葛木御歳神社から~宮司がゆったりのんびり綴ります -9ページ目

葛木御歳神社から~宮司がゆったりのんびり綴ります

1600年以上の歴史を持つ葛木御歳神社の宮司東川優子が日々思うことを書き綴ります。




過日、ツアー仕事で一言主神社へ行きました。その際、ひと言お願いすれば叶えてくださいますとお話したことに対して、「神社ではお願いをするのではなく、感謝だけをするべきでは?」というメールを頂きました。
この考え方は結構神社を愛する人たちの間で広まっていますが、私はそんなに四角四面に考えなくても良いと思っています。
せっかくなので、お返事の内容を転載しますね。
ホント、様々な考え方があって良いと思っています😊✋️

追記すると、祈るは「意宣る」で自分の意思表明をすること。そうしてその方向へ努力することですよね🍀

🍀🌸🍀🌸🍀🌸🍀🌸
これに関しては、様々な考え方があると思います。
もちろん感謝があってこその神社参拝で、まずは生かされていることに感謝するのが第一です。それについては大前提ですね。

ただ、神道では、神様は、自然を司る神と考えるのと同時に、神様は、私たちの祖先としての祖霊神とも考えます。
そうすると、私たちのおじいさんおばあさんのような存在とも言えます。
おじいさんおばあさんは、孫が困っていたら、なんとか助けてあげようとしてくれます。それに対して、私たちは感謝と共に、困った時は相談しても良いのだと考えるのが神道の考え方です。

私は神様を心底信頼申し上げています。ですので、神様は大いなる力でいつも見守ってくださる存在だと思っています。
もちろん、お願いをして、あとは努力しない!では神様も呆れてしまわれると思いますが、真摯に努力して頑張る私たちをいつも後押ししてくれる存在だと感じています。
そういう意味では、大いなる存在に、小さな我が身を委ねてしまうこともひとつ、ありなのでは?と思っています。

ツアーのお客様は、皆さん神社がお好きな方が多いので、そのあたり、ただご利益だけを求める方たちではないと思うので、私は、説教のようなことを申していません。皆様が良識ある方だと思っているからです。

神社でお願いはしてはいけません!と仰る霊能者の方にも多数お会いしてきましたが、私は、辛い時は神様にも頼ったらよいですよ〜といつもお話しています。
神様をご信頼申し上げていますから、そんなことで嫌気を起こすような狭い了見の神様は少数派だと思っています。

その前提には、皆さんが、とても真摯に努力を惜しまない方だという信頼、そして、それを目を細めて見守ってくださる存在としての神様が、世知辛い世の中と言えども、確かにおわしますという信頼。それがあればこそ、私は神様を心底ご信頼申し上げて御仕えし、また人々との仲とりもちとして、御祈祷もさせて頂いています。
御祈祷をすれば、私の力ではなく、神様のお力で、良い方向に向かって行くだろうという信頼あればこそ、御祈祷をお受けする次第です。

そうでなければ、私たち神職が、病気平癒や、厄祓い、良縁祈願、商売繁盛などの御祈祷をするのは、絵空事になってしまいますから。。。

これは、私の考え方で、異論もあると思います。一つの考え方として書かせて頂きました。
またぜひご参加くださいませ。
神道について、私なりの考え方は折に触れてお話できれば幸いです。
ご意見ありがとうございました。
東川優子
✳︎写真は熊野速玉大社です。



今日の朝ドラ、めちゃ感動した〜❤️
主人公の女性は、過去の辛い出来事と共に額に大きな傷跡がある事をとても気にしていて、それで、好きな人にも好きと言えないのです。
とても惹かれる男性に告白されたのに、額の傷を見て引かれちゃうのが怖くて、返事ができないでいます。
でも、思い切って前髪で隠していた傷を鏡越しに見せます。
もちろん、男性はニッコリ微笑んで受け入れてくれます。
そうなの。
他人には、そんなこと気にすることでは無いと言われたとしても、本人にとっては大きな心の傷であるわけです。それが痛々しくて、でも、この男性はそれすら愛おしい感じることでしょう。

怖さは、他人から見たらそれほど恐ることでは無いのですが、こだわる本人にはやはり怖いですよね。
それを見事に描いていて、オダギリジョーの優しい笑顔が最高でした。

なんと紳士服店の試着室の鏡越しに。。。そして、キスシーンはカーテンを閉めて。。。とてもお洒落で、フランス映画のような演出も素敵でした✨✨✨
1/10(月)朝9時から10時頃まで、地域放送局FMヤマトで市役所の観光課の宮橋さんと楽しい神社トークをします!
アプリをダウンロードしたら、全国どこでも聴けるそうですよ。
以下コピペ
🍀🍀🍀



御歳神社の東川宮司☆ 1/10 FMヤマトに
葛城地域のお知らせや催し、防災関連などの情報を発信するコミュニティ放送局『FMヤマト』に1/10(月・祝)葛木御歳神社の東川優子宮司が生出演されます!

