深見東州(半田晴久)さんの本とその他私の好きなもの -4ページ目

強運

仕事運、健康運、金運、恋愛運、学問運が爆発的に開く、そういう本がこれ、「強運」です。

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「古代から星が幸運を象徴していた」

 昔から、「占星術」といわれるものがあった。夜、天空に輝く星たちを眺めて自分の運命や未来を占ったのである。

 今ならさしずめ、ロマンティックな星物語程度で片づけられてしまいそうだが、古代の人々はそれこそ命がけで星を眺め、そこから不思議なパワーを感じ取っていたのだ。

 今日のように科学文明が発達していなかった当時は、純真な気持ちで太陽や月、北極星を眺め、自然の息吹や運命、運勢といったものを敏感にキャッチして、それを生活の中で生かしていたものと思われる。ところが、二十世紀に入り、文明が栄えてくると、占いのたぐいはほとんどが非科学的との理由で、趣味とする他は人々の心から忘れ去られようとしている。

 目に見えるこものしか信じられない人々にとっては、太陽や月、北極星から○○波動が地球に降りそそいでいるといっても、オトギ話にしか聞こえないかもしれない。

 ましてや、そういった星々に○○たちが住んでいるとなると、ほとんど信じてもらえないだろう。

 なにしろ、星といっても地球のように空気や水がバランスよく調っているわけではない。太陽は何万度という超高温の世界。空気も水もないし、夜も昼もない。地球に近い月もほぼ完璧なまでの真空の世界。他の星々も似たりよったりの厳しい自然環境だろう。そんなところに、わざわざ○○たちが住む必要などないではないか、と質問されそうだが、星々を「不毛の地」とみるのは早計すぎる。

 古代の人々が心の耳を澄まして、星々からのメッセージを聞いたように、現代に生きる私たちも、キッカケさえつ
かめば星々の声を聞くことができるのである。現に、私の主催する「星ツアー」に参加していただいた方のほとんどが、星世界を霊のまなこ=奇魂(くしみたま)で見聞きしている。

 なぜそんなことが可能かといえば、実は星世界は人間の体と同じように、「三層構造」をしているからだ。
 三層構造?初めて耳にする内容かもしれないが、ちょっと聞いていただきたい。人間の体は一番「外側」に肉体があり、その「内側」に霊が存在し、「中心」部分には魂がある。この場合の外側、内側というのは三次元的な内外ではなく、より次元が高まっていく度合いを示している。つまり、肉体は三次元的存在だが、霊は四次元的存在で、魂はさらに上級のランクに存在しているというわけである。

 ところが、星世界も同じような構造になっている。望遠鏡で見える星の姿というのは、人間でいうとちょうど肉体の部分。つまり表面というわけだ。

 しかしその内部には、霊や魂の部分があり、これは残念ながらどんな高性能な望遠鏡でも見ることができない。唯一、見ることのできるものはといえば、目でなく人間の霊、あるいは魂しかない。

 人間と星の霊的部分が激しくスパークすると、信じられないような大運勢がやってくる。

 星世界からの○○パワーの受け止め方は、星々の霊の世界が実際にどうなっているのかを知っているか否かで違ってくるものだ。

 一番手っ取り早いのは、一時死んで星世界をのぞいてくることだが、誰でもそれが可能なわけではなく、○○世界から特別に許可された者だけが、星世界へトリップできる。

 過去、星世界へ自由にトリップできた者たちは、人々から「予言者」とか「神の使い」とかあがめられた人物が多い。ノストラダムス、スウェーデンボルグ、出口王仁三郎などがそうである。

 彼らは自由に星世界へ行って、人類の過去や未来を垣間見、それを人々に紹介したにすぎないのだが、一般の人々の目には、彼らの言葉は予言や神の声と映ったのだ。つまり、星世界へ行くと大運勢を受けられるばかりか、過去や未来をも知ることができるのだ。

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オールマイティな占いはない

吉方位の取り方、占いの活用方法、最後の一厘を決めるものが何なのか、そうしたことが分かる、そういう本がこれ、「ネコにも分かる気学入門」です。

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限界を突破する極意

 驚かれるかもしれませんが、占い師によっては、気学で見ると、五黄殺や暗剣殺の方位なのに「大吉方位だから行ってきなさい」と言う人もいます。大丈夫なのでしょうか。

 実は、気学で五黄殺や暗剣殺であっても、奇門遁甲では大吉とされる方位もあるのです。もちろん九宮(気学でいう九星のこと)で悪ければ、悪いところが重複している場合が多いのですが、それを凌駕するほど十干十二支が良ければ、行ってもまったく何の障りもありません。五黄殺だからすべてダメになるはずなのに、逆に極めて良い結果が現れるきことがあります。気学の勉強だけしている人の常識を覆すようなことが、実際に明確な現象として現れているわけです。

