伊勢の地で一番高い場所、朝熊山八大龍王で圧巻の景色を楽しんで
地元の登山客が何名も登ってくる。
みつろうは、途中の朝熊山金剛證寺に車を停めて、
そこから八大龍王まで登山道を登って来ましたが、
彼らは、山の一番下から歩いて登って来た、まさに巡礼者。
この方は、石原さん。
イロイロ話してるうちに、一緒に登山(下山)してくれることに。
「下の寺までは、急な山道と、(みつろうが登って来た)緩やかな
と二択問題を出されたので、急斜面の案内をお願いしました。
ほぼ、崖?って場所も通るこのルートでも、
60才を超えた石原さんは、安定した歩きっぷり。
定年退職の年齢、70才くらいにした方がいいと思うよ、
ムッチャ元気、60代。
途中、登るトキも立ち寄った朝熊山経塚群で、
「一人ではできない事があるから、地球には「わたし」以外が居る。
よかった~。一人の登りでは撮りたくても撮れなかった写真を、二人の下りでは撮れて満足!
経塚群では、ヘビがニョロニョロと出て来たけど、
60代は、体力もあるし、勇気もあるっぽい。
急斜面ルートでは、登りの半分くらいの時間で、寺に到着。
急斜面ルートが着いた場所は、金剛證寺の奥の院と呼ばれている場
この朝熊山は、古くから地元の人にとっても霊山で、
宗教に関係無く、「死者の霊が通る場所」と考えられていたらしく
卒塔婆(スチューバ?)という、梵字の書かれた、なっがい木の板
異様な光景でしたが、
ネットから拾ってきた写真↑
ずらーっと、この背の高い木の板が、道の両側に並んでいます。
石原さんいわく、お金がある人や企業なんかが、
お金が無い霊は、低い卒塔婆だから極楽に行けないんかい!
・・・という訳じゃなく、
それぞれの状況の中で、精いっぱいできる先祖供養をしましょうと
金持ちは、その家庭状況における精いっぱいの先祖供養を、
お金が無いなら、その家庭状況における精いっぱいの先祖供養を。
残されたこちら側の気持ちなのだから、敬う想いを精いっぱい尽く
だから、ビルゲイツが死んだら、
(現在、最高に長いヤツで10mらしい)
ビルゲイツが10m程度のヤツ建てたら、成仏できないよね。
そういうことだよね?
地元ピーポーの石原さんも、先祖がここに供養されているらしく、
おもむろに、線香をあげはじめる。
みつろうが横にいることを、まったく忘れたかのように、
なにも言わずに線香をあげはじめた。
先祖への思いが、身体に染みついているのだろう。
九州では卒塔婆すら見たこと無いし、
ここの風習における線香のあげかたもわからない、(
とりあえず、見よう見まねで、やってみました。
すると、その線香の、香りが鼻の粘膜についたトキ、
石原さんとは先祖で繋がっている事を、思い出しました。
2年前から始めているヘソノオムスビ(⇒)で、
「石原」氏の先祖を経ていたので、きっとその繋がりでしょう。
独特の先祖供養の風習を持つ、朝熊山金剛寺の奥の院で、
先祖繋がりの石原さんと、一緒に線香をあげて、
「下まで歩いて下山する」石原さんとはここで別れ、
何世代か前の先祖で枝分かれしたみつろうの方の旅は、
(←旅は次の記事へ←)
↓先祖供養で思い出したけど、明日は9月のミソカモウデですよ。
石原さんは、ずーっと、にこやかで、
1時間ほどの登山のあいだも、ずーっと、
「これは、○○と言って、この山では・・・」とか、常に、
「おもてなし」の精神にあふれていた。
そんな、石原さんが、奥の院に着いた途端に、何の説明もなく、
急にみつろうをほったらかしにして、ご先祖さまへ、
『御先祖様が一番大事。』
口では、そうは言ってなかったが、身体がそう示していた。
素晴らしい行いだ。
その後、石原さんは、
「前も、登山で出会った旅人を家に泊めた事があるんだよ」
「大学生なんかも、近くの公園で拾って、家に泊めたんだ。」
と、モロみつろうを家に泊めようと誘導する会話を展開してくれた
人間恐怖症(ひとみしり)のみつろうは、
懇切丁寧に、「だいじょうぶです」とお断りした。
「泊っていきなよ」とは言えない、シャイな石原さんの性格が、
泊っていたら、ひょっとすると、
でもね・・・、
生きている人間は、御先祖からのおもてなしを、
徳を得るのも、徳をよけることも、自由に選べるんだぜ!
ということで、自由気ままな旅は、明日へと続く。
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