「我が町情報(御所市)」のコーナー(9:00~10:00頃)で神社・神様のことや参拝の作法、神道のことなどをわかりやすく話してくださる予定!
ぜひお聴きください☆

[FMヤマト]
JOZZ7BT-FM 77.5MHz
大和高田市大中南町3-48
電話 0745-25-2539・FAX 0745-25-2900
mail.info@2525fm.jp
http://fmyamato.jp/

[FMヤマト公式アプリ]
https://fmplapla.com/fmyamato/
インターネットを利用してどこででも番組放送が聴けるほか、緊急情報の受信や警報発令時は放送局に居場所が送信できるなど機能がたくさん!



知子さんのブログの文章が素敵すぎる件!

今年はたっぷりお世話になりました。来年も引き続きオンラインお茶会やりますので、何卒よろしくお願いいたします。




大阪に行った日、久しぶりに映画を観てきました。「そして、バトンは渡された」
もうね、泣きすぎ、いや、泣かせすぎやろ?ってツッコミながら観てました。
とても心温まる映画でした。
実の父親だけでなく、血のつながらない3人の父と母に育てられ、深い愛情を繋いだ優子を永野芽郁さんがさりげなく素敵に演じておられました。
色々な事情で家族がバラバラになって、でも、それぞれ切ない事情で。
人生ままならないものですが、
「笑っているとラッキーが舞い込んでくるから、笑ってね」
ってホントだなぁと思う。
ストーリーの優子は4回名前が変わったんだけど、私も3回名前が変わってるんだ〜笑
色々な経験が色どりになっていく。

後悔はめちゃくちゃたくさんありますよ。
でもね、主人公の優子が後悔している実父に言うんですよ。
「もう、いいじゃん❣️それは。」
そうなの。後悔してもどうにもならないというより、そんなこと、どうでも良いじゃん。その時には出来なかったのだから。でも、ちゃんと考えてたはずだよ。そして、考えられなかったこともあったのだから。

そんなことを考えてたら、翌日の朝ドラで同じテーマが出てきた。
思いは曲がって伝わってしまった。とんでもなく違う道を歩くことになってしまった安子。でも、それも人生なんだよね。
傷つくことも人生なんだから。
そして、何としても、人生を切り拓かなければ〜❗️
そして、また道は繋がっていくのです。

葛木御歳神社の「稲宝来-いねほうらい」守り

先日、崇敬者の皆様と手作りして、お正月に向けて、本日ご祈祷いたしました。御歳神社横のカフェに置いてあります。ご希望の方には郵送もいたします。

「歳神さまのお下がりのお米」も置いています。黒米ご飯になりますよ。
ご神矢もご祈祷しました❣️








🍀🍀🍀
御歳神の「トシ」は稲を表す古語で、御歳神さまは稲の神様であり、歳神さまであります。稲は、一粒播くことで多くの収穫が得られることから、縁起物として珍重されてきました。「稲宝来」は歳神様の「みたま」が籠ったもので、葛木御歳神社の神職と崇敬者が手作りし、御祈祷の後、頒布いたします。
ぜひ、お家で大切にお祭りください。       初穂料:千円

マイナスのエネルギーをプラスエネルギーに無理矢理にでも捻じ曲げる。これって、うまくいくと強いエネルギーになるんですよね。
御霊信仰とはそういうことなんだろなぁ。
マイナスのエネルギーを浄化することにもなり、自分の内部のマイナスを一気にプラスに大転換する。
これは言霊の力。。。
言霊恐るべし❣️
祝詞は強烈な言霊ですが、普段の言葉にも乗ります。
自分が発する言霊に、自分自身も左右され、自分の方向も決まるので、とても大切です。
素晴らしき縄文時代。
私たち全ての日本人のDNAには縄文人の血が入っているのだ。
もっともっと見直すべきです。
SDGsは縄文時代から。争わない社会。
以下リンクの文章です。
🍀🍀🍀🍀🍀

