葛木御歳神社から~宮司がゆったりのんびり綴ります -12ページ目

葛木御歳神社から~宮司がゆったりのんびり綴ります

1600年以上の歴史を持つ葛木御歳神社の宮司東川優子が日々思うことを書き綴ります。

明日10/25から金曜日まで、5回連続で、読売新聞東日本地域の夕刊に載ります。
私が宮司になるきっかけや、神社のお祭りを復活した話などが載ります。
ネットでは見られないそうですが、愛知県以東には載るそうです。
ちょっと恥ずかしいですが、ご覧頂ければ嬉しいです💕
もし、見られた方は写メ送ってください❤️
 前のブログで崇神天皇が嫌いと書いたのですが、もう少し崇神天皇について妄想してみました。

司馬遼太郎の「街道をゆくー竹内街道」を読んで色々思いを巡らせました。
崇神天皇の名前は御間城入彦(みまきいりひこ)。司馬遼太郎は、崇神天皇は「みまき」ー任那からの侵略者と見ているのです。この時代、兵力はそれほど高くないから、あっという間にヤマトを侵略して王になれたのだと。そして即位後、各地の豪族の武器を石上神宮に納めさせます。これは太閤秀吉の刀狩のようなものだと。
なるほど!面白い!
で、万世一系を司馬遼太郎は簡単に否定しているんだ〜💦
ただし、崇神朝はそれ程長くは続きません。
初代神武天皇から崇神天皇以前の時代は、葛城王朝というべき時代になります。この時代、葛城の鴨氏ゆかりの女性が皇后や天皇の母になるのです。
それが、崇神天皇の時代から、本拠地が三輪山のあたり、桜井や天理に移ります。
その後、葛城氏の祖となる武内宿禰と葛城氏を母に持つ神功皇后によって、政権奪還。そして葛城氏が名門貴族として、皇后を輩出する時代になるのです。

崇神朝の疑問。何故三種の神器の八咫の鏡を宮中から出したのでしょうか?
これに対する明確な答えは記紀には書かれていません。ニニギが天孫降臨するとき、天照大御神は、「この鏡を私だと思って歴代天皇の傍近くで奉斎しなさい」と命じられます。これは、三代神勅と言われ、絶対に守るべき約束のはず。それを違えるなど、天皇家としてはあり得ないはずなのです。なのに
鏡を宮中から出すことになります。
その際、宮中で祭っていた鏡=天照大御神は、崇神天皇の娘豊鍬入姫に祭らせ、倭大国魂神は、同じく娘の渟名城入姫命に祭らせようとします。ところが、渟名城入姫命は痩せ細って髪は抜け落ちてとても祭ることができなくなり、豊鍬入姫も任を解かれ倭姫に代わります。
これについて、司馬遼太郎は、神が拒否したのだと考えます。なるほど〜ですよね。もし、崇神天皇が天照大御神の正統な子孫でないとすれば、辻褄が合います。崇神天皇は、天照大御神を自分のそばに置くことが出来なかったのです。だから、宮中から出させた。

もう一つ、記紀にはこんな記述があります。崇神天皇の時代、疫病が流行って人々の半分以上が死んだ。
なるほど。疫病なのか。。。ですが、司馬遼太郎の考えるように、これは侵略者によって戦いが起こったのではないか。とも考えられます。
そして、万世一系に見えているけれど、この崇神王朝というべき時代は天照大御神の正統な子孫ではなかったのではないか。記紀神話はそれを書くことができなかったのではないか。
司馬遼太郎の考察です。
この考えだと、三代神勅を破ってまで、鏡を出した理由がわかります。

ここからは私の妄想です💦
邪馬台国について、日本の神話は全く語っていません。これについて沢山の論争があるのですが、一つの可能性としてこれはありじゃない?と思うこと。
キーパーソンは、倭迹迹日百襲姫。巫女的な皇女で、崇神天皇の時代に託宣を下ろします。やはり、彼女こそ、卑弥呼なのではないでしょうか?そして、弟王と言われたのは実はたぶん甥にあたる崇神天皇。こう考えると辻褄が合います。

神武天皇と邪馬台国が被らないのですよ。この二つの関係が謎でした。
神武天皇は、ニニギの子孫で九州からやってきてヤマトの王になります。畿内に入る時は長髄彦と激しく戦いますが、戦ったのはヤマト入り直前だけで、それ以外はかなり平和裡に王になります。そして邪馬台国が例えば九州の小国の話には思えない。もし、崇神天皇が朝鮮半島の任那から来たとすると、魏に使いを送ることも納得できます。

