんなことをするように仕向けたのだろう? 

なぜなら、それは全くのパラノイア(偏執症)だからだ・・・。 

男性は絶え間なく比較し、女性の方が優れている、ということを見出す。 


例えば、女性と愛を交わしている時、男性はとても劣っている。 

それは彼が、1回にたった1度のオーガズムしか得ることが出来ないからだ。 

一方で女性は、少なくとも半ダースは連続して得ることが出来る・・・ 

複数のオーガズムを。 


男性はただ、全く無力だと感じる。 

彼は女性に、これらのオーガズムを与えることが出来ないのだ。 

これは世界で、もっとも惨めな物事のひとつを生み出した。 

複数のオーガズムを、彼女に与えることが出来ないので、 

彼は最初のオーガズムさえ、与えないようにしようとした。 


彼女がオーガズムを味わうことは、彼にとっては危険だ。 

もし女性が、オーガズムとは何かを知ったら、 

彼女は当然、ひとつのオーガズムでは満足できないことに気づく。 

むしろ逆に、彼女は前にもまして渇いている。 


だが男性は、使い果たしている。 

だから、もっともずる賢い方法は、女性に、 

オーガズムのようなものが世界に何か存在するとは、知らせないことだ。 


愛を交わしている間の、ある一定のオーガズミックな状態を、 

私達が認めたのは、今世紀になってからに過ぎない。 

西洋でも東洋でも、セックスに関して書かれたどの論文や手引書も、 

「オーガズム」という言葉には言及していない。 


それは、何か策略のように見える。 

ヴァツヤーヤナ・・・ 

セックス・エネルギーに関して書き、科学的な方法でそれを探索した、 

歴史上初めての人だが・・・彼は5000年も前に、セックスの手引書、 

『カーマスートラ』を書いた。 

それはセックスに関する格言だ。 


彼は全ての方向から、出来るだけ深く、その主題の中に入って行った。 

そして彼は、もっとも些細なことも見逃さなかった。 

彼は、愛を交わす84もの体位を記述した。 

それを改めることは出来ない。 

85番目の体位を見つけることは出来ない。 

彼は徹底していた。 


しかし、そのヴァツヤーヤナでさえ、オーガズムのことには触れていない。 

それはとにかく信じ難い・・・ 

セックスの中に、それほど深く入って探求した者が、 

オーガズムの事実に出くわすことがなかったとは。 


いや、私の感じでは、彼は事実を隠していた・・・ 

そして、事実を隠すことは罪だ。 

というのは、それはあたかも、それが真実であるかのように、 

偽りを存続させることを意味するからだ。 

そしてそれは、化学や地理学に関するような、ありきたりの事実ではない。 

それは人類の生命の中で、もっとも重要な何かだ。 


オーガズムの経験は、身体にとって可能な究極の喜びを、 

あなたに与えるばかりでなく、これが全てではない、という洞察をも与える。 

それは扉を開く。 

不必要に外側を見て来たということを、あなたに気づかせる。 

自分の本当の宝は内側にある、と。 

瞑想は、深いオーガズミックな経験をした人々によって、見出された。 

瞑想は、オーガズミックな経験の副産物だ。 

瞑想を見出す道は、他にはない。 

オーガズムが、自然にあなたを瞑想の状態へと連れて行く。 

時間は止まり、思考は消え去る。 


エゴは、もはや存在しない。 

あなたは純粋なエネルギーだ。 

初めてあなたは、自分が身体でもマインドでもない、 

ということを理解したのだ。 

あなたは、何か両方を超越したもの・・・意識的なエネルギーだ。 

そして一度、あなたが意識的なエネルギーの領域に入ったら、 

あなたは生命のもっとも美しく、もっとも光に満ち、もっとも彩り豊かで、 

もっとも詩的で、もっとも創造的な経験をし始める。 


それらは一方では、あなたに成就と、満足を与える・・・ 

身体とマインド、そして、この世界に関する限りでは。 

もう一方では、それらは神性を求める、途方もない欲求不満を生み出す。 


というのも、あなたの経験したものは偉大ではあるが、 

まさにその経験そのものが、全く何の理由もないのに、前方にはより 

大きな経験があるに違いない、ということをあなたに確信させるからだ。 

それまであなたは、オーガズムに関して何も知らなかった。 


それを夢に見ることすら、一度もなかった。 

今では、あなたはそれを「知っている」。 

これは探求するにあたって、刺激になるだろう。 

サイケデリックス(幻覚剤)がもたらすことの出来るものよりも、 

さらに瑞々(みずみず)しく、至福に満ち、 

