あ。
雅紀の声を追いかけてハウス内をダッシュし、普通のオレンジとオレンジくんの間の仕切りをバッとめくって一歩入ったところで思った。
あ。って。
これがもう少し早かったら良かったのかもしれない。
引き返せたのかもしれない。
でももう、時すでに遅し。で。
目の前にはオレンジくん。
目の前にはオレンジくん………『だけ』。
ドッドッドッドッドッ………
ドッドッドッドッドッ………
普通の脈打ちスピードに戻っていたはずの心臓が、一気に加速した。
倍ぐらいになってないか?って思うほど加速した。一気に。
やばい気がする。
っていうか多分これ。
気がするじゃなくて。
やばい。
ダッシュの勢いでオレンジくん側に来たため、仕切りのところから5、6歩で止まった。足を止めた。
止まって雅紀が居ないって気づいた瞬間、危険信号が頭の中に鳴り響いて反射的に踵を返そうとした。
ぐんっ………
「………っ⁉︎」
足が、動かなかった。
ぐんって何かに引っ張られるみたいに。足が。
何だ⁉︎って見ると俺の右足に、枝が。
それはまるで人の手のように、俺の足首をしっかりと掴んでいた。
人の手のようと言っても、白骨化した、だ。
太い枝から5本の細い枝に分かれて俺の足に巻きつくように。
「うわあああああっ………‼︎」
バランスを崩しそうになりながらも、枝を振り払って逃げようとした。
でも枝は。
強く強く、俺の足首を、掴んでいて。
殺気。
ヤバいぞ。シぬぞ。コロされる。処分しろ。
森田さんの言葉がぐるぐる回る。
騙されるな。騙そうとするぐらいの知能がある。
ぐるぐる、ぐるぐる。
後悔した。
激しく激しく後悔をした。
雅紀の姿が見えないのに、声しか聞こえていなかったのに、呼ばれたからって何も考えずハウスに、ここに、オレンジくんのところに来たことを。
ドッドッドッドッドッ………
ドッドッドッドッドッ………
鼓動の早さは過去最高。
すごい勢いで脈打ち、呼吸も浅く早い。
そして毛穴という毛穴から汗が吹き出しているようだった。
やばい。
やばいやばいやばいやばい。本当にやばい。
ズズズズズ………ってゆっくりとではあるが、俺に向かって来るたくさんの枝。
痛いぐらい俺の足首を掴んで離さない、白骨化した人の手みたいな枝。
そこについている数枚の葉っぱは、どれも黒く、赤く、棘棘しかった。
どこを見ても、青みがかった葉っぱなんてなかった。
騙されてんじゃねぇ。
いちいち思い出される森田さんの言葉。
あの人本当に、ナニモノなの。
ドッドッドッドッドッ………
ドッドッドッドッドッ………
夢が。
繰り返し繰り返し見ていた夢が、悪夢が、目の前にある。
………在る。
ひゅんっ………
徐々に迫り来る枝の方から、聞き慣れた音が聞こえた気がして、俺は咄嗟に腕で顔を覆った。
「………っ」
そしてそれがめちゃくちゃ賢明な判断だったと思った理由はただひとつ。
顔を覆った腕に、結構強めに枝が当たったから。
もしこれが直で顔に当たっていたら。
もしこれがジャケットを着ていない、半袖の腕に当たっていたら。
今のはたまたまなのか。それとも、故意なのか。
いや、どっちにしたって。
………俺、ここでオレンジくんにコロされる?
………ウソだろ?
オレンジくんはオレンジの木だ。
なのに、意思があり意識があり思考しそれを………。
実行、するの?
どんだけの力だよってぐらいでつかまれている、動かない足。
迫り来る枝。
後ろ。
すぐそこにあるはずのビニールの仕切りが、はるか遠く、絶望的に遠くにあるような気がした。