どうしてだろう、
畑や森、自然の中にあるタバコのフィルターは小さくても目を引く。
木に引っかかったティッシュペーパーも、
ビニール袋も。
周囲から「浮いて」観える。
登山をする人なら、分かるだろう。
どれほど小さくても、森の中に「ティッシュ」が1枚あると目を引く経験が。
8キロ先からでも気づく「違和感」。
うちの畑は絶景だし、夜景スポットだし、遊歩道沿いにあるから、
ポイ捨てしたくなるのか、
ちょいちょいタバコのフィルターが。
で、人工物(ティッシュ、タバコ、空き缶、ビニル)は、
どうして「違和感」があるのかを考察して分かったこと。
去り際が潔くない
からだと。
いつまでも、「自分のカタチ」で残ろうとする。
周囲に溶け込まない。
自然は、去り際がいさぎよい。
木の葉も、倒木も、枝も、虫の死骸も、
ぱっと周囲に溶けて行く。
ところが人工物はいつまでも、
「いーやーだー」
「きーえーたーくーなーいー」
「うわーん」
「ままー」
ってバタ足してる。
人工物は、去り際がいさぎよくない。
いや、
去り際がいさぎよくないのが、人工物だ。
「我が」「我が」している。
じゃあ、自然はどうして「去り際がいさぎよい」のか。
そこまで考察。
※畑でタバコのフィルターを見つめ続け、ここまで30分
※畑で何してる?
※畑って何するとこ?
去り際がいさぎよい、ということは、
「自分の手柄」に執着しないということ。
「じぶん」が消えても、周囲が続けば良いさという心境。
こうやって↑自分の「カタチ(功績)」を意地でも残そうとせず、
すぐに消える。
それはすなわち、「周囲も自分」だと分かっているからかもしれない。
親指は、「自分は親指だ」と思っている。
一方、最近さとりぎみの小指は、
「私は手のひらの一部だ」と思っている。
その、違い。
左上に映っている「木の葉」は、
「自分は木の葉だ!」とは思ってない。
自分は周囲の地球だと思っている。
となると、自分の主体は「周囲の土」でもあるので、
「いつまでも木の葉のカタチで残ってやる!」
と思わず、パッと「自分の手柄」も消せる。
こうして、周囲を「わたし」だと思える心境は、
「我が」「我が」が消えて、美しくなる。
営業成績で争うサラリーマン同士が、
「あいつもわたしだ」と思えば。
道で困っている人の前を素通りしようとした主婦が、
「あの人もわたしだ」と思えば。
手柄を周囲に取られるのではなく、
周囲がわたしなのだ。
畑って、こんなこと考えるための場所?
畑って、哲学するとこ?
さようなら。
★さとみつろうピアノライブ&トークショー
日時:12月22日(冬至の翌日)
場所:ミューザ川崎シンフォニーホール
使用するピアノ:
エラール(1800年代製の貴重なアンティーク)
調律:Ddur完全純正律/432hz
↓チケット残りわずかです(コロナ対策で座席の半分しか売れないので)
↓「違いはなんだろう?」と考えて、見つめ続けていたんですよタバコを。
「なんでコイツ、こんなに浮いてるんだろう?」って。
「小学生のころも、イジメられてたんだろうな」ってくらい浮いてる。
で、浮いてない人たち(自然)を見て気づいた。
人工物は、去り際がいさぎよくない。
おっと、ここで似たような過去記事が大量に見つかったので、
番組の途中ですが、さようなら。
↓絶対に、読んで。
↓もっと良い記事も発見①~④
とにかく、
「譲らない人」は、「自分」のサイズを小さく捉えているって証です。
『あなた』はもっと大きい。『あなた』を超えて。
↓今日は下の2つのボタンを押す祭、
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さとうみつろう
日本の作家・ミュージシャン。中1の長男コクトウ君と、小3の長女ザラメちゃん、1才になった次女ミリンちゃんの3児のパパ。石垣島で生まれ中学は大分県、大学は北海道。社会を変えるためには「1人1人の意識の変革」が必要だと痛感し、大手エネルギー企業から独立。本の執筆や楽曲の発表を本格化し、初の著書がシリーズ累計30万部のメガヒットを記録。10代の若者を中心に多くの支持を集める。ところ…
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