サイケデリックな何かがあるのだろうか?  


この探求が、人間を瞑想に導いた。 

それはオーガズミックな経験を探る、純然たる洞察だった。 

何が起こるのだろう?  


時間が止まり、思考が消え去る。 

「私」という感覚は、もはやそこにはない。 

純粋で、存在的な「在ること(イズネス)」の感覚がある。 

だが、それに固執するエゴはない。 

私、私に、私の・・・それらは全て、遥か後方に置き去りにされている。 


これがあなたに、瞑想の手掛かりを与えてくれる。 

もしあなたが、時間の超越、マインドの超越をなし得たら、 

あなたはたった独りで、オーガズミックな空間に入っている・・・ 

女性や男性なくして。  

正確に言うと、瞑想とは、性的ではないオーガズムだ。 


だが、人類の半分は何世紀にもわたって、オーガズムを知らなかった。 

そして、女性がそれを知らずにいたがゆえに、 

男性はより良い立場にあった、と考えるべきではない。 


女性にオーガズムを与えなかった為に、 


男性も自分のオーガズムを失う他はなかった・・・。 


だから女性は、何か途方もなく美しいものを、 



何かこの地上で神聖なものを失った・・・ 



そして、男性も何かを失った。 





℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘


シャンタンアートカタログ✨

https://drive.google.com/file/d/1ApcTeaH16YjUsl8AnwpzAfz4KgbW86aE/view?usp=drivesdk


℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘


シャンタンさんにかわり

シャンティヤーム

お届けしました❤️

ありがとうございます💖


℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘




かつて、ゆるゆる瞑想をやった時バガバンにガイドされ 

リラックスすることの深い気ずきをもらった時の シエルさんの日記です。 



今日のテーマは『静寂な喜び』でした。 

先導してくれたマスターはバガヴァン。 

自分がいなくなると、喜びが自然と溢れてくる。 

それは内も外も花が咲き乱れるように。 

その持って行き方、、、 

実際に体験させるバガヴァンの誘導や洞察のすごさ。 

なんだか記憶がほとんど無いような 

あれ、ひょっとしたら今日は宇宙に旅してきたかな、というような、 

不思議な感覚。 

シャンタンさんの感想 

バガヴァンのメッセージ。 

 体がリラックスしていて、「体」が緊張を感じたら、 

 自我は自然と抜けていきます。 

この短いメッセージの中に、悟りへの洞察の 

非常に細かい道筋が入ってることに、 

びっくりしたあああああああああああああああああああああぁぁああああ。 

それはつまり、、 

体がリラックスしているとき、 

体が勝手に動かされるがまま、 

体は体で、自分とは別物のとき、 

体は自分ではなくなります。 

そのとき、自分が不在となり、 

無に非常に近い状態。 

そのとき、自分の中の自我を、 

体は、体の緊張として感じます。 

それは頭が気づいてもダメなのです。 

体が、自分不在のまま、体自身で、 

自然と感じていきます。 

すると、勝手に緊張=自我が抜けていきます。 

なああああああんにも、 

しない、、、、、 

それだけで、、、 

どんどん抜けてく。 

何もする必要がない。 

自分が不在だとすべて勝手に起こる。 

浄化もなにもかも。 

何もする必要がない。 

あなたは、あなたではなかった。 

そこに、目覚めなさい。 

目覚めなさい。 

あなたがいないことに目覚めなさい。 

あなたはいませんでした。 

残念でした。 

それが、 

わたしのできる、 

最高の祝福。 

あなたはいませんでした。 

おめでとう。 

おめでとう。 

それが目覚め。 

シエルさん。 

すごかった。 

すごかったはずなのに、 
すごかったと思う自分さえいない。 

だから何もなくて、静かな喜び。


℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘



シャンタンアートカタログ✨


https://drive.google.com/file/d/1ApcTeaH16YjUsl8AnwpzAfz4KgbW86aE/view?usp=drivesdk



℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘



シャンタンさんにかわり


さかもとあや(シャンティヤーム)


お届けしました❤️


ありがとうございます💖



℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘

幸福なとき、あなたはけっして悲しいときのように深くない。悲しみには深みがある。




osho

惨めさについてさえ、あなたは喜び祝う態度をとることができる。

例えば、あなたが悲しいとき、悲しみに同化してはいけない。

観照者になり、その悲しみの瞬間を楽しみなさい。

というのも、悲しみには独特の美しさがあるからだ。

あなたは一度も見守ったことがない。

あなたは完全に同化してしまうので、

悲しみの瞬間の美しさにけっして入っていかない。

見守ったら、自分がどんな宝物を見逃していたか、あなたは驚くだろう。

見なさい = 幸福なとき、

あなたはけっして悲しいときのように深くない。

 
悲しみには深みがある。

幸福には浅薄さがつきまとう。

幸せな人たちのところへ行って見てみるといい。

いわゆる幸せな人たち、遊び人の男や女、クラブや、

ホテルで見かける人たち、劇場や映画館など、

そういった人たちはいつも笑っていて、幸せにわきたっている。

彼らはいつ見ても薄っぺらで、上辺だけであることに、あなたは気がつく。

彼らには深みというものがない。

幸福は表面にしかない波のようだ。

あなたは上辺だけの人生をすごす。

だが、悲しみには深みがある。

あなたが悲しいとき、それは上辺だけの波ではなくて、

まるで太平洋の深海のようだ。何千メートルもの深みがある。

その深みに入っていって、それを見守ってみるといい。

幸せは騒がしいものだ。

悲しみには静けさがある。

幸せが昼のようだとしたら、悲しみは夜のようだ。

幸せが光のようだとしたら、悲しみは暗闇のようだ。

光は来ては去る。

暗闇はとどまる。

それは永遠だ。

光がたまに生じる。

暗闇はつねにそこにある。

あなたが悲しみのなかへ入っていくと、このすべてのことが感じられる。

突然、あなたは悲しみが対象としてそこにあって、

自分が見守り観照していることに気がつき、

そして突如として、あなたは幸せを感じはじめる。

 
こんなに美しい悲しみ! それは暗闇の花、永遠の深みの花だ。

底無しの深淵のように、とても静かで、とても音楽的だ。

いっさいの雑音がなく、妨げるものはない。

人は無限にそのなかへ落ちていくことができるし、

すっかりみずみずしくなってそこから出てくることができる。

それは休息だ。

それは態度しだいだ。

悲しくなると、あなたは自分によくないことが起こったと思う。

自分によくないことが起こったというのは解釈なのだが、

あなたはそこから逃げ出そうとしている。

あなたはけっしてそれに瞑想しない。

そのようなとき、あなたはだれかのところへ行こうとする。

パーティーへ、クラブへ、あるいはテレビやラジオをつけたり、

新聞を読みはじめたり、とにかく忘れようとしてなにかをする。

このような間違った態度、

悲しみはよくないという態度が、あなたに教え込まれてきた。

それはなにひとつ悪いものではない。

それは生のもうひとつの極だ。

 
幸福は一方の極であり、悲しみはもう一方の極だ。

至福はひとつの極であって、惨めさはもうひとつの極だ。

生はその両方から成り立っている。

そして生にはこの二つゆえに規則性がある。

至福だけの生には広がりはあるが深みがない。

悲しみだけの生には深みはあるが広がりがない。

悲しみと至福の両方がある生は多次元的だ。

それはいっぺんにすべての次元のなかを動いていく。

仏像を眺めるか、または私の目のなかをのぞきこんだら、

あなたはその両方をいっぺんに見いだすだろう。

至福、安らぎ、そして悲しみもまた。

