覚醒のひかり

覚醒のひかり

縄文時代にゆるゆる瞑想をしていた、シャンタンこと宮井陸郎(1940.3.13-2022.3.17)のブログ
【地球は国境のない、一つのうつくしい平和な星です】
【いまここをトータルに生きる】
いろんな人の言の葉を、分かち合いたいと思いまあああああああす!
(貫井笑店)











 

 

 

 

 

あなたの不快感の陰には必ず隠された、まだ未発見のあなたの想念が潜んでいます。





津留晃一





あなたは、あなたが体験を通して蓄え続けてきた、あなたの

あらゆる記憶を単に手放すことによって、あなたの自我から解き放たれます。

そのことに時間をかける必要はありません。

単に自分の記憶を手放すだけなのですから・・・。

それを明日に延ばす必要はありません。

今やって下さい。


これは単に選択の問題です。

あなたが自分を手放したいか手放したくないか、ただそれだけです。

あなたはそのどちらも選択できます。

 でも、「自分を手放すなんて、とても恐くてそんな恐ろしいことは出来ない」

という思いが意識の表面に上がってくる人もいるかもしれません。

どうしても恐くてそんな選択は出来そうもないという人は、それはそれで構いません。

それはたんにあなたがまだそういう時期に到っていないということでしかなく、

やがて、なんら恐れることなく自らを手放す時期がやってくるものなのです。


その時がやって来るまで、あなたはただあなたの感ずるままに、

今、目の前に与えられている環境を、夢中で体験し、起きてくることに

意味をつけずに、ゆったり委ねて楽しんでいると、やがてあなたはそこへ

最短距離で導かれて行くことでしょう。


「自分では手放したつもりなのだが、どうも今一つ現実が」という、

そんな思いでいる方もまだ大勢いらっしゃるようですが、そんな方は、

発見すべき自分の自我にまだ気付いていないということでしかありません。

あなたの自我が、あなたの意識の襞深く潜めている

あなた自身の囚われに気付く必要があるようです。


そのために五感があり、感情が与えられています。

あなたの不快感の陰には必ず隠された、まだ未発見のあなたの想念が潜んでいます。


意識の襞の奥深くに沈めてあるあなたの自我に気付くこと、それが覚醒です。





 

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悪はあなたの内側にあります。このことを完全に認めたとき、あなたに大安心が訪れます。







