覚醒のひかり

覚醒のひかり

覚者たちの言葉やスピリチュアルを紹介。
また、スワミ・アナンド・シャンタンこと宮井陸郎(1940.3.13-2022.3.17)の経験、ゆるゆる瞑想、アート等を投稿。

【地球は国境のない、一つのうつくしい平和な星です。
ありがとうございます。】





バガヴァン

宇宙は基本的に予測できないものです。

なぜなら、宇宙は生きているものだからです。

そして、宇宙は瞬間ごとに変化しています。

人生が自分の支配を超えていることを知るとき、受容を伴う神への服従が叡智なのです。


教えは、あなた方は変えることはできないし変える必要もない、

なぜなら、あなた方はそのようにデザインされているからだ、と語ります。

あなた方はそれなのです。

それが全てなのです。

それが唯一の教えです。

それゆえに、「私は変わることができない」ことを受け入れなさい。

それでは、何をするのでしょうか?

 何もすることはありません。

そして、そのことについて何も悪いことはありません。

なぜなら、私はあなた方をそのようにデザインしたのですから。

あなた方が自分自身をデザインしたのではありません。

神が、あなた方をそのようにデザインしたのです。

あなた方をそのようにデザインすることに、神は何かの目的を持っているのです。

ですから、そこには完全な服従があるのです。


貫井投稿



 

 

人はついに幼年期の終わりの時を迎え、  成人となって宇宙へと羽ばたきます。


津留晃一


 地球上で暮らす我々人類は、今、その永い永い準備期間の終焉の時を迎え、

ついに成人へと脱皮を開始し始めました。

水の中で暮らしていたトンボの幼虫がその殻を脱ぎトンボとなって

飛翔するように、人はついに幼年期の終わりの時を迎え、

成人となって宇宙へと羽ばたきます。

 幼人として着々と築き上げてきた自我という観念の殻を、自ら打ち破るときがきました。

観念の檻からの脱皮です。

想念の縛りからの解脱です。

それが覚醒です。

本来の自分に目覚めるという事です。


 正しさや正義という道徳観念、ねばならないとか、こうあるべきだといった

自我の鎧を、自分の力で脱ぎ去らねばならないようです。

従って、あれは間違い、これは正しい、という分離思考の人にとっては、

いたたまれない世界となるようです。

 あなたの心の内なる世界で、善悪とか、正邪といった、

もろもろの葛藤が完全に消滅したときに、人は目覚めます。

この時人々は、全体が自分であり、自分は全体の一部であるという、

全体と部分の両方の意識感覚を身につけているでしょう。

 今、あなたの成すべき、人類への、そして地球への最大の貢献が、

覚醒することであると伝えられました。


 



貫井投稿



 

 

 