No.1078 なぜ世界最古の土器が日本列島から出土するのか?
2018/09/02 07:20 0

 1万年以上も自然と共生し、平和が続いた縄文時代は「文明先進国がどこも体験することのできなかった貴重な時間」だった。

■転送歓迎■ H30.09.02 ■ 50,556 Copies ■ 4,517,198Views■

■1.日本列島から出土した世界最古の土器の一つ

 東京・上野の国立博物館での縄文展を見た。大変な人気である。特に中国やメソポタミアなどの土器との比較もできるようになっていて、縄文時代の火炎土器は年代もはるかに古いのに、立体的な造形美は比較にならないほど美しかった。また、細かい縄紋、すなわち縄目の模様の精巧さにも驚かされた。

 現在、世界最古と考えられている土器の一つが、青森県大平山元(おおだいらやまもと)遺跡から出土したもので約1万6500年前。これは模様のない無文土器だが、約1万4500年前ごろには、粘土ひもをはりつけた「隆線文土器」が生まれ、全国に広がっている。

 世界の他の地域では、南アジア、西アジア、アフリカでの最古は約9千年前、ヨーロッパが約8500年前で、これらに比べると、飛び抜けて古い。岡村道雄・元文化庁主任文化財調査官は、日本列島の土器は「質量ともに世界の他の時代や地域のものとくらべても際立っている」と述べている。[1, p53]

 従来の歴史では、メソポタミア、エジプト、インダス、中国が世界の「4大文明」であり、日本は文明を中国から教わった後進地域だった、と教わった。近年の考古学はその歴史観を覆しつつある。しかし、なぜユーラシア大陸の東端にある日本列島で、世界最古の土器が出てくるのだろうか?

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■2.縄文人たちの「持続可能な開発」

 従来の文明観では、石器時代の人類は狩猟・採集による移動生活を送っていたが、約1万2千年前くらいから、世界の各地で農耕と牧畜を始めてようやく定住生活ができるようになり、そこから文明が始まったというものだった。

 この文明観から完全にはみ出しているのが、1万5千年前くらいから始まった日本の縄文時代だった。そこで我々の先人たちは狩猟や採集のまま定住生活を始めたのである。

 日本列島を巡る海では寒流と暖流がぶつかり合って世界有数の漁場をなし、豊かな森林からは木の実やキノコなどがとれた。さらにイノシシやシカ、ウサギなどの動物も豊富だった。こうした自然の恵みで、縄文人は農耕や牧畜をしなくとも、四季折々の豊かな食物に恵まれていたのである。

 一般に、農耕・牧畜は狩猟・採集よりは進んだ文明段階であると考えられているが、メソポタミア、エジプト、インダス、中国の黄河流域がみな砂漠化している事を考えれば、農耕・牧畜が自然破壊を伴っていることがよく分かる。

 森を切り開いて畑にすれば、樹木がなくなってやがて表面の土壌が失われてしまう(水田は別だが)。牧畜でも家畜が草の芽まで食べてしまうので、植生が失われ、土壌が劣化する。それに比べれば、縄文人たちは1万年以上もこの日本列島で暮らし、しかも豊かな自然を残してくれたのである。

 近年、国連が「持続可能な開発」(Sustainable Development) という概念を打ち出したが、縄文人たちの生活はまさにそのお手本なのである。

■3.数百種類の食材を、旬を考えながら採っていた

 縄文人たちは自然の恵みをただ受けとっていたのではない。それぞれの品目ごとに「旬」を知って採っていたようだ。

 シジミやハマグリは貝の断面の成長線を調べると、全体の70%は4月から6月にかけて食べていたことが分かった。現代の潮干狩りと同様で、この時期がもっとも脂がのっているからである。同じくイワシ、ニシンも春に盛りを迎える。夏はアジ、サバ、クロダイ、秋はサケ、ブリ等々。同時にクリ、クルミ、シイ、トチなどの木の実のシーズンとなる。

 冬になると、脂肪を蓄えたキジ、ヤマドリ、カモ、イノシシ、シカ狩り。年を越すとワラビ、クズ、セリ、ゼンマイなどの若葉、若芽が採れる。縄文遺跡の食料の残滓から獣60種類以上、魚70種類以上、貝350種類以上が遺されている。これに木の実や野菜、果物、キノコなどが加わる。[2, 963]