津留晃一






これまでの永い転生の歴史の中で、
人を殺した体験のない人は
いないと伝えられました。

殺す体験をし、
殺される体験をして
真ん中を学びます。

優しく思いやりのある人間を
体験した後は、
意地悪で独りよがりな人生を
体験して、

その両極の中心点が分かります。

切れ者で英才を演じた後は、
愚鈍で仕事の出来ない役を
体験して、

二極のバランスを図ります。

名歌手を演じた後、
次の転生で音痴を体験して、

ねたみの気持ちを味わいます。

真ん中そのものを
体験することの出来ないこの世界で、

二極の両極を体験することによって
真ん中を知ろうという筋書きのようです。

解体、そして統合、解体、統合、
宇宙のこの偉大なる永遠の
繰り返しの過程の中で、

往路である解体の過程を
終演させた宇宙は、
大いなる一つに向けて
統合の過程を歩き始めました。

統合とは二極の統合のことです。

陰と陽、善と悪、美と醜、
自と他、内と外、精神と物質、
右脳と左脳、男性性と女性性、

出来る事と出来ない事、
ありとあらゆる対立していた二極が
統合へと向かい始めます。

統合とは内なる統合のことです。

関係のこじれた恋人同士の
よりを戻すことではありません。

出来なかったことを
猛練習して出来るようにする
ということでもありません。

悪を我慢して泣き寝入りをする
ということでもありません。

善悪の統合とは、
善と悪の両方を知りつくし、
内なる悪を受け入れ
認めたときに達成されます。

仲直りさせようと
他人に働きかけてもうまくいきません。

「あなた、それは違うのよ」
と他人を説得することは出来ません。

悪から逃げ出そうともがいてみても
絶対に逃げおおせることはありません。

あなたが忌み嫌っている悪は
あなたの内側にあるのですから。

人はどんなに熱心に勉強をしても、
「人に優しくできますように」
とお祈りしても、

グルの話を何100回聞いても、
人生の折々の瞬間には、
優しくできない自分を発見します。

この宇宙は
陰陽二極の表現の世界です。

宇宙のビッグバンの瞬間に
プラスとマイナスの
素粒子が生まれました。

プラスとマイナスの数は
どんな時も同じ数だけ存在します。

優しからざるものが、
優しさを表現可能にします。

すなわち優しくないものが
優しさを支えている
宇宙であるといえるでしょう。

ホロニックな
この宇宙に存在するあなたは、
この陰陽二極の宇宙の反映です。

全宇宙と同じ存在であるあなたの内に、
陰と陽、すなわち善と悪が存在します。

善も、悪もあなたの内側に存在します。

宇宙が
陰と陽の二極で完全であるように、
あなたも善と悪の二極を
同時に持って完全なのです。

悪はあなたの内側にあります。

そのことを完全に認めたとき、
人はどんなに安らぐことでしょう。

「悪もあって良いのだ」
このことをあなたが受け入れたとき、
あなたに大安心が訪れます。

彼のあの態度が
気に入らなかったとしても、
それはそれで
ちっともかまわないのです。

そんなあなたの内側の
引っかかりを受け入れ、許し、
100%認めたとき、

あなた自身が
完全なる一つに統合されます。

心が完全なる球体に満たされ、
喜びが満ちあふれます。

統合されたあなたは、
見るもの、聞く声の全てが
一変して
感じられるようになってきます。

あるものをあるがままに
純粋体験が出来るようになると、
感動の嵐が
背骨を突き抜けるのを知るでしょう。

あなたが意識を向けた草花から、
めくるめく至高感が
もたらされることでしょう。

生きている事そのものが
感動であることに気づくでしょう



 

 

 

 

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アメリカに代わって日本は、世界を平和と繁栄の黄金の未来へと導くことができる!

これはOSHOが亡くなる前に発言したものです。

日本人への遺言のようなものです。

そしてバグワン シュリ ラジニーシを日本名の

OSHOに変えてからだを離れました。日本を指さしていったのです

osho


日本は今や世界の超大国だ。


危機に満ちたこれからの数年間、


アメリカの世界支配がつくりあげてきた物質的な欲望と


暴力から人類を解放する唯一の希望を日本が担うだろう。


代わって日本は、世界を平和と繁栄の黄金の未来へと導くことができる!


世界は日本に注目している。



日本はこの大いなる責任を引き受けて立ち上がるべきだ。


大悟した禅師たちという日本の黄金の過去こそが、


新しい夜明けと、世界を導く洞察、責任、慈悲を


日本に与えるだろう。


全世界の遺産相続を生まれながらの権利として


主張する「新しい人間」を創造する上で、


日本において東洋と西洋が出会いうる。



日本に今必要なのは、創造性、自発性、反逆精神という、


「本来の面目」を取り戻す21世紀の禅革命だ。


日本人の精神は、不幸なことに、もっとも規律を課せられた


精神のひとつでありつづけている。


そして、その規律のなかで、すべての自発性と創造性が死んでいる。


日本の自殺率が世界でもっとも高いのは偶然ではない。


緊張があまりにも強いので、圧力と緊張のもとで生きるよりは、


自殺する方がたやすいようだ。



そして、この圧力と緊張はひじょうに尊ばれているので、


それに反逆する者はひどい非難を受ける。


だから、日本には反逆者が存在しない。


反逆そのものが、日本ではまだ知られていない。


日本に必要なのは「新しい人間」の誕生へと向けて人類を


導くことができるよう、その創造性と反逆と意識を


再び開花させることだ。



私がロナルド・レーガン政権下のアメリカで不当に逮捕され、


毒を盛られたとき、最初の抗議は、日本の禅院から出された。


これは私に、日本の生きている禅のハートはまだ命脈を


保っていて、再び鼓動し、人類の新しい夜明けの先駆け



となることができる、ということを示してくれた。



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自分に手をさしのべる





桜の花とマインドフルネス


 


 

判断することなく、一瞬一瞬を自覚すること、つまり「今の自分をありのままに見つめること」をマインドフルネスといいます。

 

 