神は「あなたが100%自由であってほしい」と望んでいます。


津留晃一


多くの人が、自分には
「何かしなければならない事がある」
と考えているようです。

自分には何か成すべき
使命があると考えます。

あなたに成すべきことが
何かあるとしたら、

それは「今を100%生きる」
ということであり、

それ以外にあなたの
成すべき事はありません。

将来のいつかあるとき
 あなたが光るために
今があるわけではなく、

何か達成されたときに
輝くように
今が用意されている
 わけでもありません。

今、輝くために
 あなたは存在しています。

あなたがするべきことは
今光輝くこと、
あなたの命を今
 生き生きと発揮させることです。

なのにどうして今輝こうとせず、
これが出来ないとダメだと
決めているのでしょうか。

あれがない限り不可能だとか、
これさえあれば
出来るのだが・・・と。

「これがあれば輝けるのに」
と決めているのは誰でしょう。

そう決めているのはあなたです。

「いや親に言われるから」
とあなたは言うかもしれません。

しかし親のその意見を
受け入れているのはあなたであり、
あなたは親のその意見を
受け入れないこともできるのです。

他人の意見を受け入れ、
 自分を縛っているのは
自分以外にはいないのだ、
と気付くべきでしょう。

人は元々完全に自由です。

神があなたに望んでいる
 たった一つの願いは
「あなたが100%自由であってほしい」
という事であると伝えられました。

「何かしなければならないことがある」
と考えただけで、
 人はその自分の考えから
束縛を受け始めることになります。

「ねばならない」ことは
 あなたを縛ります。

あなたを不自由にしているのは、
この「ねばならない」
という考え方です。

あなたにしなければならない
 ことなどなにもありません。

元々神そのものであるあなたに
何かしなければならないことなど
 あろうはずがありません。

神は、したいからするのであり、
しなければならないから
 するのではないはずです。

「こんな自分を何とかしよう」、
 「この気持ちを何とかしなければ」、
 「あいつはこのままではいかん、
 何とかしなければ」、

とこんな気持ちから
行動をとっている人の
 なんと多いことでしょうか。

これらはいずれもあなたの
自我から出てくる行動であり、
あなたの本質である
神のなすワザではないようです。

これまで人は
神のごとき人間になりたいと、
 多くの理想をかかげて
行動してきましたが、

人はこの「理想」を
心に抱いたその瞬間から、
 実は、何とかしなければ
 ならなくなってくるのです。

理想とかけ離れた自分を
何とかしなければ
 ならなくなってくるわけです。

人が理想を思い描くのは
今が理想的でない
 と感じているときであり、

そのあなたの無意識下に秘められた、
 今を否定する「このままではダメだ」
という思いが、
このままではいけない困った現実を
呼び寄せることとなってきます。

それがあなたがこれまで
体験し続けてきたあなたの現実です。

 

 

貫井投稿






osho

世界中の政治家達が、あらゆる時代を通してやっていることは、

たんに非人道的で醜い。

だがその理由、その根本的な理由は、

彼らが根深い劣等感を抱いていることにある。

そして彼らは、そうではないということを証明しようとする。

「見てごらん、私にはこれだけの権力があり、

これだけの人々の運命を左右し、これだけ多くの核兵器を持っている。

ただボタンを押すだけで、地球全体を破壊出来る」

他者への権力は破壊的だ・・常に破壊的だ。


より良い世界では、野望を抱く人々、他者より価値があること、

他者より先んずることを望む者は、精神療法の対象となるべきだ。

ただつつましく、シンプルで自然であること・・

他者と比較しないこと・・

なぜなら誰もがユニークであり、比較することは不可能だからだ。

どうやって、バラの花をマリーゴールドと比較出来る?

どうやってどちらが優れ、どちらが劣っていると言える?

それぞれが美しく、それぞれが花開き、陽光の中、

風の中、雨の中で踊り、それぞれの生をトータルに生きている・・


全ての人間はユニークだ。


誰かが優れ、誰かが劣っているということはない。

そうだ、人はそれぞれ異なっている。

ひとつ覚えておいて貰いたい。

さもなければ、あなたは私を誤解するだろう。

私は、コミュニスト(共産主義者)が考えるように、

全ての人は平等だと言っているのではない。

私はコミュニズム(共産主義)には全く反対だ。

その理由は単純だ。

コミュニズムの原理全体が、心理学とあらゆる

心理学的研究に対立しているからだ。

誰も優れていない、誰も劣っていない、だが誰も平等でもない。


人々はただユニークであり、比較することは出来ない。


あなたはあなたであり、私は私だ。


私は、自分の可能性を生にもたらさなければならないし、


あなたも、自分の可能性を生にもたらさなけらばならない。



私は、自分自身の実存を発見しなければならないし、



あなたも、自分自身の実存を発見しなければならない。

OSHO,From Bondage to Freedom より抜粋(1989)



男は、戦争しか生み出さなかった。

この3000年の間に5000の戦争だ・・

生は、ただ争う為だけのものだろうか?

生は、ただ殺人、殺戮、強姦の為だけのものだろうか?

歴史全体が、殺人に満ち溢れ、あなたは殺人者達を偉人と呼ぶ。

アレキサンダー大王だ・・小さな殺人者は投獄され、死刑を言い渡される。


そして、大きな殺人者は英雄になる。


その原因は、生に何かを貢献することから、

女性が完全に隔離されて来たからだ。

さもなければ、これほど多くの戦争は起こらなかっただろう。

戦争に興味がある女性はひとりもいない。

それは女性の本質に反している。

女性は愛に興味があり、美しい家に興味があり、

そしてその周囲の美しい庭に興味がある。

女性は小さなことに興味があるが、これら小さなことが、

生に生きる意味を与えるのだ。

女性は、核兵器や核ミサイルを作ることに興味はない。

女性は、男達がやっていることが理解出来ない。

彼らは気が狂っているのだろうか?