あなたはそのなかに悲しみをも含んだ至福を見いだすだろう。

なぜなら、その悲しみが至福に深みをもたらすからだ。

仏像を眺めてみるといい。

至福に満ちているが、悲しげでもある。

この「悲しさ」という言葉があなたに間違った意味を連想させる。

なにかがよくないという。

これはあなたの解釈なのだ。

私にとっては、全体としての生が好ましいものだ。

そして全体としての生を理解して初めて、あなたは祝うことができる。

そうでないと祝えない。

祝祭とは、なにが起ころうと関係ない。

とにかく私は祝うという態度だ。

祝祭はなにかの条件に依存しない。

「幸せだったら私は祝う」とか「不幸せなら私は祝わない」とか。

祝祭は無条件であり、私は生を祝う。

生は不幸せをもたらすが、それでいい。

私は生を祝う。

生は幸せをもたらすが、それでいい、私は生を祝う。

祝祭は私の態度であり、生がもたらす条件には依存しない。

 
だが、私が言葉を使うために、それらの言葉が

あなたの心に連想を生じさせ、問題が起こってくる。

私が「祝いなさい」と言うと、

あなたは幸福にならないといけないと考える。

悲しいのにどうして祝うことができるだろうか、と。

私は祝うために幸福にならないといけないとは言っていない。

祝祭とはなんであれ生があなたへもたらすものに感謝することだ。

神があなたになにを与えるにしても、祝祭とは感謝の気持ちだ。

それはありがたいと思うことだ。

℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘

シャンタンアートカタログ✨



℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘


シャンタンさんにかわり


お届けしました❤️

ありがとうございます💖
℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘






できる限り奉仕しようと心に決めると、奉仕されたい人を引き寄せ始めます。

津留晃一
 自己の本質に目覚めかけた人は、人に何かしてあげる事に大きな悦びを発見します。
「人に優しくしたい」という、人間の根元的欲求があるからです。
できる限り奉仕しようと心に決めると、奉仕されたい人を引き寄せ始めます。
「人のためにつくす事は良い事です」と親から、そして教育者から教えられ、
その考え方を自我が握りしめたままになっている人は、もうこれ以上自分には
出来ないという限界まで依頼が増え続けます。
やがてあなたに対する他人の依頼が限界を超えてくると、
あなたはイライラしはじめます。

イライラした時の人の思考パターンは誰でも一緒です。
その人の「優しくありたい」という気持ちとは裏腹に、
「そのくらい自分でやればいいのに」というエゴの思いが脳裏をかすめます。

人に奉仕するという、プラスを追い求め続けている人に現れてくる
共通のジレンマです。
優しく依頼に応じられない自分の非力を嘆きます。
自分の意地悪き思いに愕然とさせられます。
こんな落とし穴に落ち込んでもがき苦しんでいる人が、
今この時期、たくさんいらっしゃるようです。
 ある人は、こんな事ではだめだと更に頑張り、自分を鍛えようと努力し続けますが、
いずれにしても限界にぶち当たり、もうどうにもならなくなるまで
他人のあなたへの依頼は増え続けてしまうものです。

これは努力によって解決できるものではありません。
自分を責めてみたところで解決するものでもありません。
あなたが頑張れば頑張っただけ相手からの要求もエスカレートしてきます。
あなたと相手はひとつだからです。
あなたが相手につくそうと思えば思っただけ、
相手は同じだけあなたに要求を持ちかけるわけです。

創造主としてのあなたがプラスを思えば思っただけ
その反作用としてマイナスを創りだしているからです。
 そこで人は考えます。
おかしい、何かがおかしい。
良い事をしようとしているのに何で俺は苦しいのだろう。
何でお前はそのくらい自分でやらないのだ。