これは「気づき」や「心をとどめておくこと」でもあり、注意を向けることで身につけることができます。

 

 

日々の生活から自然と生じるマインドフルネスは、実際に何度も練習してみることで、さらに高めることができます。

 

 

この練習の一部が「瞑想」と呼ばれるものです。

 

 

ただし、あなたが思うような瞑想とは異なります。

 

 

瞑想が目指すのは注意を向けている状態そのもの。

 

 

この状態を導くには、精神を含めたわたしたちの知覚を総動員するしかありません。

 

 

今の自分をありのままに見つめることは、自分自身と自分の経験に手をさしのべる方法のひとつです。

 

 

もちろん、経験といっても幅広く、わたしたち自身の体、精神、魂、周囲の世界全体も含みます。

 

 

 

ジョン・カバットジン

 

 

 

『自分を見つめ直すための108のヒント』より一部引用

 

 

 

 

 

 


桜と青空




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

あなたは自分の手でシナリオを書いてこの地球へやってきました。 


桜の蕾、春の訪れ




津留晃一



多くの人が、自分には「何かしなければならない事がある」 

と考えているようです。 

自分には何か成すべき使命があると考えます。 

あなたに成すべきことが何かあるとしたら、 

それは「今を100%生きる」ということであり、 

それ以外にあなたの成すべき事はありません。 


将来のいつかあるときあなたが光るために今があるわけではなく、 

何か達成されたときに輝くように今が用意されているわけでもありません。 

今、輝くためにあなたは存在しています。 


あなたがするべきことは、今光輝くこと、 

あなたの命を今生き生きと発揮させることです。 


なのにどうして今輝こうとせず、 

これが出来ないとダメだと決めているのでしょうか。 

あれがない限り不可能だとか、これさえあれば出来るのだが・・・と。 

「これがあれば輝けるのに」と決めているのは誰でしょう。 

そう決めているのはあなたです。 

「いや親に言われるから」とあなたは言うかもしれません。 

しかし親のその意見を受け入れているのはあなたであり、 

あなたは親のその意見を受け入れないこともできるのです。 

他人の意見を受け入れ、自分を縛っているのは 

自分以外にはいないのだ、と気付くべきでしょう。 


人は元々完全に自由です。 


神があなたに望んでいるたった一つの願いは 

「あなたが100%自由であってほしい」という事です。 

「何かしなければならないことがある」と考えただけで、 

人はその自分の考えから束縛を受け始めることになります。 

「ねばならない」ことはあなたを縛ります。 

あなたを不自由にしているのは、この「ねばならない」という考え方です。 


あなたにしなければならないことなどなにもありません。 

元々神そのものであるあなたに 

何かしなければならないことなどあろうはずがありません。 

神は、したいからするのであり、 

しなければならないからするのではないのです。 

 「こんな自分を何とかしよう」、「この気持ちを何とかしなければ」、 

「あいつはこのままではいかん、何とかしなければ」、 

とこんな気持ちから行動をとっている人のなんと多いことでしょうか。 

これらはいずれもあなたの自我から出てくる行動であり、 

