大天運 | 深見東州(半田晴久)さんの本とその他私の好きなもの

大天運

深見東州先生の本の中でも、個人的に何度も繰り返して読みたいもののナンバーワンはこれ、「大天運」です。

あなた自身の幸せの呼び方 大天運―絶対的強運をつかむ (たちばなベスト・セレクション)/深見 東州
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 学問、芸術、信仰の要素はそれぞれ、人間の御魂の奥深くに記憶され、生まれ変わるたびに、才能という有形の宝となって顕現するのである。前世で努力し、無形の宝を養い肥やした分だけ、学問の素養、芸術の素養、信仰の素養という形となって、身に備わるのである。「天才」とは、天から与えられた才というより、「先天の内に蔵している才」と解すべきであろう。能力の優秀さはこの三要素にかかわっている。これら学問、芸術、信仰の才能は誰にも盗まれない。無形の才能は絶対になくならない。逆に、有形の富と幸せを生み出すのである。

 しかし、もっと厳密にいえば、才能があっても徳分のない人はダメである。社会的に功成り名を遂げて、富を築くという福徳がないのだ。つまり、成功成就という結果につながらないわけだ。

 では、そのように貴重な才能は、どのようにして現れるのだろうか。自然に開花することはほとんどない。

 有形無形は問わず、宝は自分で生み出すものではない、他からもたらされるのだ。宝が他からやってくるような自分を創ることが、極めて重要な努力のポイントなのである。 才能も同じである。どれほど前世で学問、芸術、信仰を積んだからといって、それが開花するまでは、あくまでも可能性や素養として潜在的に眠っているのにすぎない。他からの刺激を受けて初めて、花開くのである。

 では、他からの刺激とは何か。それは、出会いである。すばらしい人、すばらしい書物、すばらしい環境との出会いである。御魂の奥に眠っている前世の記憶は、それを引き出してくれるような人物、書物、環境との出会いによって、ドーンと飛び出してくることが多いのだ。前世の記憶は意識の奥に眠っているのである。前世の記憶は外からの刺激によって出てくるのである。その刺激は、人との出会いでもいい。あるいは音楽でもいい。書物や土地でもいい。何でもいいから、すばらしい刺激を受けることである。

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