「ああ、これか?これやろ。これがアレに見えたんやな。Gに」
床にうずくまりガタガタと震える俺に聞こえるのは、城島教授ののんびりとした優しい声。
「櫻井くん、大丈夫や。これはGやない。ただのゴミ………ん?葉っぱか?」
「………っ」
のんびりと優しかった声が、訝しげな声に変わって、俺は咄嗟に顔を上げた。
それは‼︎って。
城島教授は、拾っていた。
葉を。オレンジくんの。
黒く、赤く、棘棘しい葉を。ごく普通に。
しかもそれを手に持って、くるくる回していた。
あまりにも森田さんの反応とは違って、あれ?ってなった。
同じなのに。
同じ、オレンジくんの葉っぱなのに。
何で?
「これは………何の葉っぱやろか。うちにこんな葉っぱの木はあらへんはずやけど………。うん、見たことないなあ。何や、枯れとるんでもないのに、こんな色して………。病気やろか」
ぶつぶつぶつぶつ。
色々な角度から裏表まで、あちこち眺めながら。
病気。
………え、病気?
先日、リーフシードのオレンジにかいよう病が見つかった。
羅病していた部分とその周辺部分の枝は剪定して焼却処分したけど、まだ油断は禁物状態だ。
そしてオレンジくんは他のオレンジとは違う特殊な木。
もしかして、オレンジくんは羅病している?
かいよう病はかいよう病特有の円形で淡黄色の病斑ができる。
でもオレンジくんにはなかった。
なかったけど、オレンジくんの症状が、他の木と同じかどうかは。
「ああ、櫻井くん。大丈夫か?立てるか?びっくりしたなあ。こんなところにこんなのが落ちとって 。Gに見えるもんなあ」
「………すみません」
「かまへん、かまへん。誰にでも苦手なもんはあるもんや」
城島教授はオレンジくんの葉っぱを持ったまま、反対の手で俺の腕をつかんで俺が立ち上がるのを手伝ってくれた。
葉っぱを、この人はどうするのか。
「これか?これはちょっと太一に聞いてみよ思てな。うちの木が病気やったら困るしな」
「………」
違いますよ。とは、言えなかった。
その葉っぱは、農大の畑にある木の葉っぱではないです。とは。
それはリーフシードの、まだ極秘の。
「傷洗いに行こか」
「………はい。すみません」
「かまへん、かまへん。はよバイキンにバイバイせんと」
「………」
「そこは何か言うてや、櫻井くん。無言やと恥ずかしいやろ」
「すっ………すみません」
どこまでものんびりとした城島教授に、恐怖に震えていた身体が、いつの間にか止まっていた。
「しょーちゃん‼︎」
「うわあああああっ」
今度こそ城島教授と手と膝を洗いに、おそらく大学内の城島教授の部屋だと思われる一室から出ようとした時、そのタイミングで雅紀が勢いよくドアを開けて入って来て、俺はまた驚きのあまり尻もちをつきそうになった。
すぐ横でナイスキャッチをしてくれたのが城島教授である。
ドッドッドッドッドッ………
ドッドッドッドッドッ………
思いっきり悲鳴をあげてしまったのは非常に申し訳ないと思う。
雅紀が『え?』って顔をしてるのが見えた。一瞬。
………一瞬。
何故一瞬なのかって。
それは俺が、思わず視線をそらしたから。雅紀から。
「ご、ごめん。びっくりして」
「………」
「おお、相葉くんやないか。久しぶりやな。親父さんは元気にしてるか?」
「え、しょーちゃん、どうしたの⁉︎ケガ⁉︎」
「………ひっ」
やばい。
今度は俺の膝に気づいて前屈みに近づいた雅紀に小さく悲鳴が溢れた。
違う。
ごめん。
当たり前だけど雅紀がイヤとかそんなんじゃなくて、さっきのことが、あったから。
「………しょー、ちゃん?」
「あー、相葉くん。ちょっと櫻井くん転んだ後に倒れてもうて、さっき気づいてからちょっと………な?さっきも落ちてた葉っぱがGに見えたんか、大きい声で叫んでな」
な?な?って、城島教授の助け船。
それに俺は、そうなんだ。ごめん雅紀って、謝った。
「………ちょっと、転んでさ」
「気絶して転んだの?転んでから気絶したの?」
「………えと、転んで、から」
「頭打って?」
「………いや。転んだ時に頭は………打ってない」
「じゃあ、転んでから気絶って、何で?」
「………それは」
それは。
車に大量の葉っぱがあった。オレンジくんの。
それから逃げる途中で転んで、そしたらカラスが俺を狙うみたいに居て、そこに雅紀の声が聞こえて、雅紀が現れて、そして。
………そして。
「あー、相葉くん。とりあえず櫻井くんの手と膝小僧さんを洗わんと、な?」
どんどん顔と声が強張って行く雅紀と口ごもる俺に、な?ってまた、城島教授の助け船。
「………あとはオレがやります。お世話になりました。ありがとうございました」
「………ほんなら相葉くんに任せよか。そこのティッシュで良ければ持ってって使てな。救急箱もあるで、洗い終わったら戻って来てもええで」
「いえ、洗ったら病院に行きます」
「そうか。気ぃつけてな」
「じょ、城島教授。ご迷惑をおかけしてすみませんでした。ありがとうございました。見つけてくれた方や運んでくれた方にもありがとうございましたとお伝え下さい。また後日改めてお礼に伺います」
「ああそんなん、ええてええて。かまへんかまへん。櫻井くんが大したことなければええから。とにかく気ぃつけて帰り。お大事にな」
「はい、ありがとうございます」
「ええからええから。せやけどふたり、仲良ぉせんとあかんで」
「え?あ………はい。大丈夫です。ありがとうございました」
え。
城島教授。
仲良くしないとって。
決して俺たちはケンカをしているわけではないのだが。
っていうか、城島教授は果たして、どういう意味で言ったのか。
「行こう、しょーちゃん」
「………うん。ありがとう」
雅紀の顔が、初めて見るんじゃね?ってぐらい、強張っていた。
雅紀の声が、初めて聞くんじゃね?ってぐらい、強張っていた。
ばかばかばかばか。俺のばか。
いくらさっきの今だからって。
いくらこわかったからって。
いくらびっくりしたからって。
雅紀に向かって2回も悲鳴をあげるとか。ないだろ。それは。
雅紀は教授部屋のボックスティッシュを一箱しっかりもらって、行こうって俺の手を引っ張った。
手を擦りむいていただけに、俺は、反射的にいたって手を引っ込めた。
しょーちゃんって、雅紀が、強張った顔と声で、俺の擦りむいて血がこびりつく手をじっと見て。
「何があったのか、ちゃんと教えて」
そう言った。