あなたの本質である神のなすワザではないようです。 


これまで人は神のごとき人間になりたいと、 

多くの理想をかかげて行動してきましたが、 

人はこの「理想」を心に抱いたその瞬間から、 

実は、何とかしなければならなくなってくるのです。 

理想とかけ離れた自分を何とかしなければならなくなってくるわけです。 


人が理想を思い描くのは今が理想的でないと感じているときであり、 

そのあなたの無意識下に秘められた、今を否定する「このままではダメだ」 

という思いが、このままではいけない 

困った現実を呼び寄せることとなってきます。 

それがあなたがこれまで体験し続けてきたあなたの現実です。 


あなたがこれから還りゆくあなたの根源には、 

「何とかしなければならない」ことなど何もないと伝えられました。 

あなたは自分の根源であるハートの中心に意識を置いておきさえすれば、 

「どうにかしよう」という思いは瞬時に消えてしまいます。 


どんな時も、あなたの成すべきことは一つです。 

あなたは自分自身にただ命じます。 

自分を意識の中心点に置くように・・・。 

意識の中心点とは、あなたという宇宙の特異点のことです。 

そこは常に創造の始まりの場であり、 

あなたの全てのスタートポイントです。 

そしてそこがあなたのゴールでもあります。 

  
歓びは、今、ここにあります。 

今この瞬間には無限の歓びがあります。 

あなたが頑張って達成したところにも、 

もちろん歓びはあるのですが、それは限られた歓びにすぎません。 

限定付きの歓びを追い求めるゲームはそろそろ終わりにして、 

これからは、この瞬間の無限の歓びの発見にこそ努めていただきたい 

と思うのです。 

 黙って静かに目を閉じ、あなたの心を悦びで満たし、こう言って下さい。 


「私は今、完全に満たされている」と、ゆっくり2、3回 

この言葉を自分の内に向かってささやいていると、 

あなたはかたよりのないニュートラルなポイントへおのずと 

導かれていきます。 

あなたのまわりに向こうから現実がやって来る 

といった感覚を味わえるようになるでしょう。 


 あなたにとってその瞬間に必要な情報があなたの内側からやってきます。 

それだけが今あなたにとって一番必要な情報であるのです。 

必要以上の情報が来ることはありません。 


 本当は、今、この瞬間に、全ての情報があなたのまわりに 

充満しているのですが、その全てを受け取ってしまった時には、 

あなたの人生ゲームはそこで終わりを告げることになっているようです。 


 今、そこを遊んで下さい。 

あなたのハートの中心は、常にどんな時も 

たえず悦びを表現しようと待機しています。 

必要なことは本当はそれだけです。 

その瞬間に悦びを表現することです。 

その瞬間に美しさを表現することです。 

その時は、今を除いてはありません。 

そこを除いて他の場所ではありません。 


 今自分が何を表現しているのかに気付いて下さい。 

自己弁護をしている自分に気付くことです。 

人を批判している自分に気付くことです。 

自分を責め、落ち込んでいる自分に気付くことです。 

人によく思われようとしている自分に気付いて下さい。 


欲求不満の中でストレスを発散していませんか?  

そんなつまらないことに今という 

この大切な瞬間を浪費しないでください。 

  
あなたの大切な今という瞬間に、自分の悦びを表現していますか?  

