深見東州(半田晴久)さんの本とその他私の好きなもの -5ページ目

荘子 その3

世の中の不易について書かれた書物はいろいろとありますが、私が個人的に好きなのはこれ、「荘子」です。

老子・荘子 (講談社学術文庫)/森 三樹三郎
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 応帝王篇 第七 つづき
 明日(めいじつ)、又これと与(とも)に壺子(こし)に見ゆ。立つこと未だ定まらざるに、自失して走る。壺子曰わく、これを追えと。列子これを追うも及ばず。反(かえ)りて以て壺子に報じて曰わく、已(すで)に滅せり、已に失えり。吾れ及ばざるのみと。壺子曰わく、郷(さき)には吾れこれに示すに未だ始めより吾が宗(そう)を出でざるを以てせり。吾れこれと虚にして委蛇(あた)し、その誰何(すいか)なるを知らず。因りて以て弟靡(たいま)を為し、因りて以て波随(はた)を為す。故に逃れしなりと。

 然る後、列子は自ら以て未だ始めより学ばずと為して帰る。三年出でず。その妻の為に爨(かし)ぎ、豕(ぶた)を食(やしな)うこと人を食うが如くにし、事に於いて与親(よしん)なし。彫琢(ちょうたく)して朴に復り、塊然(かいぜん)として独りその形を以て立ち、紛(ふん)として封戎(ほうじゅう)し、一に是れを以て終わる。


(訳)
 あくる日、列子はまた季咸(きかん)をともなって壺子に会わせた。ところがまだ席も定まらないうちに、季咸は自分でわけがわからなくなってやにわに逃げだした。壺子が「追いかけよ」といったので、列子は追いかけたがつかまらない。帰ってきて壺子に報告していった。「消えてしまいました。どこにもいません。わたしには追いつけませんでした。」壺子はいった。「さきほどは、わしはあれにわしの本質そのものの相を見せてやったのだ。わしは自分をむなしくして周囲のままに従い、あいてが何ものあるかも考えず、そのままになびき、そのままにただよった。たから、あれは逃げ出したのだ。」

 このようなことがあってから、列子は自分で学問のできていないことをさとって、家にひきあげた。三年のあいだ外出せず、〔男女の別を忘れて〕その妻のために炊事をしてやり、〔人畜の別を忘れて〕豚を飼うのも人を養うかのごとくして、ものごとに愛憎を持たなくなった。虚飾をけずり落としてもとの素朴さにかえり、無心の土くれのような形で独立し、混沌としてとらえようのないありさまで、そのまま一貫して生涯を終えた。

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荘子 その2

世の中の不易について書かれた書物はいろいろとありますが、私が個人的に好きなのはこれ、「荘子」です。

荘子〈1〉 (中公クラシックス)/荘子
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 応帝王篇 第七 つづき
 明日(めいじつ)、列子これと与(とも)に壺子(こし)に見(まゆ)ゆ、出でて列子に謂いて曰わく、ああ、子の先生死せん。活(い)きず。旬を以て数えず。吾れ怪を見たり、湿灰(しっかい)を見たりと。列子入り、泣涕(きゅうてい)して襟を沾(うるお)し、以て壺子に告ぐ。壺子曰わく、郷(さき)には吾れこれに示すに地文(ちぶん)を以てせり。萌乎(ほうこ)として震(うご)かず止まらず。是れ殆ど吾が杜徳機(ととくき)を見たるなり。嘗(こころ)みに又た与(とも)に来たれと。

(訳)
 あくる日、列子は季咸をともなって壺子に会わせた。〔占い終わって〕外に出ると、季咸は列子にむかっていった、「ああ、あなたの先生は死ぬだろう。生きのびるみこみはない。それも十日以内のことだ。わたしは怪しげな相を見たよ。生気のない湿った灰の相を見たんだ。」列子は室内にはいると、涙で襟をぬらしながら、そのことを壺子に告げた。すると、壺子はいった、「さきほどは、わしはあれに地文つまり大地のかたちの相を見せてやったのだ。腑ぬけのようにして動くでもなければ止まるでもない〔というかたちだ〕。あいつは恐らくわしの杜徳機つまり徳をふさぎとめる働きを見たんだよ。ためしにもう一度つれて来るがよい。」



 明日、又たこれと与に壺子に見ゆ。出でて列子に謂いて曰わく、幸なり。子の先生、われに遇(あ)いて廖(い)ゆることあり。全然として生あり。吾れその杜権(とけん)を見たりと。列子入りて以て壺子に告ぐ。壺子曰わく、郷(さき)には吾れこれに示すに天壌(てんじょう)を以てせり。名実入らずして、機は踵(くびす)より発す。是れ殆んど吾が善者機(ぜんしゃき)を見たるなり。嘗みに又た与に来たれと。