 逆に、「大吉方位に行ったのに、どうしてこんな悪いことばかり起きるのだろう」ということも現実にあります。気学ではよくても、別の要素から見て悪ければ、よくないことが起きることもあり得るのです。吉方位の象意は現れるには現れますが、非常に少ないのです。ふつう気学家はこういうことはあまり言いませんが。

 勉強を進めれば進めるほど、占いというのはわけが分からなくなってきます。結論からいえば、オールマイティな占いというのは存在しないのです。

 ところが、気学の勉強をしている人は、気学をオールマイティだと思い、何でも気学で割りきろうとしてしまいがちです。四柱推命を勉強している人は何でも四柱推命。家相を見る人は何でも「家に問題がある」と言い、姓名判断をする人は「すべては名前に現れている」と言います。

 確かに名前に運勢は出ますが、オギャーと生まれたときには、ふつうまだ名前は付いていません。生まれてから二週間以内に命名するのが一般的です。となれば、生まれたときから定まっている星で見たほうが根本的ということになるかもしれません。気学も星ですし、算命学も星です。

 いろいろな占いがあり、それぞれに根拠があります。しかし、いずれも決してオールマイティではありません。だから、別の見方をすればこうなる、また、別の見方をすればこうなる、ということになるわけです。どの見方をすればいいのか。頭で考え、勉強すればするほど混乱して分からなくなります。

 たとえば、その人が本来、どういう資質や運命を持っているかということ、つまり、先天運に関して、気学はハッキリ言って四柱推命にはかないません。四柱推命のほうが圧倒的に詳しく正確です。ですから、ある程度気学を勉強していくうちに、本来の命運、命式に対して、いま一つ深く突っ込んだことを知りたくなって四柱推命の勉強を始めるというパターンがあります。

 しかし生まれたときに運命が決まっていて、その通りに人生が運んで行くのだとしたら見ないほうがいいということにならないでしょうか。努力してもなるようにしかならないならバカバカしいし、神様に祈ったところで、どうしようもないわけです。

 先天運というものに目を向けると、どうしてもこうした悲観論にとらわれてしまいがちになりますが、もちろん、先天の運命は後天の努力によって改善していくことができます。その努力の方向性を知ることにこそ意味があるのです。ところが、四柱推命にはその改善法が明示されていません。ですから、ある程度勉強を進めていくと、それをどうやってプラスの方向に導いていったらいいかという限界に気付くことになるのです。

 実は開運法といっても、その根本には目に見えない○○があるということが前提となるのです。この○○がなければ、どんなに方位を見ても、あまり効果はあがりません。

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大創運

 運の創り方、守護霊の活用の方法、カルマの乗り越え方が分かる。そういう本がこれ、「大創運」です。

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 「どんなカルマを背負っても人生を全うできる」

 私はワールドメイトとという会を主宰しているが、会員のA氏を例にとらせてもらう。

 年齢五十歳のサラリーマンで、素敵な奥さんと優秀な子供三人に恵まれ、家庭生活はまさに順風満帆。ところが、こと仕事に関しては、順調にいった試しがない。

 最初は公務員だったが、上司の不始末をかぶる形で退職せざるを得なかった。次に民間企業に就職したが、ほどなく会社は倒産してしまった。その後幾度か職を変えたがいずれも思わしくなく、今は某企業の独身寮の管理人をやっている。

 人柄もよく学歴もあるのに、なぜなのか、私も興味をもって霊視してみるとこんなことが分かった。

 A氏の九代前の御先祖は江戸時代、ある小藩の家老を務めていたが、不祥事を理由に改易を命じられ、家の子郎党三千人が、散り散りになってしまった。もし、不祥事が根も葉もない噂であることを証すために本人一人が切腹をすれば、このような事態は起こらなかったという。以後代々、この家の当主は職に恵まれないカルマを背負ってしまったのである。

「積善の家にはかならず余慶あり。積不善の家にはかならず余殃あり」と『易経』はいい、カルマは家系の宿命であることが多い。その結果九代前の御先祖の影響を今も受けるのである。

 そこで、私はA氏に次のようにアドバイスした。「仕事に恵まれないのはマイナスのカルマであるが、それをそのまま認めなさい。そのかわり、仕事がありさえすれば良しとして、心の中でやりがいを見出すことです」

 カルマを自覚し、苦しみを享受しつつ、楽しみをみつけることを第一に考える。一方、「あなたの家庭生活は幸せに満ちている。その幸せを他の人にも分け与える気持ちを抱けば、その徳分がマイナスのカルマを減らすことにもなるのです」「隣の庭は緑」という外国の諺がある。実体はそうでなくても、隣家の幸せそうな家庭をうらやましがる気持ちは洋の東西を問わない。ましてや、真に幸福な家庭を見れば、うらやましさを通り越して、ねたましい気持ちを抱かせる。これは本人にとっても、隣家にとっても不幸のきっかけになりかねない。