人類の半分が飢餓で死に瀕しているというのに、全て男性である政治家、

全て男性である将軍達は、核兵器の山を築いている。

彼らはすでに必要以上に持っている・・

全世界を700回以上破壊するのに充分な量だ。

地上の全ての生き物・・木々、鳥、動物、人間、

生きとし生けるもの全て・・

を700回以上破壊出来る量を所有している。

それでも、さらに山を築いている。


人類の半分が飢餓で死に瀕しているというのに、

これを正気と呼ぶのだろうか?

それは、男性だけが世界に貢献して来た為に起こった。

男性は女性の慈悲を持っていない。

彼は、男性の頑固さしか持っていない。

男性は、女性の柔らかさが世界情勢に寄与することを許さない。


私達には、バランスの取れた生が必要だ。

そこでは、男性と女性が等しく貢献する。

生はより平和に満ち、より愛に満ち、より喜びに満ちたものになるだろう。


それは大いなる祝祭になる。


そしてその祝祭において、私の希望は、


あなた方がありきたりのつまらない楽しみを超えて、


宇宙的な至福、サッチタナンド・・



つまり、真実、意識、至福に到達することにある。



OSHO,Sat Chit Anand より抜粋(1989)




人類は、戦争を終えてしまった。

私達は、新しい平和の時代に入ろうとしている。

これまで平和は一度もなかった。

歴史は、戦争と、戦争への準備、

というふたつの時代に分けることが出来るだけだ。

これまで平和は一度もなかった。

核兵器は不幸に見えるが、戦争そのものの姿を

変えてしまったという意味で、実は幸運なのだ。

戦争とは、勝者があり敗者がある時にのみ意味がある。


それはエゴゲームだ。


だが核兵器は、ゲームそのものを破壊してしまった。

今や、誰ひとり勝者はなく、誰ひとり敗者はない。

全ての人が破壊される。

戦争は、全ての意味をなくしてしまった。

戦争が、地球規模の自殺を意味するなら、それは起こらないだろう。

政治家達は、それについて語り続けるだろう・・

彼らは、語り続ける他はない。

なぜなら、彼らの権力は戦争ゆえにあるからだ。


争いは不可能だということが明らかになったら、


誰が政治家や彼らの核兵器のことを気にかけるだろう。



彼らは、戦争の可能性について語り続ける・・



サミット、新しい提案・・それら全ては、全く無意味になってしまう。



彼らは、同時に別のことが起こっていることに気づいていない。



OSHO,Socrates Poisoned Again After 25 Centuries より抜粋(1988)




貫井投稿





 

 

今は、一瞬先に何が起きるのか分からない時です。 

空の雲も瞬間から瞬間に変わり続けています。。

最近の空、雲の波動がすごいかたちを描きだしていますね。
 

空と同じく、私達の人生においても 

止まっているものは何一つありません。 

特に、これからは地球が身震いしアセンションする時にはいりました。 

一瞬先に何が起きるのかわからない時がきたのです。 

いまの時、だんだん、先の予定をたてることが 

難しくなってるのです。 


すべてが、瞬間から瞬間に変わっていくので 

自分に正直に生きようとしたら 

先のことは約束できないのです。 


ゆるゆる瞑想は、ぼくの身体をとうして思い出した方法です。 


古代、縄文の時、まだ人びとが素朴で純粋な時代、 

共同体の中で 

病気なおしや、健康のために集まって、 

お互いのエネルギーをまわし合って 

ひとりでは取り切れない疲れや、 

からだの毒を流し取っていきました。 

ただ、ゆるやかに丹田をまわす、 

誰にでもできるからだの運動をとうして 行います。 


ぼくたち日本人が悟るためには丹田におりることが早道です。 


からだを緊張させるのではなく 

ゆるめて やすらぎの中で 

努力もなくくつろいで あそびながら 

丹田に落ちていくことです。 


丹田こそがぼくたちの生まれもった中心です 

丹田の中にすべて意識とエネルギーが入ったとき、 

宇宙の中心と つながります。 


それが悟りです。 

シャンタンのこのコースでは、 

ゆるゆる瞑想や、身体、丹田を意識し、 

皆でふれあいながら、進んで行きます。 


そのような感覚から入っていくことで、身体が、意識が、魂が…より目覚めやすくなります。 



貫井投稿




 