(訳)
 あくる日、列子はまた季咸をともなって壺子に会わせた。〔占い終わって〕外に出ると、季咸は列子にむかっていった、「よかったね。あなたの先生はわたしに会ったために回復したよ。じゅうぶんに生気がみなぎっている。わたしは彼が活力をおしとどめているのを見ぬいたよ。」列子は室内にはいると、そのことを壺子に告げた。すると壺子はいった、「さきほどは、わしはあれに天地の〔開闢の〕相を見せてやったのだ。名目も実体もまだあらわれないが活気が底の方からわき起こっている〔というかたちだ〕。あいつは恐らくわしの善者機つまりどこまでも生きつづける働きを見たんだよ。ためしにまたつれて来るがよい。」



 明日、又たこれと与に壺子に見ゆ。出でて列子に謂いて曰わく、子の先生、斉(ひと)しからず、吾れ得て相するなし。試みに斉しくすれば、且(まさ)に復(ま)たこれを相せんと。列子入りて以て壺子に告ぐ。壺子曰わく、郷(さき)には吾れこれに示すに太沖莫勝(たいちゅうばくしょう)を以てせり。是れ殆んど吾が衡気機(こうきき)を見たるなり。鯨桓(げいかん)(磨旋)の審(ふかみ)を淵と為し、止水の審を淵と為し、流水の審を淵と為す。淵に九名ありて、此れ三に処(お)る。嘗みに又た与に来たれと。

(訳)
 あくる日、列子はまた季咸をともなって壺子に会わせた。〔占いが終わって〕外に出ると、季咸は列子にむかっていった。「あなたの先生は人相が一定しない。わたしはとても占うことはできないよ。もし一定したら、そのうえでもう一度占ってみよう。」列子は室内にはいると、そのことを壺子に告げた。すると壺子はいった、「さきほどは、わしはあれに太沖莫勝(たいちゅうばくしょう)つまり価値的な差別をこえた虚無の相を見せてやったのだ。あいつは恐らくわしの衡気機(こうきき)すなわち気のめぐりを調和させる働きを見たんだよ。〔ところで、例えば〕渦巻く深みの淵もあれば、静止した水の深みの淵もあり、流水の深みの淵もある。〔わしが見せた三種の働きは、ちょうどこの三つの淵のようなものだ。だが、〕淵には九つの種類があって、まだその三つを見せただけだ。ためしにまたつれて来るがよい。」

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荘子 その1

 世の中の不易について書かれた書物はいろいろとありますが、私が個人的に好きなのはこれ、「荘子」です。

荘子 第1冊 内篇 (岩波文庫 青 206-1)/荘子
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 応帝王篇 第七

 鄭(てい)に神巫(しんふ)あり。季咸(きかん)と曰う。人の死生存亡禍福寿夭(かふくじゅよう)を知り、期するに歳月旬日を以てすること、神の若し。鄭人これを見れば、皆棄(す)てて走る。列子これを見て心酔し、帰りて以て壺子(こし)に告ぐ。曰く、始め吾れ夫子(ふうし)の道を以て至れりと為せり。則ち又た焉れより至れる者ありと。

(訳)
 鄭の国に季咸という神がかりの巫女がいて、人の死生存亡や禍福や寿命の長短を見ぬき、まるで神わざのように年月日まできちんと言いあてた。鄭の人はこの季咸にあうと〔自分のことを予言されるのが恐ろしくて〕、みな急いで逃げ出すしまつであった。列子(れっし)はこの季咸にあって心の底からほれこみ、帰ってきて壺子に告げてこういった、「わたしは前には先生の道を最高のものと思っていましたが、さらにそれ以上のものがあったのですね。」


 壺子曰く、吾れ、汝の与(ため)にその文を既(つ)くせるも、未だその実を既(つ)くさず。而るに固(もと)より道を得たりとするか。衆雌(しゅうし)にして雄(ゆう)なければ、而(すなわ)ち又た奚(な)んぞ卵あらん。而(なんじ)は道を以て世と亢(あらが)い必ず信(の)びんとするかな。故に人をして得て汝を相(そう)せしむ。嘗試(こころ)みに与(とも)に来たれ。予(わ)れを以てこれに示さんと。

(訳)
 壺子はいった、「わしはお前に道のうわべだけを教えたが、まだ道の内容は十分に教えていない。それなのにもうすっかりわしの道がわかったつもりでいるのか。たくさんの雌鳥がいても雄鳥がいなければ、またどうして卵ができよう。〔道のうわべだけでは実りがない。〕お前は道をおしたてて世間と争い、むりにそれでおし通そうとしている。だから他人に自分を見ぬかれて占いが適中することになるのだ。ためしにつれて来るがよい。わしの方から彼に見せてやろう。」

