横浜の歴史のある店に待望の入店です。
創業は1863(文久3年)で、161年になります。
坂本龍馬の妻であるおりょうが仲居として働いていたそうで、集合写真が店に残っています。
1か月以上前から予約しておきました。
若女将が玄関で待っててくれました
玄関で三味線でのお出迎えのオプションもあるようです。
上着を預かってくれて、さらに雨を拭いてくれました。
▼2階への踊り場のところにギャラリーがあります
▼龍馬からおりょうへの手紙
▼勝海舟さんの紹介で、おりょうが働き始めたようです
▼歌川広重の「東海道五十三次」の神奈川宿にも登場するさくらやがここの前身
もとはここは崖の上で、すぐ近くまで海でした
アメリカ領事館だったところのお寺・本覚寺の土を横浜の埋め立てに使ったとのこと
常連客には、高杉晋作、伊藤博文、西郷隆盛、大山巌、乃木希典、夏目漱石、菊池寛など
▼日本囲碁界の第一人者・呉清源の対局戦も行われました
その模様を記していたのが川端康成
▼よく見ると硬い扉・ここは別館
▼今はなき本館は平成5年まで宿としていたようです
▼いよいよ席=個室に案内されました
掘りごたつ式
床に電気カーペット設置
▼瓶ビール・エビス
▼前菜
なまいのあおさ海苔
山笠うどとたらのめ
アンチョビ・マヨネーズ
セロリとムル貝きんぴら
うなぎのしんじょう
つぼみ菜・薄衣上げ
うるい・もろ味噌添え
▼日本酒:喜久泉x2
常温
若女将のおしゃく
「田酒」と双璧をなす、青森の蔵の定番酒
やや甘めでした
▼家紋の入った器
厚揚げ、カラスミ、クコの実
みぞれ仕立て
出汁じるも美味しかった
▼鮮魚
大間のマグロ:中とろ、赤身
金魚草(食用花)
横浜醤油→刺身に合う
→大間:口の中でとろけました
▼焼き魚:太刀魚の塩焼き
そら豆の甘酢煮
→太刀魚ふわふわ、皮も美味かった
▼炊き込みご飯
鶏肉と焼きネギ
→いい香りに誘われました
「お代わりあります」
▼京都の京桜の赤味噌の味噌汁
かぶ
白しば漬け
▼爪楊枝
黒文字というクスノキ科の木材
香気のある柔らかい口当たりの木
▼白いおしるこ
白いんげんをこしてマスカルポーネ、クリームチーズをブレンド
いちご、メロン、牛皮、金粉
洋の物だったのでビックリ
デザートの時にほうじ茶
トイレもとてもキレイでした
大女将が田中家の説明に来てくれました。
神奈川宿は「金港町」とも名が残るように栄えていて、料亭は1341軒あり、京都以上の花街だったそうです。
ここで生まれ育った大女将。
経営難や相続税の支払いで、田中家のまわりにあった料亭は次々にのれんを下ろし、跡地はマンションとなりました。
1992(平成4)年に帰国し、5代目として女将が田中家を継いだ時は、まさにそんな「料亭冬の時代」でした。
田中家にも相続税の件が発生し、一部でも移築、保存できないか横浜市にも掛け合ったけど、どうすることもできず、全盛期の半分にも満たない規模に縮小されてしまいました。
現在、神奈川料亭組合は58軒に激減。
「横浜の人はコンクリート好き」「横浜の人が来ない」「みなとみらいか、中華街にばっかり」と、店にとっての厳しい現状をお話ししてくれました。
会計:16338円
クレジットカードOK
▼家紋入りコースターをお土産にいただけました
「丸に違い鷹の羽」
調べましたが、半分下に隠れている家紋は家紋一覧から見つかりませんでした
これまで富裕層を満足させてきた料理とサービス。
一時期、夜はお客さんが減っていたが、戻って来たようで、満席の日もあるようです。
クレジットカードも使えるし、施設も料理も器も古いものだけでなく、新しいものを取り入れています。
決して「老舗」と言う名前にあぐらをかいているのではない店だと、来てみてわかりました。
夢のようなひと時でした。
また5年後に来たいねと話しながら歩き、すぐに横浜駅、現実に戻りました。
住所:横浜市神奈川区台町11-1
箱根・小田急 山のホテルの記事はこちら(2019年5月6日)
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http://ameblo.jp/miyacar/entry-12459157680.html
では、明日。