「自分は自分の悦びを表現しようと思っている。 

しかしそれにはこれが必要だ。 

だから自分は今これを手に入れようとしているのだ。 

イヤだけどこれが必要なのだからしかたがない」と、 

今この瞬間に我慢をしてはいませんか。 

「仕方がないではないか」と人は言います。 

「事実は事実ではないか」と・・・。そうですね。 

そう思っているあなたがいることは事実ですから、 

あなたのまわりにそんな宇宙空間が事実として作られています。 


あなたが創造主なのですから。 

「だってみんなもそう思っているではないか」とあなたは続けます。 

もちろんその通り、あなたの創った世界ですから、 

あなたのまわりにあなたと同じ考えの人が集まっていて当然です。 

  
あなたがその思いを手放したとき、 

あなたのまわりの現実が変わり始めます。 

何度もいうようですが、あなたは今、あなたの歓びを表現して下さい。 

今この瞬間のあなたの歓びの思いが、 

次の瞬間のあなたの輝く未来を創造します。 

その歓びの瞬間が、又その次なる歓びの瞬間を産み出し、 

こうして永遠に歓びが途切れることなく続くことになります。 

  
あなたは自分の手でシナリオを書いてこの地球へやってきました。 

しかしその自分で書いたシナリオのことはもうすっかり忘れさっています。 

あなたが自分で書いたシナリオを生きたかったら、 

じたばたしないことです。 


今、あなたが頭で考えて何かを強く望んだとしても、 

もちろんそれは実現することでしょう。 

それもなかなかおもしろいゲームです。 

でもこれまで、さんざんその遊びをやってきたのですから、 

このあたりで自分が神であったときに書いた 

自分のシナリオに戻ってみてはいかがでしょうか。 

 今この瞬間を100%遊び、 

起きてくることに身を委ねてみてはいかがでしょう。 


そして、今、やりたいことをやって下さい。 

先のことを考えた上で、計算ずくで行動するのではなく、 

常識に捕らわれた行動をするのでもなく、 

今、本当にやりたいことをやって下さい。 

未来の自分をではなく、今の自分を100%愛し、 

自分を甘やかせてあげて下さい。 

  
「でもこれはしてはいけないのではないかしら」 

という思いがわいてきたとしたら、その思いをただ単に大切にし、 

その思いと闘うことなく、どうしてこれをしてはいけないという考えが 

起きてきたのかを眺めてみて下さい。 

「私はどうしてこれをしてはいけないと考えているのかしら」 

と自分に向かって問いかけてみて下さい。 

その考えが、良い事とか、悪い事とかの判断を加えることなしに。 

そうすれば必ずいつかその答えがやってくるものなのです。 

  
もしどうしても比較の習慣がぬけないのでしたら、 

自分の根源と比較してみて下さい。 

あなたはあなたの神の部分が考えたシナリオと、 

制限だらけの自我が考えたシナリオと、 

どちらが自分にとって有意義なことであるかを比較してみて下さい。 

  
あなたが自分を使わなくなった時、 

神があなたに変わって本来の仕事をし始めます。 

あなたという神のシナリオが働き始めます。


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おめでとう おめでとう

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ありがとうございます💖

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愛とは全体とひとつになることへの深い衝動だ。愛とは存在の中に根を張ることだ。

質問

愛とは何ですか?

なぜ、私は愛を恐れているのでしょう?

なぜ、愛は耐えられない痛みのような感じがするのでしょう?