 

 

津留晃一



変 化

人はお金を欲しいと思います。

お金があったら
 あれも出来る
 これも出来ると思います。

すなわち何でも出来る
自由を欲しがります。

そして人は何かをする
自由を元々持っており、
 何かをするために
 お金を手段とする方法は、

何かをするための
無限の手段の内の
 ひとつの手段すぎない事を
 すっかり忘れ去っています。

何かをするのに
 お金が便利であることは
確かですが、

ほかの多くの手段の
可能性を検討することさえ、
 今では誰もが忘れ去っています。

それが頑強な
固まった考え方にすぎないことを、
 思い出す時が
 やって来たのではないでしょうか?

あなたには元々パワーがあります。

全てを産み出し形作る
内在する無限の力を所有しています。

それは嘘ではありません。

宗教者のたわごとでもありません。

悟った結果、
 手にする特別な力なのではなく、
 修行により
 だんだん身についてくるといった、
たぐいの力でもありません。

どんな人にも今そのままで
備わっている力のことです。

それは今あなたの内にあり、
その力を失ったことなど、
これまでただの一度もないのです。

その力にあなたが
意識を向けさえすれば、
それが元々そこに
 あったことに気づくでしょう。

あなたという存在は、
エゴと、ハイヤーセルフという
2つの意識によって構成されている
 と考えると
解りやすいかも知れません。

潜在意識と呼ばれている
 ハイヤーセルフと、
 表面意識と呼ばれている
 エゴの
2人で自分だと思ってみて下さい。

潜在意識をこれまで人は
理解しようとしてきましたが、
エゴの頭脳で
理解できるものではありません。

エゴに理解できないのが
潜在意識なのです。

でも潜在意識は
元々あなたの内にあります。

あなたがそこに
意識を向けさえすればいいのです。

意識を向けた時、
あなたはもうそこと繋がっています。

あなたの表面意識が
 そのことをどう考えようと、
それはその瞬間繋がっているのです。

繋がっているのだという
言葉を単に受け入れればいいのです。

その内なる力を使って下さい。

無限の
潜在的可能性を持つパワーです。

あなたが創造主です。

何かをするのにお金がいる、

何をするにもお金がいる、

という考え方を
 そろそろ手放さなければならない
時代となるようです。

「でも現にお金がいるじゃないか」、

「お金がないと
生きていけないじゃないか」、

「お金がないと
電車に乗れないじゃないか」
と人は言います。

そしてその
内なるパワーを使おうとせず、

あいも変わらず何かをするために
必要なお金を得るために、

自分のエネルギーを消費し続けます。

ねばならない作業に
自分の魂を曇らせ、
 内なるパワーをしぼませます。

お金がないと
何もできない現実があるのは、
 皆さんが
 そう思っているからに他なりません。

創造主であるあなたが、

お金がないと生きていけないと
考えているからあなたのまわりに、

お金がないと生きていけないという
現実を生み出しているにすぎません。

 

 

 


貫井投稿



 

 

 

 

あなたが第三次世界大戦を防止できると考えてはいけない。 

この瞬間を喜びに満ちて、祝いながら生きなさい―― 


もっと愛に満ち、もっと健康になって、そしてハートから生きなさい。 



 Osho,なにもかも申し分ないのですが、 

第三次世界大戦が近づきつつあります。 

あなたは「世界を変えようとしてはいけない」とおっしゃいます。 

けれどもコミューンの門のすぐ外では、 

乞食の子が今にも飢えで死にそうになっています。 

どうしたらいいのでしょうか? 


