必要があって、そとばこまち『冬の絵空』の初演ていつやっけな〜と思って
ググってたら出てきたのが以下のブログ
『月の照る夜に』
すごいな〜。
知りたかったことがほとんど書いてた。
ご本人は、2008年にキューブで上演したものが楽しみで過去のことを調べて書いてくれたみたいですが^ ^
抜粋すると…
『初演(1987)とは少し違ったようですが・・・(再演は1989)
ちなみに、初演時はタイトルが違ったらしいです(未確認ですが・・)再演(1989)では、大石内蔵助(生瀬勝久) 天野屋利兵衛(山西惇) 沢村宗十郎(古田新太) おかる(みやなおこ) 浅野内匠頭(升毅) 堀部安兵衛(橋本じゅん)
作・小松純也 演出・山西惇 音楽・おかげ様ブラザーズ
天野屋利兵衛(山西惇) 沢村宗十郎(中川浩三) 大石内蔵助(生瀬勝久)
おかる(みやなおこ) 浅野内匠頭(升毅) 吉良上野介(八十田勇一)』
すごいです。
私もはっきり覚えていなかった🤣
そして、私、初演の時は25歳だったのね。
その時にアトリエで撮った宣材写真がこれ!
これ見て配役わかった人はすごいです。
後ろにいるのが若い時の生瀬さん。
そう、初演1987年版では私おかるのお父ちゃん
天野屋利兵衛をやってました。
1987年版
宗十郎 上海太郎
大石内蔵助 川下大洋
でした。
宗十郎が全公演全て変わった🤣
初演のタイトルは『冬の絵空』に副題が付いてた記憶が…🤣
『月の照る夜に』さんのを読んで
ほとんど忘れてたセリフやその時の状況をありありと思い出しました。
恋するキュンキュンな気持ちや残酷さを思い出した。
おかげさまブラザーズの生の演奏や、芝居から離れず遊ぶところは徹底的に遊ぶという姿勢。
で、思ったのが何よりもセリフが美しい。
これを書いたのが
あの『チコちゃんにきいてみる』の名プロデューサー小松純也が、まだ京大生の20歳の時‼️
天才🥰
です。
この頃のそとばこまちはみーんな20代で若かったのに、本当に大掛かりな芝居をバンバン打ってて、今思い返してもすごかった。
1989年は今はなき近鉄大劇場での上演。
『月の照る夜に』さんに舞台写真何枚か載せてくれてますが、この時の私の相手役の宗十郎は古田新太🥰
細くて綺麗な男の子でした。
初めての立ち稽古のことは今も鮮明に覚えてます。
朝まで飲んでから稽古場に来るのはこの頃からそうで、酒臭かった…🤣
でもね、オープニングシーンが終わって、2人の追いかけ合いが始まるところで、呼び止められて振り返った瞬間
『うわー宗十郎さま、私のこと、こんなに好きなんだ〜❤️❤️ふるちん、やはり天才‼️』
と、一瞬で思ったのでした。
この時は新感線から橋本じゅん、はしもとさとし、粟根まことの3人も出てました。
演出は生瀬中心に山西惇、小松純也、訓覇圭(あまちゃんプロデューサー)たちが演出チーム作ってた。
今考えると役者もスタッフも本当に天才ばかりの集まりでした。
そんな中でおかるをズーと演れたことは誇りだし、小松ちゃんから
『おかるはちゃこっとさん(私のあだ名)の役です』
と、2008年版上演後に言ってもらえたのが本当に役者冥利に尽きました。
『冬の絵空』は今でも大好きな私の代表作の一つです。
もうあの美しいセリフを口にすることができないのがとても淋しいです。
1989年版の、古田の宗十郎をニッコニコ笑いながら思いっきり『振る』瞬間。
女って残酷やな〜🤣
そして何より好きなのは
オープニングとエンディング‼️
本当に美しいシーンでした。
この二つのシーンで私は盲目の老尼。(100歳近い設定)
歌の苦手な私が琵琶語りまで演って、緊張半端なかったです。
25歳の時から、若い役(おかるは10代)と年取った役を演ってるんですよね〜🤣
この後もそんなの多し🤣
そして1番好きなセリフが
最後に、彼岸に行く途中で振り返った老尼が、目をカッと開いて言う
『いいえ、何も見えませぬ』
自分で言ってて鳥肌ものでした。
あの時の私を客席から観たいです笑笑
セリフの数々は
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