osho

あなたは「愛とは何ですか?」と尋ねている。

それは、全体とひとつになることへの深い衝動だ。

我と汝が、ひとつの統合の中に溶け去ることへの深い衝動だ。

私たちが自分自身の源泉から分たれている為に、

その分たれていることから、全体の中に還りたい、

全体とひとつになりたいという欲望が湧き上がってくる。

それが愛だ。


もし木を土から引き抜いたら、もしそれを根こそぎにしたら、その木は

土の中に還って根づきたいという、すさまじい欲望を感じるだろう。

なぜなら、それが木の本当の生だったからだ。

今や、それは死につつある。

分たれていては、その木は存在出来ない。

それは大地の中に、大地とともに、大地を通して存在しなければならない。

それが、愛とは何かだ。

あなたのエゴは、あなたとあなたの大地・・

全体との間の障壁になっている。

人間は窒息している。

呼吸出来ない。

自分の根を失っている。

人間は、もはや栄養をもらっていない。

愛とは、栄養を求める欲望だ。

愛とは、存在の中に根を張ることだ。

そして、もしあなたが反対の極に陥れば、その現象はより易しい。

だからこそ、男性は女性に惹きつけられ、女性は男性に惹きつけられる。

男性は女性を通して自分の大地を見つけることが出来る。

女性を通して再び大地に根づくことが出来る。

そして女性は、男性を通して大地に根づくことが出来る。

彼らはお互いに補い合っている。

全体でありたいという、死に物狂いの要求の中で、男性だけでは半分だ。

女性だけでは半分だ。

これらふたつの半分が出会い、混じり合い、溶け合う時

初めて人は根づき、地についた感じがする。

実存の中に大いなる歓びが湧き上がる。


あなたが根づくのは、女性の中だけではない。

女性を通して、あなたは神に根づく。

女性はただの扉だ。

男性はただの扉だ。

男性と女性は神への扉だ。

愛を求める欲望は、神を求める欲望だ。

人間は愛するがゆえに、神は存在する。

人間は愛なしでは生きられないがゆえに、神は存在する。

愛したいという衝動は、単にひとりでは

私たちは苦しみ、そして死ぬ、ということのあらわれだ。

一緒であれば、私たちは成長する。

栄養を与えられ、満たされ、満足する。

あなたは尋ねている。

「愛とは何ですか?なぜ、私は愛をとても恐れているのでしょう?」


そしてだからこそ、人は愛を恐れもする・・

なぜなら、あなたが女性の中に入り込む瞬間、

あなたは自分のエゴを失い、女性は男性の中に入り込む瞬間、

彼女のエゴを失うからだ。

あなたは、あなた自身を失う時にのみ全体に根づくことが出来る。

他に方法はない。

あなたは全体に惹きつけられている。

なぜならあなたは、栄養をもらっていないと感じているからだ。

そして、全体の中に消え去る瞬間が来ると、

あなたはとても恐くなり始める。

非常な恐怖が湧き上がる。

なぜなら、あなたはあなた自身を失おうとしているからだ。

あなたは尻込みする。

これがディレンマだ。

人間はそれぞれみな、それに直面し、それと出会い、

それを通過し、それを理解し、そしてそれを超越しなければならない。


これが愛の恐怖だ。

あなたは分かっている。

愛なしでは、そこに何の歓びもないことを、

愛なしでは何の生もないことを、愛なしでは何か未知のものに飢え、

満たされず、虚しいことを確信している。

あなたは空虚だ。

何も持っていない。

あなたは、中味が何もない器にすぎない。

あなたはその虚ろであること、空っぽであることを感じ、

その惨めさを感じる。

そして、そこに自分を満たすことの出来る道があることを確信している。


しかし、愛に近づくと非常な恐怖が湧き上がる。

疑いが湧き上がる。

もしくつろいで、本当にその中へ入ったら、

自分は再び帰って来ることが出来るだろうか?

自分のアイディンティティ(存在証明)や

人格を守ることが出来るだろうか?

そんな危険を冒す価値があるだろうか?

そしてマインドは、そんな危険は冒すまいと決める。

なぜなら、少なくとも、あなたはいるからだ・・

栄養不足で、満たされず、飢えていて、惨めだ・・

だが、少なくとも、あなたはいる。

ある愛の中に消え去れば、誰に分かる?


あなたが消え去ることになるのだ。


そうだとしたら、そこに喜びがあり、そこに至福があり、


そこに神がいるという保証は何なのか?




それは、種子が土の中へと死んで行くときに感じるのと同じ恐怖だ。






それは死だ。








そして種子には、死から生が生じるだろうとは想像もつかない。

OSHOによる愛の教えと人生の画像

老人の顔と黄色い帽子

Oshoの写真

マスター・ロシのコスプレをした人物

武天老師風の男性の画像

亀仙人風の老紳士

笑顔の赤ちゃんを抱っこする白ひげの老人

巨大な木の根元に立つ男性

OSHOの愛に関する言葉と人物像

老紳士が庭園と神社の前で微笑む

男性が青い服で鳥の羽を掲げている

老人、帽子、ひげ、絵画

山道で両手を広げる男性

滝を背景に立つ、白髪髭の老紳士

老人、ラーメン屋、伝統衣装





ありがとうございます💖


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たもさん

太母さんを囲んで



1992.11.1

千葉県立泉自然公園



今から32年前です





地球の負担にならないよう、火も水も土も人も自然のすべてを大切に、手を動かし、身体を動かし暮らして来た太母さん。



着物3枚を着まわし、なるべく火を使わないで食べ、庭木のお手入れをして






太母さんの著者「船を岸につなぎなさい」の文面には厳しさがあります。その一面だけを捉えて、ものすごく怖い人なのかなぁ、、、と思われた方もいらっしゃるかも知れません。