 しかし、単に見せびらかすだけでなく、隣家を幸せに引き込むようにすれば、幸せは伝染し、徳を積むことにもなるのだ。それに、子どもを立派に育てる。妻と力を合わせて、何か社会的に意義あることを行う。なんでも、良き家庭であればできる徳積みの方法はあるはずだ。

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パワースポットガイドシリーズ 浅草

浅草観音の御利益と功徳が分かる。浅草観音の本当のお姿が分かる。そういう本がこれ、「パワースポットガイド浅草」です。

パワースポットガイドシリーズ 浅草/深見 東州
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 浅草観音の功徳。まず一つ目は、父祖伝来(ふそでんらい)の縁(えにし)を結んで下さる。

 父祖伝来の縁ある人との縁を結んで下さるから、たとえば結婚でも、浅草の観音様が導くご縁というのは、自分と同じご先祖様から出ている家の子孫同士の縁談を結んで下さったりするのです。もちろん、そういう場合も多いのですけれども、他にも、取引先を結んでくれるとか、そういうことがあります。前世に助けて頂いた縁で今世は助けるとか、あるいは、自分が前世に助けたから、今世は助けてもらうとか。これを分析してみますと、遠い祖先の脈々とした縁ある人との出会いを結んで下さる。

 それから、何かしら「初めて会った気がしませんね、あなた」ということがありますね。「おたく様、何か初めて会ったような気がしないですね」というような、人との出会いをつくって下さるのです。

 こうした功徳は、三日後から出始めて、六日以内に何かの出会いがありますから、今日から六日以内に出会った人は、何らかの縁のある方なのです。ただ、その人は、後で戒(いまし)めてくれる人であるかもしれませんので、何でも六日以内に出会った人がいいとは限りません。

 そうなると、「観音様にお参りしたのに、一体どうなってしまうのか?」ということになりますね。しかし後々、「あれでよかったんだ」というふうにして下さるわけなのであって、打たれたり磨かれたりするときには、安心して打たれたり、磨かれたりすればよろしい。逃げることはない。正々堂々となさればいいわけです。

 これが浅草観音様の、父祖伝来の縁を結ぶという功徳です。本当に、過去、現在、未来を全部見通しておられます。

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理性の限界 運命は決まっている?

実は日頃考えていることが少しも正しくないことが分かるし、科学も盲信するならただの狂信者でしかないということが分かる、そういう本がこれ、「理性の限界」です。

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)/高橋 昌一郎
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 近代以前は、すべての現象を自然の「神秘」によって説明していました。ところが、ルネサンス以降になると、そのような神秘主義を退けて、すべての現象に明確な「理由」を見出そうとする人々が出てきました。彼らは、あらゆる出来事を、アニミズム(=自然界のあらゆる事物に、霊魂があると信ずること。)や感情移入などではなく、他の出来事との因果関係によって理性的に説明しようとしました。彼らは、物事の本当の理由を突き詰めるべきだと考えました。そこで、自然には物事を成り立たせる普遍的な法則があるに違いないと想定し、その「自然法則」こそが、本当の理由だと考えたのです。
 このように新たな視点で世界を観察した結果、実際にさまざまな自然法則が発見されていきます。コペルニクスからガリレオに至る地動説から、ニュートンの万有引力や運動法則の発見に至るまで、近代科学は成功を収めることになります。この万有引力の法則とは「すべての二つの物体の間には、各々の質量の積に比例し、物体の間の距離の二乗に反比例する万有引力が存在する」というものです。
 こうした万有引力の法則や運動の法則によって、なぜリンゴが木から落ちるのか、なぜ人間が地球の上に立っていられるかばかりでなく、あらゆる物体間の関係が説明できるのです。月と地球の関係も、地球と太陽の関係も、さらに無数の天体現象も、これらの法則によって明確に説明できてしまうのです。
 A.D.140年にプトレミーが「アルマゲスト」で主張した天動説によれば、宇宙の中心には地球があり、その周囲を太陽と月と惑星が回る仕組みになっています。しかし地球を含むすべての惑星が太陽の周囲を公転していると考えれば、惑星の逆行現象は、その公転速度の違いから簡単に説明できますし、それぞれの天体の動きもずっと簡略なものとして説明できるのです。すなわちこれが地動説なのですが、コペルニクスが「天体の回転について」を公表したのは1543年のことですから、誤った天動説が、千四百年以上にもわたって人々に教え継がれていたのです。

