あなたがひとりの人を深く愛し続けていくと、だんだんセックスは消えていく | 覚醒のひかり

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縄文時代にゆるゆる瞑想をしていた、シャンタンこと宮井陸郎(1940.3.13-2022.3.17)のブログ
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【いまここをトータルに生きる】
いろんな人の言の葉を、分かち合いたいと思いまあああああああす!
(貫井笑店)









osho








初め、愛にはセックスの質がある。



愛が浅いと、愛はセックスへと落ちてしまう。



実際、これは愛ではない。



愛がだんだん深くなるにつれて、愛はスピリチュアルな質、神性さを持つようになるだろう。



愛はこの世界と彼岸、セックスとサマーディの掛け橋だ。



それで、私は「セックスから超意識への旅」と名づけてきた。



愛はまさに掛け橋だ。



あなたが橋の上を進まなかったら、セックスがあなたの生、生全体になってしまう。



それは平凡で醜い。



セックスは美しくなり得る。



しかし、それは愛と共にある時だけだ。



愛の一部としてのセックスだ。



セックスそれ自体だけでは醜い。



それはこんなふうだ・・あなたの瞳は美しい。



しかし、それを肉体から取り出したら、醜いものになってしまう。



もっとも美しい瞳でさえも、肉体から切り離されれば醜くなる。



こんなことがヴァン・ゴッホに起こった。



彼は誰にも愛されなかった。



彼の肉体はちっぽけで醜いものだったからだ。



ある時、ひとりの娼婦がちょっと彼を喜ばそうとして、彼の耳を褒め讃えた・・



彼の肉体には、他に何も褒め讃えるものが見つからなかったので・・



本当に何もなかった。



彼の肉体はたいへん醜かった。



娼婦はこう言った。



「あなたはとても美しい耳をお持ちね」ゴッホは家に帰った。



今まで、誰も彼の肉体について褒めてくれたことはなかった。



誰も、自分の肉体を認めてくれなかった。



これが初めてだった。



ゴッホは興奮してわくわくした。



それで自分の耳を切り落とした。



そして娼婦のところへ戻って、耳をプレゼントした・・



今や、耳はまったく醜かった。



セックスは、愛の一部だ。



より大きな全体の一部だ。



愛は、セックスに美しさを与えてくれる。



さもなければ、セックスはもっとも醜い行いのひとつだろう。



それで、人々は暗闇でセックスへと向かっていく。



自分達でさえも、この夜の営みを見たいとは思っていない。



動物達はみな昼間セックスを行う。



人間だけが違う。



夜、厄介なことをする動物はいない。



夜は安らぎの為にある。



動物たちは全て、昼間愛し合う。



人間だけが夜愛し合う。



愛の営みは少々醜いものだ、という恐れがある。



女性は、決して目を開けて愛を交わさない。



女性は、男性よりも美的感覚を持っているからだ。



女性はポルノには興味がない。



興味があるのは男性だけだ。



それで、こんなにもたくさんの女性のヌード写真がある。



男性だけが肉体を見ることに関心がある。



女性にはない。



女性にはもっと美的感覚がある。



肉体は動物的だから。



もし肉体が神性なものにならなければ、その中に見るものは何もない。



愛は、セックスに新しい魂を与えてくれる。



愛がある時、セックスはその形を変える。



それは美しいものになる。



もはやセックスではなくなる。



それは何か、セックスを超えたものを持つようになるだろう。



掛け橋となるだろう。



セックスを満足させてくれるということで、あなたは人を愛することは出来る。



これは愛ではない。取引だ・・。



愛しているという理由で、あなたは人とセックスをすることが出来る。



そしてセックスは影のように愛の一部となって、

愛の後を追っていくようになる。そうなると、セックスは美しい。



もはや動物の世界のものではなくなる。



何か「超えたもの」がその中に入ってしまっている。



あなたがひとりの人を深く愛し続けていくと、だんだんセックスは消えていく。



親密さが満ち溢れて来る。



そうなると、セックスは必要なくなる。



愛だけで充分だ。



こういった瞬間がやって来ると、祈りがあなたを訪れるかもしれない。






愛し合うふたりが、深い愛に在る時、ふたりは愛だけで満ち足りてしまう。



そしてセックスは落ちてしまう。



これはセックスを押さえてしまったからではない。



ただ消えてしまった。



セックスという言葉こそが、「分割」という意味の語源から来ている。



愛は統合する。



セックスは分割する。



セックスは、隔たりの根本の原因となっている。



男であれ、女であれ、ある人とセックスをしている時、セックスによってあなた達は統合されていると思うだろう。



ほんの一瞬、それはあなたに統合の幻想を与えてくれる。



しかしその後で突然、途方もない隔たりがやって来る。



それでセックスの後にはいつも、欲求不満、憂鬱さが始まる。



自分が、あまりにも愛する者からかけ離れていると感じる。



セックスは隔てる。



そして、愛がより深く深く進むにつれて、より統合されるにつれて、セックスは必要なくなる。



あなた達の内側のエネルギーが、セックスなしで出会えるようになる。



あなた達は「ひとつの全体」を生きる。



セックスが消えた愛し合うふたりを見ることがあるだろう。



セックスが消えた時、ふたりにやって来た輝きを見ることがあるだろう。



ひとつの魂の中の、ふたつの肉体として彼らは在る。



魂が彼らを包み込んでいる。



それは、ふたりの肉体のあらゆるところから輝きを放っている。





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