9月23日に90歳で実父が亡くなりました。父のことを書いてみたいと思いながらバタバタしていてなかなか書けませんでした。新聞記事が掲載されたので改めて書いてみようと思います。
父は大阪の下町の生まれです。鶴橋駅の界隈です。氷屋を営む小さな家の三男でした。父は昔から本が大好きでしたが、祖父は機嫌が悪くなるとちゃぶ台をひっくり返すような人だったようです。そのため本を読んだり勉強したりすると「何を本ばかり読んでるんじゃ!早よ店を手伝え!」と怒鳴るような人で、夜布団の中に懐中電灯をつけて本を読んだそうです。さすがに大学受験の時は家では勉強ができないので親戚の家に下宿させてもらっていたそうです。そして京都大学法学部に入学。サークルは映画部に所属して、映画の評論ばかり書いていたそうです。
父の生涯の自慢話。映画監督の木下恵介に評論文を送ると、「あなたは日本一の評論家だ」と言われたそうで、その話を何度も聞きました(笑)
大学卒業後は、出来たばかりの朝日放送の内定をもらっていたのですが、父の大学の費用を出してくれていた兄が、その頃小さな電球を売る店を作っていて、俺と会社をやれ!と言われ、泣く泣く内定を辞退したそうです。
まずは東芝に就職して、数年後、東芝の電器店を五つ貰い受けて、マツヤデンキを設立。専務として、兄の社長と事業を始めました。
高度経済成長を受けて、店は順風満帆、父は目新しいフランチャイズ店も展開してどんどん拡大していきました。
私が小学校低学年の頃は、二十店舗ほどでしたが、大学生の頃には、300店舗まで拡大。今回新聞に載せて頂くにあたり調べ直したら、ピーク時には、年商1500億円の大型家電量販店になっていました。
私はお父さんっ子で、父が帰宅してお風呂を上がると、ビールを注いであげるのが私の役目でした。経営に関しても色々話してくれました。
「お金は回さなあかんのや。貯めたらあかん。もちろん、裏金なんか、もっての外!裏金は、死に金になる。金庫にしまうんじゃなくて、ちゃんと回すと、回り回って利益を生むんや。」
父の兄が五十代で病死したので、その後社長になり、ますます拡大路線を突き進む。
「皆んなが利益を得るようにせんとアカン。フランチャイズは、そうせなあかんのや。経営に困っている小売店には、ノウハウを渡して儲かってもらう。そうして、お互いに良い関係になるんや」
父は大型量販店の組合を作ってその会長になります。家電製造の会社と連携して、家電リサイクル法の成立に尽力した功績で藍綬褒章ももらいました。
(褒章もお棺に入れました)
「家電量販店同士もライバルじゃない。お互い、アイデアを出し合って皆んなで業界を盛り上げることをする方が、競争するより気持ちよく利益が出せるんや。知っている知恵は出し合う。それが、業界を健全にする」
また、ある時はこんなことも言ってました。「世の中には、たま〜に悪意に満ちた人間もいるけどな、でも、それは、ほんの一握りや。1000人中999人までは、ええ人やと思って良いよ。あとの一人に引っかからないようにしたらいい」
「一所懸命生きてたら、一所懸命生きてる人と出逢うよ。だから、一所懸命生きてる人に会いたかったら、一所懸命生きたらいいねん」
テレビドラマを見てるとすぐに泣いてました。めちゃ涙もろかったなぁ。でも、家ではとても穏やかな良いお父さんでした。帰宅した時にはとても厳しい顔をしていても、お風呂上がってビールを一口飲むと、途端に穏やかな父になる。その変化が嬉しくて、父のためにお風呂上がって座ったらすかさずビールを持って行っていました。
井上靖が好きで、司馬遼太郎や池波正太郎が好きで、黒岩重吾が好きで。。。でも、ある時「僕の好きな本、カミュのシーシュポスの神話、サマセットモームの人間の絆、ヘルマンヘッセのデミアン。」って。それについて、熱く語ってくれました。だから、棺にこの三冊を入れました。焼き場から出てきたら、本がページはそのまま、扇形に開いた様な状態で真っ白になってました。
そうして、自分の信念に基づいて理想の経営者として人生を謳歌していたのですが、暗雲が漂います。父のぼやきを時々聞きました。