  
osho 

私の提案はこうだ。 

あなたが第三次世界大戦を防止できると考えてはいけない、 

あなたが貧困を変えられると考えてはいけないということだ。 


あなたが変えられるのは、あなた自身だけだ。 


あなたの貪欲を捨てなさい、 

あなたの未来を捨てなさい、 

あなたのマインドを捨てなさい。 


もっと愛に満ち、もっと健康になって、そしてハートから生きなさい。 

そしてもしたくさんの人びとがそのように生き始めたら、 

それこそが世界を変える唯一の方法だ。 

世界を直接変えることはできない。 

なぜなら世界は魂を持っていないからだ。 

魂は個人のなかに存在する。 

個人だけが変わることができる。 


 あなたがたが溜め込み屋のままで―― 

貪欲で、暴力に満ちて、抑圧されて――いるなら、この社会が続くだろう。 

そしてあなたは乞食に金をやることはできるだろうが、彼は乞食のままだろう。 

なぜなら金は決してなにも変えはしないからだ。 

私は百万長者でいてしかも乞食のような人たちを知っている。 

彼らは、いくら持っていようがなにも違わない守銭奴だ。 


 こんな話を聞いたことがある……。 

ふたりのユダヤ人亡命者が 

ジョン・D・ロックフェラーの家を通り過ぎたことがある。 

「 わしにあの男の百万ドルがあったらなあ」 

とその内のひとりがため息をついた。 

「わしは奴よりもっと金持ちになれるのに」 

 「そんなの無意味だね」ともうひとりが注意した。 

 「お前にロックフェラー氏の百万ドルがあったら、 

お前は彼と同じだけの金持ちで、彼以上の金持ちなわけじゃないさ」 

 「お前は間違ってる」と最初の男が主張した。 

「わしがヘブライ語のレッスンの方もできることを忘れんでくれよ」 


 乞食はやはり乞食だ。 

ジョン・D・ロックフェラーの全財産を持ってまでも、 

彼はもう一方でヘブライ語のレッスンをするつもりでいる。 

 人は変わらない。 

金では決してなにも変わらない。 

もし自分が変われば、それはまったく別なことだ。 

私は慈愛の心を持ってはいけないと言っているのではない。 

私が言っているのは慈愛の心を持つのはいいが、 

ただあなたの慈悲で世界が変わると思ってはいけないということだ。 

そんなことを望んではいけない。 

なんであれ与えられるものを与えたらいい、 

分かち合えるものを分かち合いなさい。 


ただ愛の心からのみ分かち合いなさい。 

政治的観点で、世界を変えるなどと考えてはいけない。 

さもないと失望することになる。 

そういうことは忘れてしまいなさい。 

あなたはなんでも自分がしたいと思うことをしたらいい。 

乞食に会ってなにか感じたのならそれをしたらいい。 

自分がしたいと感じることをなんでもしなさい。 

私は、なにもするなと言ってはいない。 

ただ私が言っているのは、自分が 

世界を変えているなどと思ってはいけないということだ。 

なにひとつ変わるものはない。 


 世界を変える唯一の方法は意識のレベルを変えることだ―― 

そしてあなたは、それをあなた自身のなかでしかできない。 

ほかの誰にも、それを外側からすることはできない。 

確かに、あなたが自分の意識の水準を変えたら、あなたは人びとを 

変えるような、彼らが知らずに変わってしまうような波動を生み出す。 

 世界にはある別の雰囲気が必要なのだ――別の社会ではなく、別の空気だ。 

別の霊的な波動が必要なのだ。 

私が直接することに関心がないのはそのためだ。 

私はあなたを社会の僕(しもべ)に、 

宣教師に、なにかそういうものにしたくはない。 

私はあなたが完全に利己的であることを望む。 


 まず自分が誰かを知ろうとしなさい。 

これこそが利己的であることの第一原理だ。 


まず愛そうとしなさい。 


これが利己的であることの第二原理だ。 


他人を愛せるようになるほどに自分自身を愛しなさい。 


そして利己的であることの第三原理はこうだ。 



その瞬間を喜びに満ちて、祝いながら生きなさい―― 



そうすればあなたを通じてなにかが起こり始める。 



あなたは引き金のポイントになる。 





世界的プロセスが始まる。 







 いつであれひとりの覚者が生まれるとき、世界的プロセスが始まる。 






あなたは覚者になりなさい、目覚めるのだ。 









それがあなたにできるすべてだ。 




 貫井投稿






瞬間から瞬間へと生きなさい。過去のことや、未来のことを考えたりしないこと。


<OSHOとのダルシャン(面談)より>       (1976年7月28日)