魏志倭人伝の女王卑弥呼。託宣を下ろし、大切な政治を決める巫女が女王に見えても不思議はありません。そして、邪馬台国は案外短命に終わります。モモソヒメという絶対的な巫女がいなくなるとたちまち邪馬台国は終焉したのかもしれません。
こうして、天照大御神からの流れが一時だけ途切れて別の王朝が入り込むけれど、また、元の王朝に戻るわけです。
(ギリ、万世一系に傷がつかない?すり傷程度?💦💦)

もう一つ、昔からの疑問があります。
魏志倭人伝の記述です。倭が生口=奴隷を送ったとの記述。古代日本には奴隷はいなかったというのが今の定説です。もしも、崇神天皇が朝鮮任那からの侵略者だとすると、崇神朝に限って戦争によって捕虜としての奴隷が生まれたとしても不思議ではないと思います。

ー続くー

先日、大物主について書いたら、ある方から、司馬遼太郎の「街道をゆくー竹内街道」を読んで感想を聞きたい〜と言われ、早速読んでみました❣️
これ、ハマりすぎ❣️
ずっと封印してきた思いがフツフツと沸き立つ。

昔からどうしても崇神天皇が嫌い❗️
これ、どうにもならない。私の中の血か、葛城の土地の記憶が嫌うんですよ。そして、崇神天皇の時代に王朝を支える氏族が代わったと思っています(王朝が変わったとは言いません💦)。葛城の鴨氏が皇后として支えていた関係から代わるのだと。
昔は妻問い婚です。ある意味母系社会。
だからこそ、天皇は、皇后の実家からすると擁立すべき婿さんなんですよ。だからこそ、男系男子にこだわる。だってそれがなくなったら、何が何だかむちゃくちゃになる。妻の実家が擁立する意味すら形骸化するから。。。

そして、その後武内宿禰(司馬遼太郎氏は竹内宿禰で、竹内街道の当麻あたり出身と推察)と神功皇后の計でまたまた天皇家に入る女性たちが葛城の姫に戻るんだと。

崇神天皇が嫌いなのは、もう一つ、八咫の鏡を宮中から出したこと。
天照大御神との大切な約束を破ったのは崇神天皇ですよ。やはり大きな理由が何かあるはず!それを記紀神話が書いていないのは何故?あまりにも畏れ多いからって。出す方が畏れ多くない?

あ〜言うてしもた。書いてしもた。笑笑
アカンこと書いた。
昔ならヤバいよね。今ならいいかな?
葛城鴨族の神社の神主としては。。。😅💦
葛木御歳神社の新嘗祭と奥山登拝
11月23日(火)
11時から 新嘗祭と奉納コンサート
13時半から 御歳神社奥山登拝

収穫への感謝のお祭りとして新嘗祭を斎行いたします。
今年は中川令子さん、当麻智子さん、梅本裕美さんのソプラノ3人による奉納コンサートがあります。
ピアニストは辻ゆり子さん。
澄んだ紅葉の秋を彩るコンサートもお楽しみください(観覧無料)。


その後、御歳神社の奥山へ登拝を行います。
昨年度同様、小川法烟師を先達として勤行、参拝しながら、御歳神社の奥山の磐座を拝し、近くは葛城、金剛の峯、遠くは吉野の峯を遙拝しつつ、奥山をめぐりたいと思います。
どなたでもご参加頂けます。
皆様のご参加をお待ちしています。

奥山登拝路から金剛葛城山を望む
奥山頂上から大峰を望む

            奥山登拝について
午後1時半~4時半頃終了予定
雨天決行(荒天時は登拝は中止の場合あり)
*奥山登拝をご希望の方は、下記メールへ事前申込みをお願いいたします。
 登拝参加費:2000円
(保険・神拝詞・授与品・その他運営費)  
y.mitoshi@gmail.comへ

奈良県御所市東持田269
0745-66-1708
葛木御歳神社


今年もお正月の授与品にする稲穂守りを作ります❣️
古代米は、天野の北眞由美さんに御奉納頂きました。ありがとうございます💕
これに、氏子さんから頂いた稲穂を合わせて手作りします。
お手伝いしても良いよ〜っていう方はご連絡ください。12月1日の月次祭の後にやりましょう。
月次祭は10時半からです。
こちらの写真は昨年のものです↓

その前に、一度拝殿や瑞垣の拭き掃除もしたいと思っています。こちらもお手伝い頂ければ嬉しいです❣️11/21にやりますね。今のことろ、8名くらい参加予定です。雨なら11/28 に順延です。
よろしくお願いいたしますm(__)m