「大型家電量販店組合に加入せずに、正規ルート以外の横流し品をあり得ない安値で売る会社が凄い利益を得てるんや。。。それで、組合で適正価格で売る形は、もう古いと考える会社も増えてきた。それすると、食い合いになるんやけどなぁ。」
時代が変わったんでしょうね。結局関西資本の量販店の中で生き残ったのは、ジョーシンただ一つで、あとは全て潰れることになります。大阪日本橋の家電の街は、今はゲームの街になりました。
それでも、マツヤデンキは、小型店展開で、町の身近な電器店としてなんとかやっていたのですが、ある地方の家電量販店を買収して痛手を受けます。当初の経営状態の資料が粉飾決算で、赤字を肩代わりさせられることになったのです。
もう一つ、バブルの最中、経理部長が証券会社と組んで「飛ばし」に引っかかってありえない大穴を開けてしまったのです。
本業は、順調だったけれど、これにより、経営指標は悪化。どんどん暗雲が垂れ込めてきます。
そして、大和銀行国有化。
マツヤデンキは大和銀行にかなりの借入金があり、国有化するにあたり、大和銀行の借金を減らすために、マツヤデンキを倒産させて、産業再生機構に回されることになりました。
父はその時は会長職に退いてましたが、最後まで倒産は有り得ないと見ていました。倒産が確実になっても、「有り得ない!」と言ってました。まぁ、銀行救済の方が至上命題だったのだから、仕方ないですよね。
倒産するにあたり、まぁ色々大変でした。私は、まだ子どもたちが小学生でした。掲載された新聞にもありますが、夫は芸術家で殆ど収入がなく、私がお嫁入りに持って来た株の配当で生活してきたようなものだったので、無配当になって困り果て学習塾や家庭教師をかけ持ちしましたが、家のローンが重くのしかかりました。会社が倒産すると株は全部紙切れになりました。
父はサバサバしていました。
この時代の経営者は、大抵会社の連帯保証人を社長が個人でやっていたので、会社が倒産して負債が発生すると、それは連帯保証人の父のところにも来ます。正に赤紙で、総額200億円ほどの督促状が届きました(笑)
当然、自己破産しました。
同じ時期に相次いで倒産した関西資本の家電量販店の社長の中には、離婚して奥さんの財産だけ守った人や、隠し財産が見つかって刑務所に入った人もいましたが、父は結局何もしなかったです。それは父の生き方として、そうだったんだろうなぁと思います。
倒産した後、家が取られるので、家族が集まって自宅で最後の晩餐をしました。
その時に、父はヤケに晴れやかで「ええ人生やったなぁ〜幸せな人生やったわ〜」って言っていました。本当に本心だったんでしょうね。
それでも父は年金があるから良いけど、私の家の家計は、全く回らなくなって、家の中のお金をかき集めても500円しかなくて、もちろん、銀行の残高もゼロで、あと数日、私の学習塾の振込みがあるまで、どうやって凌ごうか?というような日々が10年近く続いたかな?
結局私は離婚することになりました。
バブルの頃は株がどんどん値上がりして、額面では、私の株だけで、三億円あったのに、一銭も使わないまま紙切れになりました。私もつくづく律儀だったなぁ。父が、あれは、優子に預けてるけど、会社のための株だから、絶対に売るな!って言うてて、それを守ってしまった。売っていたら離婚しなかったかもね。でも、そうすると、宮司にもなってなかったと思うので、これで良かったと思っています。
父のお陰で私も波瀾万丈の楽しい人生になりました。
色々な意味で、本当に父のお陰です😊✋️
父もちょっと長生きし過ぎたけど、倒産の痛手の後、香芝市に引っ越しして、京大映画部の仲間が香芝市で映画上映会を主催していることを知って、再び、映画上映会の評論やら、あらすじ、時代背景など、パソコンで作って配布していました。
もしかしたら、やりたかったことを最後にやって、楽しい終末だったのかもね。
その後、オペラ上映会もやってました。元コーラス部で、歌も大好きな父でした。
大好きなお父さんへ。
本当にお父さんの娘で良かったよ。
父にいっぱい教えてもらったよ。
追伸
今日、父が大好きで私も大好きな漫画「忍者武芸帳」の白土三平さんが亡くなられたとニュース。父より一つ年下だったんだ。もう亡くなっていると思っていたので、びっくりでした❗️