OSHO・・・(イタリアから来て、サニヤスを受けようとしている探求者に)

目を閉じて、もし何かが起こったらそれを許しなさい。

自分の内側で私のエネルギーを感じてごらん・・・。


※カテリーナは目を閉じて、1分から2分ほとんど微動だにせずに坐り、その間にOSHOは彼女のサニヤス名を書いた。OSHOはそれから、しばしペンシルライトを彼女の顔に当てながらカテリーナを凝視した。


OSHO・・・これがあなたの新しい名前だ。

アナンド・サハジョ。

アナンドは至福を意味し、サハジョは自然に内から出て来るという意味だ。

内発性の至福。

そしてサハジョというのは、ある女性の神秘家の名前でもある。

偉大なインドの聖者、世にもまれな女性の神秘家のひとりだ。

私があなたにこの名前をあげるのは、絶えず内発的で

いなければならないということを、覚えていられるようにする為だ。

瞬間から瞬間へと生きなさい。

過去のことを考えたり、未来のことを考えたりしないこと。

両方とも存在しないものだ。

過去はもう去っている。

未来はまだ来ていない。

あるのは現在だけなのだ。


だから、現在の中にいることこそ唯一の在り方なのだ。

その瞬間に感応出来る状態でいなさい。

もし誰かが何かを聞いても、自分のマインドから答えないこと。

マインドは脇に置いておくがいい。

なぜならば、マインドというのは決して内発的ではあり得ないからだ。

そして内発的であり得ないものなど、あなたではない。

マインドを脇にのけると、あなたの内発的な実存が浮かび上がって来る。

だから一貫性などに構うことはない。

そんな必要はない。

あるひとつの人格を持つ必要などない。

人格というのは、過去が現在を決定するということだからだ。

自分は過去にあることをやって来た。

今、自分はそれと一貫していなければならない。

それが人格の何たるかなのだ。

社会は、あなたにも他のあらゆる人にも人格を持たせたがる。

なぜならば、人格を持った人間というのは簡単に操れるからだ。

人格を持った人間は予測可能だ。

内発的な人間は予測不能だ。

彼は根本的なところで自由なのだから・・・

次に彼が何をするかは決して分からない。

自分でも次の瞬間に何が起こるか予測出来ない。

もし次の瞬間に何が起ころうとしているか、自分が

何をしようとしているか分かったら、あなたはもうすでに死んでいる。

それでは、その瞬間は生きた、新鮮な、若々しいものではあり得ない。

あなたはもうすでに、それに対する構えを取ってしまっている。

だから何も用意はいらない。

ただ次の瞬間が来るのを待って、結果がどうであれ

自分の全体性(トータリティ)をもって感応するのだ。

結果を考えるということは、世間的であることだ。


そして結果を考えるのを止めることが、サニヤシンになることなのだ。

分かるかな?

それがこの名前の意味だ。

そして、それはあなたの名前になるだけではない。

それはあなたの実存そのものにならなければならない。

何か言いたいことはあるかな?


ラダ(通訳)・・・彼女はどのグループをやるべきか知りたがっています。

彼女は8月の10日までしかいられません。

カシミールの山に行きたいからです。

彼女は山に登るのが大好きなのです。

彼女はイタリアでも山に登っています。

彼女はとても達者な登山家なのです。


OSHO・・・私よりも大きな山は見つかるまい!

(笑)だが行くのはいい・・・いい練習になるだろう!

ラダ・・・延ばすことも出来るそうです。


OSHO・・・延ばしなさい。そうでないと、

早く山に来すぎたということになるだろう。

少なくとも1ヶ月ここにいて、私の何かを吸収出来るようになりなさい。

そうしたら私が山にのっけてあげよう。

何か他に言いたいことは?