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大天運

深見東州先生の本の中でも、個人的に何度も繰り返して読みたいもののナンバーワンはこれ、「大天運」です。

あなた自身の幸せの呼び方 大天運―絶対的強運をつかむ (たちばなベスト・セレクション)/深見 東州
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 学問、芸術、信仰の要素はそれぞれ、人間の御魂の奥深くに記憶され、生まれ変わるたびに、才能という有形の宝となって顕現するのである。前世で努力し、無形の宝を養い肥やした分だけ、学問の素養、芸術の素養、信仰の素養という形となって、身に備わるのである。「天才」とは、天から与えられた才というより、「先天の内に蔵している才」と解すべきであろう。能力の優秀さはこの三要素にかかわっている。これら学問、芸術、信仰の才能は誰にも盗まれない。無形の才能は絶対になくならない。逆に、有形の富と幸せを生み出すのである。

 しかし、もっと厳密にいえば、才能があっても徳分のない人はダメである。社会的に功成り名を遂げて、富を築くという福徳がないのだ。つまり、成功成就という結果につながらないわけだ。

 では、そのように貴重な才能は、どのようにして現れるのだろうか。自然に開花することはほとんどない。

 有形無形は問わず、宝は自分で生み出すものではない、他からもたらされるのだ。宝が他からやってくるような自分を創ることが、極めて重要な努力のポイントなのである。 才能も同じである。どれほど前世で学問、芸術、信仰を積んだからといって、それが開花するまでは、あくまでも可能性や素養として潜在的に眠っているのにすぎない。他からの刺激を受けて初めて、花開くのである。

 では、他からの刺激とは何か。それは、出会いである。すばらしい人、すばらしい書物、すばらしい環境との出会いである。御魂の奥に眠っている前世の記憶は、それを引き出してくれるような人物、書物、環境との出会いによって、ドーンと飛び出してくることが多いのだ。前世の記憶は意識の奥に眠っているのである。前世の記憶は外からの刺激によって出てくるのである。その刺激は、人との出会いでもいい。あるいは音楽でもいい。書物や土地でもいい。何でもいいから、すばらしい刺激を受けることである。

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恋の守護霊

深見東州先生の本の中で、特に女性に読んでもらいたい本はこれ、「恋の守護霊」です。「家庭運は女性が支配している」、「強運の子を育てる法」、「嫁、姑関係を上手にこなす知恵」など役に立つ話がたくさんつまったこの本、ぜひ読んでみて下さい。

あなたを強運にする恋の守護霊 (たちばなベスト・セレクション)/深見 東州
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道祖神は身近な縁結びの神様

 最近の若い女性は「道祖神」といってもピンとこないかもしれないが、かつてはちょっと郊外に足をのばせば、道端に必ずといっていいほど見られた「故郷の神」である。 この道祖神、本来は村里の境界などにあり、村や旅人たちを邪神から守ることが、おもな仕事だった。しかし、よくよくかの神を眺めれば、たいていは男女一対となっている。中には、男女が仲よく手を取り合っているものさえ見うけられる。

 男の神は最初の男神である神漏岐(かむろぎ)、女の神は最初の女神である神漏美(かむろみ)を示している。

 なぜ村里の神は男女一対なのだろう。天地に祈って豊饒(ほうじょう)を願ったのと同様、人々が男女が正しく睦み合って、子々孫々村が栄えますようにと、道祖神に手を合わせていたからである。また、「好きな人と一緒になれますように」との願いも、道祖神に掛けていたようだ。

 もともと神漏岐、神漏美の神であった道祖神はそれから時代が下って、伊弉諾・伊弉冉(いざなぎ・いざなみ)の神のパターンとなったのである。いわば、夫婦神の元祖といえる。だから、伊香保温泉、元祖・湯の華まんじゅうのように、とろけるような、よき甘さのある恋が実るのだ。道祖神に祈る時は、必ずこのおふた方のことを心にとめるようにしよう。

 また、ホコリまみれになっているような道祖神を見かけたら、簡単でよいから掃除してあげたい。こういう何気ない善意を神霊界は非常に喜ぶのである。

 お供え物が何日も置きっぱなしになっているようなら、それも片づける。野草が生い茂っていたら、道祖神の周囲ぐらいは抜きとってやる。要は、道祖神に対する心遣いである。

 昔の人々が素朴な気持ちで祈ったように、われわれも道祖神に素直に手を合わせたい。そうすれば、その願いは必ず聞き届けられるだろう。

 秋の夜、天上を眺めると、ペガサス座が見える。が、実は道祖神のおられる場所が、このペガサス星座なのである。神霊的に見ると、ペガサスの体は神漏岐で、翼の部分が神漏美となっている。両者が合体して、初めてペガサスとしての働きが可能となるわけだ。

 秋の夜空を眺めながら、「ペガサスの神よ。どうか、私のもとに素敵な恋人を連れてきて。お願い…」と祈ってみるのもよかろう。男運が上空からまい降りてくるかもしれない。

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