動画でのお話しぶりや、あり方を拝見すると、大きくおおらかでゆったりとした気持ちになります。




太母さんを囲んでいるみなさんも、ゆったりとしたペースで質問されています。




今の時代とずいぶん違いますねぇ〜。




今の時代のスピード感と情報量の多さよ




現代社会、ずいぶんと間がないですねぇ〜




早口な人が多いですねぇ〜

(わたしもですけどねぇ〜ガーン




YouTube動画でよくいわれるのが




長い尺の動画は見られない



ゆっくりペースは落ち着かない



動画のスキマ時間が長いと間延びした気がして見ていられなくなる



バックグラウンドミュージックがないと落ち着かない



しゃべったことは全部字幕をつけて欲しい



タイトル画像にも文字情報をつけて欲しい



一つの動画に対する情報量がてんこもりです。



そして終わる間も無く、次の情報がどんつかどんつか出てきます。



自分でもう終わりっ!て決意を持って止めない限り、だらだらと見続けてしまうことも、、、。




秋の紅葉、太陽の光




昔のように


なにもしないで


ぼんやり

たたずむとか


ゆっくり

ゆったり

過ごすとか


じっくり

落ち着いて

考えるとか



のんびり

まったり


 そういった


ひま



最近は


取りにくいですねぇ〜




意識的にゆっくり話すとか、間や静けさを作らないと



自然の中にある自分という実感が薄れていくばかり



現代社会は、人間界、機械文明、経済社会だけが切り取られているように感じられてなりません。




人里に降りてくる熊、猪、鹿、狸、狐などの動物、鳥、虫たちにとっては、人間の生活区域であっても地球の自然の一部



動植物は人間界に対して線を引かない



人間は線を引いて守ろうとしているけれど、、、




今の地球、太母さんが思い描いていたシナリオよりもずいぶんとスピードが早まっているように感じられます




千葉県立泉自然公園の古墳と木





自然の中に身を置いて、命の営みを眺めてみませんか?



花や草木、他の生き物、みんなみんなつながっている



現代人は五感の中で、視覚(目)をかなり使っていて五感の使い方がアンバランスになっています。



五感が開くと第六巻が働くようになります



自然の多いところに出かけて五感をバランスよく使ってみませんか?



遠くに行かなくても都会の中にもちょっとした自然はありますよ。



公園の木、花、草、地面が土になっているところ。



身近な自然を探してみましょ



そして



木々に触れる、風を感じる、草木のにおいをかぐ、鳥の鳴き声、風の音と草木の揺れ動く音を聞く、緑を見る



など、思いつくままに、あるがままに自然の中に身を置く



ぼくらは
みんな
生きている


子どもの頃は、ミミズもオケラもあめんぼも、 みんなみんな友達だって歌っていましたね〜。




地球の自然の一部としてのあなたとわたし、わたしたちみんなで力を出し合って今出来ることに向き合い、出来ることから実践しませんか?




未来のこどもたちを苦しませないためにも




あなたの「ほんとうのさいわい」とはどんなことでしょうか?



みんなの「ほんとうのさいわい」とはどんなことでしょうか?



未来の子どもたちの「ほんとうのさいわい」とはどんなことでしょうか?


その未来を創れるでしょうか?





未来へのシナリオは一つではない



あなたのシナリオも

みんなのシナリオも

地球のシナリオも

 


まだ間に合う



あきらめずに


出来ることから



コツコツと




貫井投稿


 

