ご覧いただきありがとうございます。
40年以上も前、時刻表を眺めていて、子どもながらに不思議だった列車がありました。
223レ 会津若松発 6:30
237レ 郡山発16:32
共に野沢に着くと、戻る上り列車がありません。野沢始発の列車はないのです。ということは、回送なのだろう・・・
また、この2つの列車は、喜多方~野沢間【休日運休】。
223レからの戻りは244レか? と考えられますが、237レからの戻りはないので、やはり回送なのだろうと思っていました。
通勤通学列車としての運転で休日運休、戻りはあまり需要がないのかなあと、もやもやしながら不思議に感じていました。
最近になって、列車ダイヤを見ることができて、これらの列車の戻りはユニークな列車だったのではないか、日中線の車両と大いに関わりがありそうだということが分かったので、レポートします。
本題に入る前に、(列車ダイヤを見て思った)別な疑問をもう一つ。
日中線最終の混626レ、喜多方(上本)着後は、回626レとなって会津若松に戻っていくのですが、
回626レは、喜多方(下1)発。わざわざ 上本→下1 と入換転線するのです。なぜだろう??
[1]休日の237レ と 回626レ
237レは喜多方(下1)19:08着です。
この44分後の19:52、日中線626レで使用された車両の回送と思われる、回626レが(下1)から会津若松に向けて出発します。ということは、
回626レ の休日の編成は、
だったのはないでしょうか。
混626レが喜多方で 上本→下1 と入換転線するのは、237レ着編成と連結するためでしょう。
休日の回626レはプッシュプルのような編成です。
[2]平日の237レ と 234レ
237レ野沢19:44着。おそらく(下本)着でしょう。
対向の234レは、野沢19:28着で、237レ着後すぐは発車せずに、19:57発です。
ということは、234レは野沢で後部に237レ車両を連結して、
という編成だったのはないでしょうか。平日の234レはこれもプッシュプルのような編成です。
野沢駅構内配線はこのような形だったはずです。*CTC化前の1978年10月改正時期は、跨線橋はなく、構内踏切でした。
237レは「新津方本線に引き上げ、上本停車中の234レ後部に連結」と入換されていたと思います。
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[3]平日の223レ と 244レ
223レは喜多方(下1)7:19着。編成は、
と思われます。着後、分割されて、新津方編成は野沢へ向けて7:29発。
残った喜多方止まり編成の会津若松方に、日中線混622レ喜多方(日本)7:38着の機関車DE10が入換されてきて連結。
このような編成で、244レ喜多方(下1)7:53発となっていたと思います。
[4]休日の223レ と 244レ
休日は、223レの野沢編成が運用休止で、短い編成で喜多方到着。244レは、平日と同じく混622レの機関車が入換、会津若松方に連結され、
このような編成で運転されていたのはないでしょうか。これもプッシュプルのような編成です。
混622レ~244レの牽引機となるDE10は、喜多方で15分の間に、622レ編成との切り離し、入換転線、223レ編成との連結、ブレーキ試験と忙しいです。
[5]平日の223レ と 224レ *244レと224レ、紛らわしい・・・
223レは、野沢8:00着。おそらく(下本)到着です。
この編成は、野沢(おそらく上本)7:55に到着していた224レの後部(新津方)に入換連結されます。
このような編成となり、野沢(上本)8:10発で出発していたと思います。これもプッシュプルのような編成です。
224レは郡山ゆきですが、野沢で連結された223レ編成は、会津若松で切り離されていたと思います。
以上、下り野沢ゆきの戻り、喜多方ゆきの戻りは、いずれもプッシュプルのような形態のユニークな編成だったと思います。日中線の車両も関わっていて、おもしろいです。
プッシュプルのような、これらの列車を撮影なさった方、いらっしゃいませんか? ぜひ拝見したいです。また、当時の思い出をお聞かせください。
車両運用資料を拝見して、上記の推察の答え合わせをしてみたいです。資料をお持ちの方がいらっしゃいましたら、お声かけください。
1978年10月02日改正 磐越西線列車一覧 はこちら。 (拙 別ブログ)
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