そのうち人は依頼されること自体を重荷に感じるようになってくるわけです。
人に何か頼まれることに恐怖を感じている人がたくさんいます。
苦しくて苦しくて、極限までいった人は考え始めます。
どうしてこんな事になってしまうのかと。

意識が内側を向き始めます。
外にばかり向いていた意識が内側に向き始めるのです。
そこからがあなたの真の成熟の時です。

他人から頼まれごとをしたとき、ビクッとする事はありませんか? 
特に自分には出来そうもないと思っていることを依頼されたとき、
どうしようと混乱するのではありませんか? 
あなたは本当は何を恐れているのでしょうか? 
どうして単純に出来ませんと言えないのでしょうか? 
人からの要求にどうしてそんなに敏感に反応するのでしょう。
あなたに対する要求は全てはあなたのハイヤーセルフが、
あなたを神へと導くために起こしている現実にすぎません。

☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆

この投稿はシャンタンさんに変わり、

ジョニー稲谷がお届けしました〜

💖✨ありがとう✩︎ありがとう✩︎ありがとう😌🙏💗ございます✨✨✨✨✨🙏




愛し合うものは、お互いを食い尽くしてしまう。 
存在全体が、愛の中に在る。 

osho

愛はふたつの魂の統合だ。 
ふたつのエネルギーが出会って、ひとつの全体となる。 

これが起こる時、そのとき初めて「祈り」が可能になる。 

「ひとつ」となったふたりは、あまりにも満ちたりて

欠けたものがないので・・感謝が湧き上がる。 

ふたりは祈りと共に、ハミングを歌い始める。 

愛はこの存在全体の中で、もっとも偉大なものだ。 

実際あらゆるものが他のあらゆるものと共に愛の中に在る。 

あなたが何か内側の頂点に達する時はいつでも、 

全てのものが他の全てのものを愛している、

ということに気づくだろう。 

あなたが愛のようなものを見つけられない時でも、 

あなたは憎しみは感じられる。 

憎しみは、愛が誤った方向へ向かったものに他ならない。 

あなたは無関心を感じる。 

無関心は、愛がまだ溢れ出すまでの、

勇気に欠けている状態に過ぎない。 

閉ざされた人を感じる時があるだろう。 

彼は、あまりにもたくさんの恐怖と不安を感じているに

過ぎない。 

だから彼は、最初のステップを踏めずにいる。 

けれども、すべてが「愛」だ。 

動物が、別の動物へと飛びかかって食い尽す時でも・・ 

ライオンは鹿に飛びかかって、鹿を食べてしまうが・・

それは愛だ。 

これは暴力のように見えるだろう。 

あなたは知らないから。 

しかし、これは愛だ。 

その動物、ライオンは、鹿を自分の中へ吸収してしまう。 

もちろんとても荒々しい。 

とても粗野で原始的だ。 

動物的だ。 

それでも、それは愛だ。 

愛し合うものは、お互いを食い尽くしてしまう。 

お互いを吸収してしまう。 

動物は、とても粗野な方法でこれを行っている。 

それだけのことだ。 

存在全体が、愛の中に在る。 

木々は大地を愛している。 

大地は木々を愛している。 

そうでなかったら、どうやって彼らが一緒に

存在出来るだろう? 

何によって、彼らは一緒にいられるのだろう?  

そこには共通の環があるはずだ。 

この環は、根が大地にあるということだけではない。 

もし大地が木を深く愛していなければ、 

根もその木を助けることは出来ない。 

目には見えない、深い愛が存在している。 

全存在が、全宇宙が、愛の周りを回っている。 

真実だけではあまりにも乾いてしまっている。 

もしこのことが理解出来れば・・今はただ、

頭で理解出来るだけだろう。 

が、記憶の中に留めておきなさい。 

いつの日か、これがあなたの実存での経験となるだろう。 

敵対している者たちは、お互いを愛している。 

そうでなかったら、どうしてそんなに

厄介をかけ合うのかね?  