 今日の日本料理が多種多様な食材を、それも「旬」を考えて出すのは世界の料理の中でもユニークな特色だが、それは縄文時代から続いている伝統だろう。

 この数百種類の食材に対して、どれが食べられるのか、どこで採れるのか、いつが旬なのか、どう料理するのかを縄文人たちは考えながら、食べていた。一口に狩猟・採集とは言っても、麦だけを植え、牛だけを育てる農耕・牧畜よりは、複雑な知識を使っていたのである。

■4.定住と知識・技術の進化

 縄文人の食の多様性をさらに大きく広げたのが土器だった。土器による煮炊きによって、木の実のアクを抜き、植物の根や茎を柔らかくして食べやすくし、魚や獣の肉の腐敗を防げるようになった。土器は保存容器としても、通気性や通水性によって表面の水分が気化して低温を保つので、食物の長期間保存を可能とした。

 縄文人たちは定住することで、大きな重い土器を作り、使う事ができるようになった。一定の場所から粘土を見つけ、それを形にし、火で焼くという作業は定住していなければできない。

 また、定住生活では身体の弱ったお年寄りも脱落することなく、その経験や知識を次の世代に伝える事ができる。それによって様々な食材を食べられるかどうか判別し、いつどこで採ったら良いかを考える、という知識と経験の積み重ねが容易になった。土器の発達も、定住生活ができるようになったから加速しただろう。

 定住が土器を発達させ、食材に関する知識を蓄積できるようにした。逆に土器と食材に関する知識が定住を可能とさせた。この定住と技術・知識の蓄積は、車の両輪として暮らしの進歩をもたらしたようだ。

■5.縄文人の円の思想

 こうして自然の中に抱かれて暮らしていた縄文人の世界観は、また独特のものがあった。それを明治学院大学・武光誠教授は「円の思想」と表現している。「自然界ではすべてのものが互いに深くつながって存在している」という世界観である。

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 夏が終われば秋の山野の恵みが、冬が終われば春の食物が現れる。縄文人は、人間とは、このような終わりのない自然界の恵みによって生かされている存在なのだと考えた。[3, p26]
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 獣も魚も貝も木も草も、生きとし生けるものはすべて精霊が宿っている。人間もその一部である。その精霊の命を少しだけ戴いて自分たちは生かされている。その無限の命の循環の中に自分たちは暮らしている。とすれば、魚を取り尽くしたり、獣を小さいうちに食べてしまうなどということは、縄文人にとっては許されない行為であった。

 森を切り払って畑にしたり、牛のための牧草地にしてしまう農耕・牧畜の民よりも、はるかにエコロジカルな世界観である。1万年以上もの間、自然と共生してきた生活の基盤には、こういう生命観があった。

 自然に抱かれた縄文人たちは「自然との共感共鳴」をしていて、それが日本語の中にも残っていると小林達雄・國學院大學名誉教授は指摘する。日本語は擬音語、擬声語が豊かなのが特徴だ。川が「さらさら」流れる、風が「そよそよ」吹く、などである。小林教授はこう語る。

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 風が「そよそよ」吹くというのがありますが、あれは風が吹いて、音を立てているのではない。ささやいているのです。
 どういうことかと言うと、音を、聞き耳を立ててキャッチしているのではなく、自然が発する声を聞いているのです。音ではなくて「声」です。・・・[4, 1271]
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 縄文人は、人間同士で互いに語り合うように、自然の「声」にも聞き入っていたのである。

■6.すべての人が平等だった環状集落

 人間が自然の円の中で生かされているとすれば、人間同士もその円の中で、生まれ、育ち、年老い、そして子孫を残して死んでいくものであった。そこには階級分化もありえず、すべての人間は平等だった。

 縄文人は集落の中心に円形の広場を作り、そこで自然を司る精霊を祀った。そして、その周りに竪穴住居を円の形に配置した。どの家も神聖な広場からは等距離である。このような「環状集落」は5千年前頃から、東北地方から中部地方まで広い範囲で作られた。

 後に神社ができると、その祭りで、歌や踊りに興じたり、神輿(みこし)とともに練り歩いたりするようになったが、縄文時代から同様の祭りがあっただろう。特に盆踊りは「円」を作って、一緒に回る。こうして、みんなで一緒に楽しむと共に、精霊たちを喜ばせた。

