皆さんは「サイレント映画」をご存知でしょうか? チャップリンなどでおなじみの無声映画、いわゆる音のない映画のことです。映画に音をつける試みがなされたのは映画の誕生よりものちのことで、最初は蓄音機、その後ピアノやオーケストラによる生演奏が加えられるなど、映画は次第にその表現力を増していったのです。日本では音楽に加え、活動写真弁士、俗に言う「活弁」が声色を交えて状況説明を行っていた時代が過去にありました。フィルムに音声が入った「トーキー(しゃべる)映画」、別名「サウンド映画」と呼ばれるものが現れたのは、そのずっと後だったのです。
前述のチャップリンはサイレント映画からトーキー映画に変わっても『モダンタイムス』という作品を撮るまで、あえて「サイレント映画」という表現形式にこだわっていました。現在、ビデオなどで観ることのできるチャップリンの作品はピアノ音楽つきのサウンド映画になっていますが、実際は、音のない「サイレント映画」だったのです。
なぜ、チャップリンは「サイレント」にこだわっていたのでしょう? それは、彼が喜劇の本質がどこにあるのかを鋭く見抜いていたからに他なりません。事実、彼の作品は今観ても、下手なお笑い番組や、漫才、コメディー映画よりも、本当に面白く、味わいがあり、心にしみいるものがあり、泣けます。「心の底から笑いつつ泣ける作品」というのはそうそうありませんが、音を消し去ってもこうした感動を味わえるということは、それだけエンタテインメントとして濃縮されたものがあり、ごまかしが一切ないということでもあるのです。
相対的にみて、今の映画はCGや派手な音で驚かしたりなど、演出部分で何とかお客さまの満足を得ようとやっきになっている部分があるとは言えないでしょうか? 仮に、今の映画から音を完全に取り去り、華美な演出を一切取り去った時、すなわちシンプルな映像だけで、どれだけの感動を人に与えられるのでしょうか? 中身で勝負となった時、どこまで人を喜ばせ、感動させられるのか? 往年のチャップリンなどの名作を超えられるかどうかは大いに疑問です。
もちろん商品としてあえて演出を削り取ることには逆の効果しかないかも知れませんが、エンタテインメントの本質を極めた上で、演出にも凝ることができれば、今よりもずっと中身の濃い作品ができるのではないか。そういうことを同じクリエイターとして、私たちも考えなければならないでしょう。演出が派手になればなるほど、創り手は演出に面白さを求めようとしがちです。しかし、それでは薄っぺらなものしかできません。本質を見極め、演出に頼らずとも、まず根本から面白いものを創れるようになってこそ、はじめて「演出が本当に効いてくる作品」が創れるのです。
- モダン・タイムス
- ▲笑いと涙、本作はチャップリンの代表作の一つ
- 街の灯
- ▲著者が最も感動したチャップリンの名作
- これほど温かい涙をさそう映画はそうそうないだろう
- チャップリンの黄金狂時代
- ▲これも筆者お気に入りの一作、大がかりなドタバタも笑えるが、
- 彼の作品にはそれだけではない深みと味わいがある