「神はいない」と言っている者さえも、神を愛している。 

彼は絶えず「神はいない」と言っている。 

彼は取り憑かれている。 

神に魅せられてしまっている。 

さもなければ、どうしてそんなに神の邪魔をするのかね。 

無神論者は生涯ずっと、神がいないことを証かそうと

している。 

彼はそれほどまでにも神の愛の中にある。 

それほどまでも神を恐れている。 

時が来れば、彼の実存には途方もない変容が起こるだろう。 

それで恐れている。 

彼は証かし続ける。 

「神はいない」・・こうやって努力している時、

無神論者は、神が自分を呼んでいるという

深い怖れを表してしまっている。 

そしてもし神がいれば、彼は今のままではいられなくなる。 

これはちょうど、目を閉じたり半分閉じたりして、 

通りを歩いている僧侶のようなものだ。 

僧侶は女性を見ないようにしている。 

彼は自分にこう言い聞かせ続ける。 

「女性なんて存在しない。

すべてがマーヤ、幻想だ。ただ夢のようなものだ・・」 

それなら何故、ただ夢のようだと言い続けるのだろう? 

何故、この愛すべきものが存在しないなどと

証そうとするのだろうか? 

何故なら、そうしなければ僧院は消えてしまうだろう。 

全てが愛だ。 

愛が全てだ・・もっとも粗野なものから、

もっとも超えたものまで。 

岩から神に至るまで・・愛だ。 

たくさんの層、たくさんの段階、程度がある。 

しかし、愛だ。 

あなたがひとりの女性を愛することが出来れば、 

あなたは、マスターを愛することも出来るだろう。 

マスターを愛することが出来れば、神を愛することも

可能となる。 

女性を愛すると、その肉体を愛することになる。 

肉体は美しい。 

肉体には何も問題はない。 

それはまさに、ひとつの奇跡だ。 

ともかく、あなたが愛することが出来れば、愛は成長する。

℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘



シャンタンアートカタログ✨


https://drive.google.com/file/d/1ApcTeaH16YjUsl8AnwpzAfz4KgbW86aE/view?usp=drivesdk



℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘



シャンタンさんにかわり


さかもとあや(シャンティヤーム)


お届けしました❤️


ありがとうございます💖



℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘

















 

 

 

明日世界が終ろうとも私は気にしていません。と言うのはたやすい。

だが、あなたのハートでそれを感じてごらん。

世界というのは、あなたの外側にだけ存在するのではない。

世界は、あなたの内側にも存在する。

あなたが世界だ。 

あなたは「今」を選び、延期することを止める。

それは本当だ・・「今か、さもなければ永遠にない」・・

質問

たとえ明日世界が終ろうとも私は気にしていません。

そのことについて話して何になるのでしょうか?

人類の抑圧されたマインドの中で、永遠に燃え続けるかのような、

この巨大化してしまった破滅の炎に油を注ぐことに、

意味はあるのでしょうか?

もうたくさんです。

「今か、さもなければ永遠にない」ということがよく分かります。

それならば、今やってしまいませんか。

さあ、踊りましょう! 




osho


ヴィマール、

「私は世界のことなんか気にしていません」

と言うのはたやすい。

だが、あなたのハートでそれを感じてごらん。

世界というのは、あなたの外側にだけ存在するのではない。

世界は、あなたの内側にも存在する。


あなたが世界だ。 

あなたは「今」を選び、延期することを止める。

それは本当だ・・「今か、さもなければ永遠にない」・・

だが世界には、今に生きている人々はほとんどいない。

人々は、いつも昨日か明日に生きている。 


なぜ私は、どのような明日も全くなくなってしまう可能性が

今度こそ来る、ということを強調しているのだろう?