ラプラスの悪魔
 1687年にニュートンが発表した「プリンキピア」は、地上の物体の運動から天上の惑星の軌道に至るまで、あらゆる自然現象を説明することができました。彼は、自ら発見した万有引力の法則に、落下運動に関するガリレオの力学、惑星運動に関するケプラーの法則や振り子運動に関するホイヘンスの研究などを総合して、見事な世界像を表現したのです。
 もともとプリンキピアはユークリッドの「原論」を意識して書かれています。体系の出発点となる公理に相当するのが、慣性の法則、運動方程式、作用・反作用の法則で、ニュートンはこれらの基本三法則から、他の物理現象を演繹的に導き出す力学体系を構築しました。
 実際に、ニュートン力学は、驚くべき威力を備えていました。宇宙は、絶対時間と絶対空間という枠組みにおいて美しく厳密に定義され、数学的には、ニュートン自身の導いた微積分法によって極限まで計算可能になりました。
 そして、ニュートンの導いた自然法則は、当時の機器によるほとんどすべての観測で確認され、またその予測も正確であることが検証されました。
 天体の運動を計算した一例として「ハレー彗星」を取り上げてみたいと思います。彗星の存在は古代から知られていましたが、その動きは惑星とは全く異なり、それがどのような軌道を描いているのかは大きな謎でした。地動説が受け容れられた後にも、彗星は単に直線を描いて太陽系を横切るとみなされたり、放物線軌道で太陽に接近して永遠に遠ざかると考えた天文学者もいました。
 ところが、ニュートンの「プリンキピア」の重力理論により、彗星も惑星と同じように、太陽の重力に束縛された楕円軌道を描くのではないかという仮説が、考え出されました。
 ニュートンの親友だった天文学者エドモンド・ハレーは、過去の彗星の観測記録を調査して、1682年に彼の観測した彗星の軌道が、1607年、1531年、1456年に観測されたものと非常に似ていることを発見しました。この彗星は、他の惑星と同じように楕円軌道を描いていますが、その軌道は非常に細長く、太陽に非常に接近した後は、土星を遙かに超えた地点まで遠ざかることが計算されました。
 そこでハレーは、1705年、この彗星はおよそ76年周期で太陽を周回するはずであり、他の惑星の重力の影響を計算したうえで、次回は1758年頃に回帰するに違いないと発表しました。
 そして1758年12月25日のクリスマス、実際にこの彗星が太陽に接近する姿が観測されたのです。ハレー自身はすでに亡くなっていましたが、彼の功績をたたえて、この彗星は「ハレー彗星」と命名されました。

 こうしてニュートン力学は、当時の科学の集大成と考えられるようになりました。ニュートン力学は、この宇宙の基本的な自然法則を明確に表現するものと考えられるようになったのです。
 そこで非常に興味深い考え方を提起したのが、ラプラスという人です。この人は「偶然とは無知の告白である」と言ったことで知られていますが、この宇宙の出来事はすべて決定されており、不確定要素の入り込む余地はないと考えたのです。
 例えば、ハレー彗星はニュートン力学にしたがって公転していますから、ある時点の軌道を計算すれば、今どの位置にあり将来いつ地球に接近するかも計算できます。同様の考え方で、日食や月食も計算できるし、球を投げればどのように落下するかも正確に計算できるのです。つまり、初期状態さえ分かれば、後はそれをニュートン力学に当てはめればよいのです。ある瞬間の状態が分かれば次の瞬間の状態が決まり、さらに次の瞬間の状態が決まる、というふうに続いていくのです。
  1814年、ラプラスは「確率の哲学的試論」において、「ある瞬間に宇宙のすべての原子の位置と速度を知ることができるならば、未来永劫にわたって宇宙がどうなるかを知ることができる」と述べています。これが「機械論的決定論」と呼ばれる考え方です。
 もちろん人間技では「ある瞬間に宇宙のすべての原子の位置と速度を知る」といったことは不可能なので、ラプラスは、人知の限界を超えた悪魔を考えました。この「ラプラスの悪魔」は、ある時点で宇宙のすべての原子の位置と速度を認識し、しかも瞬時に次の位置と速度をニュートン力学によって計算できるとするのです。
 例えば、ラプラスの悪魔が、現時点で宇宙のすべての原子の位置と速度を知ったとします。すると一秒後には宇宙はどうなっているか、悪魔はあらゆる原子の位置と速度から一秒以内に計算して、それを知ることができるというわけです。
 いわば、宇宙全体が、一度動き始めれば、後は自然法則どおりに動き続ける自動機械のようなものであり、あらゆる出来事は決定されているとみなされたのです。したがって、もしラプラスの悪魔が存在したら、森羅万象は余すところなく知り尽くされ、すべては予測通りに従うことになると、そのように考えられたのです。

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