 人間が明るく楽しく過ごすことが、精霊に活力を与えて元気にする最も大切なこととされた。特に縁ある男女が結ばれて、明るい気持ちで仲良く過ごし、多くの子供をつくる事を縁産霊(えんむすび)と呼び、人々は夫婦になった二人を祝福して、賑やかな婚礼を開いた。「円」は「縁」でもある。

■7.「旅」と「まれ人」

 縄文時代には各地の集落間で広域の交易が行われていた。新潟県糸魚川市の山中で上質なヒスイが採れるところがあるが、このヒスイを用いた勾玉(まがたま)の祭器が日本全国から出土している。

 また、秋田、山形、新潟の油田地帯では、石油が地上に染み出してできたアスファルトが採れる。このアスファルトは、石の矢尻(やじり)を矢柄の先端にくっつけたり、壊れた土器を修理する接着剤として使われるが、これらアスファルトを使った出土品が北海道南端から、東北地方全域、北陸地方に及ぶ広い範囲で見つかっている。

 こうした交易がどのようになされたのか。たとえば青森の三内丸山の集落で祭りにヒスイが必要となると、集落の中から選ばれた勇者たちがヒスイの採れる新潟の糸魚川近辺まで出かけていく。そういう旅人が来くと、糸魚川の住民は快く場所を教えてやる。すべての自然物は精霊の恵みなので、彼らが独占すべきものではないからだ。

 武光教授は、これが「旅」の始まりだと指摘する。「旅」とは「賜(た)べ」、すなわち「何かを下さい」という言葉から出た。自分が欲しい物がある所に行って、そこの集落に「何々を賜(た)べ(ください)」とお願いする行為が旅だった。

 旅人たちは、糸魚川の住民に自分たちの集落の話をする。そこから、自分の集落から何か、お返しに持ってこられる物を知る。そして、次回、ヒスイを求めてまた旅人がやって来る時には、それを贈り物として持参するのである。

 こうして旅人は、貴重な情報や贈り物をもってきてくれる「まれにしか来ることのない大切な客人」と歓迎された。これが「まれ人」の語源である。

 縄文時代には、このように全国の村落が交易、交流、友好のネットワークで結ばれていた。これも「円の思想」の表れであろう。

■8.日本人のユニークな経験

 縄文時代の代表的な遺跡、三内丸山遺跡に関して、自由社版の中学歴史教科書は次のように述べている。

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 1万年以上にわたる縄文時代の大きな特徴は、遺跡から戦争の武器が出土しないことです。三内丸山のような巨大遺跡からでさえ、動物を狩るための弓矢や槍はありましたが、武器は見つかりませんでした。おたがいが助け合う和の社会が維持され、精神的な豊かさを持ち合わせた社会であったと考えられます。
私たちの祖先である縄文の人々は、「和の文明」とも呼べるこのようなおだやかな社会を築いていたのです。[5, p33]
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 土地もヒスイも魚も、すべて自然の恵みと考えれば、そこには私有財産という概念は生じ得なかったろう。そして、その自然の恵みを人々が感謝しつつ、使いすぎないように注意深く使っている社会では、争いは生まれない。

 一方、農耕社会では、自分が汗水垂らして耕して作った畑は自分のものだ、という意識が生ずる。その土地を増やそうとすると、土地を巡って隣人と争いが生ずる。

 北米のインディアンは縄文人と同様の精神を持っていたようだ。イギリスからの移住者たちが辿り着いた時、彼らは「まれ人」として温かく迎えた。しかし、その移住者たちは土地を自分たちの財産と主張して、インディアンを駆逐し始める。インディアンたちは、自然の精霊が与えてくれた大地を、なぜ特定の人間が自分の所有物だと主張するのか、理解できなかった。

 農業・牧畜を始めた人間は、自然環境を破壊し、土地を巡って争うようになった。そこから継承された環境破壊と戦争が、現代社会にも大きな危機をもたらしている。その一方で「円の思想」を継承した日本文化は和を大切にし、環境との共存共栄を実現している。小林教授は次のように結論づけている。

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 日本列島で農耕が始まるまでの1万年以上も続いた自然との共生の体験の中で縄文世界観が醸成され、日本人的心の基盤が形成されていったと言えます。それは、文明先進国がどこも体験することのできなかった貴重な時間だったとも言えます。[4, 1317]
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 そのような世界でもユニークな1万年以上もの時間を経験した我々は、そこで学んだ事を世界に示していく責務がある。
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■

a. 「いのちの結び-現代科学と日本文明」、伊勢雅臣『世界が称賛する 日本人の知らない日本』、育鵬社、H28