「明日は決してやって来ない」という古い諺(ことわざ)がある。

だがこの古い諺は、ただの諺に過ぎなかった。

そしてこの諺にも関わらず、明日はやって来続けた。

それは明日としてやって来るのではない。

いつも今日としてやって来る・・その意味では、諺は正しい。 


だが、今や状況は全く異なる。明日は本当にやって来ないかもしれない。

私達はまさに、道の終わりにやって来たということを、

あなたの存在の中に深く浸透させて欲しい・・

そして、踊り祝う以外に、何も残されていない。

それを「今」やる為に、私はあなたの明日を完全に破壊している。

私はあなたのマインドから、明日を取り去ろうとしている・・

あなたのマインドは、明日というものに深く巻き込まれている。 


あなたのマインドの中に、延期する為の言い訳が残されるべきではない。

そうすれば、あなたの全エネルギーが「今」に集まる。

未来に広がっていかない。

もし全エネルギーをこのポイントに集中するなら、

この瞬間はエンライトメント(光明)の瞬間になり得る。

光明とは、あなたの意識がただ一点に集中した、

ということ以外の何ものでもない・・


「今」そして「ここ」に。 


あなたは言う「もうたくさんです」。

そうではない、ヴィマール。

人間のマインドを見ると、何も充分ではない。

人々は、彼らの古い無意識なやり方で生きている・・

ブッダやキリストのような人々が、いつも世界の終わりを

予言して来たけれども、世界はまだここにある。

という望みを抱きながら・・ 


だが私の関心は、世界の終わりを回避することにあるのではない・・

もし回避することが出来るならば、それは回避されるだろう・・


私の関心は、あなたの全エネルギーをこの瞬間に集めなければならない

ということに・・


そして、

全エネルギーが「ここ」と「今」に集められた瞬間、光の爆発が起こる。

あなたは初めて、完全に自分自身・・永遠の存在、不死の存在になる。


それは何ら死について知らない。

どのような暗闇にも決して出会ったことがない。 


あなたは言う。

「それならば、今やってしまいませんか。さあ、踊りましょう!」

だが、あなたのダンスはトータルでなければならない・・

というのも、あなたは踊りながら、

依然として未来に思いを馳せることが出来るからだ。

あなたは踊りながら、依然として明日もまた踊っているだろう、

と考えることも出来るからだ。

これが最後のダンスであるかのように踊りなさい。

奔放に踊りなさい。

何もためらうことなく。

それがあなたの存在に変容をもたらし、

そして、他の人々の変容の可能性をもたらすだろう。 


人類はかつて、これほど苦しんだことはなかったほど苦しんでいる。

人類は、かつてなかったほど絶えず動き続けている。

人類は「寛ぐ」という言葉を忘れてしまった。

「トータル(全面的)」という言葉を忘れてしまった。

「強烈さ」という言葉を忘れてしまった。 

そしてこういった素晴らしい質は全て、あなたの瞑想が、

あなたの存在の革命となる為に必要となる。


それは道徳の問題でも、品性の問題でも、美徳の問題でもない・・

宗教は、何千年もの間、これら全てのことと関わって来た。

そして彼らは、人を変容させることで、上手くいったためしがない。

これは、全く異なったアプローチ、異なった次元のものだ。


エネルギーの次元、そしてエネルギーの集中だ。 

ちょうど原子力というものが、小さな原子が

電子、陽子、中性子といった、自らの構成要素へと分裂する

爆発であるように・・それは目には見えない。

が、爆発は非常に大きい。

だから、長崎とか広島のような大きな都市を破壊してしまう・・

これとまさに同じことが、生きている細胞の内側での爆発として起こる。


原子力は外側にあり破壊的だ・・外向きで破壊的だ。 

あなたの存在の内側のエネルギーである、

内なる細胞が一度爆発したなら、それは原子力と同等の質、

同じような途方もない力を持っている・・

だが、それは創造的だ。

それは連鎖的な反応だ。

あなたの内側のひとつの細胞が爆発する。

それから他の細胞が連鎖的に爆発を始める。


生全体が、光のフェスティバル(祝祭)になる。


あらゆる行為がダンスになる。


あらゆる動きが、この上ない喜びとなる。 




 
℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘



シャンタンさんにかわり


さかもとあや(シャンティヤーム)


お届けしました❤️


ありがとうございます💖

℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘~℘