私の描いたにがおえを
スマホの待ち受けにしてくれている未央ちゃんが
にがおえのお礼にと私の家に
遊びに来てくれました♡
4人グループでコテージが同室、コテージで2つのお部屋に分かれて寝ましたが、お部屋も一緒で布団の中でお話した仲です。
でも、リトリート依頼会う機会もなかったのですが
にがおえの講座を受講してにがおえモデルさんの募集に手を上げてくれ、そこから仲が深まりました。
とても喜んでくれ、なんとにがおえをスマホの待ち受け画面にしてくれたり
にがおえに描いたジャンプするポーズを実際に海でやって写真を撮ったり
おもてなし
お仕事帰りに来てくれるとのことで、午後遅めのランチだったので温め不要でパクっとすぐ食べられるものを用意しました。
もう何度も作っているサラダチキン
このサラダチキンでキンパ
棒棒鶏
卵パックに生ハム、アボカド、クリームチーズ、酢飯と海苔いれて
手毬寿司
生ハムでもう一品
蒸かしたじゃがいもとベビーチーズを包んで、ハーブソルトとオリーブオイルをかけました♬.*゚
発酵メーカーで作った米麹の甘酒とヨーグルトを混ぜて凍らせ
そこにフルーツをのせて甘酒かけて再冷凍
さくらんぼとキュウイを入れました♡
製氷皿で手軽にできる。
焼き菓子は持って行って渡せるけど、アイスは遊びにきてくれないと食べてもらえないし
これはいい♡
本当は、もい2品作る予定でしたが、スライサーで右手の指をザックリ切ってしまい、スピードが落ちてしまい叶わず
でも、未央ちゃんとても喜んで食べてくれました。
誰かのために作ること
食べてもらえること
一緒に食べられること
本当に嬉しいことです♡
言って欲しかった言葉
まだお付き合いとしては浅いですが、なんでしょうか
安心を感じて、心地よくいろんな話ができました。
その仲で私が妹の話をする中で
未央ちゃんが、「前の私にも同じようなところがあるかも
前の私だったらなんて言って欲しいかわかるかも?」
そんなことを言ってくれました。
これには、私も
そうだ、私も同じようなところがある
不足感から頑張りすぎる、やりすぎる
小さい時から「私は普通じゃない」「私の家庭は普通じゃない」そう思ってました。
小学校の卒業アルバムの「将来の夢」に「普通の人になりたい」そう書いて、先生から「もっと他にないの?」と言われたことを覚えています。
だから、普通になるため
普通じゃない私、人並みにいろいろできない私は、がむしゃらにやらなければいけない
そんな風に生きてきました。
「普通」
何をもって普通なのか
今となってはよくわかりませんが
仕事でも家庭でも、人間関係でもとにかくやりすぎる感じがあって、それが喜びからの時もあるけれど、ほとんどはムチを打ってでもやるという感じだったので、人生苦しかったです。
今は、だいぶムチを打たなくなって(打てなくなって!?)きて、仕事もやりすぎなくともやれるようになってきました。
それでも、いろんなこと
仕事以外にもやりすぎちゃうところがまだあります。
こんな私が、言って欲しかった言葉は
「そんなことしなくてもいいよ。」「そんなことしなくても大丈夫だよ。」
「あなたのままで、ここにいていいよ」
そんな言葉かもしれないと、
未央ちゃんと話していて気がつきました。
また、自分で自分のことを認められない、愛せないから
他者に認めてもらう、愛してもらう必要があったのですね、きっと。
結婚すれば、家庭をもてば幸せになれると思っていたし
幸せにしてもらおうと思ってました。
そして、その期待は何度も何度も何度も、打ち砕かれました。
幸せは、他人にしてもらうものではなく
本当は、いつもここに平穏な幸せがあって、それを感じられるかどうか?
心が平穏でいられるか?
すごーい、幸せ!!ではなくて
もっと薄味で
じんわり感じるものかなぁって
それを感じられる時あるなぁと最近思います。
今も、まだやりすぎるところも認めて欲しいという承認欲求もありますが
自分でも自分のことを認められるようになり
他者の中にみる嫌なところが自分の中にもあることに気がつけること、そんな自分も、どんな自分も愛せるか?
愛の学びをしていることを感じます。
ジャッジが本当にないところで深いところまで話ができたこと
似ている境遇や思考だからこそ、共感できることがあり
楽しい時間と共に学びのある時間になりました。
この年齢になって、やっと
心を開いて話ができる方と出会えること、一緒にいられること感慨深いです。
それもこれも、辛い出来事たちがなかったら、出会えていないので、人生は不思議ですね。
今日も、最後までお読み頂きありがとうございました。