愛音ちゃんの日記 



六地蔵、平和への祈りを込めた石像




五井先生からのメッセージ



わたくしは

世界人類が平和でありますように


と祈りを捧げてきました





その祈りのエネルギーは

世界各国で

充満していますが







これからは






世界人類が平和であることに日々感謝いたします











祈りではなく

感謝と祝福の祝いのうたを

どうぞ

うたいあげてください













現在を救い給え



真の文明は山を荒さず 川を荒さず 村を破らず 人を殺さざるべし



田中正造
1841年12月15日 〜 1913年9月4日


2015年、シャンタンさんとご一緒させていただいた、私にとって最初の祈りのフィールドワークは渡瀬遊水池でした。





木漏れ日と新緑の対比






足尾鉱毒事件



日本最初の公害事件。



足尾銅山から鉱毒ガス、鉱毒水が川に流れ、魚が死に、農業が出来なくなりました。



渡良瀬遊水地建設で土地を追われた谷中村の皆さんは、その後も大変な苦労をなさいました。



以下、下野新聞より抜粋引用



移住を余儀なくされた村民たち。


近隣町村や県北、遠くは北海道へ新天地を求めたが、移住先によっては過酷な環境が待ち受けた。


「谷中上がり」と特別な目で見られることもあった。


命が尽きるまで粘り強く交渉を続けた田中正造さん。



正造さんの生前最後の言葉は


現在を救い給え





すべてはめいめいにつながり合っていて、たどっていくと自分は関係ないとは言えません。


その昔、散々、「私には関係ないもん」って言い続けた私が何を偉そうに、、、ではありますが、、、つながり合いに気づくのにずいぶんと遠回りしてしまいました 驚き



もっと早くに気づけたなら、、、



後悔をバネに今を動かします




毎日たくさんのゴミを出し続けている人間。


人間以外の存在は、すべて土に還り、死んだら他の生き物の役に立ちます。



私たちの身体は焼かれた後、金歯や銀歯などの成分を買い取る業者があるそうですが、その後の灰は一体どこに行くのだろう、、、。



全国各地の山々・海にあるゴミの最終処分場。



自治体で最終処分場を持っているところもありますが、平均23.5年で満タンになります。



山間地帯で最終処分場を運営している民間企業があります。



私たちが、いつかどこかで出したゴミは、巡り巡って山や海に捨てられています。



建設残土を受け入れる産廃業者が山を買って処分地にしようとしています。



メガソーラーも建設されています。



災害の度に、たくさんの廃棄物が生み出されます。



林業が衰退して、山の値段が下がっています。


水源地の今後が危ぶまれています。



田中正造さんが亡くなってから現在まで 110年以上の時が過ぎました。



あの頃よりも相当荒れ果てたこの日本。



美味しいお水は山から生まれ、川を流れ、海へと注いでいます。




水が美味しく、自然が豊かな日本と言われているけれど、果たして100年後に同じ景色を見ることが出来るでしょうか。



一人一人が自分自身の生き方と、地球の行く末を考えて、今出来ることを小さなことでもいいから行動に移さなければ。



自然と調和した暮らし に戻すことで自分自身が整います。



自然のリズムと調和しましょう。



地球は日々、刻々と営みを続けています。


地球の細胞の一部としての自分と、さまざまな命とのつながり合いを瞑想しましょう。




叔父がしばらくの間入院することになったので、家の片付けに福島県郡山市に行ってきました。



赤べこ飾り





空調が壊れていて格安価格で泊まれた磐梯熱海温泉。



東日本大震災・原発事故 ふくしま10年 書籍





ロビーにあった本を見て、南相馬の海辺に立ち並ぶメガソーラーに衝撃を受けました。





さらには、温泉の歴史の要、大峯不動滝、大峯不動尊でも衝撃を受けました。


川上に採石場と土の産廃屋が出来ていて静かな環境の中、ひっきりなしにダンプカーが通るのです。


荷台には土が乗っていますが、どこから運ばれてきた土でしょうか、、、。


滝で祈りを捧げていると目に入ってくるのが、大雨で流れ着いた流木の中に混じったたくさんのペットボトルやプラスチック類のゴミ。


ここは水道水がたいへん美味しく飲める土地です。


温泉もとてもすばらしく、アルカリ性のお湯は天然のクレンジングと言われています。


この環境がものすごい勢いで壊されているように感じました。


変わりゆく環境に、いろんなことを考えさせられています。



昔の私が同じ景色を見たら、ものすごく動揺してしまって、なかなか立ち直れなかったでしょう。


まだまだですが、心が丹田にだいぶ鎮まっているおかげで、冷静に、目の前の現実を受け止めることが出来ました。



2015年から、ずっとやりたくなかった瞑想を半ば強制的にする流れになったおかげです。


振り返れば、大いなるお導きの元、高校生の頃、部活でゴミ問題を研究したり、父が産廃業者に転職したり。


しかしながら、、、


大いなる存在からのメッセージを自ら深く掘り下げることなく、忙しい毎日の中、消費に追われながら生きてきました。



そんな生活が強制終了となり、3.11を境に少しずつ変化してきました。









これまでしてきたことへの強い自責の念が今の私を動かしています。





生まれてから今日まで、自然に支えられてばかりなのに、一方では自然に負担をかけ続けながら生きてきました。




死ぬまでゴミを出し続けるし、子供のいない私が死んだらすべてがゴミになる。




生きているうちに、自然に恩返しをしてから、天に帰りたいです。








昔の家を見てください。



揃っていて壮観です。



自然に土に還っていく。



海に流れても負担がない。



昔の人たちの所作の美しいこと。



家事の難易度高いです。



火加減の調節が上手で、儀式のようで感激します。



狭い村の人間関係、全てが手作り、現代人の私たちからするとめんどくさくて大変に見えるけれど、情報がないこの時代の方々にとっては、ここでの暮らしがすべてだったのではないでしょうか。




高度経済成長がはじまり、東京や関東近郊、都会に出て暮らす人が増えて、地域の過疎化がはじまりました。



会社組織で働く人たちが圧倒的に増えました。



自然との隔たりが大きくなって長いことたった今、自分の中の自然(じねん)を呼び覚ますことが出来るでしょうか?



長い記事をお読みくださりありがとうございました。



貫井投稿