大物主神は誰なんだろ?から。
大国主神、事代主神、饒速日神、大歳神などの名前が言われますよね。

もう一つの疑問〜
大和神社の祭神の倭大國魂神(日本大国魂神やまとおおくにたまの神)も、謎の神様です。
宮中で天照大御神と一緒に大切に祭られてきて、第十代崇神天皇の時代に出されます。
その時の託宣が同時に二つ
1、大物主神を大田田根子を見つけ出してまつらせよ。
2、倭大国魂神を、市磯長尾市に祭らせよ。
となると、大物主神と倭大國魂神は同族ぽいですよね?
倭大国魂神も、大物主同様謎の神様です。
へ?宮中で天照大御神と共に祀られてたのに〜。

似た名前の神様が、大歳神の子神におられます。大国魂神。この神様が大和神社の御祭神だとすると、大物主神が大歳神という可能性もありますよね。大和神社には、大歳神の子神の御歳神も祭られています。
漫画「神武」の元になった本が「古代日本正史」原田常治著ですが、ここでは、大物主が饒速日命で大歳神として登場します。

一方、大物主神は事代主神だという説もあります。どちらも、蛇神に姿を変えて婚姻することから。

神武天皇がヤマトへ入る前の王がニギハヤヒですね。そうすると、ニギハヤヒこそが、「やまとおおくにたま」という名前に相応しい気もします。
以前も書きましたが、神武天皇は初代なので、大物主より前の時代になるので、その時のおおくにたまは、ニギハヤヒかもしれない。

もちろん、一般論的に、大物主神も大国魂神も大国主神だよ〜なら簡単なんだけどね。でも、なんか違和感ですよね。

事代主神も、出雲の事代主とは違う気がします。どちらも、大和の土地の神のような感じですよね。

また、神武天皇の妃は事代主神の娘ヒメタタライスズヒメ。大和の土地神の娘です。
ヒメは元はホトだったそうで、ホトを突いて生まれたことからと言われています。ホトタタライススキ姫とも言われます。ここでピンときたのは、イススキ。このあたりでは、稲積みのことをススキと言い、稲霊と考えます。イは強調の語とすると、農業に関係して見えます。タタラが製鉄なら、製鉄と稲作の姫ですね。御所市の鴨都波神社の御祭神事代主神は水辺で農業を見守る神として祀られています。

神武天皇が天神地祇を祭ったのが始まりなら、天照大御神と一緒に祀られていた、地祇は?地祇がちゃんと祭られてないから、祭ってよ!って言われたのは大物主ですよね。大国主?饒速日?大歳?って話なのかな?
謎だらけです。

ウィキより。

崇神天皇即位5年、疫病が流行して人口の半ばが失われた。祭祀で疫病を治めようとした天皇は翌年に天照大神と倭大国魂神を宮中の外に出すことにした。天照大神は豊鍬入姫命に託して笠縫邑(現在の檜原神社)に祀らせた。倭大国魂神は渟名城入媛命に託し長岡岬に祀らせた。しかし渟名城入媛は身体が痩せ細って倭大国魂神を祀ることが出来なかった。

即位7年、「昔皇祖大いに聖業高く国は盛であったのに、朕の世になり災害が多い。その所以を亀卜にて見極めよう。」と詔して、神浅茅原に幸して八百万の神を集めて占った。すると倭迹迹日百襲姫命に大物主神が乗り移って自分を祀るよう託宣した。神の教えのままに祭祀を行ったが霊験がなかった。そこで天皇は沐浴斎戒して宮殿を中を清めて、「願わくば夢に教えて、神恩を示してほしい」と祈った。するとその夜の夢に一人の貴人が現れ自ら大物主神と称して「もし我が子の大田田根子を以って我を祭ればたちどころに平安となる。」と告げた。続いて倭迹速神浅茅原目妙姫・大水口宿禰(穂積臣遠祖)・伊勢麻績君の三人がともに同じ夢を見て、大物主神と倭大国魂神(大和神社祭神)の祭主をそれぞれ大田田根子と市磯長尾市にせよという神託を受けた。そこで大物主神の子とも子孫とも言われる大田田根子が探し出されて大物主神を祭る神主となった。三輪山を御神体とする大神神社の始まりである。市磯長尾市(いちしのながおち)も倭大国魂神を祭る神主となった。すると疫病は終息して五穀豊穣となった。

今夜のオンライン神道お茶会ではこんなお話もしたいです↓
初参加大歓迎〜💕