ラダ・・・彼女は小さい頃から音楽を勉強していて、

大きなコンサートでオルガンを弾いて来ました。

けれども、今彼女の中にはある衝突があります。

それを続けるべきかどうか分からないのです。


OSHO・・・音楽というのは、絶対に

捨てるべきでないビューティフルなものだ。

それは一種の瞑想なのだ。

だからそれを捨てるよりは、むしろその中にもっと深く入って行きなさい。

私がその中にもっと深く入って行くのを助けてあげよう。

私にはどこに問題があるか理解出来る。

問題は音楽の中にあるのではない。

問題は「演奏家」でいることにある。


ラダ・・・彼女が言うには、自分の問題は

音楽の中で完全に自分を実現したいということだそうです。

そうすれば、もうこれ以上コンサートはやらないだろうと言っています。


OSHO・・・そう、私が言っているのはそれだ・・・。

「演奏」が問題なのだ。

世の中には本当のところ演ぜられ得ないものがある。

もしそれが自分の中の深いところにあったら、

ごく共感度の高い愛を持った聴衆が得られない限り、

あなたはそれを他人の前でやることなど出来ないものだ。

そして、そういう聴衆というのはなかなか得られるものではない。

公衆の面前でコンサートをやるというのは、

路上でセックスするようなものだ。

それはそれほどに親密なものであり、人は柔らかなハートを

あんな公衆の凝視にさらすなどということに戸惑いを感じてしまう。


ラダ・・・彼女は、自分が思う存分ほかの人達に音楽を

与えてあげることが出来ないことも問題だと感じています。


OSHO・・・それは可能になるだろう。

あなたが瞑想の中に深く入って行けば行くだけ、

音楽の質も変わって来るだろう。

あなたの能力も変わってゆく。

あなたは音楽の中にもっと根づいた感じになるだろう。

だから今の今はここで瞑想し、いくつかグループをやりなさい。

ここは音楽グループもあるから、それに参加してごらん。

そして、あれは演奏ではない。あれは瞑想だ。

(ラダに)そしていつか彼女はここ(ダルシャンの席)に来て、

演奏しなくてはいけないよ。


何でもやりたいものをやればいい。


とにかく彼女がどこにいるかを私が感じられるようにする為だ。


そして、ここで私の前で演奏する時には


(サハジョに)自分自身を完全に忘れてしまうことだ。



30分間、出来る限り深く入り込むがいい。



そうすれば、私はどこにブロック(エネルギーの滞り)




があるかを感じることが出来る。




それが分かれば打つ手もあるというものだ。 Good サハジョ!




貫井投稿







2004年12月11日 Oshoの誕生日にぼくはバンコクにいたんですが、

非常に強いエネルギーが降りてきました。

そのエネルギーはなんなんだろうと思っていたら、

古いサニヤシンの友達のアサンガに、15年ぶりに地下鉄でばったり会いました


そしてアサンガはインドに行き、2005年の3月にバンコクに帰ってきました。

そのときアサンガはバガヴァンのところに行き、ディクシャギバーになっていました。

アサンガに会った瞬間に、Oshoの誕生日にぼくに来た大きなエネルギーは

バガヴァンから来たエネルギーだとわかりました。

ぼくはOshoが肉体を離れて以来、インドに行ったことはなく

インドは卒業したと思っていました。


でもすぐに、ぼくはバガヴァンのところに行くことに決め、

4月にディクシャギバー養成コースを受けに行きました。


で、ぼくのなかでは

Oshoとバガヴァンに両脇をかかえられて、バンコクから

ずぼっと引き抜かれて、インドに運ばれた感じがしていました。

だから、ぼくのなかでは

Oshoとバガヴァンは、ともに働いているという実感を持っています。




日本には、悟った人が沢山出ました。



その一人が、道元禅師です。


只管打座(しかんだざ)。


ただひたすら座る。



道元さんがあるとき、訊かれました。



「心をもって悟るのか? それとも、体をもって悟るのか?」と。



答えて曰く、「体を通して悟るのだ」と。



日本人には、理屈はいらない。



それが、日本人が丹田という文化をもっていたということです。



インドには、七つのチャクラという、エネルギーのセンターがあります。


また、中国には経絡というのがあります。


そして、日本には丹田の文化があります。



この丹田に意識とエネルギーが入ったとき、宇宙の中心とつながります。



だから、ただ、リラックスして自分の中に入ってゆくこと。



そして、深く入って、深く入って、丹田の中に降りること。



このことが、悟りへの早道です。



道元さんは、悟りのことをつぎのようにいいました。



心身脱落。脱落心身。



緊張が落ちてリラックスすること。



ここが、日本人がいちばん早く悟りやすいといわれている、そのことです。



貫井投稿